ピアノと海と花との生活 Ⅱ

~創造する芸術~

音楽家のお墓 Ⅹ  モーツァルト

2006-12-18 | 音楽

     

         

        1791年12月5日深夜の午前零時55分、モーツァルトは35歳の

        短い生涯を閉じました。

        葬儀は12月6日に行われましたが、遺骸はウイーンにある聖マルクス

        墓地という貧民墓地に葬られました。

        これは映画’アマデウス’でも象徴的な場面として出てきますね。

        そこまでお棺をかついでいったのは、人夫2人だけで、未亡人コ

        ンスタンツェでさえも埋葬には参加しませんでした。そのため、モー

        ツァルトのお墓は、永久にわからないということになったのです。

        死因も、研究家によると150もの説があるそうです。

        今年の初め、モーツァルトの頭蓋骨のDNA鑑定の結果のニュース

        が流れました。くわしくはこうです。

       

現在、国際モーツァルテウム財団(ザルツブルグ)にはモーツァルトのものとされる頭蓋骨が保管されている。頭蓋骨に記された由来によれば、埋葬後10年目にモーツァルトを埋葬した墓地は再利用のため整理され遺骨は散逸してしまったという。この時、頭蓋骨だけが保管され、以来、複数の所有者の手を経て1902年に同財団によって収蔵された。遺骨の真贋については、その存在が知られた当初から否定的な見方が多いが、2004年ウィーン医科大学の研究チームがモーツァルトの父レオポルドほか親族の遺骨の発掘許可を得て、問題の頭蓋骨とのDNA鑑定を行うと発表した。鑑定結果はモーツァルト生誕250年目の2006年1月8日にオーストリア国営放送のドキュメンタリー番組として公表された。これによると、調査の試料となったのは頭蓋骨の2本の歯と、モーツァルト一族の墓地から発掘した伯母と姪のものとされる遺骨から採取されたDNAであった。検査の結果、頭蓋骨は伯母、姪の遺骨のいずれとも縁戚関係を認められなかったが、伯母と姪とされる遺骨同士もまた縁戚関係にないことが判明し、遺骨をめぐる謎は解決されなかった。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

        現在、写真に見る聖マルクス墓地の墓は、実は後にそれらしい

        ところに記念に建てられたものなのです。

        神に愛された偉大な音楽家は、どうやって亡くなったかも、どこに

        眠っているのかも永遠の謎です。

        やはり神様の子供だったのでしょうか。

        「しかし、悲しむことはない。誰もホメロスの墓を知らないでは

        ないか!」とは、モーツァルト学者シューリヒの言葉です。

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音楽家のお墓 Ⅸ  シベリウス

2006-12-11 | 音楽

 

   

           フィンランドの音楽史上、最大の大家といわれるシベリウスは、グリークを

     産んだノルウェーも、そのほか北欧諸国、東欧諸国、ロシアなどの外国の

     支配から、脱して、自国の自民族の音楽を創造して、それを開花させまし  

     た。グリークとシベリウスは、置かれた立場からも、生涯のあり方も実によ

     く似ています。

     グリーグの生まれた22年後の1865年に、フィンランドのヘルシンキの北にあ

     るハメーリンナという小さい都市に、シベリウスは生を受けます。

     グリーグと同じように、少年時代も、自然の中ですくすくと成長し、音楽に

     夢中になり、10歳ごろから作曲も始めます。24歳のときに、ベルリンに留学

     し、そのあとひき続き、ウィーンに留学、自国に戻り、フィンランドの民族精

     神を音楽的に高く昇華させる、すばらしい曲を次々に発表します。

     そして、国家に優遇され、国際的名士になって、家庭的には幸せな結婚を

     して、そのうえ、都会生活をきらって、晩年は、フィンランドの田舎にこもり、

     悠々自適の生活を送りました。

     この生涯は、グリークのそれに実によく似ています。

     しかし、音楽の面では、かなりの違いが見られ、ピアノの世界にその力を

     発揮したグリーグとは対照的に、交響曲のような純音楽の大曲にもっとも

     本領を発揮しました。34歳の時に発表した『フィンランディア』は、そのシベリ

     ウスの愛国精神から産み出されて、熱狂的に共感をもって迎えられました。

     40歳になる前に、すでに隠遁生活を始め、自己の道への没入で、すばらし

     い作品を、書き続けましたが、60歳を過ぎた頃から、作品らしいものは、

     ほとんど書かず、92歳で脳出血で倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。

     シベリウスのこのお墓は、シベリウスの愛した田園のヤルヴェンパーの

     別荘の庭にあります。

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