久々にコクーンへ行って参りました。作:秋元和代、演出:蜷川幸雄、劇中歌:美空ひばりの「元禄港歌」。
ぽとり、ぽとりと降ってくる椿の花が印象的。あの存在しない椿は一体何なのでしょうねー。私は花が落ちるたびに「もう引き返せない。取り返しがつかない」という焦りのようなものを感じてたのですけども。
ストーリーはメロドラマのようでありながら、段田さんが「出会いから真実を知るまで」の「飛躍」と仰るように、無駄をそぎ落とした力強さがありました。物語の元型を見ているような気がするというか。クライマックスに向かってぐいぐい進んで行くの。
猿之助さんは大女優のような風格がありましたねえ。女優さんと一緒に舞台に立っても違和感無いんだもん、凄いな女方って。糸栄は白狐に例えられてましたが、確かにどこかこの世のものでない雰囲気ありました。色々なことを経験して、全部飲みこんで、そこにいる。
対照的に、飲み込めずに血を流し続けている母親が新橋耐子さん演じるお浜。やっぱり同じ女性として、彼女のこれまでの何十年とかをつい思ってしまいますね。
宮沢りえさんは初めて生で拝見しましたけど、やっぱり美人さんですわー。声があんなに綺麗だなんて、今まで気づかなかった。鈴木杏さんも、登場時のあの歌声で劇場がパッと明るくなりますよね、だから余計に最期が痛ましいです。高橋一生さんの万次郎も、アホぼんと見せかけて実は色々考えてるし屈折もしてる感じが素敵でした。猿弥さんも格好良かったなあ。まあ諸悪の根源なのですけども。
このお芝居、座頭は猿之助さんですけど(そしてこの面子の中で座頭出来るって凄いんじゃ…)、主役は段田安則さん演じる信助ですよね。彼はずっと自分はここにいて良いのか、という違和感と言うか心もとなさを感じながら生きてきたんだろうなあ。それにしても宮沢りえさんの恋人で猿之助さんの息子、という設定で無理が無いのですから、段田さんお若いわ~。
今回澤瀉屋の役者さんが沢山拝見できたのも嬉しかったです。猿三郎さんが糸栄の手を引いてあげるの何かいいなあとか、段之さんが糸栄の三味線を片付けるのが番頭さんなんだけどちょっと後見さんみたいとか、郁治郎さんて上半身脱いでること多くない?とか。
ぽとり、ぽとりと降ってくる椿の花が印象的。あの存在しない椿は一体何なのでしょうねー。私は花が落ちるたびに「もう引き返せない。取り返しがつかない」という焦りのようなものを感じてたのですけども。
ストーリーはメロドラマのようでありながら、段田さんが「出会いから真実を知るまで」の「飛躍」と仰るように、無駄をそぎ落とした力強さがありました。物語の元型を見ているような気がするというか。クライマックスに向かってぐいぐい進んで行くの。
猿之助さんは大女優のような風格がありましたねえ。女優さんと一緒に舞台に立っても違和感無いんだもん、凄いな女方って。糸栄は白狐に例えられてましたが、確かにどこかこの世のものでない雰囲気ありました。色々なことを経験して、全部飲みこんで、そこにいる。
対照的に、飲み込めずに血を流し続けている母親が新橋耐子さん演じるお浜。やっぱり同じ女性として、彼女のこれまでの何十年とかをつい思ってしまいますね。
宮沢りえさんは初めて生で拝見しましたけど、やっぱり美人さんですわー。声があんなに綺麗だなんて、今まで気づかなかった。鈴木杏さんも、登場時のあの歌声で劇場がパッと明るくなりますよね、だから余計に最期が痛ましいです。高橋一生さんの万次郎も、アホぼんと見せかけて実は色々考えてるし屈折もしてる感じが素敵でした。猿弥さんも格好良かったなあ。まあ諸悪の根源なのですけども。
このお芝居、座頭は猿之助さんですけど(そしてこの面子の中で座頭出来るって凄いんじゃ…)、主役は段田安則さん演じる信助ですよね。彼はずっと自分はここにいて良いのか、という違和感と言うか心もとなさを感じながら生きてきたんだろうなあ。それにしても宮沢りえさんの恋人で猿之助さんの息子、という設定で無理が無いのですから、段田さんお若いわ~。
今回澤瀉屋の役者さんが沢山拝見できたのも嬉しかったです。猿三郎さんが糸栄の手を引いてあげるの何かいいなあとか、段之さんが糸栄の三味線を片付けるのが番頭さんなんだけどちょっと後見さんみたいとか、郁治郎さんて上半身脱いでること多くない?とか。