堀端勤さんのブログの7月の記事「選挙まで情報操作にご注意を!」に、次のような記述があるのを見つけた。
《TOCKAさんによると、1960年代に「過激派」という言葉をextremistの訳語として作り出した広告代理店の電通には、3億円払われたそうだ。たった1語の翻訳でよ!》
常識的に言って、そんなことがあり得るだろうか。
そこで私は、この記事に次のようなコメントを付けた。
《《TOCKAさんによると、1960年代に「過激派」という言葉をextremistの訳語として作り出した広告代理店の電通には、3億円払われたそうだ。たった1語の翻訳でよ!》←こんなことあり得ないと思います。出所を教えていただけませんか。TOCKAさんに確認してみたいと思います。 》
私はこのコメントをした同じ日に、この堀端勤さんのブログにほかにも2つコメントをしているが、その2つのコメントは間もなく削除された。が、このコメントのみは現在も残っている。しかし、堀端勤さんからは何の返答もない。
TOCKAさんとは、この堀端勤さんのブログの常連で、同じくYahoo!ブログで「ロシア・CIS・チェチェン 」というブログを開いている方のことだろう。
直接質問しようかとも思ったが、その前に検索してみた。
すると、あっさり見つかった。TOCKAさんのブログの「【転載】B層マーケティング注意報! 」という記事だ。
なお、タイトルに「転載」とあるが、これはYahoo!ブログでよくある、他のYahoo!ブログの記事の丸ごと転載ではなく、「チェチェンイベントニュース」というメルマガの記事の転載という意味らしい。
この記事中のメルマガの引用部分に、次のような記述がある。
《一つ例を挙げると、広告代理店の電通は、1960年代の終わりに「エクストリーミスト」を「過激派」と翻訳しただけで3億円をもらったと言われています。いわゆる新左翼集団をひとまとめにする「過激派」というレッテルは、その範疇外にいる人々が当局による「過激派」への人権侵害を容認する社会を作り出しました。現在では「テロリスト」という言葉がその一つです。》
だから、堀端勤さんが「TOCKAさんによると」と書いているのは誤りだ。正しくは「TOCKAさんが引用しているメルマガの記事によると」でなければならない。いいかげんだなあ。
しかし、この「選挙まで情報操作にご注意を!」という記事、いつもの堀端勤さんの文体ではない。どうも違和感がある。
念のためにこれも検索してみたら、starstory60さんの「キリスト者として今を生きる」というYahoo!ブログの同タイトルの記事が元になっていることがわかった。なんだ、じゃあ誤っているのは堀端勤さんではなくstarstory60さんだ。訂正する。
にしても、堀端勤さんの方の記事には何故転載元が載っていないのだろう。普通にYahoo!ブログの機能で転載すれば転載元が載るはずだが。よくわからない。
ところで、ではメルマガ「チェチェンイベントニュース」の人は、何を根拠にこの記事を書いたのだろう。
メールで問い合わせてみたところ、阿部浩己、森巣博、鵜飼哲『戦争の克服』(集英社新書、2006)という本の次の記述(森巣氏の語った内容)が根拠である旨の丁寧な返信をいただいた(ありがとうございました)。
《・・・言葉の置き換えによる言論誘導といえば、「過激派」もそうでしたね。1960年代末に、いわゆる新左翼集団をひとまとめにして過激派と呼ぶようになりました。「エクストリーミスト」を「過激派」と翻訳しただけで、当時、電通は三億円もらったと言われました。それまでは、反日共系全学連××派とか三派系全学連○○派とか個別に呼ばれていたのですよ。それは穏健派も暴力革命派もふくまれていたので、いっしょくたにできない集団でした。しかしそれでは取り締まる側に不都合なわけです。それで、「過激派」というレッテルを作り上げました。これなら、全員パクれる。一斉検挙が可能となった。
現在ではテロという言葉がいちばん効きます。テロ、テロリスト、テロ国家。言葉で世論が誘導されている・・・(p.111)》
なるほど。
「当時、電通は三億円もらったと言われました。」とあるから、おそらく当時そのような風聞があったのだろう。それは話の本筋ではなく、要は「言葉の置き換えによる言論誘導」の危険性について説かれている。
そういえば、米国が最近よく使う「テロリスト」という呼称に対して、第2次世界大戦時のヨーロッパでナチスの支配と戦った勢力は「パルチザン」と呼ばれて称揚されるが、ナチス側から見れば彼らも「テロリスト」だったのではないか、抵抗勢力を「テロリスト」と安易に呼ぶのは不適切ではないかといった批判を聞いた覚えがある。
「過激派」という呼称が、本当に1960年代末から用いられるようになったのか、また誰が名付けたのか、私は知らない。
ただ、「過激派」という言葉自体は、それ以前からわが国にはある。
ロシア革命の頃は、ボリシェヴィキを指して「過激派」と称していた(石橋湛山に「過激派を援助せよ」「過激派政府を承認せよ」というタイトルの論文がある)。
森巣は上記のように言うが、そもそも、いわゆる新左翼が、1960年代後半には大きく変化していたことにも留意しなければならないだろう。
高木正幸 『全学連と全共闘』((講談社現代新書、1985)によると、学生運動は、1967年の羽田闘争をターニングポイントとして、武装化、過激化の方向に大きく転回したという。
国民は60年安保の時には学生に同情的だったが、70年安保の時には大学紛争は社会から遊離しており、国民は冷めた目で見ていたという印象がある。
また、「過激派」という言葉から連想されるのは、火炎瓶闘争、爆弾やロケット弾の製作、内ゲバ、よど号事件、日本赤軍、あさま山荘事件、連続企業爆破事件といったもので、必ずしも新左翼系の学生運動や労働者運動が皆「過激派」と見られているわけではないだろう。例えば、安田講堂籠城組を「過激派」とは普通呼ばないだろう。
森巣の言い分には一理あると思うが、果たして実態はどうだっただろうか。穏健派も「過激派」のレッテルを貼られてどんどん検挙されていったのだろうか。ならば70年代のさらに過激な闘争など有り得なかったと思うのだが、どうだろう。新左翼の退潮は、大衆からの遊離や、内ゲバや極端な武装闘争への幻滅が主因ではないだろうか。
それにしても、森巣は、単に「当時、電通は三億円もらったと言われました。」と述べているだけで、その真偽については触れておらず、話の要点は別の所にある。そして「チェチェンニュース」の記事もその趣旨を踏まえたものであり、またそれを引用したTOCKAさんもこの箇所については何ら論評していない。ところが、TOCKAさんの記事を読んだstarstory60さんは、頭からこの箇所を信じ込んだのだろうか、「電通には、3億円払われたそうだ。たった1語の翻訳でよ!」と、事実であるかのように力説している。この記事、そして転載記事(堀端勤さんのほかにも転載している人がいる)を読んだ人の中には、なんと! たった1語の翻訳に3億円も! 実にけしからん話だなあと思う人も出てくることだろう。
デマというものが、どのようにして発生していくのかを示す見本のような事例だと思った。
《TOCKAさんによると、1960年代に「過激派」という言葉をextremistの訳語として作り出した広告代理店の電通には、3億円払われたそうだ。たった1語の翻訳でよ!》
常識的に言って、そんなことがあり得るだろうか。
そこで私は、この記事に次のようなコメントを付けた。
《《TOCKAさんによると、1960年代に「過激派」という言葉をextremistの訳語として作り出した広告代理店の電通には、3億円払われたそうだ。たった1語の翻訳でよ!》←こんなことあり得ないと思います。出所を教えていただけませんか。TOCKAさんに確認してみたいと思います。 》
私はこのコメントをした同じ日に、この堀端勤さんのブログにほかにも2つコメントをしているが、その2つのコメントは間もなく削除された。が、このコメントのみは現在も残っている。しかし、堀端勤さんからは何の返答もない。
TOCKAさんとは、この堀端勤さんのブログの常連で、同じくYahoo!ブログで「ロシア・CIS・チェチェン 」というブログを開いている方のことだろう。
直接質問しようかとも思ったが、その前に検索してみた。
すると、あっさり見つかった。TOCKAさんのブログの「【転載】B層マーケティング注意報! 」という記事だ。
なお、タイトルに「転載」とあるが、これはYahoo!ブログでよくある、他のYahoo!ブログの記事の丸ごと転載ではなく、「チェチェンイベントニュース」というメルマガの記事の転載という意味らしい。
この記事中のメルマガの引用部分に、次のような記述がある。
《一つ例を挙げると、広告代理店の電通は、1960年代の終わりに「エクストリーミスト」を「過激派」と翻訳しただけで3億円をもらったと言われています。いわゆる新左翼集団をひとまとめにする「過激派」というレッテルは、その範疇外にいる人々が当局による「過激派」への人権侵害を容認する社会を作り出しました。現在では「テロリスト」という言葉がその一つです。》
だから、堀端勤さんが「TOCKAさんによると」と書いているのは誤りだ。正しくは「TOCKAさんが引用しているメルマガの記事によると」でなければならない。いいかげんだなあ。
しかし、この「選挙まで情報操作にご注意を!」という記事、いつもの堀端勤さんの文体ではない。どうも違和感がある。
念のためにこれも検索してみたら、starstory60さんの「キリスト者として今を生きる」というYahoo!ブログの同タイトルの記事が元になっていることがわかった。なんだ、じゃあ誤っているのは堀端勤さんではなくstarstory60さんだ。訂正する。
にしても、堀端勤さんの方の記事には何故転載元が載っていないのだろう。普通にYahoo!ブログの機能で転載すれば転載元が載るはずだが。よくわからない。
ところで、ではメルマガ「チェチェンイベントニュース」の人は、何を根拠にこの記事を書いたのだろう。
メールで問い合わせてみたところ、阿部浩己、森巣博、鵜飼哲『戦争の克服』(集英社新書、2006)という本の次の記述(森巣氏の語った内容)が根拠である旨の丁寧な返信をいただいた(ありがとうございました)。
《・・・言葉の置き換えによる言論誘導といえば、「過激派」もそうでしたね。1960年代末に、いわゆる新左翼集団をひとまとめにして過激派と呼ぶようになりました。「エクストリーミスト」を「過激派」と翻訳しただけで、当時、電通は三億円もらったと言われました。それまでは、反日共系全学連××派とか三派系全学連○○派とか個別に呼ばれていたのですよ。それは穏健派も暴力革命派もふくまれていたので、いっしょくたにできない集団でした。しかしそれでは取り締まる側に不都合なわけです。それで、「過激派」というレッテルを作り上げました。これなら、全員パクれる。一斉検挙が可能となった。
現在ではテロという言葉がいちばん効きます。テロ、テロリスト、テロ国家。言葉で世論が誘導されている・・・(p.111)》
なるほど。
「当時、電通は三億円もらったと言われました。」とあるから、おそらく当時そのような風聞があったのだろう。それは話の本筋ではなく、要は「言葉の置き換えによる言論誘導」の危険性について説かれている。
そういえば、米国が最近よく使う「テロリスト」という呼称に対して、第2次世界大戦時のヨーロッパでナチスの支配と戦った勢力は「パルチザン」と呼ばれて称揚されるが、ナチス側から見れば彼らも「テロリスト」だったのではないか、抵抗勢力を「テロリスト」と安易に呼ぶのは不適切ではないかといった批判を聞いた覚えがある。
「過激派」という呼称が、本当に1960年代末から用いられるようになったのか、また誰が名付けたのか、私は知らない。
ただ、「過激派」という言葉自体は、それ以前からわが国にはある。
ロシア革命の頃は、ボリシェヴィキを指して「過激派」と称していた(石橋湛山に「過激派を援助せよ」「過激派政府を承認せよ」というタイトルの論文がある)。
森巣は上記のように言うが、そもそも、いわゆる新左翼が、1960年代後半には大きく変化していたことにも留意しなければならないだろう。
高木正幸 『全学連と全共闘』((講談社現代新書、1985)によると、学生運動は、1967年の羽田闘争をターニングポイントとして、武装化、過激化の方向に大きく転回したという。
国民は60年安保の時には学生に同情的だったが、70年安保の時には大学紛争は社会から遊離しており、国民は冷めた目で見ていたという印象がある。
また、「過激派」という言葉から連想されるのは、火炎瓶闘争、爆弾やロケット弾の製作、内ゲバ、よど号事件、日本赤軍、あさま山荘事件、連続企業爆破事件といったもので、必ずしも新左翼系の学生運動や労働者運動が皆「過激派」と見られているわけではないだろう。例えば、安田講堂籠城組を「過激派」とは普通呼ばないだろう。
森巣の言い分には一理あると思うが、果たして実態はどうだっただろうか。穏健派も「過激派」のレッテルを貼られてどんどん検挙されていったのだろうか。ならば70年代のさらに過激な闘争など有り得なかったと思うのだが、どうだろう。新左翼の退潮は、大衆からの遊離や、内ゲバや極端な武装闘争への幻滅が主因ではないだろうか。
それにしても、森巣は、単に「当時、電通は三億円もらったと言われました。」と述べているだけで、その真偽については触れておらず、話の要点は別の所にある。そして「チェチェンニュース」の記事もその趣旨を踏まえたものであり、またそれを引用したTOCKAさんもこの箇所については何ら論評していない。ところが、TOCKAさんの記事を読んだstarstory60さんは、頭からこの箇所を信じ込んだのだろうか、「電通には、3億円払われたそうだ。たった1語の翻訳でよ!」と、事実であるかのように力説している。この記事、そして転載記事(堀端勤さんのほかにも転載している人がいる)を読んだ人の中には、なんと! たった1語の翻訳に3億円も! 実にけしからん話だなあと思う人も出てくることだろう。
デマというものが、どのようにして発生していくのかを示す見本のような事例だと思った。