心と体を通して見えてきたもの

個人的な生まれ変わりの体験談。心とは?カルマとは?人間の本質や使命とは?
といったことを考えてます。

第3章 光とともに №655

2011-12-02 19:49:19 | Weblog
全人類の意識は、流動運動するエクスプリケート・オーダーという全体の流れであると同時に、
一つの波という個人としての、独立した意識や情報やエネルギーを持つものであり、インプリケート・オーダーとしても、常に存在していることになりますから、
魂や生命や意識は、生と死に関係なく、永遠に存在していると考えられます。
そしてこの個として独立した永遠の生命は、多くのエネルギーの混合したものであると秘教心理学は言います。
十分な量のエネルギーがあれば、粒子と反粒子という一対の物質を生み出す力をエネルギーは持ちますから、エネルギーは物質化して現れたり、消滅してエネルギーになったりということを繰り返していて、
エクスプリケート・オーダーとインプリケート・オーダーを繰り返していることになります。
また素粒子を観測する時には粒子として現れ、観測しなければ量子になりますから、素粒子もまたエクスプリケート・オーダーとインプリケート・オーダーを繰り返しています。
私たちの身体を作っている細胞は何十兆個もあって、たとえば小腸の細胞は3日で、肌の細胞は28日周期で生まれ変わりを繰り返すというように、
体内の細胞もそれぞれのリズムでエクスプリケート・オーダーとインプリケート・オーダーを繰り返しています。
「流動運動する分割不可能な全体性」としての身体全体のバランスの取れた働きという点から見れば、それぞれの細胞が生まれ変わる周期がバラバラに異なることに、何らかの深い意味があるように感じられます。
生命を持つものは、昼の活動と夜の睡眠という一日の活動を繰り返していて、これもエクスプリケート・オーダーとインプリケート・オーダーという流動運動といえます。
人間の誕生から死までが一つのインプリケート・オーダーだとすれば、死後の世界はエクスプリケート・オーダーと考えられます。
宇宙に存在する森羅万象のすべてが一つの連続体の一部分であり、あらゆるものは非局所的に他のすべての物とともに切れ目のない連続する延長であり、究極的にはインプリケート・オーダーやエクスプリケート・オーダーでさえも互いに一つに混じりあってしまう流動運動である、というボームの考えを、生命を持つものの生と死の繰り返しにあてはめて考えると、輪廻転生になりますが、これも大きな流動運動の一つといえます。
ということは、これを宇宙サイズで考えれば、宇宙そのものを含めたすべてのものも、昼の活動と夜の睡眠、あるいは生と死を繰り返し、何度も生まれ変わっていると考えられます。
ボームの言う、川という「全体の流れ」は、生と死の繰り返しであり、絶えず変化している流れの中に見られる「渦、さざ波や飛び散る波」は様々な人生のドラマの展開のように感じます。
№656につづく 

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