一粒のからし種

地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長して~葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。マルコ4:32

集団的自衛権、不要です

2014-05-17 | 平和
 聖書にあります。

 「王の勝利は兵の数によらず
  勇士を救うのも 力の強さではない。
  馬は勝利をもたらすものとはならず、
  兵の数によって救われるのでもない。
  見よ、主は御目を注がれる。
  主を畏れる人、
  主の慈しみを待ち望む人に。」

  詩編33編16節~18節



 日本国憲法にあります。
 
 「第二章 戦争の放棄
 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動 たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、 永久にこれを放棄する。
 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦 権は、これを認めない。」



 私たちは、話し合いで、平和を作り出しましょう。

 すべての戦争をしません。

 その姿勢を貫いていくことが、平和です。

 ●隣国のために、祈りましょう。中国、朝鮮半島、東南アジアのために。
  神様は、「愛せよ」とお教えになっています。

 ●日本の為政者のために、祈りましょう。
  みこころに適う選択に依り頼めますように、と。
  たとえ、為政者が神様を知らなかったとしても、みこころに適う道を
  選び取ることができるように。





  

東日本大震災を覚えて

2014-03-09 | 平和
 小さな町の、小さな礼拝堂でも、東日本大震災を覚えて、司式者が祈りました。


 受難節の最初の主の日。神様を信じることに弱々しく、また、自分の思いばかりが成るようにと願う傲慢な者、そして困っている方や貧しさにうずくまる方に対して無関心で有り続ける私たち罪をお赦しくださいと祈りました。

 この傲慢で罪深い私たちのために、主が十字架におかかりになり、死に、代わって私たちの罪から私たちを救ってくださったことを覚えつつ、祈りました。

 国会議事堂の周りでは、反原発の大規模デモがあったと、先ほどネットニュースで知りました。全国各地であったことが報じられています。


 小さな町の、小さな礼拝堂でも、東日本大震災を覚えて、司式者が祈りました。

 そして説教の後、牧師によって、さらなる祈りが注がれました。

 
 
 東日本大震災で被災された方がたの苦しみ、痛みがどうか、癒されますように。その苦しみ、痛みに、どうか共にいることができますように。どうか用いてくださいと、祈ります。

NHK、大丈夫ですか?

2014-02-26 | 平和
 NHK、大丈夫ですか?

 じわじわと、情報の操作、言論統制が行われているのではないでしょうか。

 勘ぐりたくなってしまうような、「会長」、「理事会」の様相だと、他局のテレビの報道を観て強く思いました。戦前の反省に基づいたあり方を踏まえている放送が、すでに揺らいでいる、と確信いたしました。 

 政治が簡単に介入できる上層組織であること。知っている方は知っていたのでしょう。私は、今、とらえました。身震いするとともに、おかしな報道が最近多いと感じていたことの原因を見た気が致しました。一言で言えば、

「偏っている」

のです。日本国憲法、平和憲法を形骸化するような流れに、国民が

「流される」

状態に、今、恣意的な情報の部分的報道などが行われているのかもしれません。

 平和を希求する内容が減ってはいると思いませんか? それに変わって、さりげなく入れ替わる、横浜港に陸揚げされた水陸両用の戦車の映像。平和の視点とは違うことを感じます。問いかけるなどの解説は一切つけず、ただ事実だけを流す、という一見正当そうな。しかし、そうじゃない。平和を望む視点に基づいた報道が、現在の平和憲法下の9条解釈では必要であるだろうに、それをしない。という・・・つまり偏っている、だから国民が流されている。国民を変えてしまおう、流れされる国民になればよいだろう、という報道になっている。そう感じます

 ゆゆしき事態です。怖いことです。そのような厳しい目線で、報道の情報にあたる必要が常にあったということです。

 以前にも書いたことがあります。カエルを水の入った鍋に入れて火をつけると、最初は気持ち良さそうに泳いでいますが、そのうち、気がつかないうちに、命が奪われてしまうそうです。私が所属していた京都の某ベンチャー企業の会長が教えてくれた訓話ですが。今、加熱が始まってはいないですか? 視聴者の目はしかし、決して弱いものではありません。気がついていかなくちゃ。お湯から、ピョンと出られるのです。命ある内に。

 平和のため、平和憲法を守るため、戦争をしない国、「敵」があるならば、その「敵」に例えば食事をこそ「お・も・て・な・し」するような愛にあふれた国に、なれるよう、祈ります。祈りましょう!

 みんなでチェックしましょう。
「NHK、大丈夫ですか?」
と。祈ります。本来、なすべき公正な放送が保たれるように。また政治が暗雲をもたらす戦争の道を開くことができないように、神様、私たちを目覚めさせてください、と。
 

平和を実現する人

2013-09-25 | 平和
健太先生のブログを見ると、
彼は本当に
「平和を実現する人」
だと思う。

どんな時も、ずっと、
絶えずアンテナを張って
私たちに警鐘を鳴らし続けている方だから。
 

私は、高校の頃、
永井先生という日本史の先生に教えて頂き、
平和のことを考え始めて、
大学生になってから、
沖縄に2度出かける機会を与えられたことがあった。

たまたま
横浜の地下街にある有隣堂で
戸井昌造さんという方の「沖縄絵本」という本を見て、
思わず美しさと哀しさと訴えとに心がひっかかり、
本を買った。

そして、密かにその絵の場所に行き、
戻ってから、戸井さんのご住所へ
沖縄の赤瓦の屋根のイラストを手描きした葉書を
出したことがある。

戸井さんから直接連絡があり、
交流が始まった。

同時にその頃、「麗美」さん、という沖縄の方が
ラジオで「神様がね」と語ったのを偶然耳にし、
私は初めて「信仰者の声」に触れた。
この彼女を支援していた京都の会社に
私は就職をすることに導かれていった。

高校と就職の間の時期、
通っていた大学では、
平和を願う人の活動は「左翼」とされた。
大学は「右寄り」だったのだと思う。

私はさびしかった。
平和を願うことが悪いことのように言われる環境があり
声をひそめなければならなかった。
何も考えていないようにふるまわなければならない4年間があった。
今、ニュースで聞かれている
「ヘイトスピーチ」なる言葉。
それは、私が大学生だった20年前にもあり、
また、各家庭のどこかに、「偏見」のような形で
受け継いでしまっているのかもしれない。

洗礼を受けて、すぐ、
イエス様と平和はぴたりと一致することがわかる。
けれども、主の体である教会の中であっても、
この「平和」ということそのものが、
控えめに語られていることもなくもない。。。

けれども、
ここで、健太先生のブログである。
「黙っていてはいけない」と、
読む私に、私たちに、いつも語りかけてくる
はっきりとして後ろめたくない「平和」への呼びかけが
しっかりと見えてくる。

私は単純に思います。

息子Jを、戦争に行かせるようなことがあったら、
と想像したら、簡単に、やだ、とわかる、のだと。
わが子を例にとると、それは簡単にわかることです。
どの子もわが子だと思えば、隣人を傷つけ、命を奪い奪われる戦争に
絶対に、行かせてはいけないことがわかります。

私は単純に思います。

原発で今だって、今もあんなに、
収拾がつかなくて困っているのに、
それを今やめないことが、どれほどいけないことかということ。
「アンダーコントロール」
できないことを認めることが、なんと大事なことなのか、と、わかります。

私は今、
仕事でかなり、行き詰まり、
苦戦しています。
正直、もうぎりぎりです。
でも、仕事で行き詰っていない時、
私は仕事ばかりで、平和のことを考えても
語らなくなってしまっていたように思います。

行き詰っている時に、
余裕がない時に、
でも、このように、
平和のことが浮かんでくるのが不思議です。

順調な時に、
静かにサタンは私たちの心から
平和を希求する気持ちを忘れさせてしまうのかもしれません。
いつの間にか、
神様に平和を求めないという傲慢に
陥っていたのかもしれません。

東北には行くことができていない。
石巻にもまだ行けていない、でも。
神様が与えてくださっている調和の恵みの一線を越えないこと。
平和を感謝し、平和の失われている場所のために祈り、
平和を軍事力で作るという矛盾した愚かな考え方ではなく、
祈りの様々な形によって実現していくことを求めていきたい・・・!

原発をNOと言って、拒み続けることを
口ずさんでいきたいと、思います。
右寄り、左寄り、何党? そんなことが先ではない。

ただイエス様なら、平和を願うから。
ただイエス様なら、原発はやらないと言うから、
私もそう行動していきたい。


「平和を実現する人は幸いだ。」
そうおっしゃったイエス様。

平和を強く強く祈り、つながります。

ナガサキの日に

2010-08-09 | 平和
 あいにくの雨。A君(仮名)をU海岸での海水浴にお連れする仕事に与りました。1対1です。8月9日。。
 雨がひどくて寒いから、室内プールに変更すべきでしょうか、そうですよね・・・と信頼する仲間に相談をすると、
「それは違うんじゃないかな。」

 内心、
「そうだね、プールに変えた方がいいよ。」
という言葉が返ってくると思っていた私は、そのギャップを教えて頂いて、とても勉強になったのです。

「プールに変更したいというのは、支援者の都合だよね。私たちが行きたいところを決めるんじゃなくて、決めるのは、本人だよね。」

 自閉的な個性をもつ方の場合、前の日から「明日は海だ」と楽しみにし、そういう心づもりで今日を迎えてくださっている・・・。たとえ雨で寒くて、「海に行き、すぐに海からあがる結末になった」としても、まず海。そこに一緒に出掛けたいという本人の気持ちを尊重することがとても大切だったことに、改めて思い至りました。

 雨は止まなかったけれど、波は静かで、たくさんの王冠が水面に見えるほど穏やか。前日の猛暑が幸いとなり、水はぬるめです。2時間、雨の海につかることはできないことではなかったです。
 昼前。この夏は自分なりに鍛えていて大丈夫だと思っていたのですが、指先にしびれ。体温が下がり過ぎないうちに、もう午前の遊びは終えようか。そう思ったとき、聴こえたナガサキの日の黙祷のサイレン。8月9日という時間を雨の海で迎えました。

映っていない世界を

2008-12-31 | 平和
 12月31日。大晦日のにぎわう中で、テレビはもう戦禍のパレスチナを映さなくなってしまっていた。年の終わり。

 イスラエルの人たちは、なぜこのような暴挙をするのか・・・。政治的思惑が様々にあるのか。選挙前アピールという話もある。米国の政策転換を阻止するという狙いも言われている。なぜ?が心に浮かぶ。

 画面が格闘技や紅白やお笑い番組を映すだけになってしまったその裏に、忘れてはならない世界があることを思う。また他にも様々に。

 映っていない世界を・見つめる。

「その時、歴史は動いた」

2008-11-13 | 平和
 昨晩、「レッドカーペット」は録画にまかせ、「その時、歴史は動いた」を見た。マーティン・ルーサー・キングJr牧師が取り上げられていた。

「seperate but equal(区別する、しかし、平等)」というおかしな言葉を根拠に、建国以来200年、「白人」が「黒人」を差別する人種隔離法がアメリカという国を支配していたこと。その中で、「黒人」と呼ばれた人たちは、その差別に抵抗することもあきらめてたたずんでいたこと。

 1955年のアラバマ州モンゴメリ。当時暗黙のルールでバスの前部座席は「白人」が、後部は「黒人」が乗ることとされていた。しかし、混み合った際には、後部座席に座っている「黒人」は「白人」のために席を譲らなければならなかった・・・。後部座席に座っていたローザ・パークスさんが運転手の命令を拒否して自分の席の権利を主張し逮捕されるという事件が起きたとき、当時無名だったキング牧師の呼び掛けでバス乗車拒否が行われた。
 このことがきっかけで広がった「非暴力」の運動は社会の目に止まるようになる。。。連邦最高裁判所は、人種隔離法に違憲判決を下すまでになり。1964年、Civil Rights Act(公民権法)が制定され差別撤廃の道に至る。

 合衆国憲法は「すべての白人が平等」と言っているのではない、「黒人も含むすべての人が平等」だと言っていると、キング牧師はバプテストチャーチで語った。キング牧師は聖書を通して、社会の正義を呼び覚ます人だったと。39才という若さで刃に倒れるまで。
 

 先日の大統領選挙で、オバマ氏がキング牧師の演説から様々なフレーズを取り上げたことを友人たちのブログから知る機会がたくさん、たくさんありました。「初の“黒人”大統領」とわざわざ言わなくてはならない、私たちの世界はまだまだ途上にあるのでしょう。
 
 時を経てもなお、改めて光とともにあった行動に光があたる。光が見出される。キング牧師の中に、だれにでも、わかりやすく・・・。私たちの身の回りにもたくさんの光があるのでしょうね。私も、光とともに歩みたい・・・。

インド・オリッサ州での迫害の出来事のために

2008-09-16 | 平和
 私も知らされていたのに、伝えていなかった。1人で祈っていた。でも、大勢で祈るべきであることを示されました。ある牧師先生からのメールに、友人たちからの祈りに、私もブログで共に。


 依然として沈静化の見通し立たず、インド暴動

 「陣内俊のブログ」


 言い知れない恐怖が迫害される者に、闇が迫害する者に及んでいる。その悲惨が今、この今、止むようにと。



取り戻そう

2008-08-08 | 平和
 6日は夏期キャンプの朝だった。そこではヒロシマを覚えて黙祷を捧げることがなかった。平和のために祈ることを避けたり、忘れたりしてはいけない。そのための時間を取り戻そう。

ミャンマーの人たちのこと!

2008-05-11 | 平和
 私がとても親しくしている友人夫妻がいて、M氏はミャンマーの方……。5月2日に直撃した大型サイクロン「ナルギス」がヤンゴンのご実家を直撃し、ご実家の家が無くなってしまったとうかがったときには呆然とした。現在、死者が6万5000人とも10万人とも推定されており。被災者というと150万人は下らないということが次第に明らかになってきて、想像を絶する事態なのでは? うちのYくらいの赤ちゃん、子どもたち、大人たち、みんな一体? 木曜の祈祷会にて、祈りを合わせずにはいられなかった。
 軍政ゆえに物資が届かない? 自然の猛威に加えて、為政者が救助を妨げているなら今、そこにいる方たちはどうなっている? 南国ミャンマーではこの時期、衛生的にも相当な危険が増すはず。現地の人たちが一刻も早く救い出される手立てがなされなければ。できることを私たちも。

憲法記念日!

2008-05-03 | 平和
 憲法記念日が5月3日。この日、毎年、伊豆新聞に名前入りの広告が打たれ、今年も参加させて頂いた。「憲法9条を守る会」にて。いつもはその会のお世話役の方にお願いする・・・けれど今回は直接、それらを取りまとめていらっしゃる市議会の議員さんと交流でき、直接お願いすることができた。
 実はその新聞、私は取っていない^^ゞ 今度カクニンしてみなくちゃ。どう載ったか、、私なりの憲法記念日。9条を守りたい、と思っている人が今、しっかりと増えている。

ピース9より

2007-05-22 | 平和
 日本カトリック正義と平和協議会の「ピース9」のMLから。平和に対する祈りが形に。ご案内です。

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5・25 Love&Peace9 女性たちの国会ロビイング

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YWCAをはじめとする4女性団体の呼びかけで、5月25日(金)
議員会館へ行き、平和を求める女性たちの意見を国会議員に伝えます。

参加できる方は、23日(水)までに日本YWCAまでご連絡下さい。
当日参加も歓迎!

■集合 5月25日(金)14:00 衆議院第2議員会館ロビー
■呼びかけ:ふぇみん
      NCC(日本キリスト教協議会)女性委員会
      日本キリスト教婦人矯風会
       日本YWCAビジョン2015委員会
■問い合わせ 日本YWCA(担当:西原・萩尾)
     TEL03-3264-0661
     FAX03-3264-0663
     office-japan@ywca.or.jp
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 9条、今日も、大切にしていきましょう。子どもたち、高齢者、大人たち、ぜんぶの人のために。「日本人」も「外国人」もぜんぶ。

沖縄

2007-05-15 | 平和
 ここはどこ? 沖縄・東風平(こちんだ)の高台にあるシーサー。この像には銃痕がありました。
 白黒の写真……このシーサーの陰にヘルメットをした日本兵がうつっている写真を見つけたのは高校の図書室ででした。そう言えば、どっちを先に見たのか……横浜の有隣堂で私が戸井正造氏の著作『沖縄絵本』を手に取り、その中の挿絵としてもこのシーサーと出会ったのでした。忘れられず、その3年後、沖縄を訪ねたとき探し当てる。当時、夫じゃなかった夫も一緒に、閑散としたバスを乗り継いでこのシーサーに会いにゆく。蝉時雨の注ぐひと気のない境内で、(ぽっちゃり気味の(^^ゞ)私は写真に収まりました。

 さらに翌年。沖縄の伊江島。『沖縄絵本』の中にあったこの戦跡を訪れる。。青いコンクリートのひびが生傷のようになお痛々しく。沖縄戦の一掻きの爪跡。明るい光の下なのに、とても暗いものを見たのです。

 

 1972年5月15日は「沖縄返還」の日。今日は丁度、35年の節目なのです。憲法9条が沖縄の人にとって日本に復帰する希望だったと耳にしたことがあります。こんなとき、国民投票法が成立したとのニュースがかけ巡っています。アナウンサーの声が妙に明るい。。。(せめて中立でいてください、アナウンサー!)

 「(知的障がいをもつ人々と生活してみて気づいたことは)健常者と呼ばれる人々は、共に生活するのに実に難しい人々だということです。彼らは仲良く暮らすより、すぐに派閥をつくって争いを始め、さらには自分たちの仲間を増やし、武器を手に入れ、防衛体制を整え、ついには戦争を引き起こすまでになるのです」(『小さき者からの光』ジャン・バニエ)

 憲法9条、守る気持ち、大事な1票がなんだか吹き飛ばされそう? それが宣伝の威力。。。目に見えるところに吸い寄せられてしまうのでしょう。目に見えない平和を素直に思うことはなんて難しいのでしょう。貴重な1票を本音のところで、貴重だと思える人になっていたいですね。 

憲法記念日を前に

2007-05-01 | 平和
 5月3日は憲法記念日なんだなぁと思ったこと、ありますか? 私は高校生の頃、毎年横浜の紅葉坂でやっていた市民発信の「憲法劇」を見に行っていたので特に意識してきました。学生になって出会った年下の女の子がそこの芝居に出演してもいたりして。

★多摩方面にて「キジムナー」という憲法ミュージカルがあるらしいですよ!!! (ご参照:トラックバックの記事も!)

 先日、私の住むI市の広報でこんな記事がありました。
~「国民保護計画を策定しました」 
 I市では、「武力攻撃事態等における国民保護のための措置に関する法律」いわゆる国民保護法に基づき、I市国民保護計画を策定しました。この計画は、外部からの武力攻撃等から国民の生命、身体、財産を保護することを目的としています。云々。計画の内容は、市ホームページの「いざというとき」のページでご覧になれます。~

  これがちらっと「わんわん教室」とか「39才以下健康審査」なんかの記事に紛れて書かれていて。ぞぞっとしましたね。それと同時に、「武力攻撃」なんか受けなくて済む「事態」を作っていないな、ウチの国……作ろうよ~と思ってしまった。
 カウンセリングの世界ではないが、小さな子に心配性の母親が「そんなことすると転ぶよ、転んじゃうよ! 失敗するよ!」と反復して語り聞かせるから「転ぶ・失敗する」のだと聞いたことがあります。「こうすると大丈夫よ。」という声かけをすれば、同じことを表現しているのに、その娘は本当に「転ばないし、大丈夫」になる。。。同じことを目指す場合にも肯定語を使うことが大事になったりします。(実際には言葉と内心が一致していて全くブレていない必要がありますが。)
 「この国は攻撃してくるよ、してくるよ~。」と言って憲法から平和主義・戦争放棄を抜き去ったりなんかしたら、きっと「してきます」。。。信じたように、成っていってしまうと思うから。

 私の教会に「憲法9条を守る会」に関わる方がいます。5月3日。その方の呼び掛けに私も応えました。地元新聞に、賛同者の名前入り広告が掲載される予定です。「いざというとき」を招かない力は、自分たちのしてきた過去の非人道的な歴史を見つめて、後戻りしない選択をすることです。(もっと積極的には、愛ある選択をする風土を培って・かつ実践していくことです。)

 戦争をしない国、させる雰囲気を作らせない国になることができますように、、、憲法記念日を前に祈りをばら蒔きましょう。ブログには、このことを書いておきたかった……! さて、レポートをがんばろう。

ゆでガエルにならないように

2007-04-13 | 平和
 国民投票法案というものが、着々と成立しようとしています。多数決で力のあるうちに、大慌てで採決、採決。そのことにしっかり、気づいておきたいと思います。憲法9条、戦争放棄の大切な条項を失わせるための準備が1つずつ、1つずつ、なされていることを。

 ちょっとの人数の賛成で、憲法を変えられる。このことは、色々な歯止めが利かなくなる怖いことです。武力化、統制化、(徴兵制も?) が進むことは目に見えるかのよう。もう少し危険が進んだころ、「No!」と言う時には、もう「No」では止まらなくなるところまできていた……過去の歴史はそうでした。
 私が京都に勤めていた某環境危機メーカーの会長が、環境問題を話すときにいつも、鍋に水を入れカエルをゆでてごらんなさい・どうなるか、ということを言っていたのを思い出す。水の中を泳いでいたカエル。だんだん温かくなって、さらに気持ち良さそうに泳いでいたカエル。でも、水が湯になり熱過ぎる~~~と気づいた時にはもう遅し……カエルはまさにかえらぬ状態になるのだ。と。(温暖化の例ですが。)
 
 今、鍋や水が用意されている音がします。かちゃかちゃ。ちゃぷちゃぷ。

 もちろん、丸ごと、憲法が正しいわけではない。。例えば、憲法では「国民」の最低限度の生活を保障を謳うけれど、「国民」に入らない人の保障は書かれていない。。(私たち「日本人」は「国民に入らない人」がどれほど困っているだろうか……を知らないで生きてしまっているのだと、祈祷会後の読書会にて教わる機会がありました。) 戦前も戦後も翻弄され続けてきた在日朝鮮人、在日韓国人の人の参政権は……(税金はしっかり取られるというのに)。 難民の人は? 永住権のない外国人の人の生活は? 
 と言った問題点を視野におさめつつも、憲法は平和・戦争放棄に関して、本当に「世界の宝」と言われるほど貴重なものであり……その美しさを保つことをしてこなかった点がもっと反省されていいほど。。。ましてや失わせるということは、子どもたちや、超高齢化を迎える社会にあって全く考えられない取り返しのつかない選択と言えるでしょう。その貴重な部分を変えるための「国民投票法」だからこそ、私は「No!」なのです。

 平和のための歯止めをはずそうとする音を、どうやったら平和を息づかせるための音に変えられるか? それは一人ひとりの「愛のわざ」にかかっているんだ……と私は思います。党とか、何とか、多数派とかに惑わされず、人間として大切なことを求め・それを一歩一歩に示していけたら、と「からし種」は思わされています。