プロジェクト○川

学生に本を読んでもらおうという,ただそれだけのはずでした

本の整理

2024年03月18日 | 本の話
そんなわけで、ゼミ室の本の整理をしていました。

基本的には図書館に「返す」ことになるのだけれど、スペースがないという理由でほとんど死蔵、あるいは処分されてしまうらしい。

少し前に一般論として報道があったけれど、うちも書籍については、除却して外部に出すことは一切しない方針です。

(ほんの)一部とはいえ、税金を投入されて購入したものが古書市場に流通することがあってはいけない、という理由らしい。処分はOKというところに「バレなきゃいい」がある気がしないでもないが、要は批判を避けるという、現代(日本?)的な対応なのでしょう。

それはわからないでもないのだけれど、本が処分されることは承服しがたいので、学内で図書登録を引き継いでくれる人を探して、交渉(というか売り込み)に力を入れたり…それで、片付けが遅れて、いまは大変なことになっているんだけどね…。

さて、本の整理をしているのに、それを読まないということはあり得ない。特に、古い対談本での発言を読んで、その後と照らし合わせるのはけっこう面白い。

斎藤 その部分はまさに動物化してしまっていて、内省できなくなっているわけですね。僕のような神経症的な主体でも(笑)、ネット上のセキュリティに関しては、ほとんど自動的に無自覚になってしまう。例えばメールだって、厳密に考えるなら、それほど信頼できるものではないわけでしょう。それでも日常的に頻繁に使っている。そのへんの信頼が何から来ているのかということもあるのですが、一つ言えることは、サイバー空間はしばしば密室的なイメージを伴うということです。先ほど言った九五年の「InterCommunication」 誌での座談会でも出てきた話ですが、どういうわけかサイバー空間というのは他者性が抹消されてしまう空間で、だからこそフレーミングがあっさり起こってしまったりとか、妄想=分裂態勢みたいなことになってしまって、相手のことを考えずに果てしなく攻撃的になってしまう。サイバー空間は、広大な空間というイメージとは別に、そこに没入していくときには非常に閉鎖された二者関係しかないような空間になってしまって、 第三者が見張っているという意識が働きにくい。

東 そのとおりですね。 それこそ、日記サイトや匿名掲示板の悪口がなぜあれほど腹が立つのかというと、それだけが存在するような錯覚がしてしまうからなんですね。ネット上にはそれ以外にもたくさんの意見があるはずで、そんなものは気にしなくてもいいのだけれど、変な錯覚が入り込んでしまう。
(斎藤環『メディアは存在しない』、大澤真幸・東浩紀との鼎談、p.283)

『メディアは存在しない』は2007年出版で、この鼎談が行われたのはもう少し前のはず。この頃に「なぜあれほど腹が立つのか」がもっと突き詰められていたら・・・と思っちゃうよね。

僕らが「授業評価アンケート」を読むときにも、批判的なコメントがあると、客観的には「ある一人の意見」だと思いつつ、やはり強く受け止めてしまう。

北田 「競争するとスーパー日本人が育つ」っていう理論をお持ちらしい。

五野井 そのスーパー人材を作るには、やはり教育にある程度の投資をしなければいけないわけで。
今は、競争を勝ち残った者だけがとりあえず生き生きと活躍せよという方針ですね。これは勝ち残らなかった人は敗北感を抱いてテロリスト化する危険性も孕む。警察や自衛隊の任官制度は多く採用して不適格者を振り落としていく方式ですけども、訓練された警察なり自衛隊なりに反感を抱いている人を民間に大量放出しているわけです。 また勝ち残った側もウィリアム・ゴールディングの『蝿の王』みたいにウルトラにギスギスした人を生み出します。
(北田暁大・白井聡・五野井郁夫『リベラル再起動のために』、毎日新聞出版、p.85)

こちらは2016年出版。この本を読み返すことはあまりお勧めしませんが、「訓練された警察なり自衛隊なりに反感を抱いている人を民間に大量放出している」ことの帰結(のひとつ)を知ってから読むと、ここで指摘されている問題の大きさを実感できてしまう。

養老 もうひとつは、やはりシステムです。日下公人さんがおっしゃっていたのですが、阪神大震災の後に経済的に興味深かったのは、あれだけの建物損壊の後で人件費も機材費用も一切値上がりしなかったというのです。普通だったら、今までだったら、ああいった大地震があったらそのあとの建築ラッシュで、木材の値段が上がって人手不足になって手間賃が上がってとなるはずなのに、それが一切上がらなかったというのです。つまり、建築業に関しての日本経済は、徹底的な供給過剰だったというわけです。

内田 へえ、そうだったんですか!

養老 供給能力がありすぎて、あれだけの地震でもなんなく対応できてしまう。だから、高層マンションがボコボコと建つのは、あれくらい建てなくちゃ今のシステムが動かないということでしょう。
(養老孟司・内田樹『逆立ち日本論』、新潮選書、p.154)

「供給能力がありすぎ」た頃を、こんなに早くに懐かしむことになるとは…と思うと、なんともトホホな(昭和感!)感じです。

(公開し損ねてた…。)
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 報告 | トップ | ではまたどこかで »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

本の話」カテゴリの最新記事