当時の科学者たちの多くは、ニュートン力学の原理に基づいて、電磁気現象や熱現象などの、あらゆる自然現象を説明できると考えていました。
19世紀においては、ニュートン力学だけが完成された理論であり、電磁気・光や熱の分野の理論はまだ発展途上でした。物理学者たちは、ニュートン力学こそ理想的な物理理論のモデルなので、他のすべての理論もこれを模範として創らなければならないと考えていました。
これに対してマッハは『力学の発達とその歴史的批判的考察』という本の中で、ニュートン力学の基本法則も実験に基づいて得られたものであり、他の分野の物理学に対して優先権を持つものではないと主張しました。このマッハの本について、アインシュタインは次のように言っています。
『マッハこそ、その力学の歴史において、この独断的信念[力学的自然観]をゆるがした人であった。この書物はまさにこの点で、学生であった私に深い影響を及ぼした』(『相対論のABC』 福島肇 著 講談社ブルーバックスより)
こうしてアインシュタインは、「実証されたものだけに価値がある」というマッハの思想、光速度が有限であること、近接作用による場という考え方とその取り扱いの3つをもとに、相対性理論へと進みます。
アインシュタインが大学を卒業した1900年頃は、電気の時代でした。トマス・エジソンが電球や蓄音機を発明し、電気や光、熱などに関する研究や発見が相次ぎ、それらを使った発明品も多かったようです。
アインシュタインは大学卒業後、大学教授の助手になれなかったので、2年間臨時教員などをした後、電磁気学の理論に詳しいということで、24歳の時スイスの特許局の発明の審査官として就職しました。
当時のマクスウェルの電磁気学の基礎方程式は、光の速さは等速運動するどの物体から見ても秒速30万キロメートルで同じになり、光は止まっては見えないと結論付けていました。
また、マイケルソンとモーリーのエーテルの風を調べる実験によってもそれが確かめられていました。
光は決して止まることも、速度を落とすこともなく、光速度の等速運動を続けますが、ガリレイの相対性原理によれば、光は止まって見えるはずですから、これはエーテルに原因があると考えていた当時の科学者にとって大問題でした。アンリ・ポアンカレやヘンドリック・ローレンツといった有名な物理学者たちは、実験によって得られた結果と、理論の間にある食い違いを解消しようと苦心していました。
№363につづく
19世紀においては、ニュートン力学だけが完成された理論であり、電磁気・光や熱の分野の理論はまだ発展途上でした。物理学者たちは、ニュートン力学こそ理想的な物理理論のモデルなので、他のすべての理論もこれを模範として創らなければならないと考えていました。
これに対してマッハは『力学の発達とその歴史的批判的考察』という本の中で、ニュートン力学の基本法則も実験に基づいて得られたものであり、他の分野の物理学に対して優先権を持つものではないと主張しました。このマッハの本について、アインシュタインは次のように言っています。
『マッハこそ、その力学の歴史において、この独断的信念[力学的自然観]をゆるがした人であった。この書物はまさにこの点で、学生であった私に深い影響を及ぼした』(『相対論のABC』 福島肇 著 講談社ブルーバックスより)
こうしてアインシュタインは、「実証されたものだけに価値がある」というマッハの思想、光速度が有限であること、近接作用による場という考え方とその取り扱いの3つをもとに、相対性理論へと進みます。
アインシュタインが大学を卒業した1900年頃は、電気の時代でした。トマス・エジソンが電球や蓄音機を発明し、電気や光、熱などに関する研究や発見が相次ぎ、それらを使った発明品も多かったようです。
アインシュタインは大学卒業後、大学教授の助手になれなかったので、2年間臨時教員などをした後、電磁気学の理論に詳しいということで、24歳の時スイスの特許局の発明の審査官として就職しました。
当時のマクスウェルの電磁気学の基礎方程式は、光の速さは等速運動するどの物体から見ても秒速30万キロメートルで同じになり、光は止まっては見えないと結論付けていました。
また、マイケルソンとモーリーのエーテルの風を調べる実験によってもそれが確かめられていました。
光は決して止まることも、速度を落とすこともなく、光速度の等速運動を続けますが、ガリレイの相対性原理によれば、光は止まって見えるはずですから、これはエーテルに原因があると考えていた当時の科学者にとって大問題でした。アンリ・ポアンカレやヘンドリック・ローレンツといった有名な物理学者たちは、実験によって得られた結果と、理論の間にある食い違いを解消しようと苦心していました。
№363につづく