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日々の思いをたまに綴るブログ。名無しさんは原則コメント非承認です。

村山治、松本正、小俣一平『田中角栄を逮捕した男 吉永祐介と 特捜検察「栄光」の裏側』(朝日新聞出版、2016)感想

2016-11-02 08:36:33 | 事件・犯罪・裁判・司法
 地元の本屋でたまたま本書を見かけ、興味をもって購入した。
 吉永祐介(1932-2013)については、ロッキード事件やリクルート事件の捜査を指揮し、後に検事総長を務めた人物として、名前ぐらいは知っていたが、どんな人物かはまるで知らなかった。
 本書は、NHKの小俣、朝日新聞の松本、毎日新聞から朝日新聞に転じた村山の3人の元検察担当記者による鼎談によって、吉永を中心に特捜検察の歴史を描いたもの。朝日新聞のウェブサイト「法と経済のジャーナル」に連載されたものをベースに新たな取材や鼎談を追加して再構成したものだという。

 なお、吉永祐介の「吉」の字は正しくは「士」の部分が「土」、「祐」の字はへんの「ネ」が「示」のはねがない形であり、本書でもそうなっているのだが、パソコンでの表示の便宜上「吉」「祐」を用いる。

 吉永個人だけでなく、ロッキードとリクルートの両事件を中心に、特捜検察の歴史がバランスよく語られている。鼎談なので読みやすい。

 読んで強く思ったことが2つある。
 1つは、ロッキード事件の頃は、検察とマスコミが協力的な関係にあり、また裁判所も検察寄りだったのだということ。
 例えば、後に問題となる嘱託尋問調書について、村山、松本両氏はこう語っている。

村山 刑事免責は当時の日本では認められていませんでした。それで得た供述証拠は、裁判所が証拠採用しないのが常でした。検察と裁判所は「掟破り」をした疑いがありました。ところが、この異例の措置を、ほとんどのマスコミは「真相解明には必要な手続きだ」と受け止め、むしろ、検察や裁判所の背中を押す論陣を張ったのです。
松本 嘱託尋問で免責を与えて供述を得ることについて、検察が危ないことをやっている、という論調は当時、どのマスコミにもなかったのではないでしょうか。むしろ、やるべきだという論調が支配的で、裁判所もそれに敏感に対応したという感じがあります。新聞がそろってあのような論調をとったのは、法の適正手続きを遵守することによって生じるマイナスを考えた、裏返して言えば、法的には踏み外すことにはなるが、それによって得られる公益、ロッキード事件の真相解明によってもたらされる公益の方が格段に大きいと判断したのだと思います。(p.75)


 ロッキード事件とは、そのような「判断」によって検察、裁判所、マスコミが連携し、さらに首相もそれを政治的に利用するという状況下で捜査が行われた特異な事件だったということなのだろう。

 もう1つは、先に述べたこととも関連するが、マスコミと検察がひどく密接な関係にあったということへの驚きだ。
 例えば、朝日の社説が検察の方針を変えたという事例が紹介されている。
 ゼネコン汚職で中村喜四郎衆議院議員への疑惑が取り沙汰されたが、小俣氏は、中村はやらない方針だと吉永から聞き、そのような記事を書いた。ところが後日、一転して中村事件をやることになったと吉永から電話で聞かされた。困惑した小俣氏は直接吉永のところへ出向いて事情を聞いた。すると吉永は、
「いや、朝日新聞が社説で書いただろう」
「最高検の上層部は朝日の社説に引っ張られるんだよ」
「朝日に出るのは、ほかの新聞に出るのと違うんだ」
と述べたという。

小俣 吉永さんは、中村事件について、あっせん収賄での立件はだめだ、受託収賄の筋が出ないから、もうだめだ、と言っていたんです。俺が判断したからだめなんだ、と明言していたんです。いったんは、立件見送りに傾いていた。ところが、話が違ってきて、中村喜四郎代議士を3月11日にあっせん収賄容疑で逮捕したんです。
 松本さんに聞きたいのは、中村喜四郎事件のときの吉永さんと朝日新聞の社説との関係です。吉永さんの言う朝日新聞の社説は、94年2月6日付の「検察は歴史に堪える決着を」です。それを吉永さんが読んで捜査方針が変わった。それは明らかです

 社説が吉永さんを中村議員摘発に動かす

村山 あの社説は、実は、松本さんが、元司法記者クラブキャップで論説副主幹だった佐柄木俊郎さんに書いてもらったものですよ。その経緯は、そばで見ていたからはっきり覚えています。
 特捜現場は、中村さんをあっせん収賄罪で起訴できると意気込んでいる。ところが、吉永さんは消極的。どうするか〔中略〕。
 松本さんが「吉永さんは気が小さいから、朝日の社説が尻をたたけば、やる気になる」と読んで、佐柄木さんに頼みに行った。そうしたら、その通りになった。松本さんの戦略眼はたいしたもんだ、と思いましたよ。
 〔中略〕
松本 もう記憶にはほとんど残っていないのだけれど、そう言われると確かに、そういうことはありました。こちらもあのときは勝負をかけていました。(p.272-273)


 さらに、こんな発言もある。

小俣 この事件は、吉永さんは「朝日新聞が世論だから」と明確に言ったのです。それが強烈な印象として残っています。。あの頃の朝日新聞だったから、そう言われても、強く反論せず納得したのだと思います。今の朝日新聞なら「そんな馬鹿な」とひっくり返せるんですがね。
村山 ロッキード事件のところでも話しましたが、検察首脳は、朝日新聞の社説をよく見ているんです。
小俣 重要なことは、吉永さんが「朝日新聞が世論だ」と言ったことです。「新聞はたくさんある。どうして朝日新聞が世論なんですか」と問い詰めたが、答えはなかった。
 笑ってしまったのは、社説が検察に対して影響を持つのを生まれて初めて知ったことです。ある全国紙の論説副委員長だった人に言わせれば、「社説というのは、だいたい書き方があって、〔中略〕それに入れ込めば、誰でも難なく書ける」と。
 そういうものが、検察に対して威力を持つなんて信じられなかったけど、朝日新聞のその社説は、乾坤一擲の威力だったわけです。 今のマスコミがだめなのは、社説を含めてそういう影響力を、国家権力ないし、その末端の機関に対し、持ちえなくなったこと。ジャーナリズムの力がこの20年の間に衰退したと言えますね。社説を書いて捜査機関が動いたのは、吉永さんの時代が最後だったのかもしれませんね。


 また、吉永が東京高検検事長から検事総長に就任した際に、後任の東京高検検事長には根来泰周が就いたのだが、吉永の前任の岡村泰孝検事総長と吉永との間に、吉永の後任の総長には根来を就けるとの密約があったという。
 しかし、小俣氏と松本氏はその約束を反故にするよう吉永に働きかけたのだという。何故なら、根来には「政界と親密で、検察現場の捜査を牽制する悪い法務官僚というイメージがあった」(p.287)からだ(村山氏はこれについて異論を述べている)。
 小俣氏は、

 吉永さんが、そろそろ後任の総長を決めなければならないタイミングで、私に「事件もやったし、総長もやったし、もう根来に代わろうか」って言ったことがあったんです。私は、「なに馬鹿なこと言ってるんですか。検察現場立て直しのために吉永総長を応援してきたマスコミの面目が立たないじゃないですか」と言って慰留しました。(p.296)


と述べている。
 結局、吉永は総長を定年前に退官することはなく、先に検事長として定年を迎えた根来が退官し、次期総長には吉永と同じく現場派である土肥孝治が就いた。

 こういうことがあるのなら、マスコミ人が自らの言論で天下国家を動かす感覚になるのも当然だろうなと思った。

 3人は、単に吉永をほめたたえるだけではなく、批判もしている。
 例えば、小俣氏は、こんなエピソードを紹介している。
 1993年のゼネコン汚職事件の捜査で、応援検事が事情聴取した参考人に暴行を加えるという不祥事があった。
 このとき、法務省刑事局長の則定衛氏が、検事総長だった吉永に、被害者にお詫びに行ったらどうかと進言したところ、吉永がひどく怒っていたという。
 吉永の理屈は、総長が謝罪すればそれは検察全体が謝罪するということであり、暴行に関係ない者まで謝罪することになるという、理解しがたいものだったという。
 そして、則定氏に対して「真っ当な感覚の人」だと感心したという(p.261)。

 また、マスコミは検察をチェックする機能を十分に果たしてこなかったのではないかという反省も見られる。

 しかし、本書の基本的なトーンは、吉永は優れた捜査官だった、マスコミもよくやったという回顧談である。
 ロッキード事件やリクルート事件の捜査や報道は本当に正しかったのかと検証する姿勢はほとんど見られない。

 小俣氏は「ジャーナリズムの力がこの20年の間に衰退した」と述べているが、私には、社説が捜査に影響を及ぼすことがなくなったのなら、むしろそれがマスコミと捜査機関との健全な関係ではないかと思える。

 いろいろと疑問に思う点はあるのだが、ともあれ、当時を知る上で興味深い発言は数多い。
 戦後政治に関心のある方には、一読を勧めたい。

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国籍法14条違反判明を受けて――蓮舫氏の二重国籍騒動に思う(2)

2016-10-19 08:28:41 | 事件・犯罪・裁判・司法
 前回の記事をアップしてから3週間ほど経った。
 私は、前回に引き続いて、この国籍法第16条違反の件について、さらに記事を2本準備していたのだが、パソコンが突然壊れ、ハードディスクにもアクセスできなくなり、原稿を失ってしまった。
 修理に出したが結局直らず、新品を購入した。

 そうこうしている間に、この蓮舫氏の二重国籍疑惑はさらに進展し、国籍法第16条の外国国籍離脱の努力義務違反ではなく、そもそも第14条の日本国籍選択の宣言がなされていないのではないかと指摘されるようになった。
 蓮舫氏はこの点についてしばらく明らかにしなかったが、10月15日の記者会見でようやく、このたび日本国籍選択の宣言をしたと説明するに至った。

 このように事態が変わったので、予定していた国籍法第16条の件ではなく、蓮舫氏の第14条違反について、今思うことを少し書いておく。

 BLOGOSに転載された民進党広報局の記者会見記事の該当部分は次のとおり(太字は引用者による。以下同じ)。

 問 昨日、金田法務大臣が台湾当局が発行した国籍喪失認可証は戸籍法106条にもとづいて受理していないと言っているが現状について。

 答 国籍法14条に基づいて国籍を離脱しなければいけないと、私の場合は父が17歳の時にすべての作業を終えたと思いこんでいたのでその作業は終わったと思っていた。一部指摘をされて確認をしたところ、台湾の籍が残っていたので、国籍法14条に基づいて、戸籍法106条に基づいた届け出をした。籍を抜けたので、それを届けることによって、2つの国籍の問題を解消させようと思った。ところが弁護団の報告をまとめて聞いたが、台湾の籍を抜けた証明書は不受理とされた。受け付けてくれなかった。父が台湾出身でそれ自体が複雑なんだが。法律に則って考えると籍が抜ける制度がある国の証明書は受け付けてもらえると思っていたので、不受理だということでどうすればいいかと相談したところ、強く後段の部分の選択の宣言をするようにと行政指導されたので、戸籍法104条(の2)に則って、選択宣言をした。


 参考に、国籍法と戸籍法の関連条文を挙げておく。
 国籍法第14条。

(国籍の選択)
第十四条 外国の国籍を有する日本国民は、外国及び日本の国籍を有することとなつた時が二十歳に達する以前であるときは二十二歳に達するまでに、その時が二十歳に達した後であるときはその時から二年以内に、いずれかの国籍を選択しなければならない。
2 日本の国籍の選択は、外国の国籍を離脱することによるほかは、戸籍法の定めるところにより、日本の国籍を選択し、かつ、外国の国籍を放棄する旨の宣言(以下「選択の宣言」という。)をすることによつてする。


 戸籍法第104条の2と第106条。

第百四条の二 国籍法第十四条第二項 の規定による日本の国籍の選択の宣言は、その宣言をしようとする者が、その旨を届け出ることによつて、これをしなければならない。
2 届書には、その者が有する外国の国籍を記載しなければならない。

第百六条 外国の国籍を有する日本人がその外国の国籍を喪失したときは、その者は、その喪失の事実を知つた日から一箇月以内(その者がその事実を知つた日に国外に在るときは、その日から三箇月以内)に、その旨を届け出なければならない。
2 届書には、外国の国籍の喪失の原因及び年月日を記載し、その喪失を証すべき書面を添付しなければならない。


 蓮舫氏の二重国籍疑惑が指摘され始めた頃、池田信夫氏は、蓮舫氏は日本国籍の選択をしたが、その後台湾籍を放棄していないのは二重国籍で、「結果的には違法状態」であり、「二重国籍を長く続けていると日本国籍を失うこともある」と書いた。
 そこで私は、この問題について最初に書いた記事で、日本国籍選択後の外国国籍放棄は努力義務にすぎないし、その外国の公職に就かなければ日本国籍を失うこともないと書いた。

 しかしその後、この二重国籍疑惑を指摘する人々は、第16条の外国国籍離脱の努力義務ではなく、第14条の国籍選択の宣言の有無を問題視するようになったらしい。
 どういう経緯で彼らの論調が変化したのか、私は、彼らの発言をtwitterのタイムラインで流れてきたものを見る程度にしか知らないので、よくわからないのだが。

 そして、この問題は、10月4日に自民党の小野田紀美参院議員が、わが国と米国の二重国籍の状態にあり、米国籍の放棄手続きを進めていると明らかにしたことを経て、とうとう国会の場で自民党議員が蓮舫氏を追及するに至った。
 産経新聞のサイトの10月13日付の記事はこう報じている。

 13日の参院予算委では、自民党の三原じゅん子氏が、外国籍の離脱手続きは国籍法上の努力義務規定だが、国籍選択は「義務手続き」と指摘した。その上で「蓮舫氏はいつの時点で日本国籍を選択したか明らかにしていない。閣僚や首相補佐官になる前に宣言を行ったのか明らかにしないのなら大問題だ」と述べ、証拠となる戸籍謄本の公開を求めた。


 確かに、第14条違反なら、私が前回の記事で書いた第16条のように努力義務ではなく単なる義務であるから、その不履行は「違法」と言える。

 しかし、これは三原議員の言うように「大問題」なのだろうか。
 私にはそれほどの問題とは思えない。

 重国籍者が国籍を選択をせずに放置すればどうなるか。
 法務大臣は、選択をしない者に対して、選択するよう催告することができる
 国籍法第15条にこうある。

第十五条 法務大臣は、外国の国籍を有する日本国民で前条第一項に定める期限内に日本の国籍の選択をしないものに対して、書面により、国籍の選択をすべきことを催告することができる。
2 〔略〕
3 前二項の規定による催告を受けた者は、催告を受けた日から一月以内に日本の国籍の選択をしなければ、その期間が経過した時に日本の国籍を失う。ただし、その者が天災その他その責めに帰することができない事由によつてその期間内に日本の国籍の選択をすることができない場合において、その選択をすることができるに至つた時から二週間以内にこれをしたときは、この限りでない。


 しかし、この催告は、2009年5月12日の衆議院法務委員会における法務省入国管理局長の答弁によると、それまでに行われたことはないのだという。
 おそらく、現在でもそうではないだろうか。

 そして、蓮舫氏が法務大臣の催告を受けたとも聞かない。

 日本国籍がなければ日本の国会議員にはなれないのだから、仮に蓮舫氏が法務大臣の催告を受ければ、当然1か月以内に日本国籍の選択をするだろう。
 催告を受けていないのなら、二重国籍がそのままになるだけで、それによって日本国籍を失うことはないし、国会議員を失職することももちろんない。

 重大な案件だと指摘する国会議員をほかにも見たが、重大でも何でもない。

 公職選挙法の経歴詐称や旅券法の虚偽記載を指摘する声があるようだが、これらの法律違反は、故意がなければ成立しない。蓮舫氏が、自身が二重国籍であるとの認識がありながら、それを隠していたと、何をもって言えるのだろうか。
 認識があった証拠としてタレントやキャスターの時代の発言が挙げられているようだが、前回も述べたように、あんなものに証拠としての価値があるとは思えない。少なくとも裁判の場では、よく知らずに話してしまったと弁明されればそれまでだろう。

 これも前回述べたが、蓮舫氏は単に、わが国の国籍制度について十分に理解していなかっただけではないかと思える。

 そして、蓮舫氏が日本国籍を取得したときに、係官から、国籍の選択が義務づけられていることの説明はあったのだろうか。
 仮にあったとしても、蓮舫氏はそれを理解できたのだろうか。
 理解できたとしても、それをその後20年以上にわたって記憶していたのだろうか。
 そんな疑問も浮かぶ。

 また、国や市区町村は、この二重国籍の解消に努めてきたのだろうか。
 戸籍法にはこんな条文もある。

第百四条の三 市町村長は、戸籍事務の処理に際し、国籍法第十四条第一項 の規定により国籍の選択をすべき者が同項 に定める期限内にその選択をしていないと思料するときは、その者の氏名、本籍その他法務省令で定める事項を管轄法務局又は地方法務局の長に通知しなければならない


 蓮舫氏は日本国籍取得後、日本国民と結婚しているから、その際「戸籍事務の処理」が行われているはずである。
 そのときに、市区町村の事務担当者は、国籍選択がなされていないことに気づいて、それを法務局に通知する手続きをとったのだろうか。

 通知があったとしても、法務省が催告をしていないことは先に述べたとおりだが、催告にまで至らなくとも、今回蓮舫氏が記者会見で述べたように、「行政指導」することはできたはずである。
 それを知りながら敢えて放置していたということはないのだろうか。

 二重国籍など、わが国において、その程度のものでしかなかったのではないだろうか。

 私は、この問題について最初に書いた記事のタイトルを「蓮舫議員の二重国籍疑惑はネットデマでは?」とした。

 結果的には蓮舫氏は二重国籍状態であったわけで、その点についてはデマではなかったことになる。

 しかし、日本国籍選択後に台湾籍を離脱する義務があり、離脱しなければ「違法」だという池田氏と八幡和郎氏の主張はデマだった。
 その点について、彼らは何か反省を示したのだろうか。

 そして、その後問題にした第14条違反についても、まだデマを述べているようだ。
 例えば、池田氏は10月3日付のアゴラの記事で、こう述べている。

このように日本の国籍法はややこしく、彼女のような間違いが多い。戸籍謄本で国籍選択を「宣言」しても、アメリカ大使館に行って国籍放棄の手続きを完了しないと正式の「日本国民」になれないという国籍法の規定にも問題があるが、これは代行業者に頼めばできることで、小野田氏の過失責任まぬがれない。


 「正式の「日本国民」になれない」などという国籍法の規定はない。日本国籍選択の宣言の後の外国国籍の法規は努力義務にすぎず、それを果たさずとも「正式の「日本国民」」であることに何ら変わりはない。

つまり蓮舫氏は意図的な二重国籍であり、それを隠していた疑いが強い。彼女が戸籍謄本を公開すれば、疑いは晴れる。自民党の1年生議員が出せたものを、民進党の代表が出せないことはあるまい。ここで何も出さないと、国籍選択の宣言をしないで(日本国民にならないで)選挙に立候補したと解釈せざるをえない。これは国籍法14条違反なので、原口元総務相のいうように、当選無効になる可能性がある。


 国籍選択の宣言をしなくても、日本国籍を取得している以上、日本国民であることに変わりはない。上で述べたとおり、法務大臣の催告を無視しない限り日本国籍を失うことはないし、それだけでは当選無効にもならない。

 だから、「ネットデマでは?」の記事を訂正する必要はない(14条違反だったという点については追記する)と考えているし、その記事の結びで述べた、

《八幡氏や池田氏らはこの蓮舫議員の対応を自分たちのネット言論の勝利だと考えるのかもしれないが、私には、先のビジネスジャーナルの虚報にも似た、ネットメディアの信頼性を失わせる実に愚劣な騒動だったと思える。》

との認識にも変わりはない。

 そういえば、上の蓮舫氏の記者会見での質問にあるとおり、14日に金田勝年法務大臣が、一般論として、台湾の国籍喪失届はわが国では受理していないと述べたという。
 14日付の時事通信の記事より。

金田勝年法相は14日の記者会見で、民進党の蓮舫代表が「二重国籍」解消のために行ったとしている手続きに関し、「一般論として、台湾当局が発行した外国国籍喪失届(国籍喪失許可証)は受理していない」と指摘した。

 蓮舫氏は13日の会見で「戸籍法106条にのっとって適正に手続きしている」と説明している。106条では、二重国籍を持つ人が相手国の発行した国籍喪失許可証を提出すれば二重国籍を解消することができるが、日本政府は台湾を正式な政府として認めておらず、許可証を受理していない

 許可証が受理できない場合は、同104条に基づき、日本国籍だけを所有する意思を宣誓する「国籍選択宣言」を日本政府に提出する必要がある。法務省は台湾籍を離脱する場合、同宣言の提出を求めている

 国籍選択の宣言をすれば、手続きした日付が戸籍に明記されるが、蓮舫氏は戸籍謄本の公開に応じていない。蓮舫氏の事務所は「本人がいないので分からない」としている。


 私は、この問題について最初に書いた記事で、池田氏や八幡氏が蓮舫氏に要求していた台湾の国籍離脱証明書について、

《そもそも、中華民国の国籍離脱手続を取れといったって、わが国はその中華民国を国家として承認していないのである。そんなものに何の効力があるのだろうか。》

と書いた。
 そのとおりだったではないか。

 あのとき、いや台湾の国籍離脱証明書はわが国において有効だとしたり顔で主張していた人々がいたが、彼らはこの結果にどう反応するのだろうか。

 何とも思わずに、次の話題に飛びつくだけだろう。

 あと、私を蓮舫氏の擁護論者の一人に挙げている人がいたが、以前にも書いたように私は蓮舫氏の支持者でも民進党の支持者でもないし、蓮舫氏を擁護するために一連の記事を書いているのではない。
 
 私がこの問題について記事を書き始めたのは、義務のないことを義務があるとし、日本国籍を失わないのに失うとする池田氏や八幡氏の主張はデマであり、デマがまかりとおるのはよろしくないと考えたからだ。
 あと、出自によって人を非難するという手法が気に入らないということもある。

 この件で蓮舫氏がどうなろうと知ったことではないし、問題化以降の彼女や民進党の対応を見ていると、全く擁護する気になどなれない。

 私のような国籍法の素人でも、条文を読めば、国籍選択がなされているのか否かがいずれ問題になるだろうことはわかる。
 なのに、法的に何が問題になっているのか、どうすれば解決できるのかを的確に判断し、それに向けて事態を動かそうとしない。ただただ、その場しのぎの対応しかできていなかったように思う。
 蓮舫氏個人にそれを求めるのは酷としても、彼女の事務所なり民進党なりにそれができるスタッフがいない。
 池田氏、八幡氏らに指摘されるがままに台湾に国籍離脱を届け出て、離脱証明書を取り寄せて、それを提出して不受理とされるなんて、これが一度は政権を担当した政党(正確にはその後身だが)のやることだろうか。
 私は現在の国籍制度についてさほど問題はないと考えているが、民主党は2009年のマニフェストで、重国籍の容認に向け国籍選択制度を見直すとうたっていたというのだから、この問題を逆手にとって、制度見直しを提言するといったことぐらいできなかったのか。

 「今の段階で政権交代って、まだ言えない」とは蓮舫氏が先の党代表選で述べたことだが、本当にこんなことでは再び政権を任せられそうにい。
 もともと前身の民主党の時代からそう上等な政党ではなかったと思うが、下野後、さらにレベルが落ちているのではないか。
 今回の騒動に何かしら意義があったとすれば、彼らのそうした無能さを明らかにしたことだろう。

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パソコンが壊れました

2016-09-28 12:30:17 | 身辺雑記
復旧までブログは休止します。
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努力義務違反は「違法」か――蓮舫氏の二重国籍騒動に思う(1)

2016-09-25 09:30:24 | 事件・犯罪・裁判・司法
 私は、先々週の記事で、池田信夫氏は蓮舫氏が日本国籍を選択したときに中国籍を離脱しないと二重国籍になり「結果的には違法状態だ」と述べているが、国籍法が定める日本国籍選択の方法には「日本の国籍を選択し、かつ、外国の国籍を放棄する旨の宣言」もあり、これをしているのであれば外国国籍の離脱は義務づけられていないから、「違法状態」とは言えないのではないかと書いた。
 そして、国籍法第16条で「選択の宣言をした日本国民は、外国の国籍の離脱に努めなければならない」とあるからこの問題は残るが、これはいわゆる努力義務規定であり、罰則もないと書いた。

 ところが、この第16条について、努力義務が定められているのだから、努力していなければそれは法律違反であり、罰則があろうがなかろうが「違法」なのだ、という見解があった。

 私は少しばかり法律の知識はある人間だが おそらく法律の知識がほとんどなく 単なる日本語の文章としてのみ法律の条文を読もうとする方とは、かくも認識に断絶が生じるものかと辟易した。
(あるいは、知識があっても、敢えてそういう読み方をしているのかもしれないが)

 確かに、条文には「外国の国籍の離脱に努めなければならない」と書いてある。
 だから、単なる日本語の文章としては、「努め」ていないのならそれは法律違反、つまり違法ではないかと読み取る人がいるのは一応理解できる。

 しかし、一般に法律の世界では、努力義務違反を違法とは言わない。
 例えば、学生や一般学習者向けの『デイリー法学用語事典』(三省堂、2015)で「努力義務」を引くと、

違反しても罰則その他の法的制裁を受けない作為義務・不作為義務のこと。法文上は「~するよう努めなければならない」などと規定される。努力義務に違反した場合でも、違法とはならない。〔後略〕


と明記している(引用文中の太字は引用者による。以下同じ)。

 「定評ある法律事典の最高峰」と帯でうたう『法律学小辞典』(有斐閣、第5版、2016)で引くと、もっと慎重な書きぶりをしていて、

 法律において、規制の対象者に「~するよう努めなければならない」と定められている場合、そこで定められている義務をいう。努力義務は、その義務違反に対して罰則などの法的制裁が課されず、また私法上の効力もない。ただし、行政指導の対象となることはある。努力義務が用いられる理由は多様であるが、規制を強制するになじまない事項の場合、あるいは、強制することが時期尚早な場合に用いられることが多い。


と書かれている。

 努力義務が法律に書かれている以上、それは書かれていない状態と同じではない。あってもなくても社会的に同じというわけではない。それは確かだ。
 わが国は「国籍唯一の原則」を採っているのだから、日本国籍の選択後も、できるならば外国籍をきちんと離脱しておくにこしたことはない。しかし外国籍の離脱はその国が決める問題であり、わが国が強制できるものではない。そうした理由で、この条文が設けられているのだろう。
 行政指導はできるのだから、法務省が、日本国籍選択後も外国の国籍を離脱していない者に対して、離脱していませんがどうなってるんですかと声をかけることはぐらいのことはできるのだろう。
 だが、それでも当人が応じなければそれまでである。何の強制力もない。それでその者の日本国籍の維持が揺らぐこともない。
 そして、そもそもわが国は、そうしたかたちの重国籍者を把握していない。
 その程度のものとして法が定めているのだから、二重国籍を問題視する人々が気に入らなかろうがしかたがない。それが気に入らないのなら、国籍法の改正を志向すべきであり、義務のないことを蓮舫氏に強要するのは筋違いというものだ。

 もっとも、それ以前に、蓮舫氏が外国の国籍を離脱していないことを認識していたかという問題があるのだが。
 まずはその認識がなければ、努力義務もへったくれもない。
 認識があった証拠として、過去の諸発言が挙げられているようだが、タレントやキャスターの時代のあんなものに証拠としての価値があるのか極めて疑問である。少なくとも裁判の場では、よく知らずに話してしまったと弁明されればそれまでである。
 そもそも氏はわが国の国籍制度について十分に理解していなかったのではないか。

 ところで、努力義務は、国籍法に限らず、さまざまな法律に設けられている。

 例えば、「酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律」というのがあるのだが、これには

(節度ある飲酒)
第二条  すべて国民は、飲酒を強要する等の悪習を排除し、飲酒についての節度を保つように努めなければならない。


という条文がある。
 私は、人に飲酒を強要はしないが、自分ではほぼ毎日飲酒している。
 家人から休肝日を設けるよう忠告されても、どこも悪くないのだからと拒否している。
 これは、「節度を保」った飲酒とは言えないような気もするのだが、だからといって、私は「違法」行為を犯していると社会的に非難されなければならないのだろうか。

 住民基本台帳法には、

(市町村長等の責務)
第三条  〔中略〕
3  住民は、常に、住民としての地位の変更に関する届出を正確に行なうように努めなければならず、虚偽の届出その他住民基本台帳の正確性を阻害するような行為をしてはならない。


という条文があるのだが、18歳選挙権で住民票を移さずに下宿している学生が投票できないとして問題になったように、住民登録を厳密に届けていない国民は大勢いる。
 彼らは皆「違法」だと社会的に非難されなければならないのだろうか。

 水道法は、

(責務)
第二条  〔中略〕
2  国民は、前項の国及び地方公共団体の施策に協力するとともに、自らも、水源及び水道施設並びにこれらの周辺の清潔保持並びに水の適正かつ合理的な使用に努めなければならない。


と定めているが、私は風呂の自動湯はり機能を使うときに、風呂の栓を忘れて水をムダづかいしてしまったことが一度ならずある。
 これもやはり「違法」だと社会的に非難されなければならないのだろうか。

 児童福祉法には、

第二条  全て国民は、児童が良好な環境において生まれ、かつ、社会のあらゆる分野において、児童の年齢及び発達の程度に応じて、その意見が尊重され、その最善の利益が優先して考慮され、心身ともに健やかに育成されるよう努めなければならない。


とあるのだが、そんな高尚かつ細かいことまで意識して生活している国民はそう多くないように思われるし、少なくとも私には「努め」ている自覚はない。
 だとすると、これも「努め」ていないからやはり「違法」になるのだろうか。

 わが大阪府の青少年健全育成条例は、

(府民の責務)
第七条 府民は、深い理解と関心をもって青少年の健全な育成に努めるとともに、青少年の健全な成長を阻害するおそれのある社会環境及び行為から青少年を保護するよう努めなければならない。


と定めている。
 何だか大きなお世話のような気もするのだが、これも、そんなふうに「努め」ずに漫然と日々を送っている私は、責務を果たしていないから大阪府民失格なのだろうか。

 蓮舫氏が努力義務違反であり「違法」だと非難する人は、世にあまたある努力義務の全てを果たしている自信があるのだろうか。
 そんな自信がある人だけが、氏を非難する資格があるのではないだろうか。
 今回の騒動を見て、そんな屁理屈の一つもつぶやきたくなった。

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当ブログでのコメントの取扱いについて

2016-09-24 23:50:12 | このブログについて
 先月あたりからコメントをいただくことが少し増えました。

 3年ほど前にも書いたことですが、だいぶ経ったので改めて書いておきます。

(1) コメントは事前承認制です

 私が操作しないと公開されません。
 公開に値しないと私が判断すれば公開しません。

(2) 「名前」はなるべく入れてください

 識別のため、コメントフォームの「名前」欄には何かしらハンドルネームを入れていただきたいと考えています。
 ただ、ハンドルネームが書かれているからといって、公開するとは限りません。

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 このブログを始めた頃(もう10年以上になりますね)とはネットの状況も様変わりしてしまい、隔世の感があります。
 時々休んでいますが、まだ続けるつもりです。

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女性天皇禁止は差別ではないのか

2016-09-22 11:14:02 | 天皇・皇室
 だいぶ前に書きそびれていたこと。

 今年3月7日、国連の女子差別撤廃委員会が発表した日本に対する最終見解には、慰安婦問題についての昨年12月の日韓合意を批判する内容が含まれていると報じられ、問題となった。
 そしてその直後、最終見解の案には、天皇が男系男子に限られていることをも問題視する記述があったが、日本政府の抗議により最終見解からは削除されたと報じられた。
 朝日新聞デジタルの記事より(以下、引用文中の太字は全て引用者による)。


国連委見解当初案、皇室典範見直し要求 皇位継承めぐり
2016年3月9日11時36分

 国連女子差別撤廃委員会が7日発表した日本に対する最終見解の案に、皇位を継げるのは男系男子のみとして女性天皇を認めない皇室典範を問題視し、見直しを求める内容の記述があったことが、外務省関係者への取材で分かった。日本政府が抗議し、実際の最終見解では該当部分は削除された。

 見解案は先週末、委員会が日本政府に提示した。2月に行われた日本に対する審査会合では、皇室典範が議題にならなかったことから、日本政府はジュネーブ代表部を通じて「審査で議論されていない内容を最終見解に盛り込むのは、手続き上問題がある」などと抗議。委員会は最終的に皇室典範に関する記述の削除に応じたという。

 菅義偉官房長官は9日の記者会見で「我が国の皇室制度も歴史や伝統が背景にあり、国民の支持を得て今日に至っている。皇位継承のあり方は女子に対する差別を目的としておらず、委員会側が皇室典範について取り上げることは全く適当ではない」と語った。


 紙面での扱いはそれほど大きくなかったと思う。
 私は当時これを読んで、国連の委員会が問題視しようとしたのは女性天皇の是非であり、女系継承ではなかったのだと理解した。

 その後、twitterで、この国連の委員会が女系継承を問題視しようとしたのはわが国の伝統の否定でありケシカランとの趣旨のツイートを見て、女系継承ではなく女性天皇ではないですか、歴史上女性天皇は実在しますがとリプライを送ったところ、委員会は女系継承をも問題視していると産経新聞の記事の呈示を受け、私は調査不足を謝罪した。
 産経新聞の記事は次のとおり。

【国連女子差別撤廃委】
男系継承を「女性差別」と批判し、最終見解案に皇室典範改正を勧告 日本の抗議で削除したが…

 国連女子差別撤廃委員会が日本に関してまとめた最終見解案に皇位継承権が男系男子の皇族だけにあるのは女性への差別だとして、皇室典範の改正を求める勧告を盛り込んでいたことが8日、分かった。日本側は駐ジュネーブ代表部を通じて強く抗議し、削除を要請。7日に発表された最終見解からは皇室典範に関する記述は消えていた。

 日本側に提示された最終見解案は「委員会は既存の差別的な規定に関するこれまでの勧告に対応がされていないことを遺憾に思う」と前置きし、「特に懸念を有している」として「皇室典範に男系男子の皇族のみに皇位継承権が継承されるとの規定を有している」と挙げた。その上で、母方の系統に天皇を持つ女系の女子にも「皇位継承が可能となるよう皇室典範を改正すべきだ」と勧告していた。

 日本側は4日にジュネーブ代表部公使が女子差別撤廃委副委員長と会い、皇位継承制度の歴史的背景などを説明して「女子差別を目的とするものではない」と反論し削除を求めた。副委員長は内容に関する変更はできないが、日本側の申し入れを担当する委員と共有するなどと応じたという。7日の最終見解で皇室典範に関する記述が削除されたことについて、委員会側から日本政府への事前連絡はなかった。

 皇室典範に関しては、2月16日の対日審査だけでなく、日本政府が昨年9月に提出した報告でも触れていない。過去の最終見解でも言及されたことはない。外務省によると、2003年7月の対日審査で、皇太子ご夫妻の長女、愛子さまが女性天皇になる道を開くために「皇室典範の改正を検討したことがあったか」との質問が出たことがあっただけだという。

 〔後略〕


 当時、この問題に触れたツイートを当時いくつか見たが、ふだん、まっとうな論説を展開していることの多い方が、概して反発を示しているのに私は驚いた。
 確かに、国民がさまざまな女性差別で難儀しているのを批判するというなら、まだわかるが、国の君主の継承方法についてどうこう言われても、大きなお世話だという気がしないでもない。

 しかし、女系継承を認めるかどうかはともかく、女性天皇の禁止については、差別か差別でないかと問われれば、差別といっていいのではないだろうか。
 何故なら、言うまでもなく、わが国には8人10代の女性天皇がいた。伝統に照らして、女性天皇は何ら禁じられた存在ではなかった。
 それを明治の藩閥政府が旧皇室典範を定める際に勝手に禁止したのである。
 このことは以前にも少し書いたが、もう一度挙げておく。
 鈴木正幸『皇室制度』(岩波新書、1993)はこう述べている。

 皇室典範制定までの皇室諸法案には、典範最終案にみられないいくつかの特徴があった。そのひとつが譲位の規定である。
〔中略〕
 もうひとつは、「皇室制規」〔引用者註:宮内省が立案した典範の草案〕では、女帝・女系帝を認めていたことである。「(皇位は)皇族中男系絶ゆるときは、皇族中女系を以て継承す」(第一条)、「皇女若(もし)くは皇統の女系にして皇位継承のときは其皇子に伝え、若し皇子なきときは其皇女に伝うる」(第七条)とあった。また、「女帝の夫は皇胤にして臣籍に入りたる者の内、皇統に近き者を迎うべし」(第一三条)という規定もあった。
 井上はこれを批判する。第一に、「我が国の女帝即位の例は、初めは摂政に起因せし者にて、皆一時の臨朝」にすぎないとして、前例を否定した。そして第二に、「王位は政権の最高なる者なり。婦女の選挙権を許さずして、却て最高政権を握ることを許すは理の矛盾なり」とした。そして女系帝については、女帝の皇子は女帝の夫の姓を継ぐものであるから、皇統が他に移ることになると批判したのである。そしていう、「政事法律百般の事は尽(ことごと)く欧羅巴に模擬することも可なり。皇室継統の事は祖宗の大憲の在るあり。決して欧羅巴に模擬すべきに非ず」と(「謹具意見」)。
 井上の強い批判をうけて、「帝室典則」以後の案には女帝と女系帝の規定は出現しない。〔中略〕成立した「皇室典範」ではその第一条に、「大日本皇位は祖宗の皇統にして男系の男子之を継承す」とうたわれた。(p.56-57)


 井上毅が女帝否定の根拠として挙げている「皆一時の臨朝」とは、いわゆる中継ぎとして即位した例を指しているのだろうが、確かに中継ぎの例はあるものの。そうではない女帝もいる。また、「初めは摂政に起因せし者」とはどういう意味だろうか。神功皇后が摂政と呼ばれたことを指すのだろうか。しかし普通神功皇后は天皇には数えないし、最初の女帝である推古天皇には摂政の経験はない。推古天皇を聖徳太子が摂政として補佐したことを指すのだろうか。よくわからない。
 第二の根拠、「婦女の選挙権を許さずして、却て最高政権を握ることを許すは理の矛盾」については、確かに明治時代はそうだったのだろうが、こんにち婦女の選挙権も被選挙権も認められて久しいのだから、何の根拠にもならない。
 また、女帝の皇子は女帝の夫の姓を継ぐものであるから、皇統が他に移るという批判は、当時一般に男子がイエを継ぐものとされていたからだろう。
 ところが、こんにちイエ制度はない。そして、夫婦は結婚に伴いどちらかの姓を名乗るとされている。ならば、女帝がその父の姓を継いだと考えれば、皇統が他に移るということにはならない。
 (そもそも皇室に姓はないのだから、姓を云々すること自体がおかしいのだが)

 したがって、ここで井上が挙げている理由はいずれも、明治時代の社会を前提とした話であって、こんにち通用する話ではない。
 未だに男系男子に固執する人々は、きっと頭の中が百数十年前と同じなのか、自分が暮らしたこともないそうした社会を理想化しているのだろう。

 鈴木氏は続いて、女帝、女系帝についての民間での議論もこう紹介している。

 女帝については、すでに民間でも議論のまとになっていた。自由民権結社で、のちにその幹部が立憲改進党結成に参加した嚶鳴社は、「皇室制規」立案に先立つ一八八二(明治一五)年一月、「女帝を立るの可否」と題する討論を行ない、三月から四月にかけて東京横浜毎日新聞紙上にその内容が連載されたのである。
〔中略〕
 この討論に参加した論者は八名、女帝を否とするものは発議者の島田三郎、益田克徳、沼間守一であり、可とするものは。肥塚竜、草間時福、丸山名政、青木匡、波多野伝三郎であった。
 この討論で冒頭、島田三郎が、女帝を否とする論拠として、つぎの三点をあげた。第一に、過去の女帝〔中略〕は、明正を除き、いずれも皇子が帝位につくまでのいわば中継ぎであり、ヨーロッパの女帝制とは本質が異なるものであること。第二に、日本は男尊女卑の国柄であるから、女帝の夫は人臣でありながら女帝の上に位置するようにみられ、かえって皇帝の尊厳を損ずるうえ、しかも日本では外国の王族と結婚するわけにもいかないこと。第三に、女帝の夫が暗に女帝を動かして政治に干渉する弊もおこりうること。こうして論争がはじまった。
 論争の主要な争点は男女の地位の問題に関わっていった。草間は、島田の論は「猶お亜細亜の僻習中に迷うて、男を人とし、女を獣として、女子の権利を破らんとする」ものだと正面から反論した。しかし、こうした論者は意外に少ない。女帝を可とする論者でも、「男女の間に同等の権を立んと云うにあらず」として、日本は男尊の風習があるから男を先にすべきだが、女帝の風習もあったのだから否定すべきではないとか(肥塚)、皇帝は雲の上の人だから、人民の間に男尊女卑の慣習があっても、女帝の尊厳が損なわれることはないとか(波多野)、消極的な論が中心であった。
 女帝賛成論者は、自由民権運動家らしく、立憲政治との関係で自説を主張したものがめだつ。たとえば、島田が女帝の夫が政治に介入する弊を云々したことに対し、肥塚や草間は、君主独裁国ならばともかく、これから日本がめざす立憲国にあっては君主は憲法にしたがって政治を行うのであり、内閣の大臣の意見を無視して政治を行うことはできないからその心配はないと主張した。
 女帝が臣下の夫を迎えるのが問題であるならば、外国の王室と結婚する途もあるではないかという論点も登場した。〔中略〕
 この討論は、採決の結果、女帝を可とするもの八名、否とするもの八名の賛否同数であった。結局、議長権限で女帝は否となったが、しかし、少数ながら男女同権論が存在したことといい、女帝論者が半数いたことといい、さらには外国王族との婚姻を認める発言といい、今日からみても驚くほど自由な議論が展開されたことは注目すべきであろう。そして国家の側における皇室法案のなかにも女帝や譲位を考えも存在していたことは、明治国家草創期に特有の秩序観の多様性を示していたといえよう。(p.58-60)


 やはり、「日本は男尊女卑の国柄」といった主張があったことがわかる。
 男系男子による継承は伝統によるもので、男尊女卑とは関係ないといった主張をする方がいるが、大嘘である。

 私は、伝統はどうであれ、男系男子継承では側室制度を設けるなどしない限りいずれは行き詰まるのだから、女系継承を認めてもいいのではないかと思っているが、その点は置くとしても、前例のある女性天皇や女性宮家をも男系派が拒絶するのは理解できない。

 さて、わが国はこの国連女子差別撤廃委員会の動きに対して、皇位継承制度の歴史的背景などを説明して「女子差別を目的とするものではない」と反論したというが、差別を目的としていなければ、差別ではないのだろうか。

 かつての在日外国人に対する指紋押捺制度や、らい予防法は、別に差別を目的としたものではないだろう。指紋は本人識別のため、強制隔離は感染防止のために必要だと考えられたにすぎない。
 しかし、どちらも、対象とされた側からは差別と受けとめられ、批判が高まり、廃止されるに至った。
 差別を目的としていないからといって、それが後の世で差別にならないとは言えない。

 女性天皇禁止が女子差別を目的としていないとしても、それが結果として女子の社会進出の障害になっているということはないのだろうか。
 国のトップが男性に限られているということは、女性が各分野のトップに立つことに全く影響を及ぼしていないと言い切れるだろうか。
 私は、心理的な影響は決して低くはないように思う。

 今年1月に台湾で蔡英文総統が誕生したとき、私は、ああわが国は後れをとってしまったと思った。

 これまでにも、アジアで女性が国のトップに就くことはあった。スリランカのバンダラナイケ首相をはじめ、フィリピンのコラソン・アキノ大統領、パキスタンのベナジル・ブット首相、インドネシアのメガワティ大統領、韓国の朴槿恵大統領等々。
 しかし、彼女らは男性政治家の妻や娘といった親族関係にあったことがきっかけで、政治家になったのだ。
 だが、蔡英文氏は違う。

 女性であれば誰でもいいわけではもちろんない。
 しかし、アジアでは民主制の先進国であったわが国に、未だに女性のリーダー一人誕生していないというのは、後進性の現れと見られはしないか。
 そうした、女性のリーダーを輩出しがたい社会の有りように、女性天皇の禁止が影響しているとは考えられないか。

 「男尊女卑の国柄」などという言葉が公然と語られた時代に、典範の制定者たちが女性差別を「目的」としていたはずはない。
 それは、その社会において当然のことだったからだ。
 だが、こんにち、男尊女卑が社会的に許されないのもまた当然のことだ。

 皇室典範の改正は、そうした観点からも論議されるべきだろう。
 明治時代に許されていた「驚くほど自由な議論」がこんにち許されないはずはない。
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生前退位をめぐる男系論者の主張を朝日新聞で読んで

2016-09-19 13:37:45 | 天皇・皇室
 9月10日と11日の土日連続で朝日新聞は、天皇の生前退位をめぐる男系維持論者の主張を政治面に載せた。

 10日の記事は、男系の皇統維持論者の多くは生前退位に反対の立場だが、一部に容認論も見られるというもの(以下、引用文中の太字は引用者による)。 

生前退位、困惑する男系維持派 「パンドラの箱があく」
2016年9月10日05時05分

 天皇陛下が生前退位の思いを強くにじませたお気持ちを表明したことに、男系の皇統維持を求めてきた人たちが困惑している。「日本会議」や「神道政治連盟(神政連)」の関係者が多く、安倍政権の支持層とも重なる。本来は退位に反対の立場だが、政権が特別措置法の検討に入るなか、容認論も出始めた。

 「例外というのは、いったん認めれば、なし崩しになるものだ」

 男系派の重鎮で、日本会議と神政連の政策委員を務める大原康男・国学院大名誉教授は、退位の前例を作れば皇位継承の安定性が失われると懸念。「国の根幹に関わる天皇の基本的地位について、時限立法によって例外を設けるのは、立法形式としても重大な問題がある」と特措法にも反対する。

 退位の意向が報じられたのは、参院選で改憲勢力が憲法改正の国会発議に必要な3分の2を確保した直後だった。憲法改正運動を進める日本会議の幹部は「いよいよという時に水を差された」と感じたという。「宮内庁内の護憲派が、陛下のご意向を政治利用したのではないか」と語る。

 8月にお気持ちが表明されると、衝撃が広がった。退位への思いが強く表れ、男系派が代替案として提案していた摂政を事実上否定する内容だったからだ。

 日本会議代表委員の一人で外交評論家の加瀬英明氏は「畏(おそ)れ多くも、陛下はご存在自体が尊いというお役目を理解されていないのではないか」と話し、こうクギを刺す。「天皇が『個人』の思いを国民に直接呼びかけ、法律が変わることは、あってはならない

 いずれも皇室典範1条が定める「男系男子による皇位継承」を「万世一系」として絶対視し、歴代政権が検討した「女系天皇」「女性宮家」に反対してきた人々だ。これまでの安倍晋三首相の立場とも重なる。

 男系の皇統を維持すべきか女系天皇を認めるべきかの問題は、一見、退位とは関係ない。しかし、実は、男系派が退位に抱く危機感と密接に結びついている。

 神政連政策委員で、安倍首相に近い八木秀次・麗沢大教授は「天皇の自由意思による退位は、いずれ必ず即位を拒む権利につながる。男系男子の皇位継承者が次々と即位を辞退したら、男系による万世一系の天皇制度は崩壊する」と解説。「退位を認めれば『パンドラの箱』があく」と強い危惧を表明する。

 男系派にとって、歴史的に男系でつながれてきた「万世一系の皇統」は、日本の根幹に関わる問題だ。

 ジャーナリストの桜井よしこ氏は2月、憲法改正を求める集会で「日本人ってなんだろう。日本の国柄ってなんだろう」と問いかけ、こう述べた。「天照大神の子孫の神々様から始まり、神武天皇が即位なさって、神話が国になったのが日本だ。その中で皇室は重要な役割を果たしてきた」

■「例外なら」容認論も

 一方、例外として退位を容認する声も出てきた。

 百地章・日大教授はお気持ち表明前、退位に反対し摂政を主張していた。今は「制度設計が可能なら」という留保つきだが、①まずは皇室典範に根拠規定を置いたうえで特措法で対応する②例外的な退位を定める典範改正は時間をかけて議論する――という2段階論が現実的ではないかとの立場だ。「超高齢化時代の天皇について、陛下の問題提起を重く受け止めるべきだ」と語る。

 安倍首相のブレーンの一人とされる伊藤哲夫・日本政策研究センター代表も、機関紙「明日への選択」9月号で、「天皇制度そのものの否定」につながる懸念を示しつつ、こう書いた。「ここは当然ご譲位はあってしかるべし、というのがとるべき道なのか」

 ただ、退位反対論は根強い。男系派の一人は言う。「首相を説得してでも特措法を封じたい。安倍さんも『天皇制度の終わりの始まりをつくった首相』の汚名は嫌でしょう」(二階堂友紀)

     ◇

■生前退位をめぐる識者の反応

〈小堀桂一郎・東大名誉教授〉 天皇の生前御退位を可とする如(ごと)き前例を今敢(あ)えて作る事は、事実上の国体の破壊に繫(つな)がるのではないかとの危惧は深刻である。(略)摂政の冊立(さくりつ)を以(もっ)て切り抜けるのが最善だ(「産経新聞」7月16日付朝刊)

〈渡部昇一・上智大名誉教授〉 もっとも重視しなければならないことは、これまで男系で続いてきた万世一系の皇統を守ることだということです。今の天皇陛下が大変、休息を欲してらっしゃるということが明らかなのであれば、すみやかに摂政を設ければいい(「正論」9月号)

〈加地伸行・阪大名誉教授〉 両陛下は、可能なかぎり、皇居奥深くにおられることを第一とし、国民の前にお出ましになられないことである。(略)<開かれた皇室>という<怪しげな民主主義>に寄られることなく<閉ざされた皇室>としてましましていただきたいのである。そうすれば、おそらく御負担は本質的に激減することであろう(「WiLL」9月号)

※いずれもお気持ち表明前

     ◇

 〈女性・女系天皇〉 女性皇族が皇位に就く「女性天皇」は過去にも10代8人いたが、いずれも父方に天皇の血筋を引く「男系」だった。しかし、女性天皇が皇族以外の男性と結婚し、生まれた子どもが即位する「女系天皇」は例がないとされる。小泉政権は女性・女系天皇容認に向けて議論したが、実現には至らなかった。


 11日には、論者の代表格として、八木秀次・麗沢大教授とジャーナリストの櫻井よしこ氏の2人に対するインタビューを載せた。

生前退位、男系維持派は 八木氏・桜井氏に聞く
2016年9月11日05時10分

 天皇陛下が生前退位への思いを強くにじませるお気持ちを表明し、政府は一代に限って退位を可能とする特別措置法を検討している。安倍晋三首相に近く、男系の皇統維持を求めている人たちは、どう受け止めているのか。麗沢(れいたく)大教授の八木秀次(ひでつぐ)氏と、ジャーナリストの桜井よしこ氏に聞いた。(聞き手・二階堂友紀)

■「臨時代行で対応を」麗沢大教授・八木秀次氏

 ――お気持ち表明をどう受け止めていますか。

 「随分踏み込まれたという印象だ。天皇はご存在自体に尊さがあるが、お務めをしてこそ天皇だとおっしゃった。それが本質だろうかという疑問を持った

 「ご存在の尊さは、男系男子による皇位継承という『血統原理』に立脚する。そこに『能力原理』を持ち込むと、能力のある者が位に就くべきだという議論になる。結果として、陛下ご自身が天皇制度の存立基盤を揺るがすご発言をなさったことになってしまう」

 ――なぜ、退位にそこまで反対するのですか。

 「退位は明治の皇室典範制定以来、封印されてきた『パンドラの箱』だ。たとえ一回でも退位の前例を作れば、日本の国柄の根幹を成す天皇制度の終わりの始まりになってしまう。陛下のお気持ちへの配慮とともに、制度をいかに維持するかという視点が必要だ。そのために、心苦しいが、憎まれ役を買って出ている」

 ――朝日新聞の全国世論調査(8月6、7日)では84%が退位に賛成です。

 「陛下が具体的な制度の可否について言及され、それを国民が支持し、政府が検討を始めている。『天皇は国政に関する権能を有しない』と定めた憲法に触れる恐れがある。陛下のご意向だということで一気に進めるのは問題だ

 「天皇といえども生身の人間であり、ご自身のお考えをお持ちだ。しかし、それが公になれば政争に巻き込まれ、尊厳を汚される。憲法が政治的発言を禁じているのは、天皇をお守りするためでもある。宮内庁のマネジメント能力に問題があると言わざるを得ない」

 ――それでは、どう対応すべきだと考えますか。

 「『開かれた皇室』によって、昭和天皇の時代よりご公務が何倍にも増えた。陛下は、それら全てが全身全霊でできて初めて天皇たり得ると非常にストイックな自己規定をされているが、縮小したり肩代わりしてもらったりすればいい」

 「摂政を置くのは天皇がお務めをできなくなった場合なので、天皇は全く活動できなくなる。陛下は、そのような状況をお望みではないだろう。病気療養時や外国ご訪問時に限られている現在の運用を緩和し、国事行為の臨時代行で対応するのが最善ではないか」

     ◇

 専門は憲法学。「新しい歴史教科書をつくる会」から分かれた「日本教育再生機構」理事長。神道政治連盟の政策委員も務める。

■「特措法も一つの選択肢」ジャーナリスト・桜井よしこ氏

 ――男系維持派の多くの識者が退位に否定的です。なぜなのでしょうか。

 「私が皇室について抱く危機感は、お言葉ゆえではない。戦後、憲法など日本の国としての規範は連合国軍総司令部(GHQ)が作った。戦後のあり方を全否定する気はないが、多くの問題がある。その一つが皇室のあり方だ」

 「国家と国民の安寧のために祈ってくださるのが皇室だ。しかし、本来のお役割である祭祀(さいし)が私的行為とされている。祭祀を横に置いて、『ご公務』の議論ができるのか疑問だ」

 ――お気持ちには、祈りとともに、「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も大切なものと感じてきました」とありました。

 「それぞれの天皇はお気持ちや価値観によって、ご自分なりの天皇像をつくっていかれる。今上陛下と皇后陛下は遠方まで行幸啓(ぎょうこうけい)なさり国民に寄り添われてきた。そのお姿に国民は感動し、勇気づけられてきた」

 「祭祀をなさりつつ、お出かけ先で国民に寄り添われる。双方合わさったのが象徴天皇のあり方だとお考えだが、高齢化で、それがつらくなったとおっしゃっている。何とかして差し上げるべきだが、国家の基本は何百年先のことまで考えて作らなければならない

 ――政府は退位について特措法を検討しています。

 「陛下の思いを尊重しつつ、どのように日本国の伝統を守るか。双方を両立させる工夫としては、特措法も一つの選択肢だ

 ――講演では神武天皇にも言及されますが、実在しないと言われています。

 「大切なのは実在したかどうかではない。神話とは、その民族が大切にしたい価値観を凝縮させて作った『民族生成の物語』だ。そこには日本の国柄のエッセンスが込められている。日本の穏やかな文明を体現してきたのが皇室だ」

 ――神話や「万世一系」を強調しすぎると、日本を特別視するかのような思想につながりませんか。

 「敗戦の結果、否定されがちだが、皇室も神話も日本の長い歴史の中で育まれた。戦前の一時期に限定して見るのでなく、その穏やかな本質を見るべきだ。日本人としての誇りを持つことが、他民族より人種的に優れていると考えることには必ずしもつながらない」

     ◇

 元記者、ニュースキャスター。「美しい日本の憲法をつくる国民の会」では、日本会議の田久保忠衛会長らと共同代表を務める。


 朝日がこの問題における彼らの主張をこのように大きく取りあげたのは、非常に良かった。

 彼らの主張は、産経新聞や『正論』『WiLL』といった保守系オピニオン誌に目を通していれば、ことさら珍しいものではない。
 しかし、今回の天皇陛下のメッセージを受けて各社が行った世論調査では、生前退位に賛成する意見が圧倒的多数を占めている。

 朝日新聞社がメッセージ公表直前の8月の6日と7日に行った調査では、「「生前退位」をできるようにすること」に賛成が84%、反対が5%。

 また、9月の10日と11日に行った調査では、「今の天皇陛下の生前退位」に賛成が91%、反対が4%。賛成と回答した人のうち「今の天皇陛下だけが退位できるようにするのがよい」が17%、「今後のすべての天皇も退位できるようにするのがよい」が76%。

 日本経済新聞社とテレビ東京が8月9~11日に行った調査では、「生前退位を認めるべき」が89%、「認めるべきでない」が4%。「認めるべき」と回答した人のうち、「今の天皇陛下に限って」が18%、「今後の天皇すべてに」が76%。
 
 読売新聞社が8月9日と10日に行った調査では、「生前退位ができるように、制度を改正すべき」が81%、「改正する必要はない」が10%。「改正すべき」と回答した人のうち、「今の天皇陛下だけに認めるのがよい」が14%、「今後のすべての天皇陛下に認めるのがよい」が80%。

 そうした世論と比べて、彼ら男系論者の生前退位についての主張が極めて異質なものであることは明らかだ。
 彼らの内輪ではそうした主張がまかり通っているが、その外部ではよく知られていない。
 そもそもそのような主張があることを知らない国民も多いだろう。
 それを、朝日のようなリベラル系の全国紙が広く知らしめた意義は大きい。

 政治的なことにはまるで興味がなく、「右」「左」の意味もわからない私の妻も、この記事を読んであきれていた。
 例えば、上記の10日の記事で引用されていた加瀬英明氏の発言や加地伸行氏の主張について、この人たちは、現在の生きている人間としての天皇陛下を守りたいのではなく、この人の頭の中にある天皇制を守りたいだけなのだろうと言っていた。
 時代錯誤もはなはだしいと。
 そのとおりである。

 だが、上記の記事にある
「陛下はご存在自体が尊い」
「天皇が『個人』の思いを国民に直接呼びかけ、法律が変わることは、あってはならない」
「天皇の自由意思による退位は、いずれ必ず即位を拒む権利につながる」
「ご存在の尊さは、男系男子による皇位継承という『血統原理』に立脚する。そこに『能力原理』を持ち込むと、能力のある者が位に就くべきだという議論になる。結果として、陛下ご自身が天皇制度の存立基盤を揺るがすご発言をなさったことになってしまう」
「陛下が具体的な制度の可否について言及され、それを国民が支持し、政府が検討を始めている。『天皇は国政に関する権能を有しない』と定めた憲法に触れる恐れがある。陛下のご意向だということで一気に進めるのは問題だ」
といった彼らの主張は、明治以降の天皇制のこれまでの運用に照らすと、必ずしもおかしなことを言っているわけではない。
 天皇には退位の権利も即位を拒む権利もなく、意志表示すらまともに許されず、ただ「存在」することだけを要求されてきた。
 生物学的人間を社会的人間と認めない。明治以降の天皇制の本質とはもともとそういうものなのである。

 身分制度があり、基本的人権などという概念がなかった時代なら、それでもよかっただろう。
 明治時代にわが国が中央集権国家に生まれ変わり欧米列強に伍するためには、このような国民を統合する存在も必要だったのかもしれない。
 だが、こんにちのわが国になお、こんな人身御供のような制度が必要なのだろうか。

 そもそも生前退位が歴史上決して珍しくなかったことは、少しでも日本史の知識があれば明らかだろう。
 そしてまた、わが国の天皇や皇室のありようが時代によって変遷してきたことも言うまでもない。
 明治以降だけが天皇の、わが国の歴史の全てではない。
 今後も天皇制を維持したいのなら、それは時代に合わせて変わっていかざるを得ない。
 生前退位に好意的な大多数の国民は、それを理解しているのだろう。

 男系論者は、明治以降の、わが国の歴史のうちのごく一部を取り出して勝手に理想化し、それに固執しているだけではないのか。
 今回の朝日の記事は、そうした彼らの本質を事実をもって語らせる良質なものだった。


(以下2016.9.23追記)
 この記事のアップ後、朝日新聞デジタルに次のような訂正記事があるのを見た。

訂正して、おわびします
2016年9月17日05時00分
▼10日付総合4面にある天皇陛下の生前退位をめぐる記事で、表のタイトルが「男系維持を求めてきた識者の反応」とあるのを、「生前退位をめぐる識者の反応」と訂正します。掲載した識者のうち、加地伸行・阪大名誉教授には男系維持の工夫に関する論考はありますが、加地氏から、男系・女系天皇をめぐる問題については慎重な態度をとっている、との指摘がありました。
 

 上で引用した記事は表のタイトルを訂正した後のものだが、それでも内容的には加地伸行氏も男系維持論者だとの印象を受ける。加地氏本人からこのような指摘があったとのことなので、読者におかれては留意されたい。
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野田佳彦前首相を民進党幹事長に起用との報を読んで

2016-09-17 22:18:08 | 現代日本政治
 昨日の夜、これを見て目が点になった。

野田佳彦幹事長を両院議員総会で承認

 民進党は16日午後、両院議員総会を党本部で開いた。この中で蓮舫代表は、前総理の野田佳彦衆院議員を新幹事長に充てることを提案し、了承された。

〔中略〕

「今回の人事を決めるにあたり考えたのは、私が参院議員であること。衆院での議論の重さを承知している。幹事長人事を承認いただいたら、全体の人事に着手する。総理を経験した方だが、安倍総理と対峙(たいじ)して政権と向き合っていくのにしっかりとした経験をお持ちの方なのでご承認いただきたい」と理由を説明。幹事長人事は賛成多数で承認された。

 野田新幹事長は「青天のへきれき。代表から話があった通り、総理経験者が幹事長を務めた前例は(ほぼ)なく、私自身イメージができなかったのが最大の理由だ。私は2012年の政権から転落した時の総理であり、旧民主党の代表だった。今の党は、ある意味崖っぷちで、いばらの道を歩んでいかなければならない時に、私が前面に出るのはちゅうちょするのが率直な気持ち。しかし、私が引き受けないと次の人事が進まないということもあり、落選した人、地方の人のためにも政治人生の落とし前をつけるつもりで火中の栗を拾うことにした。新代表を支えて党勢回復に全力で取り組む。ハスの花を支えるレンコンになった気持ちで下支えをする。皆さんのご理解とご協力を心からお願いします」と意気込みを語った。

 幹事長以外の役員人事は、翌週にあらためて両院議員総会を開いて決定することになった。


 BLOGOSに転載された、民進党機関紙局の記事はこう伝えていた。

 「総理経験者が幹事長を務めた前例は(ほぼ)なく」とあるのは、わずかながら例はあるということなのだろうか。
 私には思いつかないが、だとしても近年では極めて異例の事態であることは確かだろう。

 自民党でも総裁経験者を幹事長に起用したことはほとんどない。
 先に谷垣禎一氏が幹事長を務めていたことがあるくらいだろう。あれだって、党総裁を務めながら首相に就任できなかった谷垣氏の処遇を考慮しての起用だろう。しかし野田氏は首相を経験している。

 蓮舫氏は野田グループに属しているが、党首が同じグループから幹事長を起用するのもまた異例だ。
 自民党では、幹事長は総裁とは違う派閥から起用するのが通例だ。
 現在の二階俊博氏、その前の谷垣氏、その前の石破茂氏と、いずれも総裁とは別の派閥から起用した。
 谷垣総裁の時代は大島理森氏(高村派)と石原伸晃氏(山崎派)。
 その前の麻生太郎総裁の時代は細田博之氏(町村派、現細田派)が幹事長だった。
 小泉純一郎総裁が同じ森派の安部晋三氏を幹事長に起用したり、その安部氏が総裁になったときにやはり森派の中川秀直氏を起用したことはあったが、異例のことだった。

 民進党の前代表の岡田克也は、党内のどのグループにも属していなかった。幹事長は枝野グループの枝野幸男氏が務めていた。これは前身である民主党から引き継いだ体制だった。
 民主党で、岡田氏の前に代表だった海江田万里氏(鳩山グループ)の下では、細野豪志(前原グループ)、続いて大畠章宏 (鹿野グループ)が幹事長に起用された。
 その前の野田佳彦代表の下では、 輿石東(横路グループ)が幹事長だった。
 その前の菅直人、鳩山由紀夫の下でも、代表と同一グループの議員を幹事長に起用することはなかった。

 鳩山、菅、野田と3代続いた民主党政権の中では、野田氏が一番マシだった。
 前の2人に比べ、おかしなことはやらなさそうな安定感があり、事実大過なく務めを終えた。消費税増税を含む三党合意も成し遂げた。
 このまま短期間の首相経験者として終わるには惜しい人物だと思っていた。

 しかし、党代表と同じグループの、しかも政権喪失の責任者とも見なされている人物を幹事長に据えて、民進党は求心力を保てるのだろうか。
 9月17日付の日本経済新聞のサイトの記事はこう伝えている。

蓮舫民進、出足から暗雲 「野田幹事長」に騒然

 〔前略〕
 両院総会に出席したのは147人の全議員のうち60人と半分以下だった。「野田幹事長」を承認した拍手はまばらで、20分ほどで終了。他の人事は週明けに持ち越した。

 蓮舫氏は両院総会の前、代表選で支援を受けた細野豪志元環境相に電話で代表代行への就任を打診した。だが細野氏は回答をいったん留保したうえで党本部の蓮舫氏のもとに乗り込み、野田幹事長案を「党の分裂につながりかねない」と見直すよう直談判した。

 党関係者によると、蓮舫氏は政調会長と国会対策委員長も16日中に決める意向だった。反発した細野氏が「急いで決める必要もない。ここは一呼吸置いたらどうですか」と促した。蓮舫氏は同日、代表の座を争った前原誠司元外相に顧問を打診したが前原氏は断った。

〔中略〕

 10月には衆院で2つの補欠選挙があり、共産党との協力が焦点となる。野田氏はかねて共産党との連携に慎重だったが、16日は「自民、公明の連合軍に挑むには野党の連携も不可欠だ」と述べた。党内を二分するテーマだけに、残りの人事次第では混迷に拍車がかかる可能性もある。


 かねてから代表候補と目されていたが、今回の代表選ではいち早く蓮舫支持を表明した細野氏に代表代行を打診、そして代表選で争った前原氏には顧問を打診……。
 党内の諸事情など私などには知るよしもないし、結党からさほど間もないこの党が今すぐ分裂するとも考えられないが、就任早々妙な手をうつものだと思った。
 野党第1党の党首としての資質に、早くも疑問符がついたと感じる。

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日本維新の会が国会議員の二重国籍禁止法案を検討との報道と足立康史議員のブログ記事を読んで

2016-09-12 23:49:00 | 現代日本政治
 こんなことをするからポピュリスト政党だと言われる。

二重国籍禁止法案を検討=維新

 日本維新の会の馬場伸幸幹事長は8日、日本以外の国籍を持つ人が国会議員や国家公務員になることを禁止するための法案提出を検討していることを明らかにした。民進党の蓮舫代表代行が「二重国籍」と指摘されている問題を受けた対応。国籍法や公職選挙法などの改正案を、早ければ26日召集予定の臨時国会に提出する。

 馬場氏は東京都内で記者団に「国政に携わる者が、二重に国籍を持っていることはあってはならない。制度の不備があれば、それを正していくよう法改正する」と語った。(2016/09/08-16:42)


 そういえば、この少し前に同じ日本維新の会の足立康史衆議院議員が、こんな記事をアップしているのをBLOGOSで見た。

民進党の責任で解決すべき蓮舫氏の疑惑 - “二重スパイ”許す公職選挙法を改正せよ -

蓮舫氏の二重国籍問題についいては、既に大きく報じられているので繰り返すつもりはないが、2つだけ思うところを書いておきたい。一つは、蓮舫氏の説明である。結論を急ぐと、説明になっていないし、疑惑は深まるばかり。代表選挙の候補者なのだから、民進党が責任をもって証拠書類を公表させるべきだ。

もう一つは、日本の制度である。日本の国籍法は、原則として二重国籍を認めていないし、そのことは菅官房長官も会見でも明言しているところであるが、厳しすぎるとの指摘もある。実態は4、50万人はいるとの報道もあり、法律と実態との乖離をどう埋めていくのか、立法府として議論を始めるべきである。

但し、看過できないのは民進党である。2009年の民主党マニフェストには、「両親双方の国籍を自らのアイデンティティとして引き継ぎたいなどの事情から、重国籍を容認してほしいとの要望…を踏まえ、国籍選択制度を見直します。」とある。民進党は、党として二重国籍容認を政策として掲げてきたのだ。

もちろん民進党がどのような政策を掲げようと、その政策で政権交代を果たしたわけだから構わないし、衆院では未だ法案も出せない弱小政党の私が文句を言える立場にもないが、だからといって、政策を実現しないうちから所属議員が二重国籍だったなどという珍事を、私はどうしても看過できないのである。

特に国会議員には日本の国益を守る義務がある。八幡哲郎〔引用者註:原文ママ〕氏のフェイスブックへの書き込みには“二重スパイ”云々といった非難さえ掲載されていたが、確かに権力者が二重国籍では、誰のために働いているのか疑義が生じても仕方あるまい。公職選挙法を改正して被選挙権の範囲、要件を厳格化すべきである。

ちなみに、今の公職選挙法は、衆参の国会議員に立候補する際の要件として、年齢と日本国民であることしか求めていない。外交官試験でさえ求めている外国籍からの離脱を義務化すべきだし、今回の騒動を奇禍として、国会議員本人の国籍に係る履歴は、「経歴」として公表することを義務付けるべきである。

東大の玉井先生が“自分のルーツに誇りを持っているのなら、それこそ王貞治みたいに堂々と語った方がいいんじゃないな。「生まれた時から日本人」とか心にもないことを言うから信用されない。”とツイートされていたが、その通りである。今回の騒動を機に、国籍をタブー視する空気を一掃できればと思う。


 私は最初この記事のタイトルに「二重スパイ」とあるのを見て、「二重国籍者=二重スパイ」だというのかと目を疑った。
 しかし、記事を読んでみると、八幡和郎氏のフェイスブックに寄せられたコメントの中に、「“二重スパイ”云々といった非難」があったということらしい。
 足立議員自身の発言ではないと知って少し安心したが しかし、こんな言葉を敢えて採り上げるとはどういう感覚をしているのだうか。

 以前の私の記事で述べた池田信夫氏や八幡氏と同様、この足立議員の記事も、「日本の国籍法は、原則として二重国籍を認めていない」と述べるのみで、蓮舫氏は国籍法が重国籍者に要求している日本国籍の選択を済ませており(池田氏は済ませているとしている)、法的に何ら問題ないことに触れていない。
 国籍法第14条をもう一度挙げておく。

(国籍の選択)
第十四条 外国の国籍を有する日本国民は、外国及び日本の国籍を有することとなつた時が二十歳に達する以前であるときは二十二歳に達するまでに、その時が二十歳に達した後であるときはその時から二年以内に、いずれかの国籍を選択しなければならない
2 日本の国籍の選択は、外国の国籍を離脱することによるほかは、戸籍法の定めるところにより、日本の国籍を選択し、かつ、外国の国籍を放棄する旨の宣言(以下「選択の宣言」という。)をすることによつてする


 2009年の民主党のマニフェストに掲げていたという重国籍の容認とは、この国籍の選択自体をなくそうということだろう。
 しかし、蓮舫氏はこの選択を既に済ませているのである。
 だから、足立氏が「政策を実現しないうちから所属議員が二重国籍だったなどという珍事」と述べるのは、異なる話をごっちゃにしている。
 法制度を理解していないか、理解していても敢えて無視しているのだろう。

 足立議員は、
「権力者が二重国籍では、誰のために働いているのか疑義が生じても仕方あるまい」
「国会議員に立候補する際の要件として〔中略〕外国籍からの離脱を義務化すべき」
と言うが、果たしてそうだろうか。
 法が義務づけている国籍の選択をしていない二重国籍者については、確かに問題だろう。
 だが、日本国籍の選択を済ませているにもかかわらず、外国の国籍の離脱が確認できないという場合の二重国籍をも同様に問題視するのはおかしくないか。

 わかっておられない方が多いように思うが、国籍というのは、その国の国家権力が、個人に対して、取得を許可したり、喪失を許可したりするものである。
 個人が、ある国の国籍を取得したり、離脱したりすることが当然の権利として認められているわけではない。決めるのはあくまでのその国の権力である。
 だから、ある国民が国籍を離脱したいと主張しても、その国が離脱を許可しなければそれまでである。
 そして、そもそも国籍離脱が制度として設けられていない国もある。
 また、国情によっては法で定められた制度があってもそのとおりに機能していない国もある。
国籍離脱の届出をしても、役人がサボって、離脱の手続きが行われていないというケースも有り得るだろう。

 そうした場合、本人の責任ではないのに、外国の国籍の離脱が確認できないというだけで、国会議員になれないということになる。
 それはおかしくないか。

 例えば、某国人がわが国に滞在しているうちに、わが国が好きになり、某国が嫌いになって、わが国に帰化し、某国を批判する言論活動を行うようになったとする。
 そして、わが国のためにもっと尽くしたいと、わが国の政治家を志したとする。
 しかし、某国が、その者がわが国の政治家になることは某国の国益を害すると考えて、その者の国籍離脱を認めないため、その者は国会議員になることができない。
 そんな事態も起こり得る。

 そのような、外国の国籍の離脱が本人の責任でない理由によってできない場合に限定して、国会議員への立候補を認めてもよいのではという見解もあるかもしれない。
 しかし、本人の責任でできないのか、そうでないのかを、行政当局がいちいち判断するのは困難だろう。
 そしてそれは、現在の国籍選択制と実質的にどう違うのか。

 それに、そもそも外国の国籍の離脱はわが国に対する忠誠の保証になるのだろうか。
 わが国と某国の関係が極度に悪化した場合、両国にルーツを持ち帰属意識を持つ者が権力者の座にいれば、板挟みになって心情的に苦しむということは有り得るかもしれない。
 しかし、それは外国の国籍を離脱していようがいまいが、さして関係はないのではないか。
 国籍を離脱していても帰属意識を強く感じる者もいるだろうし、その逆の者もいるだろう。
 しかし、わが国の国籍を選択し、わが国の国会議員を務め、わが国の政府の一員であるのなら、当然わが国の国益を最優先に行動すべきだろう。
 他人の内面を国籍離脱の有無だけで判断すべきではないのではないか。

 こうした、法的に問題ない二重国籍をも非難する考え方を押し進めていくと、結局のところ、国籍離脱の有無のみならず、その人物の出自自体が問われることになる。
 外国人の血を引く者が公職に就くこと、それ自体が問題視されるようになる。
 それでいいのだろうか。

 足立議員の記事が末尾に挙げている、「東大の玉井先生」なる方が誰なのか、それがどういうツイートなのか私は知らない。
 しかし、蓮舫氏は自分のルーツを堂々と語ってきたのではないか。
 「生まれた時から日本人」というのがどういう場で発せられた言葉なのか私は知らないが、他人の内面を「心にもないこと」などと何故決めつけられるのか。

 「今回の騒動を機に、国籍をタブー視する空気を一掃できればと思う」とは、蓮舫氏に限らず、同様に外国の国籍離脱が確認できない国会議員をあげつらっていこうということだろうか。
 帰化したり、外国人をルーツに持つ国会議員の出自を暴いていこうということだろうか。
 恐ろしいことを言うものだと思う。
 こんな人物が、私も選挙人である衆議院比例区近畿ブロック選出の維新議員だったのか。

 足立議員の私見はともかく、日本維新の会には、こうした問題にはもっと慎重に対処してもらいたい。
 何故なら、今回の蓮舫議員に対する二重国籍疑惑は、2012年に『週刊朝日』が橋下徹・大阪市長(当時)に対して行ったのと同様の、出自を理由に公人を批判するという手法によるものだからだ。
 政治家としての蓮舫氏や民進党に批判すべき点があるというならそれは批判すればよい。だが、個人の出自を理由に批判するのは良くない。出自は本人の責任ではないからだ。
 外国の国籍離脱は法律で義務づけられていないのだから、蓮舫氏が問題ないと考えていてもおかしくない。にもかかわらず、池田氏や八幡氏はそれを「違法」と称し、ネット上では違法性にとどまらず蓮舫氏の出自それ自体を非難する発言(足立議員が挙げた「“二重スパイ”云々といった非難」とはまさにそういったものだろう)がまかりとおっている。
 こんなものに公党が与するべきではない。

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蓮舫議員への産経新聞によるインタビューを読んで

2016-09-12 08:38:35 | 現代日本政治
 前々回の記事で取りあげた、産経新聞のサイトに9月2日付けで掲載されていた蓮舫参議院議員に対するインタビューを私は興味深く読んだ。

 もともとこのインタビューについてこのブログに記事を書こうと思っていたのだが、たまたまBLOGOSで同議員の二重国籍疑惑に関する記事を読んで、少し調べてみると不審に思ったので、先に前々回と前回の記事を書くことになった次第だ。

 私はこの蓮舫氏について、ほとんど何も知らない。
 民主党政権で事業仕分け人を務め、「2位じゃだめなんですか?」の発言で知られたこと。
 その後、行政改革相として入閣したこと。
 下野後の民主党で、岡田克也代表の下で代表代行を務め、民進党でも留任していることぐらいしか知らない。

 この人の政治理念や、これまでどういう発言をしてきたのかもよく知らない。
 今回の民進党代表選挙への立候補を報じる記事で、先の参議院選挙でようやく3期目の当選を果たしたと知って、政治家歴の短さに驚いた。

 インタビューで印象に残った点を書き留めておく(太字は引用者による。以下同じ)。

 民進党の現状認識について。

結果として7月の参院選は、私たちは数を減らしています。今、参院の景色は随分窮屈なものになっていますよね。われわれの席から見ると。衆参合わせて党所属議員は約150人。ここからどうやってもう1回再生していくのかは、相当な困難な道だと思います。

〔中略〕

 --平成24年に下野してから、野党第一党として支持率がなかなか回復しない。何が良くなかったのか。国民の信頼を回復できていない要因は

 「反省が足りないのと、反省しすぎると、この2つだと思います。もう前を向くべきです。われわれがやるべきものは提案です。ここに尽きると思います」

 --出馬会見でも「批判してばかりいる政党と思われている」と強調していた。これからは批判から提案に軸足を移していくのか

「それはですね、くしくも気づかせてくれたのは、安倍晋三首相です。口を開けば、われわれの政権の悪口をきれいに言ってくださいましたけども、聞いていて、やっぱり美しくないと思ったんですね。小さいな、ともいまだに思っております。(ただ)私たちはそれをやってしまっているんだということにも気づいたんです。だから学習をしました。ただ、政治とカネの問題とか、今言われている口利きの国会質問であるとか、閣僚に疑義が持たれているのであれば、野党の役割としてただす手法が当然あります。ただ、その先に、どうしたら再発防止になるのかなどという提案は、常にセットだと思います」


 経済政策について。

安倍晋三首相の経済政策は、効率的に機能した時代もあったと思います。でも残念ながら、そのときは昭和だと思うのでね。〔中略〕今の政権が言っている(国民総生産の実質)2%という成長は、恐らくもっと現実的に見ていかなければいけないんだと思います。同じ財源を使うのであれば、違う使い方をしましょうというのが私の最大の思い。人への投資に尽きると思います。

 --「分配」が今の政権との違いと強調している

成長も必要ですが、分配の変え方はより必要だと思っています。成長が必要だけれども、実は費用対効果が、その成長に伴っていないと言いますかね。」

格差自体は悪いものじゃないんです。努力したものは、それはそれなりの成功を得るものです。残念ながら、そこに乗れなかった方たちが、平均所得よりも少ない生活を送らざるを得ないということはある。ただ、自己責任で解決できないものまでも切り捨てたことによって、国がゆがみ始めている。だから、あるところから取って、ないところに分配しようという再分配論があったんですけども、きっとそれは機能しないと思っているんですよね。だから全体的に、今ある税収の使い方をもう1回、見直す。それがやっぱり本当の意味での分配だと思っています」


 共産党との選挙協力について。

 --共産党との選挙協力について。次期衆院選でも参院選と同じような選挙協力を行うのか。10月に行われる2つの衆院補選では、共産党との選挙協力をどのように考えているか

 「あまりにも綱領が非現実的なところと、われわれは政権を目指す気はない。当たり前の話です。その上で、やっぱり参院選の分析が必要だと思うんですよね。32の改選1人区。〔中略〕例えばなぜ東北に集中したのかとかね。なぜ西日本、四国、中国はだめだったのか。おしなべて、野党連携がうまくいったとは言えないところは、ちゃんと分析をしなきゃいけないと思います。ただ一つ言えることは、野党候補を1人に絞ったことにより、現実的な政策が乗っかったところは成果が出ています。環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)とかね。そこにも一つ解があると思う。私たちの政策をもう1回研ぎ澄まし、むしろそれに、ほかの野党が乗ってこれるんですかという話なんだと思います」

〔中略〕

 --前原誠司元外相は、「天皇制や自衛隊など国の根幹にかかわるところには民進党としての考えがある」として、選挙協力をするときには、そこまで見なければいけないと語っていた

 「基本的には、前原さんにしろ、どなたかほかの人がお出になるにしろ、考え方は一緒です。ここは争点にする話じゃない。やっぱり見ているところは、同じです。綱領が違う。政策が違う。それでも党首同士で(街頭演説などに)並ぶんですか。それはあり得ませんという話です。ただ、野党が一緒になることの力は否定はしません。代表になってみて、自分たちが作り出す政策と、作り出す姿勢を持った上で、各野党のみなさま方と連携のあり方を考えることはあると思う」

〔中略〕

「野党4党の幹事長・書記局長会談で、今後の国会内外も含めて、連携のあり方は考えていきましょうと現執行部が(合意)している。公党間の約束はほごにしてはいけない。この考えは踏襲というよりも、どこかの責任ある与党と違って、(旧民主・自民・公明の)3党合意をほごにするような軽い姿勢は取ってはいけないと思います。〔中略〕ただ、これまでの連携とは、延長線上にあるとは思わないでいただきたい。私が代表になったら、そこには自分の考えがあります」


 安全保障政策について。

 --直近のテレビ出演で「戦争法案という言葉には違和感がある」と語っていた。「蓮舫氏は保守的な面がある」と評す同僚議員もいる

 「私はバリバリの保守ですよ。みんな間違っているけど。野田佳彦前首相並みの保守ですよ」

 --世間のイメージと戦争法案に違和感を感じるような現実とのギャップが埋まっていないように思う

 「多分、私はものすごいリアリストなんだと思います。法律は社会を変えるし、法律は人々の行動や社会としての可能性を動かすものになったときに、例えば安倍政権が出してきた安全保障関連法の全てを見たときに、いいものと悪いものが玉石混交だったんですよね。われわれが賛成できるものもあれば、われわれが納得できないものもある。もっといえば、憲法に抵触するものもあれば、ここは現実的だよねというものもあって、政府が関連法案11本を2本に束ねたというのは、政権として非常に残念な提出のされ方をしたのだと思う。安保法制は、社会の変え方、人の行動の可能性で戦争に巻き込まれることは否定できない法律案でした。だけど、その途中を全部端折って『戦争法案』というのは、私は、むしろミスリードをする言い方だったと思っています。安全保障というのは、リアリストじゃなきゃいけない。だから私たちは(武力攻撃に至らない『グレーゾーン事態』に対処するための)領域警備法にこだわっているんです。ものすごく。今の北朝鮮のことを見てみても。それは、ホルムズ海峡までいく話ではない。集団的自衛権というよりは個別的自衛権をどうやって確保していくんだという話なんです。ここは多分、保守とかリベラルじゃなくて、現実、リアルを見たときに、誰もがこの位置に立ったら、あの法案は分けた方がいいよねという声にきっとなったんだと思います。国連平和維持活動(PKO)のあり方や、国際貢献のあり方を含め、われわれが出した法案と政府案は意外に重なる部分もあったと思っています」


 憲法改正について。

 --憲法改正について、旧民主党では、枝野幸男憲法調査会長が平成17年に「憲法提言」をまとめている。これを受け継ぐか。与党側は、具体的に改憲すべき条文を絞り込む動きもある。民進党はどうするのか。

 「まず、国会の憲法審査会が動いたら参加するというよりも、与党の審議拒否を早く正していただきたい。審査会を止めたのは自民、公明両党ですから。自分たちに都合の悪い憲法学者の声が出た瞬間に(審議日程を協議する)与野党の筆頭間協議さえもままならなくなった。むしろ審議拒否をされたのは今の与党ですから、ここは堂々とわびを入れた上でちゃんと動かしていただきたい。ただ、党内で憲法の問題が最優先かというのも、もう一度考えないといけないと思います。むしろ皇室典範のあり方であるとか、あるいは私たち、特に私が今、重要視しているのは、経済政策。この秋の平成28年度第2次補正予算案もそうですけども、国由来の3兆円を本当に財政投融資の発行も含め、大型公共事業を中心としてみなさま方の税金を使い続けていいのだろうか。ここに対する提言をむしろまとめるのが最優先だとも思っています」

--「憲法9条は絶対守る」と語っている。その背景は。自衛隊の存在との整合性は

 「いや、だって自衛隊は戦力じゃないから。だって自衛のための防衛組織でしょ。これは自民党が長いことかけて、国会答弁を繰り返してきた話です。私たちはその答弁、その国のあり方で育ってきています。ものすごく自然に自分の中で落ちている憲法解釈ですよね」

 --自然にそれが定着していると

 「何で9条というのにあえて踏み込んだのかというと、やっぱり憲法を守る、変えるという声を上げるのは政権ではなくて、国民です。結果として首相、政権が掲げた反射作用として国民の中から9条を守ろうという声が高まったし、これは国民の声だと私は判断しています。だからこそ、9条は守るというのは私の中の信条です」

 --自民党でも、参院選挙制度に絡めた合区の解消や緊急事態条項、国会議員の任期延長の話からまずやろうという動きもある

「緊急事態条項に関しては、われわれは質問趣意書も出していますし、今の政府もその条項がないから何かあった時にわが国のいわゆる首都機能も含めてね、守れないのかということは否定されています。そんなに必然性や緊急性があるとはとても思えません。むしろ3・11(東日本大震災)の時の被災地の自治体議員の任期も柔軟に対応することができました。ここは、本当に緊急ですか。あるいは国防軍の創設も緊急ですか。家族間の押し付け的な条文も緊急ですかというのはやっぱり、これはしっかりと憲法審査会の方でも問わせていただきたいと思うし、むしろ憲法に対する関心が高まっている今だからこそ、そういう議論は積極的にするべきだと私は思います」


 政権交代について。

 --民主党政権が崩壊した理由として、仲間で批判し合うことがあったと思う。まだ、公より私を優先してチーム力よりも、自分がこうしたいというのが、ちょっとはびこっていたと思う。自民党はなんだかんだ言っても、まとまる団結力があるのでは

 「それは与党だからでしょ。与党であることの団結力は、個の主張であるとか、自分たちの姿勢の強調というものは抑制されるという大きな求心力に働きますよね。私たちは、そこが少ない。だからポジションも少なければ、バッターとして目立つところに立っていただける時間や枠も少ない。そう考えると、消化不良感が残るというのは野党の宿命だと思います。ただ、それをどういう風に束ねていけるのかというのは期待です。私たちはもう1回頑張れるという期待です。今の『もう1回頑張れる』は、ずうっと下を向いていた空気をまず上向いていいだという空気に変えられる。で、その先をみんなで作っていこうよというやっぱり期待感なんだと思うんですよね。代表の役割は。その期待感を作ることだと思います」

「われわれも過去の残像と決別した方がいいんですけれども、今の段階で政権交代って、まだ言えないと思います。私が批判から提案と言っているのは、批判しかないと思われているところに提案があるんだというのをしっかりしていくことによって、政府の政策とうちの政策の選択肢を示す。この選択肢を示すことが積み重なったときに信頼になります。信頼は次の選挙で、じゃあ私たちは選択してもらえる政党なのかという『みそぎ』をもう1回やらなければいけないと思います。もちろん、全ての総選挙で政権交代は目指しますけれども、最初から政権交代というのは、私たちの等身大の目標としてはまだ受け入れられない


 同意しかねる点も多々あるが、それほどおかしなことは言っていないというのが第一印象だった。

 産経新聞のインタビューだからその読者層を意識したというわけでもないのだろうが、保守層というか、民進党を支持しない層に対して、物わかりの良さを示そうとしているのかなという感じがした。
 このインタビューの内容だけ読めば、本人も自称しているように「リアリスト」なのだろうと思う。

 「バリバリの保守」を自称している点も、確かにこの人は野田佳彦前首相のグループに属しているという(これも最近の党代表選の報道で私は初めて知った)から、おかしくはない話だ。

 だが、この人はこうした考えをこれまで党外に向けて発信してきたのだろうか。

 民進党内の保守系議員と言えば、野田氏のほか、前原誠司氏、細野豪志氏、松原仁氏といった名前が思い浮かぶ。
 しかし、蓮舫氏を「保守」と評する声を私は聞いた覚えがない。むしろ、そうした立場からは距離を置いていた印象をもっている。
 何故だろうか。
 蓮舫氏は「みんな間違っている」と言うが、仮にそうだとしたら、何故「みんな」が間違うのか。

 国会中継を長時間見ているというマンガ家の須賀原洋行氏は、8月30日に民進党の山尾志桜里政調会長が代表選で前原氏を支持する意向を示したという報道を受けて、ツイートでこう述べていた。



「民進党議員は国会審議で政権攻撃の為に展開する政治思想と所属派閥の思想が全く整合しない。とんでもない左翼姿勢の議員が党内右派だったりする。何もかもが手段化してて信用できない」

 さらに、



「前原議員や長島議員、野田前総理あたりは一貫したリベラル的保守の思想があって、自民の谷垣や石破と連立できそうな感じがあるが、蓮舫だの山尾だのって、あれだけ左翼丸出しの政権攻撃をしておいて、野田派だの前原支持だの言っても、真剣に政局を見続けてきた者から見たら偽物感プンプンなんだよな。」

とも。
 やはり、「左翼丸出しの政権攻撃」をしてきたという理解が正しいのだろうか。

 蓮舫氏は「戦争法案という言葉には違和感がある」と言うが、安保法制の国会審議の最中にそう表明しただろうか。
 「いいものと悪いものが玉石混交だった」とも言うが、ではいいものを残して悪いものを排除するような法整備をしようとしただろうか。

 岡田克也現代表は、もともと憲法改正には賛成だったはずである。安全保障政策についても以前は特段おかしなことは主張していなかった。
 しかし、彼の下で民主党は、安倍内閣が提出した安保関連法案を「戦争法案」と呼んで徹底抗戦した。
 また岡田氏は、「安倍内閣での憲法改正論議には応じない」とも述べ、さらに、先の参院選では、改憲を争点にし、「まず、3分の2をとらせないこと」と唱え、共産党との選挙協力も辞さない姿勢を示した。
 私はひどく失望した。
 岡田氏には「タリバン」とあだ名されるほどの原理主義者的な面があると聞くが、代表となってからはそれが悪い方向に働いたのかなという気がする。
 あるいは、民主党、民進党にはそうした手法しか取れない人材しかいないのだろうか。

 岡田氏でさえああだったのだから、今回の党代表選で最有力視されている蓮舫氏が「保守」で「リアリスト」を自称しても、私にはそれを鵜呑みにできない。
 だいたい蓮舫氏はその岡田代表の下で代表代行を務めていたのだから、なおさらである。

 自民党のみが政権担当能力を備えた政党として存続するという状況はわが国にとって危険である。
 「確かな野党」、万年野党ではなく、まともな野党、政権担当能力を備えた野党がわが国にも必要である。
 誰が民進党の代表になろうとも、そうした野党の形成に力を尽くしていただきたいものだが、今回の二重国籍疑惑への対応を含め、民主党下野以来の彼らの体たらくを見ていると、正直なところ、当面期待はできそうにないと思う。

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