本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

神田千里著『宗教で読む戦国時代』の歴史捜査

2012年10月18日 | 歴史捜査レポート
 信憑性ある史料をもとに歴史の通説を覆すという拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』と同様のアプローチの本に巡り合いました。
 神田千里著『宗教で読む戦国時代』(講談社、2010年)本体1600円(税別)
 著者は東洋大学文学部教授で専門は日本中世史(中世後期の宗教社会史)。
 本の帯に書かれている『戦国日本人の「見えない宗教性」を解明、なぜキリスト教は拒否されたのか。一向一揆は宗教一揆だったのか』がこの本の内容を端的に表現しています。
 読み終わって、目からうろこが落ちた感じです。一向一揆と島原の乱についての私のこれまでの知識は歴史の真実ではなく、通説に過ぎなかったのです。この感想は拙著を読まれた方の感想と共通するものがあります。本能寺の変と同様に江戸時代に書かれた物語が通説となり、歴史研究者が不用意にそれを踏襲して定説(歴史の常識)を作ってしまっているのです。そもそも「一向一揆」という言葉すら江戸時代になって初めて作られたものだという事実には驚きました。
 ★ 【ご参考】本能寺の変の定説の根拠を斬る

 本の内容についてはamazonの読者コメントなどを参考にしていただくか、読んでからのお楽しみにしていただき、本ブログでは私がなぜこの本に興味を持ったかを書かせていただきます。
宗教で読む戦国時代 (講談社選書メチエ)
神田 千里
講談社


 イエズス会宣教師のルイス・フロイスの書いた報告書などを読んでいて、どうしても疑問を覚えたのが「なぜ、当時の日本人はキリスト教に改宗したのか?」ということです。秀吉のバテレン追放令の時点で全国に30万人のキリシタンがいたといわれています。
 フロイスは布教にあたって多くの僧侶と宗論を戦わせています。その結果、キリスト教が仏教より優れていることが証明され、人々に受け入れられたと書いています。フロイスが優れているとして挙げている主な理由は次の二点です。
 1.仏教は人間(仏陀)の教えにすぎないが、キリスト教は神(デウス)の教えである。
 2.仏教(禅宗)では死後の世界は無であるが、キリスト教では来世がある。
 これを読んでも私は釈然としません。この説明で当時の人々はキリスト教が優れていると納得できたのでしょうか?
 恐らく大友宗麟などのキリシタン大名はポルトガルとの貿易による実利を得たいため、領民はキリシタン大名からの行政指導があったためというのがキリスト教入信の基本的な理由だろうとみています。
 とはいえ、細川ガラシャの入信のいきさつをフロイスの『日本史』で読むと、このような実利的な理由ではなく、やはり心の問題があったようにみえます。私の前述の理解は当時の状況をよく理解していない現代人の発想の域を出ていないとも思え、当時の実情をもっと深く知りたいのです。

 歴史の真実普及活動を行っていると、現代人が現代人の感覚で四百年以前の戦国時代の人の心を勝手に判断してしまっている例が実に多いことに気が付きます。歴史に学んでいるのではなく、自分の経験を投射したものを歴史と勘違いして満足し、歴史に学んだ気になっているのです。
 たとえば、本能寺の変に関しては次のような例があります。
●光秀謀反の動機は秀吉との出世競争に負けたためである!
 これは現代のサラリーマン社会の論理です。一族郎党・子子孫孫の生存・繁栄という重い責任を負って生きていた戦国時代の武将の論理からはおよそかけ離れています。出世競争に負けたから退社するといった軽いレベルで、謀反という失敗すれば一族郎党滅亡のリスクを負った重い決断をするはずがありません。
●織田信長が徳川家康を討つはずがない!
 本能寺へ攻め込んだ兵士が「皆、信長の命令で家康を討つものだとばかり思っていた」と書き残している事実に対して、四百年後の現代人がなぜ「あり得ない!」と言い切れるのでしょうか?信長という天下統一を目指す当代一の武将の考えることをすべてお見通しできるほど、戦国時代の武将の戦略・戦術にたけているのでしょうか?自分のレベルに当時の武将を引きずり降ろして、自分の器に押し込めて判断するのは、はなはだ不遜な態度であり、歴史に学んでいるのではなく、自分の経験を投射しているだけに過ぎません。
 史実の積み上げの結果として出てくる答ならば納得できますが、初めからこのような前提を設定してかかる態度は歴史の真実を探求する態度とはいえません。もし、仮に信長が10年前に死んでしまっていたとしたら、おそらく「信長が将軍足利義昭を追放するはずがない」、「信長が比叡山を焼打ちにするはずがない」、「信長が譜代の重臣・佐久間信盛を追放するわけがない」とおっしゃるのではないでしょうか。
 ★ 【ご参考】藤本正行氏「光秀の子孫が唱える奇説」を斬る

 著者・神田千里氏は『宗教で読む戦国時代』の序で次のように書いています。
 現代でこそ、戦争ないし武力行使が否定すべき行為であることは、少なくとも日本人の間では自明の了解事項であるが、戦国時代では大名にとっても庶民にとってもその戦争が、皆がその過酷な実態に怯えながらも、当然ありうべき行動の選択肢の一つだった。
 戦国時代や戦国武将を考えるとき、こういった時代認識は最低限、不可欠だと思います。信長にとっての「家康討ち」も光秀にとっての「信長討ち」も選択肢の一つだったのです。

 さて、私の疑問「なぜ、当時の日本人はキリスト教に改宗したのか?」の答は見つかったのでしょうか?
 神田氏の本には、キリスト教流入のはるか以前から日本には天道(てんとう)の概念が一般的であり、当時の日本には天道思想が浸透していた、それを基本に置いた仏教とキリスト教の教えには類似性が高く、かつ当時(秀吉のバテレン追放令以前)の日本では信仰の自由が常識だったことが書かれています。つまり、当時の日本人にとってキリスト教に改宗することの精神的な敷居は現代人が想像する以上に低かったと考えられます。
 これがすべての答ではないでしょうが、答のひとつではあると思います。

 そういえば、私が子供のころには祖母から「けんちゃん、おてんとさまが見ているよ!」とよく言われたものです。おてんとさまが具体的に何であるか理解できませんでしたが、太陽のように天の高い所からずっと見ている「絶対的な正しいもの」が存在すると感じていました。それが私の倫理観を形成したと思います。現代の子供たちには「おてんとさま」がいるのでしょうか?

 なお、高橋裕史著『イエズス会の世界戦略』と合わせて読むと歴史を表と裏の両面から見ることができて面白いかもしれません。

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 『本能寺の変 四二七年目の真実』のあらすじはこちらをご覧ください。
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本能寺の変 四二七年目の真実
明智 憲三郎
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