本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

『本能寺の変 431年目の真実』文化人の書評

2015年08月12日 | 427年目からの挑戦
 >>> 『本能寺の変 431年目の真実』読者書評(No1~24)
 >>> 『本能寺の変 431年目の真実』政治家の書評
 >>> 『本能寺の変 431年目の真実』武将ご子孫の書評

 文化人の方々からの書評です。それぞれの方の視点が勉強になります。

【2015年8月12日追記】No9
 交通ジャーナリストの清水草一さんの公式ブログに書評をいただきました。「この本は劇薬でした」素晴らしいお言葉です。宣伝に使わせていただきたいですね。
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 衝撃を受けました。
 司馬史観にドップリ浸かった者に、この本は劇薬でした。なにしろ司馬先生の小説が脳内で歴史的事実になってしまっているので、あまりにも斬新!
 90%納得しました。いち歴史ファンとして、確かにそうなのかも! と思いました。
 ネタバレになるので中身は書きませんが、歴史ファンは若いうちに読んでおいた方がいいです

【2014年9月23日追記】No8
 「東奥義塾高等学校の公式ブログ」に取り上げていただきました。学校教育の場で「歴史に学ぶ」ことの事例に使ってくださったことは私の本懐を遂げたような感があります。若者の歴史離れは学校教育での暗記学化が原因といわれていますが、東奥義塾高等学校の歴史教育の姿勢に大拍手を送りたいと思います。
 長文ですので抜粋を掲載します。全文はここをクリックしてお読みいただけます。

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 明智光秀が主君・織田信長を暗殺した本能寺の変。今日でもこの真相にせまる取り組みは盛んに行われているが、近年発表された説に長宗我部元親が関与していたとするものがある。その一つとして数えられるのが本書『本能寺の変431年目の真実』である。(中略)
 本書のおもしろいところは歴史捜査という形をとった徹底した歴史検証にある。私は「歴史は真実(真相)を明らかにし、それらを基に未来を模索する学問」だと思う。真実(真相)でなければリアルな人間の心理や思想などが推察できるわけもなく、未来を考えることはできない。さらに私が考えるように「本当の日本人」を探ろうとしている者にとって、真実が見えなければ昔の本当の日本人を再現できない。(中略)
 ちまたで本書がベストセラーになっているのは、今まで歴史の通説がつくられてきた過程があまりにもずさんであったことが大きいのではないか。歴史を研究するということはどのようなことをすべきなのかを考えさせてくれる内容になっている

【2014年9月21日追記】No7
 「くにさん」の「スペーシャリストと語る」ブログでの書評です。スペシャリストではなくスペーシャリストです。スペーシャリストとは地理空間情報を扱う測量技術者のことで、くにさんは地球計測学の大家のようです。
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 掲題は文芸社文庫から出された本のタイトルである。著者は明智憲三郎氏で、明智光秀の子孫だという。 最近読んだ本の中でも謎解きのワクワク感を堪能させてくれた一冊だ。著者は、「慶應義塾大学工学研究科修士課程を終えた後、大手電機メーカーに勤務、情報システム分野で活躍」とカバーに書いてある。理工系の人であり、またその経験を活かしこれまでの文献はもとより武将たちの手紙、日記、和歌はじめ歴史資料を分析する、と言う形の「歴史捜査」(著者、本人がそう呼んでいる)を展開する。
 その結果は我々が教科書で習った、あるいは歴史小説で読んだ内容とは大きく異なる。これまでの文献は三面記事的な大衆受けする内容で書かれているものが多く、何時しかそれが歴史の定説になってしまっている。しかしそれは違うと、資料によって異なる差異をどちらが正しいか証拠と推理を交え捜査内容を明らかにしていく。
 そこに浮かび上がったのは光秀と家康は同盟を結んでおり「本能寺の変」が仕組まれていた、と著者は語る。織田信長の家康謀殺の企みと大陸進出の野望、光秀の土岐一族を再興するための宿願、秀吉の情報操作等々。捜査内容が明かされると「なるほど!」と、謎解きの展開にも納得させられる。この本はその連続、驚きの連続といってもいいだろう。内容の詳細は本書をぜひ手に取ってみてください。一読をお薦めします。

【2014年8月13日追記】No6
 歴史芸人・長谷川ヨシテルさんが2回にわたってつぶやいてくださいました。流石にいいところを突いています。『理系が文系に起こした「本能寺の変」』とは名言です。
 オフィシャルブログもあります。
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8月11日 1回目
 うそ!こんな時間かいな!面白すぎてぶっ通しで読んじゃいましたー!本能寺の変431年目の真実 明智憲三郎
 明智光秀の末裔が膨大な史料から読み解いたあの歴史的事件の真相とは!?
 まさか、そこにたどり着くとは…  これは必読です~
8月11日 2回目
 著者の明智憲三郎さんは歴史研究者とは明らかにアプローチが違う
 真相に迫る様子は、数学の先生が社会の先生に詰め寄ってる感じなんですが、経歴を見て納得~ この1冊、理系が文系に起こした「本能寺の変」である!

【2014年7月10日追記】No5
 現代日本女性俳句の第一人者とされる「鎌倉佐弓」さんのブログです。ご評価いただきありがとうございます
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 今、『本能寺の変 431年目の真実』を読んでいる。これがとてつもなく目を覚まさせられるような本なのだ。どこがすごいかというと、これまで歴史で習ってきた本能寺の変の真実を、当時書かれたさまざまな人の日記などから推理しているのだが、これがかなりの信憑性がある
 「本能寺の変」は織田信長が(織田氏の今後の繁栄をおびやかす脅威だった)徳川家康を、堺から本能寺に呼び寄せ、茶器など見せて隙を作らせ、明智光秀に討たせるつもりだった。それを明智光秀が、逆に早朝に出兵して、織田信長を討つ機会としたのがどうやら真相だったようだ。
 この時、明智光秀の計画を知っていたのは、家康、細川藤孝、秀吉の3名。歴史上、この事件を明智光秀ただ一人の犯行にしたのもこの3人。
 この3人のうち、キーパーソンは細川藤孝だと私は思ったのだが、明智光秀は昔、細川藤孝の家来(足軽?)だった。それが細川家の家老に嫌われて、織田の家臣になる。藤孝自身と光秀はうまが合ったようなのだが、やはり、ここは人間同士で、細川家来衆からは光秀は(そのとてつもない出世も含めて)よく思われていなかったようだ。最終的に秀吉が陰謀のすべてをつかむのは、この細川家を通してだった。
 細川藤孝の息子が細川忠興で、彼らはその後、秀吉、家康に厚遇されていったのは歴史の事実。
 私のあぶなっかしい説明より、ぜひぜひ本書を読んでほしい
 そういえば、先日、光秀の謀反?の原因の一つの長宗我部氏の文書が見つかったとかいうニュースがあった。もしかしたら、私が日本史の授業で習った定説がくつがえる日が本当にくるかもしれない。
 この作者の明智憲三郎氏は、明智残党刈りの手を逃れた光秀の子、おづる丸の子孫という。何という因果だろうか・・・

【2014年7月2日追記】No4
 国際問題や外交に関してコメントや予想を行う「勢力均衡」さんのブログです。こういう視点を持った読者にはピタリとはまります。日本史だけ、特に戦国史だけの視点で見ている読者がきちんと読んでいただければ「目から鱗」でしょう。
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 政治家の日記は基本的に自分の都合の悪いことは書かないし、本当に重大なことが起こった時はその部分を白紙にして何も書かないことがあるということを私は鳥居民さんの一連の本を読んで学びました。だから未来の研究者は政治家の日記を読む際には、書かれたことを「実証」するだけでは不十分で、何が書かれなかったのかを他の資料と付き合わせて「想像力」を働かせなければならないと鳥居さんは主張したのです。
 私はこの鳥居民さんの提言は永遠の真理だと思っていますが、その方法に限界があるとも思っていました。やはり、マス・メディアの発達した明治維新以後に限るのだろうと考えていたのです。
 しかしこの度明智憲三郎氏が書いた『本能寺の変 431年目の真実』を読んで認識が変わりました。明智氏は鳥居民さんと同じような手法を用いて本能寺の変の真実を明らかにされたのです。
 細かい部分は直接本を読んで確認して欲しいのですが、結論は簡単にいうと次のようなものです。
 信長は本能寺において光秀に命じて家康を殺させるつもりだったのですが、逆に光秀は信長を殺してしまうのです。
 こうなった背景には政策の対立があったと明智さんは主張しています。
 当時の日本を取り囲む情勢は「大航海時代」です。宣教師からの情報で世界がどのように動いているか戦国武将達ははっきりとした認識を持ち、それにどう対処するかで別れていくのです。
 光秀は信長の考えに危機感を持ちます。「長宗我部征伐から始まり、遠国への移封が続き、そして最後は中国大陸へ。この流れを何としても止めねばならなかったのである」
 イギリスの歴史家EHカーは「歴史は現在と過去の対話である」と言っています。明智さんの分析が説得力を持つのは現在の日本が光秀の時代と同じような課題を抱えているからです
 それは「グローバリズム」を巡る問題と一緒なのです。
 グローバリズムに賛成 信長、秀吉
 グローバリズムに反対 光秀、家康
 このように置き換えると、400年前も現在も日本は同じような国内闘争を経験しているのです。
 少し例をあげてみます。明智さんは光秀が山崎の合戦で敗れた理由を次のように指摘しています。
 「秀吉の中国大返しが光秀に敗戦をもたらしたが、突き詰めると摂津勢が秀吉に味方して光秀に敵対したことが光秀にとって最大の敗因になったのだ。オルガンティーノが高山右近に『何があっても光秀には味方するな』と書状を出したのが光秀の敗北を決定したのだ」
 現在でも欧米のマスコミはグローバリズムを推進した小泉政権をやたらと持ち上げて、ドメスティック派の政治家が大嫌いなのは400年前から何も変わっていないみたいです。
 私は現在の経済問題がエマニュエル・トッドが主張するように「肥大したグローバリズム」に問題があると思っているので、この本を読んで光秀に同情的になってしまいました。
 いずれにせよ大変面白い本なので読んでみてください。

【2014年6月11日追記】No3
 評論家の副島隆彦氏を御存知ですか?一言では表現しきれないかたのようです。その副島氏がメルマガに次のように書いています。お役に立てて光栄です。
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 私は、先週、4日間かけて、一冊の本を読みました。ものすごく勉強になりました。これで、日本の戦国時代ものの、歴史研究も、歴史小説が描き出す真実も、相当に進歩し、これまでの多くのウソの歴史書(ねつ造してきた古文書の数々。およびそれに加担してきた歴史学者たちの学問犯罪と責任)の悪が、満天下に、暴かれるでしょう。
 その本とは、『本能寺の変 431年目の真実』(明智憲三郎著 文芸社文庫、2013年刊、720円)です。この本は、すごい。私は、この本からものすごく重要な多くの真実を学びました。

【2014年4月20日追記】No2
 須藤元気さんが2014年4月18日22:53にツイートしてくださいました。
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 明智憲三郎氏の「本能寺の変431年目の真実」(文芸社文庫)かなり面白いよ。司馬遼太郎で歴史を学んだ僕としては目からウロコでした。

【2013年12月27日追記】No1
 拙著「本能寺の変 431年目の真実」のamazonカスタマーレビューに「感動の書評」が掲載されました。このようにインテリジェンスに富んだ書評はこれまで見たことがありません。その中で、研究資料としての価値をご評価をいただきました。
 さらに、このレビューコメントは拙著「本能寺の変 431年目の真実」批判(明智憲三郎批判)への見事な反論ともなっています。著者が言うよりもはるかに説得力があると思います。
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 明智氏の研究の特徴は、情報の4W1Hがしっかりしていること、つまり誰がどこで、いかなる情報をどのようにして知ったのか、そのプロセスのチェックを軸にしているところです。ご本人は「捜査」という言葉を使われていますが、伝統的には「認識論」と呼ばれる議論で、認識論的に吟味することで「誤った知識」と「正しい知識」を分けていく、本来の科学的姿勢を忠実に実行するものです。
 歴史関連の本には、ある史料が「権力者の書かせたもので信用できない」といいながら、筆者の主張も同じ史料を根拠にしていたりと、正直読むに耐えないものが多いですが(とくに古代史関連では)、本書はそうした凡百の本と一線を画するものです。その意味でこの本は、「研究」とは何かを知りたい大学生など、初学者にも有益でしょう。
 明智氏が「蓋然性の高い」と判断して最終的に提出した「仮説」を、「明智説」のように矮小化して取り出し、他の誰かも言っているとか、あるいは他のいい加減な説と並置して紹介したりするやり方では、この本の価値が損なわれることになります。批評をする人は、この本の史料批判と推論のプロセスにフォーカスすべきでしょう
 硬いことを書いてしまいましたが、研究にとってだけでなく歴史を生きる当事者たちにとっても、どんな情報をどのタイミングで手に入れ、自分の判断・行動に結び付けるのかはきわめて重要です。その意味で本書の描き出すドラマは、当時を生きた人々の緊張感が伝わってくるほど真実味のあるものでした。
 歴史には不可解な事件が数多くあります。その意味で「本能寺の変」という事件について、自分が生きているうちにここまで綿密な研究にふれることができて幸せ、と感じました。
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 『本能寺の変 431年目の真実』(文芸社文庫)
  発売半年で20万部突破!!

 
【文庫】 本能寺の変 431年目の真実
明智 憲三郎
文芸社

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2 コメント

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明智光秀公は信長の家臣ではなかった という本が出ています。 (GA)
2015-08-12 22:49:32
「明智光秀の乱―天正十年六月政変 織田政権の成立と崩壊 」小林 正信 (著)

光秀公は幕臣の進士氏(義輝の外戚)の出。信長は義輝の遺志を継いで幕府再興に尽力。義昭の出奔後も幕府の官僚機構は健在で光秀公は「政所執事格」として「副将軍格」の信長に協力。武田氏滅亡後、信長が幕府を見限り独自の政権構想を抱く。光秀公は幕府存続のため立ち上がる。山崎の合戦で、秀吉が幕府を滅ぼす。という流れです。

https://plus.google.com/111697666680065184984/posts/GE3AmRZMotJ

既出でしたらご容赦ください。


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読みました (明智憲三郎)
2015-08-13 09:50:01
 もちろん存じ上げています。光秀が信長に近江志賀郡を与えられるまでは足利義昭の家臣であったという解釈は私と同じです。それまでの幕府と光秀の関係には先祖からの深いつながりがあったと考える点でも私と同じです。よく調べられていると思います。
志賀郡という領地を与えられたことによって信長の家臣となったことは明らかです。 「進士氏の出」とするあたりからは推測が主で蓋然性が低いと思います。
 ただ、信長が光秀を重用した理由には、「何かまだ見えていないものがありそうだ」と私も考えております。それが「幕府機能の継承者」というのはひとつの仮説ではあると思います。
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