本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

本能寺の変:光秀冤罪説を斬る!

2013年05月14日 | 通説・俗説・虚説を斬る!
【2010年1月6日初稿 2013年5月13日追記】
         >>> 本能寺の変の定説は打破された

 本能寺の変については世の中に広く浸透しきっている通説(怨恨説・野望説)がある一方で、少数の信奉者が強固に信じている俗説、近年の研究者が提示してきた新説もあり、混沌とした状況といえます。
 私の本『本能寺の変 四二七年目の真実』は、この混沌を終わらせるターミネーターとして世に放ったつもりです。その確かさを確認するために、どの説も成り立たないことを丁寧に証明していく必要を感じました。

 そこで、このコーナーでは順にひとつづつ説を取り上げて、この作業をやっていこうと思います。
 やり方としては、次の4つの視点で確認していくことにします。
  ①動機       犯人に信長殺しの動機があるか
  ②犯行可能性   犯行を実行できる可能性があるかどうか
  ③関係者の証言  犯行を裏付ける証言があるかどうか
  ④本人の自白   犯人自身の自白があるかどうか
 以上は、おそらく現代の犯罪捜査でも同じ視点だろうと思います。

 まず、光秀冤罪(えんざい)説、つまり、光秀は犯人ではない。真犯人は別にいる、という説を斬ることにします。犯人は秀吉、という説を支持する人が意外に多いようです。次に家康。要は「一番儲けた奴を疑え!」という鉄則が頼りということでしょう。

 それでは4つの視点で確認してみましょう。
 1番目の動機は当時の武将であれば誰にでもあっておかしくありません。一族の存亡を懸けて必死に生きていたわけですから。しかし、朝廷やイエズス会は信長に庇護されていたのであって、彼らには動機はありません。この点の歴史認識を間違えた新説が唱えられているのは残念です。これについては別途、丁寧に斬ってみることにします。

 3番目・4番目の証言や自白は信憑性のある史料には一切確認できません。
 この点も弱点ですが、決定的なことは2番目の実行可能性がないことです
 光秀冤罪説では光秀軍は本能寺へ出頭しただけであり、信長を殺したのは先にやって来た別の部隊だとか、爆薬を爆発させたり、大砲を打ち込んだり、地下道に逃げ込んだ信長を蒸し焼きにしたりとかの話になります。
 しかし、光秀軍はその後、二条御所に立て籠もった織田信忠(信長の嫡男)を襲って討っています。本能寺へ出頭しただけの光秀軍が何ゆえに信忠を殺すのでしょうか? どうしてもこの説明がつきません。
 光秀が信忠の立てこもる二条御所で現場の指揮をとっていたことはイエズス会宣教師ルイス・フロイスの書いた『一五八二年日本年報追加』の記述にありますし、公家の勧修寺晴豊が顔見知りの光秀家臣井上某と話したという証言もあります(『天正十年夏記』)。
 また、光秀の兵が丹波亀山を出陣して本能寺へ討ち入った証言も記録されています(『本城惣右衛門覚書』)。彼が討ち入ったのが寝所であったため、既に信長は戦闘のために本殿へ移っていて寝所はもぬけの殻だったのです。その記述が「別の部隊が先に信長を殺していた」とする根拠に使われているのでしょうが、彼は間違いなく「本能寺にいる人物を討つため」に討ち入ったと証言しています。光秀軍が単に出頭するために本能寺へ来たのではないことは確かです。

 加えて、光秀自身が自分が謀叛を起こしたと自白した証拠もあるのです。吉田兼見という朝廷の勅使に今回の事変が自分の謀反だったと語った記録が証拠になります。
 詳しくは、以下のページをご覧ください。

  ★信長殺し、秀吉ではない! 
  ★信長殺し、光秀です!
  ★信長殺し、光秀です!(続き)

 ということで一件落着!!

 いやいや、光秀はそのとき光秀軍を統率していなかった。光秀軍を動かしたのは光秀家臣の斉藤利三。彼が真犯人だ、と唱える人もいます。

 おっ、これは論理的にありえるかも。光秀の重臣なら、光秀の名を語って光秀軍を動かすことができる!
 ということは、光秀冤罪説を「斉藤利三犯人説」に絞って継続捜査しないといけない、ということですね。これは面白いことになりそうです。何か手掛かりのある方は教えてください。

 ★ 斎藤利三犯人説を斬る! ←引き続き斬ってみました

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