心と体を通して見えてきたもの

個人的な生まれ変わりの体験談。心とは?カルマとは?人間の本質や使命とは?
といったことを考えてます。

第2章 心を通して №362

2010-03-30 18:44:40 | Weblog
当時の科学者たちの多くは、ニュートン力学の原理に基づいて、電磁気現象や熱現象などの、あらゆる自然現象を説明できると考えていました。
19世紀においては、ニュートン力学だけが完成された理論であり、電磁気・光や熱の分野の理論はまだ発展途上でした。物理学者たちは、ニュートン力学こそ理想的な物理理論のモデルなので、他のすべての理論もこれを模範として創らなければならないと考えていました。
これに対してマッハは『力学の発達とその歴史的批判的考察』という本の中で、ニュートン力学の基本法則も実験に基づいて得られたものであり、他の分野の物理学に対して優先権を持つものではないと主張しました。このマッハの本について、アインシュタインは次のように言っています。
『マッハこそ、その力学の歴史において、この独断的信念[力学的自然観]をゆるがした人であった。この書物はまさにこの点で、学生であった私に深い影響を及ぼした』(『相対論のABC』 福島肇 著 講談社ブルーバックスより)
こうしてアインシュタインは、「実証されたものだけに価値がある」というマッハの思想、光速度が有限であること、近接作用による場という考え方とその取り扱いの3つをもとに、相対性理論へと進みます。
アインシュタインが大学を卒業した1900年頃は、電気の時代でした。トマス・エジソンが電球や蓄音機を発明し、電気や光、熱などに関する研究や発見が相次ぎ、それらを使った発明品も多かったようです。
アインシュタインは大学卒業後、大学教授の助手になれなかったので、2年間臨時教員などをした後、電磁気学の理論に詳しいということで、24歳の時スイスの特許局の発明の審査官として就職しました。
当時のマクスウェルの電磁気学の基礎方程式は、光の速さは等速運動するどの物体から見ても秒速30万キロメートルで同じになり、光は止まっては見えないと結論付けていました。
また、マイケルソンとモーリーのエーテルの風を調べる実験によってもそれが確かめられていました。
光は決して止まることも、速度を落とすこともなく、光速度の等速運動を続けますが、ガリレイの相対性原理によれば、光は止まって見えるはずですから、これはエーテルに原因があると考えていた当時の科学者にとって大問題でした。アンリ・ポアンカレやヘンドリック・ローレンツといった有名な物理学者たちは、実験によって得られた結果と、理論の間にある食い違いを解消しようと苦心していました。
№363につづく
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第2章 心を通して №361

2010-03-28 18:42:18 | Weblog
アインシュタインのもう一つの興味の対象であったエルンスト・マッハは、オーストリアの物理学者であり哲学者でもありました。ジェット機と超音速の研究をして、音速と同じ速さをマッハと呼ぶのは、彼の研究に由来しています。彼は『力学の発達とその歴史的批判的考察』という本を1883年に出しています。彼はこの本の中で、ニュートンを批判しています。
ニュートンは『プリンキピア』の中で空間について次のように述べています。
『絶対的な空間は、それ自身の性格から、外部の何ものとも関係なく、いつも同じまま静止している。相対的な空間は、この絶対空間を測ったもので、その基準は動かすことができる。私たちはこれを物体に対する位置から感覚によって決める。これが人々によって不動の空間と受け取られている』
また、時間についても同書で次のように述べています。
『絶対的な真の数学的な時間は、それ自身で、その本性から外部のなにものとも関係なく一様に流れる。それは持続ともよばれる。一方、相対的な見かけのうえの日常的な時間は、物体の運動によって持続を測ったもので、感覚的で表面的な指標である』
要するにニュートンは、宇宙には絶対的な空間と絶対的な時間がある、と考えていました。
この絶対空間に対して、マッハは『力学の発達とその歴史的批判的考察』のなかで次のようにいいます。
『ニュートンが、事実だけを研究するという彼の方針に反した行動をとったということは注意するまでもなかろう。絶対空間や絶対運動についてうんぬんできる人は一人もいない。それは経験の中に決してあらわれることのない単なる空想の産物である』
また絶対時間についても、次のように批判しました。
『物の変化を直接、時間に即して測ることは絶対にできない相談である。むしろ逆に時間は、物が変化するということから私たちがひきだした抽象なのだ』
マッハの主張をまとめると、「自然科学では、経験的に実証不可能な問題を扱ってはならない」ということでしょう。観測可能なものだけを集め、それのみを材料として自然科学はつくられるべきだと考えます。空間や時間を、一般的には絶対的なものとして最初から受け入れてしまいますが、このことさえも批判の対象にしなければならない、というのです。
№362につづく
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第2章 心を通して №360

2010-03-26 18:30:21 | Weblog
光の近接作用は、エーテルを媒体としておこなわれるのではないか、というのが当時の考えでした。
アインシュタインが大学生の時、光を伝える媒体があるはずだということで1887年におこなわれた、マイケルソンとモーリーによるエーテルの実験(№166と167)を知りました。彼らの実験結果から、光の速度はどのように測定しても、等速直線運動をしている二つの光のあいだに運動の差異がない、つまり光の速さは常に一定の秒速30万キロメートルということになります。
もし鏡を持って光と同じ速さで走っても、自分の顔は鏡に写ることになります。
アインシュタイン自身の疑問は解けましたが、光の速度が常に一定ということは、エーテルの存在は否定されなければなりません。音が空気中を波のように伝わるのとは違って、光はエーテルの中を波のように時間をかけて伝わるのではなく、秒速30万キロメートルという瞬時に伝わるということは、光は波ではなくエネルギーを持った粒の集まりではないでしょうか? これはすでに№180(8/20)で取り上げた光量子仮説ですが、1900年にプランクはエネルギー量子仮説を発表しました。このプランクの仮説の式をよく検討すると、光は波動性と粒子性を兼ね備えていることにアインシュタインは気づきました。
そこでアインシュタインは、光はエネルギーの固まりとして粒子のように放出、吸収され、空中を伝わっていくという「光量子仮説」を1905年に発表しました。この理論によると、光はエーテルの振動によって伝わってゆく波動と考える必要がなくなります。エーテルのない真空そのものが、光を伝える物理的実態だと考えるほうが自然になり、エーテルは必要なくなります。
光は見た目は波動の性格を持つのですが、他の波動とは根本的に違う何かだと考える必要があります。
では遠くの光も瞬時に伝える時間と空間は、どのようなものでしょうか?…この考えは特殊相対性理論へつながります。
また彼はこんなことも考えました。近接作用として電気の周囲には電場があり、磁石の周囲には磁場があるのなら、重力の周囲にも重力場があるのではないか? またこの重力場の値はどのくらいなのか? もし重力場に光が入ったら光はどうなるのか?…この考えを突き詰めると、一般相対性理論へ発展します。
№361につづく

おまけ
今年もベンジャミン・クレーム氏の講演会がおこなわれるとの、手紙が届きました。
5月8日(土曜) PM2時~ (開場 1時~)問合せ 03-3385-7130
東京・日比谷公会堂 日比谷線・千代田線「日比谷駅」 丸の内・千代田線「霞ヶ関駅」

5月15日(土曜) PM2時~ (開場 1時~)問合せ 06-6773-1231   
アルカイックホール (尼崎市総合文化センター) 阪神尼崎駅より徒歩5分、JR尼崎駅より市バス阪神尼崎行き「総合文化センター」下車

5月18日(火曜) PM6時~ (開場 5時~)問合せ 052-836-1130
名古屋・ウインクあいち (愛知県産業労働センター)小ホール
名古屋駅より徒歩2分

総合問合せ 042-799-2915  シェア・ジャパン

今回の講演は「新しい文明が始まる」という題です。
去年の講演会に行ったので、今年は行くのは止めようか?
でも、クレーム氏も高齢ですし、来年はもう無いかもしれないと思うと、行こうかな?
とも思うし…、どうしようかな?
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第2章 心を通して №359

2010-03-24 18:30:41 | Weblog
当時の物理学のなかで、アインシュタインの興味を引いたのは、電磁気力の近接作用と、エルンスト・マッハの思想でした。
プラスの電気を帯びた球と、少し離れたところにあるマイナスの電気を帯びた球は、互いに引力によって引き合います。この二つの球のあいだで引き合う力は、どのようにして伝達されるのでしょうか?
電気の力だけでなく、太陽と地球、あるいは地球と月の場合も一定の空間を隔てて万有引力が作用していますが、その中間には何もありませんから、遠隔作用のようです。もし遠隔作用であれば、空間を隔てた物体に瞬間的、直接的に力が届いていることになります。たとえばリモコンを操作してテレビを点けるのと同じように、太陽と地球のような長距離間でも、力は何もない空間を瞬時に伝わることができるのでしょうか? リモコン(正確にはリモートコントロールremote control 日本語では遠隔操作)で神様が重力を操作しているのでしょうか? 何もなければ、力は伝わらないと考えられます。何か伝わるものがあるから、そこを通って力が伝わる……と解釈するのが近接作用です。そしてこれは、ニュートンが自分の理論に欠けているため、読者の考察に任せたものでもあります。
電磁波は、電場や磁場の揺れ動きが、振動を発する物体から続けてすみやかに伝わっていく現象です。この電場や磁場のような力の場が、電気や磁気の波動を伝える物質の物理的変化を通して他の物体に到達することで、その力を及ぼすことを近接作用といいます。
電気と磁気の場合、この電場や磁場が近接作用の原因ですから、リモコンによる遠隔操作ではありません。
光は電磁波と同じ秒速30万キロメートルです。ですから光も電磁波も同じ電波の仲間であり、振動の波長が極端に短く、光よりも速いものがないだけです。
電波や光の速さは有限ですが、極めて速いため、光が発光してからそれを見るまでの所要時間はあっというまで、アインシュタイン以前の物理学であれば気にすることもありませんでした。
しかし、アインシュタインは「もし自分が光と同じ速さで走ったら…」という疑問を持っていました。
自分と一緒に等速度で平行して走っている光があれば、その速度は秒速30万キロメートルであり、その光は自分よりも前方に進んでいくことができません。自分と並行して走る光を見ても、止まって見える光などありえないとアインシュタインは思います。空中を走る光そのものは直接には見られないけれど、走っている自分が鏡を持ち、鏡を持った手を伸ばして光の前にかざして鏡を通して光を見ようとすれば、光や自分の顔は写るでしょうか? 自分の顔が写らないということはありえるのでしょうか? つまりどのような観測方法であっても止まることなく光速度は常に一定であるはずです。
№360につづく
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第2章 心を通して №358

2010-03-22 18:33:30 | Weblog
アインシュタインの力学
ニュートンから200年ほど後の南ドイツのウルムという町で、アルバート・アインシュタイン(1876~1955)はユダヤ人の家庭に生まれました。一年後、家族はミュンヘンに引越し、父親は事業を始めました。
彼は、一人静かに読みたい本だけを読み、学びたいことだけを学ぶのが好きなマイペースな少年でしたから、当時のビスマルクによる富国強兵政策で、プロシア式全体主義の画一的教育を受けることは苦痛でした。また彼は暗記科目が苦手で、得意なのは物理と数学だけで、要領が悪かったといいます。
15歳の時、父の事業の失敗が原因で、家族はイタリアに移住しました。アインシュタインは、一人ミュンヘンに残り学校を続けたのですが、反ユダヤ的な傾向も強まるなか、彼は自閉的な性格になり、登校拒否に進展し、権力に盲従する卑屈な人間を作る画一的な学校が嫌になり、学校を中途退学してしまいました。彼はドイツの市民権を放棄して、イタリアの家族のもとへ行きました。
こんな無国籍で中途退学のため大学受験の資格もない彼を受け入れてくれる唯一の大学が、スイスの連邦工科大学でした。16歳のアインシュタインは入試に失敗しましたが、その大学の学長が彼の数学と理科の成績がとても優秀なことに注目し、スイスの州立学校で勉強した後、再受験することを勧めました。
16歳の時ですから、スイスの自由な精神の学校で学んでいた頃でしょうか、彼は「もし自分が光と同じ速さで光と並んで走った時、光はどのように見えるだろうか?」という疑問を持ったといいます。
たとえば、光の代わりに同じ速度で並行して走る2台の電車があり、その一方に乗っているとすれば、隣を同じ速度で走る電車は止まって見えることになります。これはガリレイの相対性原理ですね。
しかしその時彼は、「止まって見える光などというものはありえないだろう」と思ったそうです。
このスイスの学校を卒業後、チューリヒの連邦工科大学の入試に再挑戦し、数学と理科の教員養成部門へ入学を許されました。
№359につづく
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第2章 心を通して №357

2010-03-20 18:30:41 | Weblog
私たちに進化をもたらすエネルギーは、ニュートン力学に基づいて考えることができると感じます。
ガリレイは球を転がす思考実験で、ニュートンはリンゴが落下することから、第一の法則である等速直線運動を発見しています。人間は、鉱物から人間に進化するまでに、長い道のりをたどってきていると思います。そこには、強い意志が必要です。漠然とした思いだけでは、もっと進化は遅いのではないかと私は感じます。等速直線運動以上のものをもたらすだけの、何らかの力の作用があるのではないでしょうか。
それは、私たちには直接感知することのできない、魂の王国からのエネルギーの作用だと考えられます。かつて私たちと同じ人間であり、私たちよりも先に魂の王国にたどり着いた先輩である、大師方からの私たちへの作用だと考えられます。この魂の王国の先輩である大師方は、決して私たち人類の持つ自由意志を犯すことがないため、私たちには彼らからの作用がないかのように感じ、今は直接感知できません。
また第二の法則である、力と速度の関係式によって、私たちは運動の予測を立てることが可能になります。
私たち自身の行為の予測や進化の予測も、エネルギーや進化の法則を理解することによって可能だと思います。それは、第三の法則である作用と反作用(カルマの法則)により、現象を説明できるからです。カルマの法則を理解できなければ、第二の法則である行為や進化の予測もできないことになります。
もし私たちに割り当てられ、納付しなければならない租税があるとすれば、カルマの法則を理解し、行為の原因をより良いものにして、進化の速度を予測可能なものとすることではないでしょうか?
予測できない不穏な人生を生きることよりも、作用と反作用を理解することで、行為の結果を予測できるほうが、より進化もスムーズになり、私たち自身の人生も快適で安定したものになり、進化のゴールである魂の王国への道筋も、より明らかになるのではないでしょうか。
ニュートンの運動の3法則は、この物質界の基本法則であり、これを根っことして力学の体系がつくられ、いろいろな現象が説明され、ニュートン力学によって、産業革命を発端とする資本主義社会が到来したことで、現代社会の繁栄につながっています。
神智学的にも、ニュートンの運動の3法則に基づいて、力を定義し、運動の予測を可能にし、新たな進化の促進を生み出すことのできる基本法則と考えられます。
№358につづく
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第2章 心を通して №356

2010-03-18 18:22:22 | Weblog
ニュートンの運動の法則によれば、この宇宙に存在するすべての物体の運動は、遠い未来のことまで予測が可能です。
しかし物体と違って、人間には自由意志があります。一日をどのように過ごし、どのような仕事をするといったことを自由に選ぶ権利は、基本的な人権としてすべての人に与えられています。
だからと言って、今よりも不幸、不安定、不都合で不遇な状態や、予測のつかない不穏な社会生活を望む人はいないと思います。誰もが今よりも幸せでありたいと望んでいると思います。すべての人が、心のうちに安定した快適で幸福な生活を望んでいるのではないでしょうか? どのような方法で手に入れるかは自由意志によりますが、基本的な理想とする世界は、誰もが同じものを思い描いているのだと思います。
逆進化の後に進化があると以前(№329)言いました。もともと神聖な大霊が質料の中に降りてくることから逆進化が始まります。私たちは本来、神聖にして、大いなる霊性をもつ存在そのものでした。私たちは誰もがそのときの記憶を心のどこかに持っています。この不安定で不穏この方ない現代社会に対して、不平と不満を抱いているのはそのためです。私たちは自分の魂のふるさとで感じていた、神聖なる至福感を知っているから、私たちは自分のうちなる神性を取り戻そうとして進化を開始します。
私たちが自由に、愛と幸福に満ちた理想の世界を現実にしたいと願い進化するのは、神性を取り戻そうとするためであり、これが本来の自由意志なのだと思います。人間には意識があり、自らの力で思考し分析し選択することで、愛に満ちた幸福で平和な世界を得たいと望み、自由意志によって自分自身の心の内側から、自らこの望みを現実のものにしようと決定し努力することが大切だと思います。
次に「賦課」そのものの意味を調べると、「租税(税金)などを割り当てて取り立てること、負担を割り当てて納付させること」です。
このような霊的な意識の進化の恩恵を受けることに対して、私たち自身に割り当てられ、納付しなければならない負担があると考えられますが、ここではニュートンの法則に限って考えたいと思います。
№357につづく
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第2章 心を通して №355

2010-03-16 19:10:15 | Weblog
以前№295(11/12)で、ニュートンの法則には多くの意義があると書きました。
『図解雑学 物理のしくみ』(ナツメ社)から引用しましたが、まず力というものを初めて定義し、2番目の意義は、運動の予測ができるということ、3番目の意義は、さまざまな現象を説明するための、有効な手段になり得る考え方であり、物理学の基本法則ということです。
しかし№320(01/04)で、力もエネルギーも物を動かしたり、その速さを変えたりできるような、外部から物体自体に働きかけることのできる何かであり、物理学では明確な定義がないといいました。
私たちの住むこの物質の世界には、エネルギーや力がたくさんあります。そしてすべての力はニュートン力学という基本法則によって、その運動が予測可能になっています。
また神智学に基づいてエネルギーについて、№283(10/12)や№329(01/22)などで、エネルギーの様相の一つとして意識がある、およそ存在するものはすべてエネルギーである、エネルギーは霊あるいは生命の唯一の源である、霊とはエネルギーの同義語にすぎない、といいました。
『トランス・ヒマラヤ密教入門第③巻』(アルテ発行)では法則を次のように定義しています。
『法則とは何であろうか、わが兄弟よ。それは、最高にして偉大なる方の意志と目的の(小さきものとより重要なものの両方への)賦課である。したがって、それは、人間の限界を超えたところにある。人間はいつの日か、すべての自然法則にはより高位の霊的な相応物があることを学ばなければならない。』
法則とは、「最高にして偉大なる方の意志と目的の、賦課である」と言っています。
「最高にして偉大なる方の意志と目的」という法則として私は、鉱物から植物、動物、そして人間へと進化し、さらに魂の王国へ向けての意識の進化の法則を思います。
このような進化をもたらすものとして、物を動かしたり、その速さを変えたりできるような、外部から物体自体に働きかけることのできる何かとして、エネルギーが考えられます。
私たちはこのようなエネルギーを受けることによって、進化が促進され、現在人間として生きていると考えることができます。
№356につづく
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第2章 心を通して №354

2010-03-14 19:10:09 | Weblog
重力が長距離に働く力であることは、物理学的にも神智学的に見ても、宇宙の進化にとって極めて重要な意味を持ちます。私たちは気がついていませんが、宇宙の中の1個の物体は、他のすべての物体からの重力を感じていますし、個々の物体の重力は、宇宙全体の物体と関係があります。個々の物体が持つ重力の影響力はとても小さいかもしれませんが、宇宙全体の効果は重大です。
リンゴ1個を地面に落下させる強い重力は、地面に落ちたリンゴの隣にあるリンゴとも、ごくごく微弱な万有引力によって引き合っています。その力はあまりにも弱く、地面とのあいだの摩擦力などによって打ち消されています。そのため身の回りの物体同士の万有引力の効果は、ほとんど見ることができません。
ですが無重力で真空状態の宇宙空間では、離しておいた二つの物体は万有引力によって引き合い、接近し、いずれくっつきます。地球などの天体はこのようにして、チリとガスが万有引力によって少しずつ集まることで誕生したと考えられています。万有引力は、宇宙そのものを支配する力なのです。
『アインシュタインのおもちゃ』(TBSブリタニカ発行)にはニュートンの回想から引用された文がありますので、まとめの代わりに載せておきます。
『私は月の軌道にまで届いている重力というものを考えるにいたった。まず私は、惑星をその軌道にとどめておく力は、そのまわりを回転している物体からの距離の2乗に反比例していなければならないことを導いた。こうして月を軌道にとどめておくのに要する力と地球の表面での重力は同じものであるという答えを得たのである。これらは、ペストが猛威をふるった1665年から1666年にかけての発見である。私の人生のどの時期よりもこの時期が発想と数学および哲学的思索にとって最高であった。』
次にニュートンの著書、『プリンキピア』より引用しておきます。
『生命がなく感覚がない物質が、物質的でない他の何らかのものの介在なしに、他の物質に接触せずに作用し影響を及ぼすことは考えられない。重力が物質に内在する本質的なものであって、物体から物体に作用や力を伝えるような何ものの介在もなしに、ある物体が別の物体に真空を隔てて作用するというのは私にとってはあまりにもばかげたことであり、哲学的なことがらについて考える能力の優れた人なら誰も、こんな考えに陥りようがないと私は信じる。重力は、つねにある法則にしたがって働いている作用因によって引き起こされるに違いない。しかし、この作用因が物質的なものかは、読者の考察に任せることにした。』(『エレガントな宇宙』ブライアン・グリーン著 草思社より)
この文章でニュートン自身が、自分の理論には欠けているものがあることを指摘し、読者に欠けているものの考察を任せると言っています。この欠けているものを見つけ出したのが、アインシュタインです。
№355につづく
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第2章 心を通して №353

2010-03-12 19:10:05 | Weblog
月のように他の物体の周囲を軌道運動している物体の場合、重力はその物体に働き、それを内向きに引っ張っています。そうしなければ月は軌道をはずれて、どこかへ飛んでいってしまいます。
ハンマー投げの選手が、投げる直前までハンマーを円運動させますが、そのためには常に中心方向に向かってハンマーを引っ張り続けなくてはなりません。速さの変わらない等速の円運動では、進む向きが常に変わっているため力が必要になります。月は地球に対して秒速1キロメートルもの速度で動いていますから、地球に落ちてくることなく円運動ができます。人工衛星も秒速約7.9キロメートルもの猛スピードで動いているから、落下することなく円運動を続けています。
ニュートンは、月に働く地球の引力の大きさを計算してみました。この計算のためには、力学や微分積分の知識が必要です。この力学や微分積分も彼が考えつくり出しました。
その結果、月が地球のすぐそばにあると考えた時の3600分の1になりました。60の2乗分の1ということです。月の軌道の半径は、地球の半径のおよそ60倍になります。このことからニュートンは、地球の引力の大きさは、地球からの距離の2乗に反比例して小さくなると考えました。
ここから、「宇宙のすべての物体は、その質量の積に比例し、物体間の距離の2乗に反比例する力をおよぼし合う」という万有引力の法則の発見につながったのです。
(自然界には「距離の2乗に反比例して弱くなる」ものが他にもあります。光が豆電球などの光源から遠ざかるほどに、その光の明るさも「距離の2乗に反比例して弱く」なります。電気力と、磁力もそうで、これらには重要な理由があります。それはまた第3章で取り上げます。)
地球の引力によって月は地球の周りをまわり続けるということは、太陽の周囲をまわり続ける惑星にもあてはめることができます。天文学者ケプラーは、すでに惑星の軌道半径と軌道速度を、非常な苦労の末に決定していました。ニュートンはこのケプラーのデータから、地球と月のあいだだけでなく、惑星と太陽のあいだにも、この法則が働くことを証明しました。
ケプラーの法則を理論的に導くことに成功したため、ニュートンはのちに科学界で高く評価されました。
リンゴが落ちることから、地上の重力を支配する法則と、月が落ちてこないことから、天体の重力を支配する法則の両方を統一的にまとめたのが万有引力の法則です。
ニュートンが運動の法則や万有引力の法則をまとめ、さらにこれらの法則に基づいて、惑星や月や彗星の運動、地球の形や潮汐などの物理学的な世界を数学という共通の言葉で理解し、語れるようにした著書が1687年に発表した『プリンキピア』(原理の意味、正確には『自然哲学の数学的諸原理』)です。
№354につづく
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