心と体を通して見えてきたもの

個人的な生まれ変わりの体験談。心とは?カルマとは?人間の本質や使命とは?
といったことを考えてます。

第3章 光とともに №840

2012-12-30 20:20:08 | Weblog
「認識ホログラフィ」と「干渉ホログラフィ」は、どちらも似たようなシステムを使うことで、
似ているもの同士の中にある異なる部分を識別することが可能になるようです。
「認識ホログラフィ」はレーザー光線をフィルムに当てて感光させる前に、
「焦束鏡」(フォーカシング・ミラー)として知られる特殊な鏡に反射させます。
よく似ている別の物体に当てたレーザー光線を、同じ「焦束鏡」に当てた後、先に感光させたフィルムに当てます。
先に感光されたフィルムの上に、別の物体に当てたレーザー光線を当てることで、
二つの光の重なり具合によって違いを識別できるようになります。
また「干渉ホログラフィ」という技術は、ある物体の画像を記録したホログラフィック・フィルムを通した光が先にあり、
その上に現在の画像が重なることで、画像が記録された後に変化した部分を理解できるということは、
二つの波長の違う光が重なり合うことになります。
「認識ホログラフィ」と「干渉ホログラフィ」は、先に記録されていた画像がボームのいうインプリケート・オーダーとして
存在し、現在見ているものがエクスプリケート・オーダーという表に表れた画像になります。
このようにして波長の違う光の層がいくつも重なり合うことで、現在の私という画像ができているとも考えられます。
暗記の天才と呼ばれる人たちは、暗記したいものの全体をしばらく眺めて心の中にその映像を保存したあと、
思い出したいときには目を閉じて、あるいは何も書いていない壁などに向かって
心にある映像を投影することで思い出すといいます。
ハーバード大学で視覚機能の研究をしていたダニエル・ポルンとマイケル・トラクテンバーグは、
ホログラフィックな脳という理論を使うと、このようなフォトグラフィック・メモリーを説明できるといいます。
この能力を持つエリザベスというハーバードの歴史学の教授に、
ゲーテの『ファウスト』のあるページを記憶してもらった後、思い出すときの彼女の目は
まるで現実にそのページの文字を追っているように動いていて、
投影した映像は彼女にとってきわめてリアルなものだったといいます。
ホログラフィック・フィルムの一片が小さくなるにつれて、そこに記録された画像がかすんでいくという点を考えると、
ポルンとトラクテンバーグは、こうした人たちが鮮明な記憶力を持つのは、
恐らく記憶ホログラムの非常に広い領域を何らかの方法で活用しているのではないかと示唆しています。
ほとんどの人々は、記憶ホログラムのごく限られた部分しか活用できないために、
それほど鮮明な記憶力ではないのかもしれません。
№841につづく

今年もあとわずかですね
いまさっき、やっと年賀状を書き終わりました。(^^;)
年末はぎりぎりまで、仕事のスケジュールがわからなかったり、
バタバタしていて、お正月の準備?なんて、何もできていない状態です。
そんなわけで、・・・年始は1月6日より、スタートさせていただきますことを、
お許しくださいませ。
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第3章 光とともに №839

2012-12-28 19:59:46 | Weblog
「認識ホログラフィ」と「干渉ホログラフィ」
記憶が脳全体に分散されていて、脳のかなりの部分を切除しても記憶がぼやけることはあってもなくならないというのは、
脳という顕在化された物質よりも奥深いレベルに記憶は保存されていると考えられます。
思い出せなかったことを思い出すのは、ある角度でフィルムにレーザー光線を当てることで、特定の画像を
呼び出すのに似ているというのは、何らかの秩序によって情報が整理されて記憶されているように思われます。
また物質的な脳が切除されてしまい、記憶を思い出すことができなかったとしても、記憶された情報そのものは、
物質よりも奥深いレベルのどこかに畳み込まれて存在していると考えられます。
『投影された宇宙』(マイケル・タルボット著 春秋社発行)という本によると、
見たことのあるものを認識する能力は一見それほどたいしたことではないようですが、
脳の研究者たちは、これがかなり複雑な能力であることに昔から気づいていたといいます。
たとえば、大勢の群集の中に知っている人を見つけたときに感じる絶対の確信は、単なる主観的な感情というだけではなく、
ある種の非常に高速で信頼性の高い情報処理が、脳の中で行われることで生まれているらしいといいます。
また1970年、イギリスの科学雑誌『ネイチャー』の記事で、物理学者ピーター・ヴァン・ヒアデンは、
「認識ホログラフィ」と呼ばれるタイプのホログラフィがこの能力を理解する道を示していると提唱しています。
認識ホログラフィでは、対象の画像は通常の方法で記録されますが、レーザー光線をフィルムに当てて感光させる前に
「焦束鏡」(フォーカシング・ミラー)として知られる特殊な鏡に反射させます。
次に最初のものと似ているけれどまったく同じではない別の物体にレーザー光線を浴びせ、その光線を
この鏡に当てた後に、先の感光したフィルムに当てると、明るい光が点となって現われてきます。
これが明るければ明るいほど、またピントが合っているほど、二つの物体の類似の度合いが高いことになります。
ホログラフィック・フィルムの裏側に光を感知する光電管を置けば、
この仕掛けを自動認識装置として使うことも実際に可能だといいます。
これと似た技術に「干渉ホログラフィ」というものがありますが、長年会っていない人の顔のように、
ある像の見たことのある部分、知らない部分を私たちがどうやって認識するのかについても、
それによって説明できる可能性があります。
この技術は、ある物体の画像を記録したホログラフィック・フィルムを通した光で、その物体自体を見るというものです。
すると、この画像が記録された時点以後に変化した部分があれば、そこでは光の反射が違ってきます。
この方法を使うと、見る人はその物体のどこが同じままで、どこが変わったのか一瞬にしてわかることになります。
この技術は、花崗岩に指を押し付けただけでも、その痕跡がすぐにわかってしまうほど超過敏で、
材料試験を専門とする業界で実用化されているといいます。
№840につづく

ひとりごと
昨日まで、七日間連続して仕事でした。
クリスマスも仕事だった分、今日はゆっくり休もう、と思っても・・・
なんだかせわしない気分で、落ち着かない? と感じるのは、年の瀬だから?
今年もあとわずか、みなさん今年は、良い年でしたか?
今年は、仕事が比較的多くて、収入の面では少し不安が解消しましたが、
ブログにかける時間がそのぶん少なくなり、読みづらかったかもしれません。
自分でもどう書いていいのかわからなかったり、うまく表現できなかったり、
悪戦苦闘していますが、お許しくださいませ。

マヤ暦に関して、世界が終わる?なんて話をしてる人もあるらしいですね
365日を一年と呼び、100年で1世紀とするように、日本の天皇の即位から崩御までが一つの歴史の区切りになるように、
マヤ暦も2000有余年という永いサイクルが、一つの区切りになりますね。
2012年12月のある日、その永い一つの区切りが終り、さらにパワーアップした新しい年が始まりました。
日本の政治も経済も、なにやら大きく変化していく過程にあるようですし、
世界中の政治も経済も、そのほか様々な分野で、ゆっくりと?ではありますが、大きな変化が起こりつつあると感じますよ。
このゆっくりとした大きな変化?は3年くらいは続くのかなぁ? と勝手に思っています。
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第3章 光とともに №838

2012-12-26 20:51:16 | Weblog
人間の膨大な情報を記憶するシステムもホログラフィック
人間の脳の中には、今日までのすべての記憶が蓄積されていますから、情報量としてはぼう大なものになると思われます。
物理学者であり、数学者であるジョン・フォン・ノイマンの計算によると、平均的な人間の脳が
一生の間に蓄積する情報量は、2.8×10の20乗(280000000000000000000)ビット程度に達するそうです。
想像を絶するこの情報量が、脳の中にどのようにして入っているのか、というメカニズムを説明するのは、大変なことです。
ホログラムは2本のレーザー光線がフィルムに当たる角度を変えることによって、
同じ表面に多くの違う画像を記録することが可能なので、並外れた情報を蓄積する能力を持ちます。
記録された画像を取り出すには、最初の2本の光線と同じ角度でレーザー光線をフィルムに当てるだけで、
同じ画像を取り出すことができます。
この方法を使えば、約6平方センチのフィルムに、なんと聖書50冊分に相当する情報を
記録することができるという計算結果が出されています。
複数の画像を記録したホログラフィック・フィルムは、なぜ物事を思い出したり、
忘れたりする両方の能力が私たちにあるのかを理解するヒントも与えてくれます。
このフィルムにレーザー光線を当てて、いろいろな方向に傾けてみると、
そこに記録されている様々な画像が、きらきらと流れるようにあらわれては消えていきます。
思い出す能力とは、このようにある角度でフィルムにレーザー光線を当てることで、
特定の画像を呼び出すのに似ているのではないかと考えられています。
同じように何かが思い出せないというのは、いろいろな光線を複数画像のフィルムに当ててはいるものの、
求めている画像や記憶を呼び出すのに必要な、正しい角度を見つけられない状態かもしれません。
1本のレーザー光線の光を同時に2つの物体、たとえば机と花瓶に当てて、反射させます。
次にそれぞれから反射してきた光を衝突させて、
その結果できた干渉パターンをフィルムにとらえます。
そして今度は机にレーザー光線を当てて、そこから反射してくる光をこのフィルムに通すと、
花瓶の三次元映像があらわれてきます。
逆に、同じことを花瓶を使って行うと、机のホログラムがあらわれてきます。
もし私たちの脳がホログラフィックに機能しているとしたら、これと同じプロセスで、
ある物が過去の特定の記憶を呼び覚ますと考えることができます。
たとえばクリスマスケーキについて考えれば、その時の食卓の団らんの様子や料理、
クリスマスプレゼントなど、クリスマスに関連したことを一緒に思い出すかもしれません。
私自身この文を書いているあいだに、クリスマスの朝目覚めた時『王子とこじき』の本が枕元にあったことや、
その時寝ていた布団の感触、もみの木にクリスマスの飾り付けをした事など、幼い頃のことを思い出しました。
№839につづく
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第3章 光とともに №837

2012-12-24 20:25:30 | Weblog
エール大学でプリブラムは、7年間にわたり、視覚を用いて様々な作業をしているサルの脳の電気活動を正確に計ってみました。そこでわかったのは、正方形を見れば、脳の視覚中枢の電気活動にも、正方形の形があるといった、一対一の関係は
存在していないばかりか、電極が電気活動を感知する順序にも特にこれといったパターンが見出せないということでした。
この結果について彼は、
「これらの実験結果は、視覚中枢の表面に写真のような画像が投影されるという考えとは相反するものである」
と記しています。
脳を切除しても視覚中枢があまり影響を受けないという事実は、記憶と同じように、
視覚機能もまた分散されていることを示しています。
そして、ホログラフィの存在を知ってからは、視覚も本質的にはホログラフィックなものではないか、
とプリブラムは考えはじめました。
どんなにたくさんの視覚中枢を切除しても、どうして視覚機能は影響を受けないのかという疑問を、
「すべての部分に全体が含まれる」というホログラムの性質は確かに解き明かしているように思われました。
もし脳が像をなんらかの内部ホログラムを用いて処理しているとすれば、
そのホログラムのほんの小さな一部からでも、目が見ている物の全体像を再現することができるはずです。
外部の世界と脳の電気活動のあいだに一対一の対応関係がないこともこれで説明がつきます。
ホログラフィック・フィルムの意味のない干渉パターンと、それが記録している物体の画像とのあいだに
対応関係がないのと同じように、脳の電気活動と目が見ている像とのあいだに一対一の対応関係はないことになります。
このような内部ホログラムをつくるために、脳はどのような波動現象を使っているのでしょうか。
脳の神経細胞(ニューロン)どうしのあいだで交わされる電気的なコミュニケーションが、
一つひとつ独立して行われるのではないことはすでに知られていました。
ニューロンは小さな木のように枝分かれしていて、電気的なメッセージがこの枝の先端まで来ると、
池に波が広がるように、そこから外側に放電が起きます。
この広がっていく電気もまた波動現象であり、ニューロンが脳内でぎっしりと詰まっていることから、
この電気の波はいつも互いに交錯している状態にあります。
プリブラムはこのことを思い出し、これがまるで万華鏡のような、
ほとんど無限に近い干渉パターンを次から次へとつくり出しているにちがいないと気づきました。
『その先端が交錯する波動のような脳細胞どうしの結びつきの中に、ホログラムは常に存在していたのである』
とプリブラムは語っています。
№838につづく
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第3章 光とともに №836

2012-12-22 20:47:12 | Weblog
プリブラムはエール大学でも、記憶が脳全体に分散されているということを、
考えれば考えるほどその正しさを確信していきました。
医学的な理由で脳の一部を切除したとしても、患者が特定の記憶を喪失することはありませんでした。
脳のかなりの部分を切除した患者の記憶力は、全体としてぼやけることはあっても、
手術後に特定の記憶を失った人など誰もいませんでした。
同じように、車の衝突や他の事故で頭に損傷を受けた人たちも、ペンフィールドの研究で
あれほど重要な役割を演じた側頭葉を切除してしまっても、その人の記憶に亀裂が生じることはありませんでした。
また、てんかん症状のない人の脳をいくら刺激しても、ペンフィールドと同じ結果を得ることはできませんでした。
ペンフィールドもてんかん症の患者以外からは、同じ結果は得られていませんでした。
また大脳の半球または両球が傷ついた数人の戦争犠牲者の、推理および行動能力は、
脳が正常なときに比べて減少しないということも科学的に証明されました。
1960年代半ば、史上初のホログラムについて『サイエンティフィック・アメリカン』誌に書かれた記事を読んだプリブラムは、
ホログラムの概念の凄さと、自分を悩ませてきた謎にも解決策を提供してくれたことに、驚き興奮しました。
記憶が脳内の特定の場所に蓄積されるのではなく、脳全体にどう分散されているかを理解する方法がついに見つかったのです。
ホログラフィック・フィルムのどの部分にも、映像全体をつくるのに必要な情報が含まれることが可能ならば、
同じように、脳のどの部分にも記憶全体を呼び起こすのに必要な情報すべてが含まれることも充分可能なはずです。
脳がホログラフィックに処理しているのは、記憶だけではない可能性があります。
ラシュリーの研究の発見のひとつは、視覚機能もまた、脳の外科的切除の影響を驚くほど受けにくいということでした。
ラシュリーは、ネズミの視覚中枢(目から情報を受け取り、処理する脳内領域)の90%を除去したとしても、
複雑な視覚能力を必要とする作業が依然として可能なことを発見していました。
同じようにプリブラムの研究でも、ネコの視神経の98%までを切除しても、
複雑な視覚作業を行う能力を大きく損なうことはないという結果が得られています。
この状態は映画のスクリーンの9割がなくなってもまだ映画を楽しむことができると考えるのと同じで、
プリブラムの実験は、視覚機能に関する従来の考え方にも大きな疑問を投げかけました。
当時支配的だった理論によれば、目が見る像と、脳の中でその像がどう処理されるかには、一対一の対応関係があるはずでした。正方形を見れば、脳の視覚中枢の電気活動にも、正方形の形があると考えられていたのです。
№837につづく
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第3章 光とともに №835

2012-12-20 20:22:14 | Weblog
1920年代、カナダの神経外科医ワイルダー・ペンフィールドが行った研究は、
特定の記憶が特定の脳内の場所を持っているという有力な証拠を提示していました。
てんかん症の患者の側頭葉に刺激を加えたとき、その患者は自分の過去に起きた出来事を
微にいり細にわたり、鮮やかに再体験しました。同じ場所を刺激すると、同じ記憶が呼び起こされることがわかりました。
彼は他界する直前の1975年に『脳と心の正体』という本を出版し、
その中で『私たちが経験したことは、どのような小さなできごとでもすべて脳に記録されている』と結論しています。
私たちの記憶が、日常の取るに足りないような些細な体験も含む完璧な記録であるなら、
それだけぼう大な記録が脳の中のどこかにあることになります。
脳細胞のどこか特定の場所にあるとされる、記憶の痕跡を「エングラム」とペンフィールドは呼びました。
この記憶の痕跡である「エングラム」が何でできていて、どこにあるのかという記憶のメカニズムを、
カール・ラシュリーは30年以上探し続けました。
1946年当時、神経外科臨床研修医だったプリブラムは、ペンフィールドの「エングラム理論」を信じて、
カール・ラシュリーのもとで、研究を行うことになりました。
しかしラシュリーはエングラムがどこにあるかを一切見つけることができなかったばかりか、
ペンフィールドの結論さえ根底からひっくり返してしまいました。
ネズミに迷路走行などの様々な行動を学習させて訓練し、次にそのネズミの脳の一部を外科手術で切除し、
再びテストするという実験を行いました。
ネズミの脳のどの部分に学習した記憶が残っているのかを確かめるために、
様々な部分を切り取ってネズミの迷路走行実験を行っても、記憶を消し去ることができなかったといいます。
脳の大部分を切除されたため、運動能力が損なわれてしまい迷路をつまずきながら走行したとしても、
ネズミの記憶力はきちんと残っていたといいます。
ラシュリーが30年間にわたる研究の成果をまとめるとき、プリブラムも手伝いました。
この成果の中でラシュリーは、
『記憶の蓄積場所に関する研究結果を振り返ってみると、
そこから得られるのは、学習は全く不可能だという結論しかないと思えることがある。
しかしながら、そういう証拠材料があるにもかかわらず、学習は実際に起きていることなのだ』と書いています。
プリブラムは、ラシュリーのこの結果から、記憶は脳の特定の場所に位置しているのではなく、
何らかのかたちで脳全体に広がって、または分散して蓄積されていると考えました。
ただ問題は、このような状態を説明できるメカニズムやプロセスが存在していないことでした。
1948年に、プリブラムはエール大学での研究の誘いを受けました。
№836につづく
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第3章 光とともに №834

2012-12-18 20:20:20 | Weblog
私たちの記憶は、脳全体に分散されていてホログラフィックな性格を持って処理しているという、
カール・プリブラムの研究の成果が真実であるならば、
客観的な現実だと思っているこの物質世界にあるすべてのものは、
実は波動の共鳴によって映し出された幻影に過ぎないことになります。
物理学者が電子を調べても体積を持たないし、粒子としても波動としても現れるということで、
量子と呼ばれるものであり、これが宇宙を構成しているという結論にたどり着いています。
そしてボームが量子の世界を研究する中で、観察されていない状態の電子は、
常に波動として広がって大きな全体の一員として相互結合しているといいます。
波の各部分の動きは、分割不可能な全体が決めているだけでなく、
量子以下の量子ポテンシャルの作用しているレベルでは、特定の場所というもの自体がなく、
空間のあらゆる点は他の点と同じであり、非局所的でホログラフィックな性格を持つといいます。
こうしてボームが、宇宙全体がホログフィックな原理によって機能していることを見つけ出したことと、
カール・プリブラムが脳の記憶はホログラフィックな性格を持つことが重なってきます。
ボームは世界をいくつもの小さな断片に分割してしまうのではなく、すべてのもののあいだには
ダイナミックな相互結合性があるといいます。
観察者は観察の対象そのものでもあり、観察者の意識とは観察対象という物質のより精妙な一形態であり、
この二つのあいだにある関係の基礎は、私たちの現実レベルではなく、より深く隠された内在する秩序の中にあると考えます。
ボームは言います。
「活動的な形態を持つ能力というのが意識の最大の特徴であり、この意識状のものはすでに電子の中に存在しているのである」。これと同じように宇宙を、生命を持つものと、持たないものに分けるのではなく、
両方が分かちがたく絡み合っているのがこの宇宙であり、意識と同じように生命もまた
宇宙のあらゆるところに包み込まれているといいます。
生命と知性は、すべての物質のみならず、「エネルギー」「空間」「時間」「宇宙全体が織り成す現実」、
そして私たちがホロムーヴメントから抽象的に取り出して、
別々のものだと誤解しているその他一切の物の中にも存在しているといいます。
意識と生命が宇宙のあらゆる部分に包み込まれている総体だ、という彼の考えは、
ホログラムのどの部分にも全体の画像が記録されているということと同じです。
宇宙空間のあらゆる領域は、波動でできた「場」であふれかえっていて、
それぞれの波動は、必ずある量のエネルギーを持ちます。
そして最小の部分であっても、宇宙全体に存在する物質のエネルギーの総量よりも
さらに多くのエネルギーが存在していることが、わかったといいます。
ホログラムのどの部分にも全体の画像が記録されているということは、あらゆるすべての部分に
情報が存在するということですから、情報とエネルギー、そして生命と意識は同義語であると思われます。
№835につづく
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第3章 光とともに №833

2012-12-16 20:21:31 | Weblog
人間の感情が動いたり考えたりすることによって生まれたエネルギーが、非常に多くの生命体(エレメンタル)を
活動させることになり、想念形態を生み出していると神智学はいいます。
しかしこの想念形態は、目で見たり、手で触ったりといった五官で確認することはできません。
私たち自身の意識の活動によって生み出されるこの想念形態は、
まさにボームの言うホログラムの映像のようなものかもしれません。
科学者たちは物質的な脳から、意識や精神といった物質でないものが現れることについては同意していますが、
精神とは何か、意識とは何かという定義についての意見はまとまっていませんし、
何が精神を作っているのかはまだわかっていないといいます。
意識は精神の属性であり、その特徴は、ある実体が自らのことに気付いていることだ、というのが一般的な考えだそうです。
私たちは自分が目覚めているとき、このことを意識していますし、何かを見たり感じたりしても、それを意識しています。
哲学者マルコム・ホリックは
『できごとは経験する者によって経験され、思考は考える者によって考えられ、痛みは感じる者によって感じられ、
想像は想像する者によって生み出され、選択は選択する者によって行われる』と、意識を表現しています。
インドの聖者サイババは、『私たちが考えている自分自身の姿』と表現していますが、
これは私たち自身の自我に基づいた知覚といえます。
できごとを作り出したのも、それを体験しているのも、他の誰かではなく私自身です。
私たちが感じたり、考えるとき、同じ条件の同じ状況にあっても、人とは違うことを感じたり思ったりします。
全く同じことを感じて、全く同じことを考えても、全く同じ人生を生きている自分と全く同じ人というのは、
この世には存在しないでしょう。
私たち一人一人が独自の感じ方、考え方、表現方法を持つ、個性的で独特な存在といえます。
すると当然、それぞれの感じ方考え方に沿った独特で個性的な人生を生きることになりますから、
一人一人がそれぞれの想念によって個性的な物質形態を生み出すこととなります。
私たちの感情や想念や言葉や行為によって生み出された物質形態は、肉眼で観測できないため認識されませんが、
私たちの脳にはすべてのできごとが記憶として、残されています。
私たちの感情や想念や言葉や行為による体験のすべてが、脳のどこにどのように蓄積されているのかを、
カール・プリブラムは研究しました。
その結果、記憶は脳の特定の場所に蓄えられているのではなく、脳全体に分散されていて
ホログラフィックな性格を持って処理していることがわかりました。
私たちが目の前の固体を見ているときでさえ、本当は自分の脳の中のホログラムの映像を見ていることになります。
№834につづく
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第3章 光とともに №832

2012-12-14 20:22:22 | Weblog
神智学によるとこの太陽系宇宙は、ロゴスの大計画に従って、
上位界層であるアーディ界から下位の物質界層へと創られました。
私たちはこの地球の、外的にも観測できる物質質料の地球に住んでいますが、
地球も惑星ロゴスの大計画に沿って、目に見えない精妙な波動のアーディ界から
最も濃密な質料である物質界までが創られています。
私たち自身も上位メンタル界にあるコーザル体つまり魂が、低位メンタル体をつくり、
アストラル体、肉体といった諸体を創ることで、この世に人間として生まれてくることができます。
この世界は巨大な宇宙から、微小な粒子の中まで、どこを見てもすべてエネルギーの濃度の違いによる階層構造があり、
すべてロゴスの大計画によって創造されていることがわかります。
そして私たち人間は、感じたり思ったり、語ったり行ったりすることで、
想念形態をつくりますから、私たちも小さな神であるといえます。
このようにして私たちが作り出した想念形態は、動物界や植物界など自然界全体に大きな影響を与えていますが、
音の諸法則とそれらの効果には無知だと神智学はいいます。
私たちは、自分の感情や思考、言葉や行為にはどのような力があり、それらがどのように周囲に作用して、
どのような影響を与えているかについては全く考えていませんから、自分が何気なく思ったことが、
動物や植物に影響を与えていて、自然現象や気象の変化の原因になっているとは思っていません。
しかし神智学によれば、人間が行なう行為のすべてが、野生動物や自然界の現象の原因になっているといいます。
旧約聖書の創世記によると、神は三日目に地と海を創られたことで、地には植物が生まれました。
五日目には水の中にも空にも獣を創りました。
六日目には地にも生き物、家畜を創り、神のかたちに似た人を創られました。
そして神は創られたすべてのものを祝福して
『……神は仰せられた。
「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与えた。
それがあなたがたの食物となる。
また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、
いのちの息のあるもののために、食物として、草を与える。」するとそうなった』といいます。
創世記によれば、あらゆるすべての生きものは、植物を食べていたことになります。
ところが人間の有害な分離的思考が波動として自然界全体に広がることで、
「野生動物の残忍性と疫病や飢餓のような現象を含む自然の破壊的な性質の原因になっている」といいます。
ここからも、私たち人間は神のかたちに創られた小さな創造者であることがわかります。
№833につづく
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第3章 光とともに №831

2012-12-12 20:35:11 | Weblog
『トランス・ヒマラヤ密教入門 第4巻 真理の実践』には、「想念形態」について次のような文章があります。
『人間はいつでも想念形態を組み立てている。
魂が諸体を築くときに行い、ロゴスが太陽系を創造するときに従い、
惑星スキーム[経綸・計画・機構]を組み立てるときに使うのと同じ方法に、人間は無意識のうちに従っている。
人間は語り、そして非常に変化に富んだマントラムを生み出す。
このようにして生じたエネルギーが、彼の思考のための形態を建設し続ける非常に多くの小さな生命体を活動させる。
そして、それらの生命体は、いま概略したのと似た諸段階を遂行する。
このとき、人間は無意識のうちにこれらマントラム的な振動を引き起こしているが、音の諸法則とそれらの効果には無知である。つまり、自分が進めている秘教的な作用を彼は知らないのである。
しかし後に、言葉少なくして多くを知るようになり、もっと正確な形態を組み立てるようになる。
そしてそれが、物質レベルに強力な効果を生み出すことになる。』
同書の「創造者、建設者としての人間」という項目には、次のような文があります。
『人間は三界において、意識的もしくは無意識のうちに、ロゴスが行った過程を繰り返し、
創造者になり、自身の陽のエネルギー要因を通して質料に働きかけている。
意志を働かせ、考え、語り、その結果として想念形態が生じる。
原子質料が発声者に引きつけられ、
その質料を構成する微小な生命体[エレメンタル]が(思考者のエネルギーによって)形態になる。
これらの形態はそれ自体、活動的で活発な力強いものである。
人間が創造するものは、その基礎になる欲求や動機もしくは目的に応じて、有益な創造物にもなれば有害な創造物にもなる。
……自分が小さな建設者たち[デーヴァ]の多くと密接に関係していること、
自分自身がそれよりも大きな建設者たちの一人であり、惑星スキーム[経綸・計画・機構]内の一人の創造者であることを
もし認識していないならば、小さな建設者たちのグループとその機能と名前を学ぶことは無益である。
人々は、自らの思考と言葉の力によって、人間の進化に関係する三つの界層で機能するほかの人々と
動物王国全体に明確な影響を与えていることを覚えておくべきである。
人間の有害な分離的思考が主に、野生動物の残忍性と疫病や飢餓のような現象を含む自然の破壊的な性質の原因になっている。』
№832につづく
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