心と体を通して見えてきたもの

個人的な生まれ変わりの体験談。心とは?カルマとは?人間の本質や使命とは?
といったことを考えてます。

心と体を通して見えてきたもの №52

2007-07-31 21:34:05 | Weblog
10歳の私も同じように家の前の石に腰掛けていました。
家の中でママが呼びます。私は家の中へ入ります。
ママが私を鞭で打つから、私は打たれないように逃げながら叫びます。
「ママやめて!」
ママは私の首を締め上げます。
「ママやめて!僕はどこへも行かないから、僕を苦しめないで!」
見ていたパパが耐えられなくなってそばに来てママを止めました。
「よさないか!」といって鞭を取り上げました。
私は部屋の隅でうなだれて倒れていますが
「僕は平気だよ。だって、ママは僕のことを愛してくれているから…だからパパ、ママを攻めないで」と言いました。
一方で「ママの苦しむ顔を見たくないんだ。だから、ママ僕を殺してよ。僕が生きて生まれたことで、ママが苦しまなくちゃいけないのなら、僕が生きていてダメなら僕は喜んで死ぬよ。」と思っていました。
パパは、ママがいない時に、ママの文句をいいながらお酒を飲むことがよくありました。
パパは「俺のことを何だと思ってやがるんだ、俺は役立たずじゃないぞ。いつかとっちめてやる。ジョセフのことだって、なんで鞭で打たなきゃならなんだ?わが子がかわいくないのか?何を考えているんだ?」などと言いながらお酒を飲みます。
ママが帰宅した時、パパがお酒を飲んでいたことがわかると「この役立たず!儲けてこないのに酒なんか飲むな!」と怒られます。
ママが大好きだし、パパに心配かけたくないから、うんと強い男になろう、と思いました。
№53につづく
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心と体を通して見えてきたもの №51

2007-07-30 21:24:32 | Weblog
ジョセフの人生

白人でウエーブのかかった金髪の少年でした。村の石畳の道を登って行くと、石と木でできた我が家があります。我が家の前には平たい石があり、子供が腰掛けるのにちょうどよい大きさと高さでした。
5歳の私は、その石の上に腰掛けてママに呼ばれるのを待っています。
ママが家の中から私を呼びます。
私は急いで家の中へ駆け込みます。
ママが私を鞭で打ちます。
私は叫びます。
「ママ、僕をぶたないで!僕はどこへも行かないから!」
「ママが怖いから外で遊べないんだ。ママ、僕をぶたないで、いい子にするから」といいます。
「でも僕はママが大好きだよ。だからママに鞭で打たれても平気さ、僕は我慢するよ。だって大好きなママだから。」
一方でジョセフはこんなことも考えていました。
「ママ、僕生きていたくないよ、僕は生きていてはダメなんだ、ママの鞭で僕を殺してよ。ママが僕を殺すのなら、僕は喜んで死ぬよ。」
№52につづく
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心と体を通して見えてきたもの №50

2007-07-28 14:56:31 | Weblog
また、私は今の人生で頻繁に自分が価値の無い人間だという気がして、つらくてたまらなかった理由もここでわかりました。
今でもまだ自分には価値がないような気がして苦しくなることがあります。やらなければいけないことがあっても、自分自身に価値がないような気がして息苦しくなり、泣きたい気分になりつらくなり、やる気がなくなる時があり、やるべきことができないように感じて苦しくなります。
また、戦士だった時の人生では勇敢に戦い、責任感もあったようなのですが、勢い込んでがんばったのに、あっけなく亡くなってしまったことに対して怒りを感じ、真剣に生きることに対する意欲をなくしてしまい、どうせ、自分には価値もないし…とぐれてしまった…のでしょうか?
もっとエロゥルの人生をよく見て理解したいと思います。
エロゥルは自分が価値のない人間だということに、恐れと不安を感じていたようです。両親から売り飛ばされたことも、信頼していたのに裏切られたから、また誰かに裏切られるかもしれない、という恐れと不安もあるようです。だから人が親切にしてくれても無視して、その人から離れてしまったようです。
そして、山頂から私を呼んでいたのが誰かもわかりました。現在のNさんです。彼はあのとき、私を兄のように慕っていたこともわかりました。
彼とこの人生でも出会ったことは、何か意味があるように感じます。
でも困ったことに、私はNさんのことを、この人生でも無視してしまいました。なぜかわかりませんが、恐れや不安を感じてしまい、Nさんに対して素直になれなかったのです。Nさんだけでなく、今この人生で出会い、親切にしてくださった何人もの人を、私は恐れや不安から無視してしまっています。
エロゥルの人生を思い出すことで、この事実に気づくことができて、よかったと思います。もし知らずにいたら、もっと多くの人に迷惑をかけながら、自分でもどうしてこんな態度を取ってしまうのだろう?と悩み続けていたと思います。
この事実を知ることができたことに、また私に親切にしてくれた人たちに感謝すると同時に、無視してしまったことを謝りたいと思います。
№51につづく

おまけ
本当に過去世を見ていると、今のこの人生に影響を与えているんだな、と思います。・・・
今週は体調が悪くて、のんびりしたかったのに、エレーヌのお兄さんの泣いている姿が見える時があって、気になっています。
エレーヌとお兄さんのことを考えていると、平安時代の過去世を思い出してしまいます。
平安時代末期、平氏におつかえしている神官の娘だったことがあります。
でも思い出せる場面は二つだけです。
十代の私は平氏の女官をしていて、好きな男性がいました。
彼と私が二人で会っている場面を思い出します。
彼は明日戦場に行くので、その前に会いに来てくれたのです。
二人は彼が戦場から戻ったら一緒になろうと約束をしました。
次の場面は平氏が源氏と海で戦っていて、私もそこにいます。海の上で船に乗っていましたが、ある知らせを受けてみんな海に飛び込んで死んでしまいます。私もそこで亡くなりました。
この人生のことを思い出していると、好きだった男性がエレーヌのお兄さんとダブってきて同じ人のように感じてきます。
ここでも、二人は一緒になろうと言いながら、一緒になれなかった・・・なんだか残念な気がしてきます。
だから、エレーヌのお兄さんは泣いているのかな?
エロゥルが恐れや不安を感じていて、今の人生で出会った人のことも無視したりした・・・そのなかにエレーヌのお兄さんだった人もいるような・・・イヤ~な予感も・・・ものすごくしたり・・・やばいなあ・・・。
それでお兄さんが泣いているんだとしたら、ますます・・・やばいなあ・・・
もしそうなら、どうすればいいんだろう??
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心と体を通して見えてきたもの №49

2007-07-27 21:06:42 | Weblog
食事を出してくれる人がいるのですが、ゆでたジャガイモだけのようです。毎日わずかな食事と、凍えるような寒さの中で労働をしています。お兄さんを助けたい、お兄さんに会いたい、と思って作業をしています。
そのためでしょうか? 右足の指が寒さのために壊死してしまい、杖をついて歩いています
その日の朝も、いつものように農作業に出かけようとしたのですが、寒さと空腹で、畑へ行く道の途中で倒れてしまいました。
起き上がる気力もなく、そのままそこで、汚れて穴の開いたぼろ服で寒さに震え、空腹な状態で凍死しました。
お兄さんに会いたい、温かい家族に囲まれて過したい。エロゥルはそう思いながら亡くなりました。
でも、農場主の言った言葉は本当だったのでしょうか? 
エロゥルもだまされたと言っています。
お兄さんは本当にこの農場にいたのか怪しい、と私は思ったのですが、エロゥルは、「いたんだけど、もう死んでたんだ。それで、ちょうど人手が欲しかったところへ僕が訪ねて行ったんだ」と言います。
農場主はなぜエロゥルに対して労働を強いたのでしょうか?亡くなり方を見ていると、故意に食事も服も満足にもらえなかったようで、単に人手不足だけの理由ではないようです。
奴隷だった時の過去世と関係があるように思えます。私は奴隷だった時に、仲間を鞭で打ちました。打たれた人たちから怨まれていて、その仕打ちとして起こったことの一部のように感じます。奴隷だった時に、私から鞭で打たれたことを怨んでいる人達はたくさんいるはずです。
美しい山並みや服装から、たぶんアンデスの山ではないか?という気がします。
子供の頃ムーミンというアニメの中のスナフキンが好きだったのを思い出します。関係ない?(^^;)
このときの両親は現在の私の両親であることがわかりました。
№50につづく
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心と体を通して見えてきたもの №48

2007-07-25 20:51:48 | Weblog
15歳の時、お兄さんを訪ねて寒い地方に行きました。
ついにお兄さんの居場所をつきとめました。
お兄さんが働いているのは農場でした。でも農場主はお兄さんに会わせてくれません。
「おまえの兄さんは病気で寝込んでいるから会わせられない」と言います。
「おまえの兄さんが寝込んでいるため、農作業も遅れている。兄さんの状態が良くなるまでおまえが、兄さんの代わりにここで働くなら、会わせてやる」といいます。
本当にお兄さんかどうか、一目会わせて欲しいとお願いしましたが、ダメだと言われました。
雪解けの頃でしょうか、裸足の右足を解けかけた雪の中に突っ込んで足を踏ん張っています。白い息を吐きながら「僕が助けなきゃいけない」そういってがんばってロープを引っ張っています。寒さのあまり手がかじかんで、時々ロープを引くのを止めて、手に息を吐きかけて温めています。なぜか頬が涙でぬれています。少しでも手を抜くと怒鳴られ、ひどい時には鞭で打たれます。
№49につづく
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心と体を通して見えてきたもの №47

2007-07-23 20:56:28 | Weblog
私は売られた先で労働生活をしていましたが、つらくてたまらず、10歳のある日逃げ出しました。
それ以来放浪生活を送りました。
親切な人から食べ物を恵んでもらいましたが、それ以上人の世話になるのが嫌で「温かい所にいれば大丈夫。」と言って一人でいました。
寒い地方へ行かないで、温かい地方で食べ物のあるところを探して歩くだけの日々でした。
心の中に見えていた、山頂で私を呼んでいた少年は誰なのか思い出せないのですが、山の上の村に暮らしていた親切な家族が、私を家族として迎えたいと思っていたようです。その家族の子供が私のことを呼んでいたようです。
でも私は両親に売られて、自分には価値がないとずっと思っていました。だから誰とも親しくしません。だれも価値の無いものには触れようとしないからです。
「あいつは勝手に僕のことを友達だと思っていただけさ。勝手にお兄さんが欲しいと思っただけさ。僕には関係ない」
だから私はその男の子と家族を無視して、その家族の住む村から離れることにしました。13歳の時のことでした。
私は、山の上の村に暮らす家族を見ていて、自分より先に売られてしまったお兄さんに、もう一度会いたいと思いました。
そこで、お兄さんに会いに出かけることにしました。あちこちの工場や農場など、身寄りのない人や、売買された人たちが仕事をする場所を、訪ねて回りました。2歳の時に別れて一度もあっていないのですが、会えばわかると思いました。
№48につづく
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心と体を通して見えてきたもの №46 

2007-07-22 15:25:28 | Weblog
私が4歳の時、両親が私に言いました。
「これから市場へ行こう」
市場にはいろいろなものがたくさん売っていて楽しいのですが、両親はめったに市場に行かなかったので、このとき私は本当にうれしく思いました。
市場には大勢の人がいました。私ははぐれないように、母の手を握って歩きました。
大勢の人ごみの中で、父が誰かと話し始めました。母と私はそばで見ていました。
父がその男の人から、お金で膨らんだ布の袋を受け取りました。
するとその男の人は、いきなり私の肩をつかんで引っ張りました。
両親は背を向けて歩き始めました。私もついて行こうとしましたが、男の人に体を押さえつけられて動けません。
「おまえは俺と一緒に来るんだ」と男の人は言います。
「いやだ!パパ!ママ!」と叫びましたが、もう両親の姿は、人ごみの中に消えて見えません。
私も売られました。
私は「パパ、ママ、僕を置いていかないで、一人にしないで」と泣きました。
そして「パパとママは僕を売り飛ばしたんだ、だから僕にはパパとママの子供としての価値がないんだ。」
「パパとママは僕よりも、食べ物のほうが大事だったんだ。」と思いました。
両親は、子供たちを売ったお金で生計を立てていましたが、それも長くは続かず、乞食同然の暮らしをしたようです。
№47につづく

おまけ (№39の続きのようです)
昨夜、寝よう、と思ったら、金髪のロングヘアーのお兄さんが
「あちらで待っているよ」と言って涙を流し苦悩しているように頭に手を置いているのが見えました。
「あちらって・・・あの世のこと??」
と思いつつ眠りました。
寝ている間に、自分がもうすぐ死ぬと言う夢を見ました。
これって???何?
私が死なないと二人は結ばれないと言うこと???
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心と体を通して見えてきたもの №45

2007-07-21 03:03:50 | Weblog
エロゥルの人生

眼下には美しい山の尾根が見えます。
その尾根を、一人の少年が歩いて頂上から遠ざかっています。
その山の頂上で、一人の10歳くらいの少年が「エロール」と叫んでいます。
頂上の少年が何度も「エロール」と呼ぶのに、少年(私)はどんどん彼に背を向けて遠ざかっていきます。
私は心の中でこの映像を何度か見たことがあったのですが、つい最近過去世の記憶の一つであることを知りました。
私はとても貧しい家に生まれました。私が2歳の時に兄がいましたが、あまりの貧しさに両親は食料を買うお金欲しさから、そのとき5歳だった兄を売り飛ばしてしまいました。
そのとき私は、家の中で遊んでいました。兄は外で遊んでいました。
知らない男の人がやって来て、玄関から声を掛けると、両親が家の外へ出ました。
三人は少し話をすると、父は男の人からお金の詰まった布の袋を受け取りました。
母が兄を呼ぶと、遊んでいた兄が母のそばに来ました。すると、その男の人は兄を抱き上げて去っていきました。兄は男の人に抱かれて、泣き叫んでいたのを覚えています。
それっきり兄は、家に戻ってきませんでした。自分もいつか売り飛ばされるかもしれない、もう二度と両親と会えない日が来るかもしれない、と思うと恐ろしかったです。
両親はあまり仕事をしていなかったようです。
№46につづく
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心と体を通して見えてきたもの №44

2007-07-20 21:50:01 | Weblog
場所はアトランティスという場所のようです。
私は農民として70歳近くまで生きたようです。特に年老いて、家業を若い者に譲ってからは、理想的な行政や身分制度のあり方についての、執筆活動に力を入れたようです。一年に2回収穫の時期があり、それを売って得られる収入も多かったのですが、かなりな額を税金として取られ、そのほとんどすべてが、戦車用の馬や兵士の育成、軍備の増強のために使われていました。私は、もっと人々のために使うべきだと考えていました。軍備の増強に使っている税金の一部で、農地の整備を充実させれば、国全体の収入も増えて、今と同じ税金を納めても、農民の手元に残る収入も増やすことができるし、軍備の増強も大切ですが、教育費の充実も大切だといったことを書いていたようです。
山岳部の行者だった私は、山賊のことも、村人たちのことも、同じ人間として平等に見ていました。
奴隷だった時の人生には、自由も平等もありませんでした。私は最下層の奴隷を体験したことと、戦士として、戦場で無念の死に方をしたことで、不平等のつらさと、戦うことの虚しさを体験し、今回のこの比較的ゆるやかな身分制度の中で、平等と平和を訴え、改革を行いたかったのでしょう。
後日アトランティスについて調べていると、農地はとてもきれいに整備され、収穫量も多かったと書かれていました。しかし私のビジョンに見えていた農地はそれほど整備されていないため、国全体が完全な二毛作でなかったし、すべての人が豊かな暮らしを享受しているとは思えなかったので、私が亡くなった後、農地が整備され、豊かになったのでしょう。
№45につづく
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心と体を通して見えてきたもの №43

2007-07-19 21:47:25 | Weblog
彼は高級士官になるための高級学校に行くのだろうと思っていたのですが、進路変更をして役人になるための高級学校を卒業して、高級行政官になりました。
軍備を増強すべきだと言っていた彼が、なぜ私がやりたかった行政に進路を変えたのだろう?と思いました。思い当たることは一つだけあります。彼が自分の不正行為を私のせいにしたことです。
私は役人になれなかったことは悔しいけれど、不幸だとは思いませんでした。どんな職業も生きていくうえで大切だし、職業に貴賎はないと考えたからです。私は農民の立場で、国の行政のあり方を考え、真の平和とは何か、平等とは何かを考えました。また、神のご神託を受けるために、牛を生贄に使っていたのですが、私はどんな生き物であっても、殺生はよくないと思いましたから、それもやめて、他の方法に変えるべきだと思いました。
私は農作業の合間に、それらを文章にして発表しました。もちろん今のように、言論の自由はなかったのですが、身分制度の中で、許される範囲内のものを書いていましたので、とがめられることはありませんでした。
5~6年に一度、国民全体の意見をまとめ、国の中央で全ての役人によって審議され、行政に反映されるようになっていました。前年に、まず下級役人が地域の住民の意見を聞く、会合があったのですが、私はその席に出席して提案することもありました。下級役人は、地域住民の代表として意見をまとめて、国の中央の島で行われる集会で発表します。そのとき、高級行政官になった彼もそこにいました。彼は私の意見を取り上げて、行政に反映させてくれたことが何度かあります。
私は、役人になることができなかったのは残念でしたが、私の意思を理解してくれる同級生が高級行政官にいて、彼らしいやり方で取り上げてくれた時にはうれしく思いました。
学生の時に、彼が私をいじめたときも「彼の本性は愛である」と思い、彼の高級士官になりたいという夢を達成するために、がんばって欲しい、一緒に夢を実現したい、と思っていました。任用試験の時は、彼に裏切られたと思いましたが、その後彼が自ら高級行政官になったときには、私の「彼の本性は愛である」という彼に対する思いに、彼自身が応えてくれたようでうれしく思いました。
私はずっと「人間の本性は愛である」と信じ続けてきましたが、このように信念となって思い続けていることは、それが現実のこととして影響を与えるか、実現するまで働き続けるという法則があります。ここでは彼が士官として戦争の指揮を執ることよりも、人々のためになることを行おうという愛に基づいた行動を、彼自身が自ら選ぶようになるという形で実現しています。(心のしくみや法則の詳細については第二章で取り上げる予定です。)
№44につづく
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