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●壊憲: 「憲法を「変えない」という重み」と「「政治家が「戦争のできる国」を志向し、その言葉の軽さ」

2015年05月04日 00時00分40秒 | Weblog


東京新聞の社説【戦後70年 憲法を考える 「変えない」という重み】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015050102000167.html)と、
記事【<集団的自衛権 言わねばならないこと> 日常に戦争の狂気】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015050202100008.html)。

 「憲法は永遠に「不磨の大典」たり得ませんが、これまで変えなかったことにも意味があります。戦後七十年、私たちの憲法は重大な岐路に立っています・・・・・・平和憲法をつくり、七十年近く改正しなかった先人の選択の重さを今こそ深く考えるべきではないか。それが戦後七十年の節目を生きる私たちの使命と思うのです」。
 アベ様ら自公議員、壊憲派の翼賛野党議員、彼ら、彼女らのの「軽さ」「薄っぺらさ」よ。

   『●「日本最大の右派組織とされる「日本会議」」:
          「ネジレ」を取り戻すためのステップを阻むもの

   『●「小さく産んで大きく育てる」:
       「環境権」で小さく産み、「九条壊憲」へと大きく育てる

   『●テレ朝問題: 「これは圧力です」なんて答える訳がない! 
            「私は辞める」なんて考える訳がない!!
   『●「政治の堕落」: 上から目線で「力のある者が、
     自分の意を通すだけの政治なら、民主制など空虚な看板」

   『●「主権在アベ様」=「地域住民ごときが文句を言うのは
             許されないというのが安倍政権の立場」

   『●「過去への眼差し」無きアベ様、
        「ああ、安倍談話さえなかったら!」を心配する

   『●類は「ト」を呼ぶ、朱に交われば「ア」になる
        ~三原じゅん子議員「八紘一宇」予算委発言~

   『●メルケル独首相のニッポン右傾化への牽制発言は
        「三原議員の耳にはナ~ンも届いていなかった」

   『●「薄っぺらで反知性的なタカ派」的・独善的
             首相戦後七十年談話など、全く不要

   『●「俺様王国」ニッポン、「俺様王国」大阪「ト」を
             造りたい強権的政治手法好きな二人


 「米軍基地との共存を強いられてきた沖縄には、戦争の狂気がいつも日常と隣り合わせにあります」。
 「政治家が「戦争のできる国」を志向し、その言葉の軽さが目立つ」・・・・・・。そんな政治家が壊憲へと暴走し、高江辺野古で好き放題にニッポンを破壊している。
 「憲法を「変えない」という重み」と「「政治家が「戦争のできる国」を志向し、その言葉の軽さ」。

   『●「現実の戦争を知るベテランジャーナリスト」
            石川文洋さんの言葉に耳を
     「「どんな大義を振りかざそうとも、戦争は殺し合いに他ならない
      戦場では、殺すか殺されるか。だからこそ、そんな状況を
      つくってはいけない」・・・・・・では、どうすれば戦争を
      防ぐことができるか。「戦争の実態を知り、悲劇を想像する力を
      持つこと」と説く」」。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015050102000167.html

【社説】
戦後70年 憲法を考える 「変えない」という重み
2015年5月1日

 憲法は永遠に「不磨の大典」たり得ませんが、これまで変えなかったことにも意味があります。戦後七十年、私たちの憲法は重大な岐路に立っています。

 ワシントンの米下院議事堂に安倍晋三首相の登場を告げる声が響きました。米議会での首相演説。日本の首相としては吉田茂岸信介池田勇人三氏に次いで五十四年ぶり四人目ですが、上下両院議員が一堂に会する合同会議での演説は初めてです。

 「希望の同盟へ」と題された演説は、英語で四十五分間行われました。出席議員や傍聴者が総立ちで拍手を送る場面も十数回あり、おおむね好意的に受け止められたようです。


9条に普遍の価値観

 首相の演説は、米国と戦火を交え、和解した歴史を振り返り、戦後日本がアジアの繁栄に貢献した意義を強調し、未来への希望を語るものでした。

 その中で、首相はこう語っています。

 「アジアの海について、私が言う三つの原則をここで強調させてください。第一に、国家が何か主張するときは、国際法に基づいてなすこと。第二に、武力や威嚇は自己の主張のため用いないこと。そして第三に、紛争の解決は、あくまで平和的手段によること」

 このくだりは、東シナ海や南シナ海で海洋進出の動きを強める中国をけん制したものですが、何かに表現が似てはいませんか。

 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又(また)は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」

 そう、憲法九条第一項です。九条に込められた理念は、今でも国際的に通用する「普遍の価値観」にほかなりません


侵略戦争をしない決意

 首相は真珠湾、バターン、コレヒドール、珊瑚海と、日米両軍が激しい戦火を交えた戦場を列挙して「歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです」と振り返り、犠牲者を悼みました。

 そして「戦後の日本は先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました」と表明しました。

 日本人だけで約三百十万人が犠牲になった過酷な歴史です。戦後日本は二度と侵略戦争をしないと反省し、その決意を書き込んだ新憲法は一九四六年十一月に公布、翌年五月に施行されました。

 当時は連合国軍の占領下です。新憲法に日本の非武装化、民主化を目指す米国の意向が色濃く反映されていることは間違いありません。それが「押し付け憲法論」となり、改憲派が改正の必要性を主張する理由にもなっています。

 ただ、それは歴史の一側面にすぎません。五二年の独立回復後、六十年以上たちます。その間、憲法改正の機会は幾度となくあったにもかかわらず、国民はそのような選択をしませんでした。

 今の憲法は、押し付けられたというよりは、国民が長い年月をかけて選びとった、といえるのではないでしょうか。

 国際情勢の変化で自衛隊という実力組織を持つに至りましたが、海外で武力の行使をしない「専守防衛」に徹しました。日本は再び戦火を交えず、軍事上の脅威にもなりませんでした。平和国家の経済的繁栄は、九条の効用です。

 しかし、この憲法が今、重大な岐路立っています。

 一つは、政府が昨年七月の閣議決定で憲法解釈を変更し、それまで違憲としていた「集団的自衛権の行使」を認めたことです。

 他国同士の戦争への参加を認めるこの新しい解釈に基づき、米国との間で「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」の再改定に合意、今月中旬には安全保障関連法案を国会に提出します。自衛隊の役割を大幅に拡大し、活動地域も地球規模に広げるものです。「戦争法案」とも呼ばれます。

 もう一つは、憲法改正に向けた動きが大型連休明けに本格化することです。首相にとって改憲は祖父・岸元首相以来の悲願です。国会も、衆院では与党が改憲の発議に必要な三分の二以上の多数を占めます。来年の参院選で勝利し、二〇一七年の通常国会での改憲発議を目指しています


◆アリの一穴にはするな

 自民党はまず環境権など九条以外の条項から改正発議を提起する腹づもりのようですが、改正しなければ、国民の生命や権利を守れない切迫した事情があるとは到底考えられない他条項の改正を九条改正に向けた「アリの一穴」としてはなりません

 平和憲法をつくり、七十年近く改正しなかった先人の選択の重さを今こそ深く考えるべきではないか。それが戦後七十年の節目を生きる私たちの使命と思うのです。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015050202100008.html

<集団的自衛権 言わねばならないこと> 日常に戦争の狂気
2015年5月2日 朝刊

◆沖縄の基地に反対する 高里鈴代さん

 米軍基地との共存を強いられてきた沖縄には、戦争の狂気がいつも日常と隣り合わせにあります。

 米兵による性暴力の歴史は、一九四五年三月の米軍上陸に始まり、今日に至っている。島ぐるみの県民大会に発展した九五年の少女暴行事件も、二〇〇八年に十四歳の少女が暴行された事件も、その中で起きている。

 駐留米兵の罪の意識や人権感覚のなさはもちろんですが、戦場に行っては、その狂気を宿して帰還してくることが無関係ではない。

 那覇市の婦人相談員だった八〇年代、相談に訪れる女性の何人もから米兵に突然、首を絞められ殺されそうになったことがあると聞いた。泥沼化したベトナム戦争(七五年終結)のころの米兵は暴力の塊でした。貧困から米兵相手の店で働くしかなかった女性、民間に職場が少ないために基地で働いていた女性が被害に遭っていた。沖縄の女性は、性暴力と戦場の狂気におびえながら生きなければならなかったんです。本土の方には想像できない現実がありました。

 米兵の犯罪を許してきた背景には日米地位協定がある。入国チェックが適用されない米兵は透明人間のようなもの。基地がある限り、不平等協定は残り、沖縄の人権は回復されません

 私たちは戦後ずっと、基地問題に振り回され、貧困や教育など人々の生活の課題に力を振り向けられずにきました。反基地運動は時間も労力もお金も重すぎる負担です。でも、負けられません。

 辺野古(へのこ)に恒久的な新基地をつくらせないということは、次の世代に暴力を引き渡さないということなんです。日本が米国と一緒に戦争をする国になるのは認められない。戦場のような日常を終わらせなければなりません。

<たかざと・すずよ> 1940年生まれ。基地・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表。強姦救援センター・沖縄(REICO)代表。元那覇市議。
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