本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

『本能寺の変 431年目の真実』読者書評(続き)

2014年07月28日 | 427年目からの挑戦
 >>> 『本能寺の変 431年目の真実』24万部突破
 >>> 『本能寺の変 431年目の真実』読者書評(No1~24)
 >>> 『本能寺の変 431年目の真実』読者書評(No44~)
 >>> 『本能寺の変 431年目の真実』政治家の書評
 >>> 『本能寺の変 431年目の真実』文化人の書評
 >>> 『本能寺の変 431年目の真実』武将ご子孫の書評
 2014年上半期書籍・文庫 売上ランキング51位ありがとうございます!
 上の写真は新宿三省堂さんです。太鼓判を押していただきました。


【2014年7月28日追記】No43
 「synkan regbi」さんのブログです。ありがとうございます、私が最も言いたかったことを感じ取っていただきました。
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 以前ブログに本能寺の変 四二七年目の真実を読み書評まがいの記事を載せました所、著者の明智憲三郎さん自身のブログで、私のコメントが紹介されていました..
 この度、明智憲三郎さんから新刊「本能寺の変 431年目の真実」の案内をいただき読ませていただきました。
 著者の明智さんは明智残党狩りの手を逃れた光秀の子・於寉丸(おづるまる)の子孫でいらっしゃいます。 慶應義塾大学大学院工学研究科修士課程修了後、大手電機メーカーに入社。 一貫して情報システム分野で活躍されました。
 今回の「本能寺の変 431年目の真実 」は前回の「本能寺の変 四二七年目の真実」の修正と加筆を加えた文庫本です。
 歴史の真実は1つです。
 その歴史に5人の人物が関わると5種類の記憶が存在します。ましてや戦国時代、生き残った人物が記憶を脚色して都合のいいように作ってしまう。そしてそれが正義になってしまう..
 真実として、その脚色が事実になっていることを正す事に使命感を感じて、子孫である明智さんは立ち上がったのだと思います。
 著書に出会うまで、本能寺の変については謎めいた部分を面白がっている自分がいました.. 本当の理由を解明していない事が謎めいた歴史ミステリーとしての価値を高め真実の蓋を半開きにしていることで、その暗闇の中にイマジネーションが膨らみ物語としての面白みを増している事を良しとしていると感じます。
 しかしそれは歴史の真実ではありません。色々なテレビの特集を観ても結論はなくて本能寺の変については、謎のまま締めくくってしまいます。
 最近でも死刑が確定した無実の方が釈放されました。結論ありきの証拠ねつ造で、ねじ曲げられた真実を最後まで信じて助けたのはファミリーでした。明智さんは「本能寺の変」での光秀の無実を叫んでいるのでも光秀を正当化しようとしているのでもはありません。正しい真実を解き明かしたかっただけなのだと この本を読んで改めて感じました。信長も光秀も子孫繁栄を願っていたのだと改めて感じました。

【2014年7月25日追記】No42
 二児の母ミケさんの「space彩」ブログの書評です。歴史ものの本というと男性読者が圧倒的に多いですが、ミステリー好きの女性にもどんどん読んでいただきたいですね。
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 明智光秀の末裔である著者が、本能寺の変の定説の矛盾を過去の資料から読み解き、論理的に解き明かそうとするドキュメント。
 最近、長宗我部元親が「本能寺の変」直前に光秀の重臣・斎藤利三に宛てた書状がみつかり話題になったばかり。これにより、信長が四国を元親の自由にさせるとの方針から、一部しか領有を認めないと変更したことに元親が従う姿勢だったことが初めて確認されたそうだ。元親とは関係の深い光秀が、元親が恭順の意を示したにも関わらず攻めようとする信長を止めようとして本能寺の変につながったとする「四国説」の信憑性が増したことになる。そのことはこの本にも書かれていた。
 歴史というものは、勝者の自己正当化によって改ざんされ、また歴史小説やそれを元にしたドラマや映画などにも影響を受けてしまっているのも確かで、いつのまにかそうであると思い込んでいたりする。
 こういう本を読むと、違った視点で見れば違ったものが見えてくるものだとあらためて思う。結局のところ、そうであるかもしれないしそうでないかもしれないという視点に立ち返るのだけれど、それが大切なことなではないかとも。そもそも本能寺の変どころか、光秀自身が謎に包まれているのよね。

【2014年7月24日追記】No41
 読書メーターに投稿された「はな」さん(男性)の書評です。「簡にして要」ですね
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 著者は、本能寺の変をひとつの「事件」と見なし、明智光秀の謀反を「歴史捜査」によって一つ一つ解明して行く。定説とされている光秀の動機や何故天才信長は丸腰同然で本能寺に入ったか、謀反を起こす前に光秀が詠んだ連歌の発句の謎解きなど、なるほどと腹落ちする。殺人事件なら証拠を積み重ねて真実を炙り出すが、著者は歴史に埋もれた数々の証言を書物に求めて、点描のように本能寺の変の真実を我々に差し出すのだ。その真実たるや、今までに誰も思いつかなかった驚愕の陰謀だった。信長の最後の言葉の意味とは…。めちゃめちゃ面白い本だった。

【2014年7月23日追記】No40
 ゆこりんさんの「のほ本」ブログです。「正しくない方法から正しい答は得られない」。これがエンジニアの常識です。「正しい方法から得られた答」によって歴史のページが塗り替えられるようにご支援のほどよろしくお願いいたします。
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 1582年(天正10年)6月2日、本能寺で織田信長は明智光秀に討たれた。だが、本当に討った理由は”遺恨”だったのだろうか?光秀の子孫が語る、431年目の真実とは!?
 作者が明智光秀の子孫だということで、興味深く読んだ。
 本能寺の変を起こした明智光秀。その理由は信長に対する遺恨だと言われてきた。だが作者は、膨大な資料の中からまるでミステリーの謎を解いていくように本能寺の変の真実を明らかにしていく。そこには、智将と言われた明智光秀の真の姿があった。感情だけで動くことのない、理知的な人物像が浮かび上がってくる。また、名門・土岐明智氏の行く末、信長の四国征伐による長宗我部氏の危機など、苦悩する光秀の姿も見えてくる。
 今までの光秀、子孫が描いた光秀、はたしてこれからの歴史の中で残っていくのはどちらの光秀だろう?歴史のページが塗り替えられることはあるのだろうか?400年以上前の出来事だが、ワクワクする。歴史好きの人にはたまらない作品だと思う。

【2014年7月21日追記】No39
 「Hide日記 -- 呉剛環蛇」さんのブログです。拙著の結論だけ聞いた人は「トンデモ本」と誤解してしまいます。「子孫が書いた」と聞いて「手前味噌な内容」と誤解している人もいます。それで読まないなんて、もったいないですね。
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 タイトルに違わぬ、衝撃的な本でした。
 「本能寺の変 431年目の真実 」
 歴史は「勝者の歴史」だと言われています。光秀はなぜ信長を討ったのか・・・その顛末は、次の勝者である秀吉が書かせた宣伝の書『惟任退治記』が元になって定説となり、現代まで伝わっている。しかし、それは「偽りの真実だった」、と本書で明らかにされています。
他にも、「唐入りは信長の着想だった」とか、「信長は家康を本能寺に呼んで殺害する予定だった」など、驚く内容が展開されています。
 しかし、いわゆる「トンデモ本」ではありません。ちゃんとした歴史書です。いままで、「ほんとかよ?」と疑問に思っていたことが、すべて腑に落ちました。めちゃくちゃ面白い、とてもいい本でした。

【2014年7月17日追記】No38
 NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」を100倍楽しむために開設された大変力のこもったブログ「軍師官兵衛」さんの書評です
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 「軍師官兵衛」28話本能寺の変見ましたか?
 岡田准一さんの演技が良いですね~。視聴率もV字回復しているそうです。
 さて、「本能寺の変」は日本史最大のミステリーと言われるほどに謎が多いですよね。
 何故、明智光秀は謀反を起こしたのか?
 その疑問に一つの解答が出されました。
 それが、明智光秀の末裔・明智憲三郎氏の著書『本能寺の変 431年目の真実』
 『私は信憑性のある当時の史料から徹底して証拠を洗い直し、根底から本能寺の変研究をやり直しました。洗い出された証拠の全ての辻褄の合う真実を復元したところ、ことごとく「定説」とは異なる答えが出ました。その答えには私自身も驚きました。
私の復元した答えだけを聞いた方は間違いなく「あり得ない!」、「奇説!」と叫ぶと思います。なぜならば、四百三十年に渡って誰からも聞いたことがない答えだからです。(『本能寺の変 431年目の真実』より抜粋)』
 正直、スゴイです。
 著者・明智憲三郎氏は膨大な歴史資料を精査し、検証し、警察が事件解決の為に捜査をするように、丹念に調べ上げました。
 今までの定説が如何にいい加減で、根拠のないモノであるかということを証明してみせてくれました。
 そして、一つの解答が導き出されました。
 ここで、私たちが心しておきたいのは、歴史というのは、常に勝者の歴史であり、権力者が自分の都合のいいように記録を改ざんした、虚偽の歴史であり、真実とは言えないということです。
 それでは、本能寺の変の真実についての解答です。
以下はネタバレになるので省略します。ご覧になりたい方は直接「軍師官兵衛」さんのブログへどうぞ

【2014年7月14日追記】No37
 ソフトバレーボールというのがあるのですね。その愛好団体「TEAM TYRANNO練習日誌」さんのブログです。NHK大河ドラマの本能寺の変放送に間に合ってよかったですね
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 面白かったです!!
 歴史捜査ドキュメンタリーなんです。
 歴史を、文献や状況から捜査しなおすんです。 
 みんなが知ってる本能寺の変は、実は後から脚色や捏造された部分が多く、動機も違えば、荷担していた人ももっといて‥
 こう証拠を挙げて説明されると、コロッと信じてしまいます。
 「そうだったん!」って興奮しました。
 誰かに言いたいっ!
 土曜日に読み終わりました。昨日の『本能寺の変』に間に合いました。「小朝の光秀ってどう?周りでいい評判きかんのやけど」。友からtweetが回ってきました。今までの光秀のイメージとも、この本に書かれたイメージとも違うけど、父性が出ていて、情がある光秀、私はなかなかいいと思います。
 歴史は操作(こっちは捜査じゃなく操作)されるもの。その時天下をとっている者が自分に都合のいいように情報操作をするのは、昔も今も変わらないなと思う今日この頃。

【2014年7月12日追記】No36
 「どすコ。のつれづれ。」さんのブログです。こういうノリでのご評価も面白いですね。ありがとうございます。私も本能寺の変がらみの番組は見る気がしません。どんな馬鹿げたことを言ってるのか気になるので見ることもありますが・・・。
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 『歴史秘話ヒストリア』、本能寺の変でした。なんか…どんどん民放化していってますね(笑)。『その時歴史が動いた』からは考えられない展開(笑)。餅は餅屋…という言葉がさーっと私の頭の中をかすめましたが、まぁアリってことで(笑)。
 なんか…真実にかなり近いのではないか…と思われる説を、本で読んでしまったもんで…それ以降、真実に迫る的な本能寺の変がらみの番組は、興味が若干薄れてしまったのですが(笑)。
 ずっと前に読んでいるワケです。『本能寺の変 431年目の真実』。
 いやぁ~久々に良い意味でショッキングな歴史関連本を読んだ感覚でした。
 初めて、井沢元彦氏の、逆説の日本史を読んだときのような、梅原猛氏の、聖徳太子と法隆寺の謎に迫る、隠された十字架を読んだときのような。
 明智憲三郎さん、ありがとうございます!
 ナゼこの本がもっともっと話題にならないの!?!?!? …なってるのかな(笑)?コンビニでも売っているの、よく見かけますが。
 なぜ信長が手薄な警護で本能寺に入ったのか、なぜ「是非に及ばず」だったのか、そして最大の謎、なぜ明智光秀は謀反を起こしたのか、
 今までわからなかった全てが、想像すらしなかった理由によって、私の中にすとんと落ちました。
 織田信長も、明智光秀も、ますますすきになりました。
 織田家が続いてほしかった気もするし、本能寺の変が起こった以上、明智光秀に天下を取ってほしかった気もします。
 三日天下なんて笑えるほど、明智光秀は単純でも、バカでもありません。
 個人的に、歴史上でいちばん緻密で頭いいんじゃないか?と思っている織田信長が、いちばん信頼していた明智光秀です。
 ただ、事件がらみの本を読んでも、自分やまわりを見ても思いますが、やっぱり、運っていうものは、ある気がする…。
 戦国武将は、バカじゃなれませんわ…。
 運もないと上がれませんわ。
 思っていた以上に、先を読み、人を読んでいます。
 すごい、戦国時代。ホントすごい。人間がすごい。
 明智憲三郎さんの書いていること、真実じゃないかな、と私も感じます。
 今までに知った説の中で、真実と思われるものを1つ挙げよ、と言われたら、迷わずにこの明智憲三郎さんの説を選びます。
 書いてある内容と、私の中の第六感が、これ!って言ってます(笑)。
 なんか…いい意味で、ゾワゾワします(笑)。
 実は武士対武士ではなく、武士対朝廷とか、朝廷の跡目争いみたいな、平安時代の平安じゃない感じがいちばんすきなんですが(笑)、やっぱ戦国も比較に困るくらい面白い。
 あー、歴史最高(笑)。

【2014年7月11日追記】No35
 北条高時さんの「鎌倉で働らく執権のブログ」です。少し長文で、かつネタバレもありますがご紹介します
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 著者の名前からもわかるように、本書は明智光秀の子孫にあたる方の著作。それだけに大いに期待して読んだのだが、じつに予想のはるか斜め上をいく面白さ。
 もともと本能寺の変については、怨恨や野望なんて理由だけで、光秀ともあろう人物がリスクを冒すとは思えなかったし、羽柴秀吉や足利義昭、朝廷、イエズス会などの黒幕説は、面白いことは面白いけれど、いずれも証拠不十分。
 その点、本書では「蓋然性(確からしさ)」ということをキーに、独自の説が提示されていてたいへん興味深く読むことができた。
 著者は前書でこう述べている。
 信憑性のある当時の資料から徹底して証拠を洗い直し、根底から本能寺の変研究をやり直しました。洗い出された証拠の全ての辻褄の合う真実を復元したところ、ことごとく「定説」とは異なる答えが出ました。
 私の復元した答だけを聞いた方は間違いなく「あり得ない!」「奇説!」と叫ぶと思います。


 たしかに結論だけ聞くと「とんでも本」の仲間入りかもw
 ただ、読みすすめていくとひとつひとつ「なるほど」「あるかも」「それなら辻褄があう」といった感想が、ひとつひとつ積み重なっていくのだ。
 著者は「歴史捜査」という言葉をつかっているけれど、従来からいわれていた定説や資料の批判、それをふまえての推理過程は、当方の「光秀贔屓」というバイアスをさっぴいても、十分に説得力ある内容になっていると感じた。
で、本書の主張ですが、ネタバレになると申し訳ないと思いつつ、版元の内容紹介にちょこっと加筆させてもらうと……
 光秀の末裔がついに明かす衝撃の真実!!
 名門・土岐明智氏の行く末に危機感を抱いていた光秀。
 天下統一後、信長は織田家による中央集権化をすすめ、有力な家臣団の遠国転封をすすめていた。土岐明智家を再興し、多くの幕臣を配下に従えていた光秀だったが、遠国転封となれば家臣団を維持できない危機感を抱く。また信長は唐入りを計画しており、そうなると自分亡き後の明智家はどうなるのか、行く末を案じていた。
 信長の四国征伐がさらに彼を追いこんでゆく。
 古くから長宗我部元親と強固な関係を築いていた光秀。しかし、信長の四国政策変更に選り、元親が討たれると、それは光秀の織田政権内での実力低下につながる。
 ところが、絶望する光秀の前に、天才・信長自身が張りめぐらした策謀が、千載一遇のチャンスを与えた!
 そうした危機感を抱く光秀に信長は徳川家康暗殺を命じる。家康と重臣たちを本能寺におびき出して光秀軍が急襲。そのまま細川忠興・筒井順慶軍を従え、電撃的に家康領を占領するという計画だ)
 なぜ光秀は信長を討ったのか。
 背後に隠された驚くべき状況と、すべてを操る男の存在とは! ?
 光秀は家康と共謀し、これを利用して信長の暗殺に成功する。しかし、こうした光秀の動きは羽柴秀吉の察知するところとなり、光秀のクーデターは失敗。以後は天下人のシナリオどおり、本能寺の変が語られるようになる)
 光秀が家康と共謀?
 本能寺の変の原因について、個人的には光秀の「将来不安」が根底にあると思っていた。というのも光秀はすでに高齢で(当時54歳とされるが、じつは67歳という説も?)、嫡男・光慶はわずか13歳。
 長宗我部が滅んで毛利が片付けば、その後は九州、ひょっとすると朝鮮・唐入り。
 自分が健在ならばまだしも、息子の代になってからの明智家の先行きを考えると不安を抱くのは当然のこと。
 ただ、だからといって、光秀が博打のようなリスクを冒すとは思えない。
 危険を冒す以上、なにか光秀を動かす直接的な「きっかけ」があったのではないか?
そんな疑問に、この光秀ー家康共謀説は、ひとつの答えを出してくれたように思う。
信長が家康を暗殺? そんなことありえる?
という意見も出てきそうだけど、これは「ない」とはいいきれない。
 たとえば「本城惣右衛門覚書」によれば、光秀軍として本能寺を急襲した兵たちは、みな信長の命令で家康を討ち取るものと思っていたとあり、ルイス・フロイスの「日本史」にもそうした記載がある。
また伊賀越え、駿府帰着後の家康の行動にも不可解な点がいくつもあり、本書ではそれらをふまえて、謎解きをすすめている。
 さらに本書で興味深かったのが、信長に献上された黒人のヤスケ(彌介)のこと!
まあ、ヤスケのことまで書いてしまうと、あまりにネタバレがすぎるので、このへんにしておきますので、ぜひ購入して読んでくださいw
 こうした作品は賛否両論でてくると思うけれど、少なくと「奇説」「珍説」と切り捨てることができないリアリティを感じさせてくれる一冊であることは確かです。

【2014年7月10日追記】No34
 現代日本女性俳句の第一人者とされる「鎌倉佐弓」さんのブログです。ご評価いただきありがとうございます
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 今、『本能寺の変 431年目の真実』を読んでいる。これがとてつもなく目を覚まさせられるような本なのだ。どこがすごいかというと、これまで歴史で習ってきた本能寺の変の真実を、当時書かれたさまざまな人の日記などから推理しているのだが、これがかなりの信憑性がある
 「本能寺の変」は織田信長が(織田氏の今後の繁栄をおびやかす脅威だった)徳川家康を、堺から本能寺に呼び寄せ、茶器など見せて隙を作らせ、明智光秀に討たせるつもりだった。それを明智光秀が、逆に早朝に出兵して、織田信長を討つ機会としたのがどうやら真相だったようだ。
 この時、明智光秀の計画を知っていたのは、家康、細川藤孝、秀吉の3名。歴史上、この事件を明智光秀ただ一人の犯行にしたのもこの3人。
 この3人のうち、キーパーソンは細川藤孝だと私は思ったのだが、明智光秀は昔、細川藤孝の家来(足軽?)だった。それが細川家の家老に嫌われて、織田の家臣になる。藤孝自身と光秀はうまが合ったようなのだが、やはり、ここは人間同士で、細川家来衆からは光秀は(そのとてつもない出世も含めて)よく思われていなかったようだ。最終的に秀吉が陰謀のすべてをつかむのは、この細川家を通してだった。
 細川藤孝の息子が細川忠興で、彼らはその後、秀吉、家康に厚遇されていったのは歴史の事実。
 私のあぶなっかしい説明より、ぜひぜひ本書を読んでほしい
 そういえば、先日、光秀の謀反?の原因の一つの長宗我部氏の文書が見つかったとかいうニュースがあった。もしかしたら、私が日本史の授業で習った定説がくつがえる日が本当にくるかもしれない。
 この作者の明智憲三郎氏は、明智残党刈りの手を逃れた光秀の子、おづる丸の子孫という。何という因果だろうか・・・

【2014年7月8日追記】No33
 富士市のスーパー内テナント店長の「靴の修理屋のひとりごと」さんのブログです。「簡にして要」の書評です
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 今まで明智光秀についていろいろ語られてきたけれど、怨恨説、野望説、単独犯行説、謀反秘匿説、油断説、偶発説などなど。
 そのひとつづつを丹念に調べて事実を追求しています。
 信長、家康、秀吉の行動もすべてを調べ直していきます。
 今まで教科書や、歴史書などで読んできた話はなんだったのか
 「歴史は、常に勝者の都合によってねつ造され、喧伝される。事実はその意図の裏にひっそりと息づいている。」
 これはお奨めです。

【2014年7月3日追記】No32
 「人間万事塞翁が馬」さんのブログ記事です。若干ネタバレがありますが、全文をご紹介します
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 日本史には多くのミステリーがある。どれが最大のミステリーかは個人によって異なるだろうが、わたしには邪馬台国がどこにあったかと同じくらい、以前から能寺の変には興味があり、色々な本を読んで研究してきた。いつかは本能寺の変に関連した小説を書きたいと思っていたほどである。
 しかし、明智光秀が謀反を起こした理由など関して、なるほどと合点ができる本はなかった。
 最近読んだ本に「本能寺の変 431年目の事実」(文芸社文庫)がある。
 作者は明智憲三郎氏といって本能寺の変の明智残党狩りの手を逃れた光秀の子の子孫ということである。
 もちろん明智光秀がなぜ主君の織田信長を殺さなければならなかったが最大の謎ではあるが、動機以外に関してもさまざまな疑問を持っていた。
 いちいち書くと切りがないが、例えばその夜、なぜ信長は少人数のみで本能寺に宿泊したか?後々ではあるが、徳川家康は明智光秀の重臣であった斉藤利光の娘(春日局)をわざわざ孫である家光(3代将軍)の乳母として採用したかなどである。
 この本ではそれらの疑問を明確に説明している。これまで読んだ中で、最も説得力のある内容であると思う。
 筆者は、信長が家康の謀殺を光秀に命じ、逆に光秀は家康と共謀し、信長を殺したのが本能寺の変だったと結論している。
 これまでまったく考えだにしなかった説だが、可能性は十分すぎるほどあると考えられた。事実は小説より奇なりである。
 ぜひ歴史好きな方にはお読みいただきたいお勧めの一冊である。

【2014年7月2日追記】No31
 国際問題や外交に関してコメントや予想を行う「勢力均衡」さんのブログです。こういう視点を持った読者にはピタリとはまります。日本史だけ、特に戦国史だけの視点で見ている読者がきちんと読んでいただければ「目から鱗」でしょう。
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 政治家の日記は基本的に自分の都合の悪いことは書かないし、本当に重大なことが起こった時はその部分を白紙にして何も書かないことがあるということを私は鳥居民さんの一連の本を読んで学びました。だから未来の研究者は政治家の日記を読む際には、書かれたことを「実証」するだけでは不十分で、何が書かれなかったのかを他の資料と付き合わせて「想像力」を働かせなければならないと鳥居さんは主張したのです。
 私はこの鳥居民さんの提言は永遠の真理だと思っていますが、その方法に限界があるとも思っていました。やはり、マス・メディアの発達した明治維新以後に限るのだろうと考えていたのです。
 しかしこの度明智憲三郎氏が書いた『本能寺の変 431年目の真実』を読んで認識が変わりました。明智氏は鳥居民さんと同じような手法を用いて本能寺の変の真実を明らかにされたのです。
 細かい部分は直接本を読んで確認して欲しいのですが、結論は簡単にいうと次のようなものです。
 信長は本能寺において光秀に命じて家康を殺させるつもりだったのですが、逆に光秀は信長を殺してしまうのです。
 こうなった背景には政策の対立があったと明智さんは主張しています。
 当時の日本を取り囲む情勢は「大航海時代」です。宣教師からの情報で世界がどのように動いているか戦国武将達ははっきりとした認識を持ち、それにどう対処するかで別れていくのです。
 光秀は信長の考えに危機感を持ちます。「長宗我部征伐から始まり、遠国への移封が続き、そして最後は中国大陸へ。この流れを何としても止めねばならなかったのである」
 イギリスの歴史家EHカーは「歴史は現在と過去の対話である」と言っています。明智さんの分析が説得力を持つのは現在の日本が光秀の時代と同じような課題を抱えているからです
 それは「グローバリズム」を巡る問題と一緒なのです。
 グローバリズムに賛成 信長、秀吉
 グローバリズムに反対 光秀、家康
 このように置き換えると、400年前も現在も日本は同じような国内闘争を経験しているのです。
 少し例をあげてみます。明智さんは光秀が山崎の合戦で敗れた理由を次のように指摘しています。
 「秀吉の中国大返しが光秀に敗戦をもたらしたが、突き詰めると摂津勢が秀吉に味方して光秀に敵対したことが光秀にとって最大の敗因になったのだ。オルガンティーノが高山右近に『何があっても光秀には味方するな』と書状を出したのが光秀の敗北を決定したのだ」
 現在でも欧米のマスコミはグローバリズムを推進した小泉政権をやたらと持ち上げて、ドメスティック派の政治家が大嫌いなのは400年前から何も変わっていないみたいです。
 私は現在の経済問題がエマニュエル・トッドが主張するように「肥大したグローバリズム」に問題があると思っているので、この本を読んで光秀に同情的になってしまいました。
 いずれにせよ大変面白い本なので読んでみてください。

【2014年7月1日追記】No30
 前著の読者「TONKUЯAism」さんのブログの書評です。やはり長宗我部元親の書状発見のニュースで拙著を想起してくださったようです。
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 先日、本能寺の変絡みの手紙が発見されたニュースを見て、思わずアマゾンから購入してしまいました。明智憲三郎著「本能寺の変 431年目の真実」。
 以前、明智氏の前著「本能寺の変 四二七年目の真実」も拝読させていただきましたが、前著よりも良く整理されていて、大変読みやすい内容でした。信憑性のある史料から歴史を調査し、そして、論理的に推察されている。ここにある結論は大きく頷くことが出来ます。
 この書籍には、本能寺の変を企てたメンバーとその動機。その時なにが起こったのか。なぜ光秀の謀反は失敗したのか。が、書き記されております。一つの学説を提示する論文形式をとりながら、その展開は推理小説を読んでいるようで、一気に読むことができました。名著だと思います。

【2014年6月30日追記】No29
 「内輪で行こう!(笑い)」さんのブログ記事です。最近の長宗我部元親書状の発見が『本能寺の変 431年目の真実』にどのように関係するかを喝破しています
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 先日、テレビや新聞などで織田信長が明智光秀の謀反によって自害した「本能寺の変」に関して、「四国説」を裏付ける新たな資料が見つかった事を報じていました。ご覧になった方も多いのではないかと思います。以下、その見つかった資料を報じた記事です。
 林原美術館と岡山県立博物館は6月23日、1582年6月2日に起こった本能寺の変直前に、四国の長宗我部元親と、明智光秀の重臣・斎藤利三、そして足利義輝の側近であり、利三の実兄が養子に入っていた石谷氏などが密接に連絡を取り合っていたことなどを、林原美術館所蔵の文書群「石谷家文書」にて確認したと発表した。
 同文書は、大別して「長宗我部元親に関するもの」、「本能寺の変直前もの」、「その他の戦国武将や石谷家の由緒・権利関係などに関するもの」となっており、本能寺の変直前の書簡では、織田信長が一度は四国統治を元親に認めたものの、後に土佐と阿波半国しか領有を認めないことを元親が不服としていたのに、利三が実兄の石谷頼辰を使者として派遣し諌めたことや、信長の命令に従い、阿波の一部から撤退し、信長が甲州征伐を終えた後に、その指示に従うことなどを利三に伝える内容などが含まれていたという。
 元親が信長の指示に従う書状は1582年5月21日付のもので、その段階で、すでに信長は、三男の神戸信孝を総大将にして四国への出兵を計画しており、戦闘を回避しようとしていった元親と、戦闘を実行しようとしていた信長の違いが示された形となった。

 この記事を読んで、オジサンが書店で購入した本があります。それが、明智光秀の子孫の明智憲三郎さんが書かれた「本能寺の変 431年目の真実」です。
 実は新資料発見の報の前に、書店で見かけて、面白そうだったので買うかどうかを迷っていた本です。
 結論から言うと、この本はとても面白いです
 明智さんの歴史的な資料の見方が実に素晴らしい
 また後日ちゃんとした記事にしますが、新資料が見つかっても、この本に書かれている謀反の真実は全く影響を受けていません。もしかしたら、多少書き方が変わった部分があったかもしれませんが、新資料発見は、この本に書かれていることが間違っていないことを証明するものです
 歴史が好きな方は、是非お読みください!!
 >>> 新発見!「四国説」を裏付ける?長宗我部元親の書状

【2014年6月24日追記】No28
 「どらねこりん」さんの「小説あらすじなう」コーナーの書評です。「ネタバレ」の記述かと思いきや要領よくポイントを書いてくださっています。全文はコピペできないガードがかかっているので、最後の数行のみを抜き書きして紹介します。
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 これらの本能寺の変の真相だけでも驚かされたが、利休と関白秀次の切腹の謎、春日局はなぜ異例の出世をしたかについても、明智憲三郎氏は解き明かしてくれている。
 又、前総理の小泉純一郎氏の愛読書として有名になりベストセラーになった加藤廣氏の「信長の棺」に「本能寺で信長の遺体が見つかっていない」と書かれていることについて、なぜ見つからなかったかにも触れている。

【2014年6月23日追記】No27
 「synkan regbi」さんの5月4日の書評です。拙著を読んでもいない方々が「子孫だから手前味噌」と勝手なことを言っていますが、そんな底の浅いものではないことを的確にとらえてくださっています。
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 以前ブログに本能寺の変 四二七年目の真実を読み書評まがいの記事を載せました所、 著者の明智憲三郎さん自身のブログで、私のコメントが紹介されていました..
 この度、明智憲三郎さんから新刊「本能寺の変 431年目の真実」の案内をいただき読ませていただきました。
 著者の明智さんは明智残党狩りの手を逃れた光秀の子・於寉丸(おづるまる)の子孫でいらっしゃいます。慶應義塾大学大学院工学研究科修士課程修了後、大手電機メーカーに入社。一貫して情報システム分野で活躍されました。
 今回の「本能寺の変 431年目の真実 」は前回の「本能寺の変 四二七年目の真実」の修正と加筆を加えた文庫本です。
 歴史の真実は1つです。その歴史に5人の人物が関わると5種類の記憶が存在します。ましてや戦国時代、生き残った人物が記憶を脚色して都合のいいように作ってしまう。そしてそれが正義になってしまう..
 真実として、その脚色が事実になっていることを正す事に使命感を感じて、子孫である明智さんは立ち上がったのだと思います。
 著書に出会うまで、本能寺の変については謎めいた部分を面白がっている自分がいました..
 本当の理由を解明していない事が謎めいた歴史ミステリーとしての価値を高め真実の蓋を半開きにしていることで、その暗闇の中にイマジネーションが膨らみ物語としての面白みを増している事を良しとしていると感じます。
 しかしそれは歴史の真実ではありません。色々なテレビの特集を観ても結論はなくて本能寺の変については、謎のまま締めくくってしまいます。
 最近でも死刑が確定した無実の方が釈放されました。結論ありきの証拠ねつ造で、ねじ曲げられた真実を最後まで信じて助けたのはファミリーでした。
 明智さんは「本能寺の変」での光秀の無実を叫んでいるのでも光秀を正当化しようとしているのでもはありません。正しい真実を解き明かしたかっただけなのだとこの本を読んで改めて感じました。
 信長も光秀も子孫繁栄を願っていたのだと改めて感じました。


【2014年6月20日追記】No26
 「IMAIBOOKS」さんの「イマショ ミステリー小説探偵・はまさきの これぞおすすめ!ミステリーならこれを読め!」書評です。ミステリー小説ファンには私も絶大な自信を持ってお勧めします。「超弩級の面白さ」なんです。
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 戦国時代最大のミステリー「本能寺の変」の真相に迫る!「本能寺の変431年目の真実」
 今、すごく話題になっている、「本能寺の変431年目の真実」を読みました。はまさき、実は戦国時代が大好き。女性ですが、読む本は男っぽい警察、ミステリー小説。さらに戦国時代好きなので、前世は男だったのではないかと思う時もあります・・・。
 ま、そんなことは置いといて・・・
 「本能寺の変431年目の真実」はとにかく面白く、今までの研究でも明らかにならなかった謎の解明が為されていて、あの事件はそういうことだったのかと納得させられた、凄い作品
 著者は、明智家の末裔ということで絶対に解明してみせるという気持ちが強く伝わってきました。
 この作品は、著者が「本能寺の変」を大きな事件に見立て、膨大な資料を基に、日本最大のクーデターの真実に迫る、壮大な歴史捜査ドキュメントなのです。 
 今まで、私たちが教わってきた、明智光秀のエピソードは歴史上どう考えてもありえない。一国を背負った武将が、日頃の恨みを募らせて、 一歩間違えば、失敗に終わるかも知れないクーデターをたった一人で起こすでしょうか? そんなことは絶対にありえないとはまさきも思っていたのでした。
 私たちが信じ込まされたこのエピソード、実は、秀吉が信長から政権を簒奪した後、部下に命じて書かせた「惟任退治記」をもとに後世に伝えられた‘でたらめ’だったのです。
 では真実の光秀と信長の関係はどうだったのか?
 なぜ、光秀は信長を討ったのか?
 信長に寵愛された、キリシタン、ルイス・フロイスは彼らをどう見ていたのか?
 本能寺の変の詳しい出来事はいったいだれが伝えたのか?
 徳川家康はなぜ、3代将軍家光の乳母に光秀の部下である、斎藤利三の娘・福を抜擢したのか?また、逆賊・光秀の縁の福がなぜ朝廷から官位をもらえたのか?
 あらゆる‘なぜ’の答えが明確に書かれている
 そして、本能寺の変の真相は今まで誰も示唆しなかった驚くべきものだったのです。
 超弩級の面白さで、本能寺の変の真相に迫る傑作です。

【2014年6月16日追記】No25
 「風のように」さんの2014年6月11日の書評です。
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 織田信長は罠を仕掛けた。
 相手を油断させるために、自らを無防備な状態にした。
 しかし、その罠に自らがはまってしまった。
 信頼していた協力者に裏切られてしまったのだ。
 当事者しか知らないはずのことを知っているヤツがいた。
 そいつが最後の甘い汁を吸った。
 事件後、関係者に裏事情を墓場まで持っていくように言ったのであろう。
 真実は闇に、事件報告書が公式記録となった。
 これが「本能寺の変 431年目の真実」のあらましでしょうか。
 わざとぼかして書きましたが、「え、何!?」と思う人はこの本を読んでください(笑)
 著者は明智憲三郎。明智光秀の末裔です。
 明智さんは自ら「歴史捜査」と名付けた手法で、丹念に幅広く史料にあたって、本能寺の変に迫っています。
 通説と違う説を展開しているので、専門家は鼻で笑い、無視するかもしれません。けれども僕が読んだ感じでは、かなりの説得力があります。真実に近いと思わせるものがあるのです。
 通説は「惟任退治記」を基にしているところがあるようです。実はこれは秀吉が本能寺の変の4ヶ月後に書かせたものです。
 勝者によって作られた書物は、自分に都合のいいように書かれている部分が多く、自己正当化の手段になるものです。それを鵜呑みにしていいのだろうか?というのが明智さんの出発点になります。
 ちなみに歴史読本6月号に「惟任退治記」が原文と現代語訳で載っています。
 第1章では「惟任退治記」の改竄をあばいています。見事な手口ですよ。
 その後も多くの史料を引用し、客観的かつ冷静に検証し、通説をひっくり返していきます。
 今まで聞いたことのない説で驚きつつも、すっきりとして論理的な流れに感嘆してしまいます。著者は一般企業で情報畑を歩いた人です。理系の頭を持っているのが強みだと感じました。
 それから「三面記事史観」で光秀を見てはいけないとも言います。
 これまでの説では「面目がつぶされた」「出世の見込みが立たなくなった」「発作的・衝動的に」「そそのかされて」「ロマンにかけた」「忠義心のため」といった動機で、本能寺の変を起こしたと語られますが、それはおかしいと言っています。
 こうしたものは個人的な感情の次元である、新聞でいえば三面記事であると。
 「一族の生存と繁栄に責任を負った武将が、このような次元で謀反を決断するはずがない」(P51)と言っています。
 謀反に失敗したら一族滅亡です。一族の長が個人的な感情で謀反を起こすだろうか?と問うています。 
 例えば数万人あるいは数千人の従業員がいる会社の社長と似たような立場だと思ってください。
 企業の存亡をかけた経営判断をしなければならない。失敗すれば会社は倒産し、社員を路頭に迷わせるリスクがある。その際に個人的感情で判断しますか?
 そうじゃないでしょ。シビアにリアリズムに徹して考え抜くでしょ。会社や従業員の生活という非常に重いものを感じつつ決断しなければならないでしょ。
 皆さん、どう考えますか?
 本能寺の変後の家康の動きに不審な点があります。これにも分析がなされています。
 さらには秀吉の朝鮮出兵や千利休や豊臣秀次の切腹にも話が及びます。これは信長晩年の政策と関係があると明智さんは分析しています。
 こう書くと興味をそそられませんか(笑)
 面白い本だから、いろいろと書きたくてうずうずしていのですが、あんまりネタバレするとよくないのでここでやめておきます(笑)
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【文庫】 本能寺の変 431年目の真実
明智 憲三郎
文芸社

 >>> 「本能寺の変 431年目の真実」読者書評
 >>> 「本能寺の変の真実」決定版出版のお知らせ
 >>> 『本能寺の変 431年目の真実』プロローグ
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やっと、買いました! (近江商人門坂子孫)
2014-07-12 12:42:05
まだ、読んでないんですが、大阪梅田の書店に在庫◎でかなり、有るみたいでした!
 本の大きさが、思ったより、小さかったので、びっくりしました!楽しみに、読みます!
返信する
ありがとうございます。 (明智憲三郎)
2014-07-12 20:41:24
門坂様
 「本能寺の変の講演たまわります」のページの「ぽんた」さんのコメントをご覧ください。岸村姓のことで問い合わせがあります。
http://blog.goo.ne.jp/akechikenzaburotekisekai/e/e997427e8fe4af2e00a8b86a96550d2e
返信する
真実はそうかな、と思います。 (上康人)
2014-07-13 19:58:46
「427年目の真実」読みました。
今、「431年目の真実」を読み始めました。
歴史に関する知識はほとんどありませんが、
以前から、足利将軍家の三代は義「満」で、
同じ源氏を名乗る徳川将軍家の三代は家「光」なのかしっくりしませんでした。
本に書いてある通り、あの時代からすれば、史上最大の謀反人光秀の「光」を将軍の名前にするというのはあまりにもおかしなことと思います。
今後の歴史推理を楽しみにしています。
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中国侵攻 (やすだ)
2014-07-13 20:13:09
天下統一したあと、さらに中国へ侵攻を考えていた信長、これはイエズス会と関係あるのではないでしょうか、火薬を売って儲けていたイエズス会が平和になると火薬が売れなくなって困る、信長をそそのかしてさらに戦争をやらせて儲け用としたのでは、秀吉の朝鮮出兵が失敗したのは、イエズス会が火薬を売るのをストップしたから、イエズス会にはめられたのではないでしょうか。
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謀反 (東原理子)
2014-07-15 21:24:44
組織への謀反に、憧れます。(笑)
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