BLOGOSに転載された、内田樹の「領土問題は終わらない」という記事を読んだ。
不審な点が多々あるので、書き留めておく。
何だか言いがかりじみている。
「日米安保条約について」「北方領土問題について」400字で一から論じよというのなら確かに無理な話だ。しかし、韓国大統領の竹島上陸や尖閣諸島への香港の活動家の上陸について、400字で意見を述べるのはできなくもないだろう。実際それに応じている識者も多数いるだろう。
「正確な分析や見通しが語られるはずがない」と言うが、そんなことは編集者も承知しているだろう。その上で、なるべく多くの識者の知見を載せたいのだろう。
そもそも文藝春秋の依頼は「400~800字のコメントを」というのだから、「400字以内で」ではない。また、日米安保や北方領土問題についてのコメントを依頼してきたわけでもないのに、不思議な反応だ。
依頼を断るのは内田の自由だが、わざわざ公にしなければならないことだろうか。文藝春秋に何か含むところでもあるのだろうか。
あるいは、俺って仕事を選べるんだぜという自慢か。そんなつまらん依頼をよこすなよという牽制か。
なるほど、と思わせられる。
たしかに、中華思想に基づく国境感とはそのようなものであったろうし、琉球処分や台湾の割譲に対しても、際だった抵抗は見せていない。
故に、尖閣諸島についても、「あいまい」な状態であることを中国人は望むのだろう。日本人は、中国人がそのような「自分とは違う考え方をする人間」であることを理解し、それに対応した政策を採らないと「領土問題は永遠に解決しない」だろう、と。
しかし、少し考えてみると、これはおかしい。
尖閣諸島がわが国の領土に編入されたのは日清戦争さなかの1895年のことである。しかしこれは戦争によって獲得したものではなく、無人島であり清国の支配が及んでいない諸島を編入したにすぎない。日清戦争の結果わが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島とは異なる。
そして、清国を倒して成立した中華民国も、それを台湾に放逐した中華人民共和国も、尖閣諸島を何ら問題にしてこなかった。
よく知られているように、1970年に石油埋蔵の可能性が指摘されて、はじめて両国ともその領有権を主張をするに至ったのである。
だから、
と、あたかも国境を明確にしたことが彼らの怒りを呼んだかのように語るのは、正しくない。
中華人民共和国とロシアとの間の国境紛争は、ロシアがソ連だったころから長らく続いていたが、2004年にプーチン大統領と胡錦濤国家主席の間で最終的な合意が成立した。明確な国境が定められたのであり、「あいまい」な状態が維持されたのではない。
それをもって中華人民共和国政府や中国共産党、あるいは同国の国民が「ナーバスにな」ったとは聞かない。
そもそも中国に限らず、古来、国境などというものは、「あいまい」であったろう。
明確な国境線の画定と、それに伴う領土問題の発生は、おそらくは近代ヨーロッパに始まるのだろう。
わが国にしたって、国境を画定したのは、欧米列強との交渉を余儀なくされた19世紀後半に至ってからのことだ。
私は『蹇蹇録』を読んでいないので、陸奥が近代の国民国家や国境の概念と清国のそれとがどのように違っていたと記しているのか、またそれを利用してどのように領土問題でアドバンテージをとったのか、正確には知らない。
だが、この内田の文から察するに、化外の地である台湾は、清国にとってそれほど重みを持たなかったという程度のことなのではないだろうか。
だとすれば、陸奥の時代、清国に対しては、たしかにそのような認識によって、わが国は交渉を優位に進め得たのかもしれない。
しかし、現代においてはどうだろうか。
中華人民共和国や中華民国(台湾)が尖閣諸島を明確に領土だと主張している現在、内田が言うような中華思想に基づく世界観を考慮することに何の意味があるだろうか。
これは要するに、現実に立脚した話ではなく、何か気の利いたこと、一風変わったことを口にして、商品にしてやろうというだけのことではないだろうか。
仮に内田の言うとおりだとして、では現代の中国にはどう当たるべきなのか、その具体的な提言はない。単なる放言である。
自分は思想家としてこんなオモシロイ見方を考えたよ、でも現実への対応は政治家や官僚諸君に任せたからヨロシクね、ということでしかない。
声明に「謝罪の言葉」を入れることと賠償請求が二者択一であるかのように書いているが、これはおかしい。
「謝罪の言葉」があって、なおかつ賠償を認めさせることも可能だろう。
「謝罪の言葉」がなくても、賠償を認めさせることもまた可能だろう。
賠償請求を放棄したのは、米国をはじめとする多くの交戦国もまたサンフランシスコ平和条約でこれを放棄しており、そして何より日華平和条約で中華民国政府もまた放棄していたからだろう。
したがって、中華人民共和国政府が中華民国に代わって中国における唯一合法の政府であるという立場を継承するなら、賠償請求権の放棄もまた継承すべきであるというのがわが国の立場だった。それを中華人民共和国政府が受け入れたというだけのことにすぎない。
中華人民共和国にとっても、わが国との国交正常化は喫緊の課題であった。周恩来に限らず「誰もがそう」しただろう。
「謝罪の言葉」を入れさせたことは中華人民共和国の外交的成果だと言えるだろう。日華平和条約には「謝罪の言葉」はない。
しかし、サンフランシスコ平和条約にもまた「謝罪の言葉」はない。それが当時の国際常識だったのだろう。
では何故、中華人民共和国政府は「謝罪の言葉」を要求し、わが国もまたそれに応じたか。それは、わが国の米英蘭豪などとの戦いは言わば普通の戦争であったが、中国との戦いは端的に言って侵略戦争であったということ、中華人民共和国はイデオロギーに基づく政権であり中華民国政府のように国際常識にはとらわれなかったこと、そして、わが国としてもその点に言及するのはやむを得ないとの贖罪意識があったからだろう。
服部龍二『日中国交正常化』(中公新書、2011)によると、日中国交正常化交渉当時外務省中国課長を務め、交渉に深く関与した橋本恕は、2008年に行われたインタビューで服部に対しこう語ったという。
なお、日中共同声明は内田の言う1973年ではなく1972年である。
棚上げといえば、わが国は北方領土を棚上げしてソ連との国交を回復し、竹島を棚上げして韓国との国交を樹立した。
鳩山一郎や佐藤栄作がこの棚上げについてどう語っているか、ここで確かめる余裕はない。しかし、考え方としては、ここで内田が挙げている小平の「正しい唯一の解決を可及的すみやかに達成しようとすることがつねに両国の国益に資するものではない」と全く変わらないだろう。
そしてそれはまた、小泉政権や今回の野田政権の下での尖閣諸島に上陸した中国人の強制送還とも同様だろう。
政治基盤が脆かろうが脆くなかろうが、政治家なら誰しもがそう対応するのではないだろうか。
ソ連は1960年に「北方領土は返還できない」と言ってきたのではない。
1956年の日ソ共同宣言では、両国間に平和条約が締結された後、ソ連は歯舞群島と色丹島を日本に引き渡すとされている。
だが、1960年の日米安保条約の改定に際して、この引き渡しには日本領土からの全外国軍隊の撤退を要すると新たな条件を一方的に付けてきたのだ。そしてさらに、領土問題は解決済みと主張した。
双方が合意した内容を一方的に翻したのである。つまり、背信行為である。
このような国とまともな外交はできない。
しかし、現在のロシアは、同じような主張はしていない。
エリツィン政権もプーチン政権も、日ソ共同宣言を有効であると認めている。
メドヴェージェフは大統領時代と首相時代の二度にわたって国後島を訪問したが、彼がそれに際し、在日米軍の存在を批判したとは聞かない。
内田は、何をもって、「その主張の筋目は今も変わっていない」と言うのだろうか。
また、仮にそうだとして、その要求に従って在日米軍の撤退が実現したとしても、それでロシアが引き渡しに応じるのは歯舞群島と色丹島のみである。択捉、国後は含まれていない。
したがって、在日米軍の撤退によって領土問題は解決などしない。
「アメリカがそれを望んでいない」かどうかは私は知らないが、内田が言う「ソリューションが採択されない」のは、何よりわが国民が、在日米軍の全面撤退などという事態を望んでいないからだろう。
「国内に治外法権の外国軍の駐留基地を持つ限り、その国は主権国家としての条件を全うしていない」と考える内田としては、全面撤退が望むところなのだろう。
だが、多くの国民はそれを望んでいない。それだけのことだろう。
望んでいるのなら、そう主張する政治家や政党がもっと支持を得ていいはずである。
それに、沖縄は既にわが国に返還されている。軍事的要素だけが肝心なのなら、ソ連も沖縄返還に合わせて自軍の基地を残したまま北方領土の返還をわが国に持ちかけるべきではなかったか。
もちろんそんなことは有り得ない。
「北方領土問題は「南方領土問題」とセットになって」などいないのである。
この「竹島で日韓両軍が交戦状態に入った」とはどういう事態を想定しているのであろうか。
自衛隊が竹島奪回を目指してこれに侵攻し、なおかつわが政府が日米安保条約に基づいて米軍に出動を要請するというのだろうか。
だとすれば、米軍は動かない。
内田の日米安保条約第5条の引用は正しくない。
正しい条文は以下のとおりである(東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室のサイトから)。
「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃」となっている。
竹島はわが国の領土ではあるが施政下にはない。
そしてそもそも攻撃したのが日本側なら、なおのこと米軍が動く理由にはならない。
しかし、
ここを読むと、韓国軍が竹島に上陸してきたら「竹島で日韓両軍が交戦状態に入った」ことになり、わが国が米軍に出動を要請することになると内田は考えているようにも読める。
これもおかしな話で、軍が上陸しようがしまいが竹島を韓国が実効支配していることに何ら変わりはない。
さらに言えば軍が上陸したというだけでは「武力攻撃」には当たらない。
わが国の反韓感情はさらに高まるだろうが、そんなことでわが国が自衛隊を竹島に派遣し交戦状態に陥ることなど有り得ないし、それで米軍が出動しないからといって「日本人は激怒して、日米安保条約の即時廃棄を選択する」ことなども有り得ない。
「それは私が保証する。」
妄想の広がりっぷりにもはやついていけない。
「日本がフリーハンドであれば」とは、日米安保もなければ在日米軍もない状態を指すのだろう。
では仮にそうなったとして、それで北方領土問題や竹島、尖閣諸島の問題が解決するのだろうか。
在日米軍がいようがいまいが、北方領土をロシアが返すかどうかは別問題だろう。竹島はなおさら無関係だ。
それとも内田は、アルゼンチンが英領フォークランドに侵攻したように、わが国の武力行使による解決を目指すべきだというのだろうか。
しかし、わが国は内田の支持する憲法第9条によって、「国際紛争を解決する手段」としての「武力の行使」を放棄させられている。
どうにもならない。
尖閣諸島に至っては、仮に中華人民共和国が侵攻してきたとしたら、わが国は自衛権を発動し、応戦することになるだろう。
しかし、わが自衛隊だけではその撃退が困難であれば、日米安保がない場合、国際連合憲章第7章に基づく国連軍の派遣を要請するとしても、当の中華人民共和国が国連安保理の常任理事国なのである。
したがって、国連軍の派遣は期待できず、尖閣諸島が中華人民共和国に実効支配されてしまうという事態も有り得る。
「日本がフリーハンドであ」ったとしても、北方領土や竹島や尖閣諸島の問題が解決できるとは到底言えない。
内田は、中途半端に聞きかじったいくつかの知識を根拠に、領土問題全般について寝言をほざいているだけだと感じる。
不思議なことだが、こういった珍論でもそれを求める読者や編集者がおり、それ故に商品として流通するのだろう。
しかし、商品価値はあっても、それらは事実誤認を多々含む戯れ言にすぎず、現実の問題解決にに何ら資するものではない。要するに、単なるヨタ話にすぎない。
そういったことは、読者の頭の片隅に置いていただきたいものだ。
(以下2012.8.27 00:39付記)
内田は、米韓相互防衛条約は「「戦時」における作戦統制権は米軍にあると定めている」としているが、念のため、東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室のサイトで同条約の内容を確認したところ、そのような文言は見当たらない。
コトバンクの「戦時作戦統制権移管の米韓合意」という項目には、
とある。
米韓相互防衛条約は関係ないのではないか。
内田はさらに、
と述べているが、竹島上陸がわが国からの攻撃に対する応戦でなく、単なる示威行動なら、それは「平時」であるから、韓国の判断で行えることであり、在韓米軍は関係ない。
これまたヨタ話。
なお、このコトバンクの解説には、
ともあるが、その後この移管は李明博政権の下で2015年末に繰り延べすることになったそうだ。
そして今年7月、パネッタ米国防長官はこの予定どおり2015年に戦時作戦統制権を韓国側に移管し、米韓連合司令部は解体すると表明している。
この予定どおりに進めば、内田のヨタのネタ元が一つ減ることになる。
不審な点が多々あるので、書き留めておく。
韓国大統領の竹島上陸と尖閣への香港の活動家の上陸で、メディアが騒然としている。
私のところにも続けて三社から取材と寄稿依頼が来た。
寄稿依頼は文藝春秋で、この問題について400~800字のコメントを、というものだった。
そのような短い字数で外交問題について正確な分析や見通しが語られるはずがないのでお断りした。
日米安保条約について、あるいは北方領土問題について400字以内で意見を述べることが「できる」というふうに文藝春秋の編集者が信じているとしたら、彼らは「あまりにテレビを見過ぎてきた」と言うほかない。
何だか言いがかりじみている。
「日米安保条約について」「北方領土問題について」400字で一から論じよというのなら確かに無理な話だ。しかし、韓国大統領の竹島上陸や尖閣諸島への香港の活動家の上陸について、400字で意見を述べるのはできなくもないだろう。実際それに応じている識者も多数いるだろう。
「正確な分析や見通しが語られるはずがない」と言うが、そんなことは編集者も承知しているだろう。その上で、なるべく多くの識者の知見を載せたいのだろう。
そもそも文藝春秋の依頼は「400~800字のコメントを」というのだから、「400字以内で」ではない。また、日米安保や北方領土問題についてのコメントを依頼してきたわけでもないのに、不思議な反応だ。
依頼を断るのは内田の自由だが、わざわざ公にしなければならないことだろうか。文藝春秋に何か含むところでもあるのだろうか。
あるいは、俺って仕事を選べるんだぜという自慢か。そんなつまらん依頼をよこすなよという牽制か。
『GQ』と毎日新聞の取材にはそれぞれ20分ほど話した。
とりあえず、「中華思想には国境という概念がない」ということと「領土問題には目に見えている以外に多くのステイクホルダーがいる」ということだけには言及できた。
華夷秩序的コスモロジーには「国境」という概念がないということは『日本辺境論』でも述べた。
私の創見ではない。津田左右吉がそう言ったのを引用しただけである。
「中国人が考えている中国」のイメージに、私たち日本人は簡単には想像が及ばない。
中国人の「ここからここまでが中国」という宇宙論的な世界把握は2000年前にはもう輪郭が完成していた。「国民国家」とか「国際法」とかいう概念ができる1500年も前の話である。
だから、それが国際法に規定している国民国家の境界線の概念と一致しないと文句をつけても始まらない。
勘違いしてほしくないが、私は「中国人の言い分が正しい」と言っているわけではない。
彼らに「国境」という概念(があるとすれば)それは私たちの国境概念とはずいぶん違うものではないかと言っているのである。
日清戦争のとき明治政府の外交の重鎮であった陸奥宗光は近代の国際法の規定する国民国家や国境の概念と清朝のそれは「氷炭相容れざる」ほど違っていたと『蹇蹇録』に記している。
陸奥はそれを知った上で、この概念の違いを利用して領土問題でアドバンテージをとる方法を工夫した(そしてそれに成功した)。
陸奥のすすめた帝国主義的領土拡張政策に私は同意しないが、彼が他国人の外交戦略を分析するときに当今の政治家よりはるかにリアリストであったことは認めざるを得ない。
国境付近の帰属のはっきりしない土地については、それが「あいまい」であることを中国人はあまり苦にしない(台湾やかつての琉球に対しての態度からもそれは知れる)。
彼らがナーバスになるのは、「ここから先は中国ではない」という言い方をされて切り立てられたときである。
華夷秩序では、中華皇帝から同心円的に拡がる「王化の光」は拡がるについて光量を失い、フェイドアウトする。だんだん中華の光が及ばない地域になってゆく。だが、「ここから先は暗闇」というデジタルな境界線があるわけではない。それを認めることは華夷秩序コスモロジーになじまない。
繰り返し言うが、私は「そういう考え方に理がある」と言っているのではない。
そうではなくて、明治の政治家は中国人が「そういう考え方」をするということを知っており、それを「勘定に入れる」ことができたが、現代日本では、政治家もメディアも、「自分とは違う考え方をする人間」の思考を理解しようとしないことを指摘しているだけである。
なるほど、と思わせられる。
たしかに、中華思想に基づく国境感とはそのようなものであったろうし、琉球処分や台湾の割譲に対しても、際だった抵抗は見せていない。
故に、尖閣諸島についても、「あいまい」な状態であることを中国人は望むのだろう。日本人は、中国人がそのような「自分とは違う考え方をする人間」であることを理解し、それに対応した政策を採らないと「領土問題は永遠に解決しない」だろう、と。
しかし、少し考えてみると、これはおかしい。
尖閣諸島がわが国の領土に編入されたのは日清戦争さなかの1895年のことである。しかしこれは戦争によって獲得したものではなく、無人島であり清国の支配が及んでいない諸島を編入したにすぎない。日清戦争の結果わが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島とは異なる。
そして、清国を倒して成立した中華民国も、それを台湾に放逐した中華人民共和国も、尖閣諸島を何ら問題にしてこなかった。
よく知られているように、1970年に石油埋蔵の可能性が指摘されて、はじめて両国ともその領有権を主張をするに至ったのである。
だから、
彼らがナーバスになるのは、「ここから先は中国ではない」という言い方をされて切り立てられたときである。
と、あたかも国境を明確にしたことが彼らの怒りを呼んだかのように語るのは、正しくない。
中華人民共和国とロシアとの間の国境紛争は、ロシアがソ連だったころから長らく続いていたが、2004年にプーチン大統領と胡錦濤国家主席の間で最終的な合意が成立した。明確な国境が定められたのであり、「あいまい」な状態が維持されたのではない。
それをもって中華人民共和国政府や中国共産党、あるいは同国の国民が「ナーバスにな」ったとは聞かない。
そもそも中国に限らず、古来、国境などというものは、「あいまい」であったろう。
明確な国境線の画定と、それに伴う領土問題の発生は、おそらくは近代ヨーロッパに始まるのだろう。
わが国にしたって、国境を画定したのは、欧米列強との交渉を余儀なくされた19世紀後半に至ってからのことだ。
私は『蹇蹇録』を読んでいないので、陸奥が近代の国民国家や国境の概念と清国のそれとがどのように違っていたと記しているのか、またそれを利用してどのように領土問題でアドバンテージをとったのか、正確には知らない。
だが、この内田の文から察するに、化外の地である台湾は、清国にとってそれほど重みを持たなかったという程度のことなのではないだろうか。
だとすれば、陸奥の時代、清国に対しては、たしかにそのような認識によって、わが国は交渉を優位に進め得たのかもしれない。
しかし、現代においてはどうだろうか。
中華人民共和国や中華民国(台湾)が尖閣諸島を明確に領土だと主張している現在、内田が言うような中華思想に基づく世界観を考慮することに何の意味があるだろうか。
これは要するに、現実に立脚した話ではなく、何か気の利いたこと、一風変わったことを口にして、商品にしてやろうというだけのことではないだろうか。
仮に内田の言うとおりだとして、では現代の中国にはどう当たるべきなのか、その具体的な提言はない。単なる放言である。
自分は思想家としてこんなオモシロイ見方を考えたよ、でも現実への対応は政治家や官僚諸君に任せたからヨロシクね、ということでしかない。
周恩来は1973年の日中共同声明において、日本に「日本側は過去において、日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えた責任を痛感し、深く反省する」という文言を呑ませたが、戦時賠償請求は放棄した。
周恩来は賠償金を受け取るよりも一行の謝罪の言葉を公文書に記させることの方が国益増大に資するという判断をした。
「言葉」を「金」より重く見たのである。
これは「誰でもそうする」という政治判断ではない。
声明に「謝罪の言葉」を入れることと賠償請求が二者択一であるかのように書いているが、これはおかしい。
「謝罪の言葉」があって、なおかつ賠償を認めさせることも可能だろう。
「謝罪の言葉」がなくても、賠償を認めさせることもまた可能だろう。
賠償請求を放棄したのは、米国をはじめとする多くの交戦国もまたサンフランシスコ平和条約でこれを放棄しており、そして何より日華平和条約で中華民国政府もまた放棄していたからだろう。
したがって、中華人民共和国政府が中華民国に代わって中国における唯一合法の政府であるという立場を継承するなら、賠償請求権の放棄もまた継承すべきであるというのがわが国の立場だった。それを中華人民共和国政府が受け入れたというだけのことにすぎない。
中華人民共和国にとっても、わが国との国交正常化は喫緊の課題であった。周恩来に限らず「誰もがそう」しただろう。
「謝罪の言葉」を入れさせたことは中華人民共和国の外交的成果だと言えるだろう。日華平和条約には「謝罪の言葉」はない。
しかし、サンフランシスコ平和条約にもまた「謝罪の言葉」はない。それが当時の国際常識だったのだろう。
では何故、中華人民共和国政府は「謝罪の言葉」を要求し、わが国もまたそれに応じたか。それは、わが国の米英蘭豪などとの戦いは言わば普通の戦争であったが、中国との戦いは端的に言って侵略戦争であったということ、中華人民共和国はイデオロギーに基づく政権であり中華民国政府のように国際常識にはとらわれなかったこと、そして、わが国としてもその点に言及するのはやむを得ないとの贖罪意識があったからだろう。
服部龍二『日中国交正常化』(中公新書、2011)によると、日中国交正常化交渉当時外務省中国課長を務め、交渉に深く関与した橋本恕は、2008年に行われたインタビューで服部に対しこう語ったという。
田中さんと大平さんでどこが違うかというと、角さんも大平さんも、あの当時の日本人の一人として、中国に対してね、ずいぶん中国人をひどい目に遭わせたという、いわゆるギルティ・コンシャネス〔罪の意識〕を共通に持っていました。しかし、中国に対するこのギルティ・コンシャネスが一番強烈なのが大平さんだったと、私は思っているのです。(p.46)
なお、日中共同声明は内田の言う1973年ではなく1972年である。
小平は78年に有名な「棚上げ論」を語った。
複雑な係争案件については、正しい唯一の解決を可及的すみやかに達成しようとすることがつねに両国の国益に資するものではないという小平談話にはいろいろ批判もあるが、それが「誰でも言いそうなこと」ではないということは揺るがない。例えば、国内における政治基盤が脆い政治家にはそんなことは口が裂けても言えない。
棚上げといえば、わが国は北方領土を棚上げしてソ連との国交を回復し、竹島を棚上げして韓国との国交を樹立した。
鳩山一郎や佐藤栄作がこの棚上げについてどう語っているか、ここで確かめる余裕はない。しかし、考え方としては、ここで内田が挙げている小平の「正しい唯一の解決を可及的すみやかに達成しようとすることがつねに両国の国益に資するものではない」と全く変わらないだろう。
そしてそれはまた、小泉政権や今回の野田政権の下での尖閣諸島に上陸した中国人の強制送還とも同様だろう。
政治基盤が脆かろうが脆くなかろうが、政治家なら誰しもがそう対応するのではないだろうか。
もうひとつメディアがまったく報じないのは、「領土問題の他のステイクホルダー」のことである。
領土問題は二国間問題ではない。
前にも書いたことだが、例えば北方領土問題は「南方領土問題」とセットになっている。
ソ連は1960年に「日米安保条約が締結されて日本国内に米軍が常駐するなら、北方領土は返還できない」と言ってきた。
その主張の筋目は今も変わっていない。
だが、メディアや政治家はこの問題がまるで日ロ二カ国「だけ」の係争案件であるかのように語っている。アメリカが動かないと「話にならない」話をまるでアメリカに関係のない話であるかのように進めている。それなら問題が解決しないのは当たり前である。
ソ連は1960年に「北方領土は返還できない」と言ってきたのではない。
1956年の日ソ共同宣言では、両国間に平和条約が締結された後、ソ連は歯舞群島と色丹島を日本に引き渡すとされている。
だが、1960年の日米安保条約の改定に際して、この引き渡しには日本領土からの全外国軍隊の撤退を要すると新たな条件を一方的に付けてきたのだ。そしてさらに、領土問題は解決済みと主張した。
双方が合意した内容を一方的に翻したのである。つまり、背信行為である。
このような国とまともな外交はできない。
しかし、現在のロシアは、同じような主張はしていない。
エリツィン政権もプーチン政権も、日ソ共同宣言を有効であると認めている。
メドヴェージェフは大統領時代と首相時代の二度にわたって国後島を訪問したが、彼がそれに際し、在日米軍の存在を批判したとは聞かない。
内田は、何をもって、「その主張の筋目は今も変わっていない」と言うのだろうか。
また、仮にそうだとして、その要求に従って在日米軍の撤退が実現したとしても、それでロシアが引き渡しに応じるのは歯舞群島と色丹島のみである。択捉、国後は含まれていない。
したがって、在日米軍の撤退によって領土問題は解決などしない。
当のアメリカは北方領土問題の解決を望んでいない。
それが米軍の日本常駐の終結と「沖縄返還」とセットのものだからだ。
領土問題が解決すれば、日本は敗戦時から外国軍に不当占拠されている北方領土と「南方領土」の両方を獲得することになる。
全国民が歓呼の声で迎えてよいはずのこのソリューションが採択されないのは、アメリカがそれを望んでいないからである。
あるいは「アメリカはそれを望んでいない」と日本の政治家や官僚やメディアが「忖度」しているからである。
「アメリカがそれを望んでいない」かどうかは私は知らないが、内田が言う「ソリューションが採択されない」のは、何よりわが国民が、在日米軍の全面撤退などという事態を望んでいないからだろう。
「国内に治外法権の外国軍の駐留基地を持つ限り、その国は主権国家としての条件を全うしていない」と考える内田としては、全面撤退が望むところなのだろう。
だが、多くの国民はそれを望んでいない。それだけのことだろう。
望んでいるのなら、そう主張する政治家や政党がもっと支持を得ていいはずである。
それに、沖縄は既にわが国に返還されている。軍事的要素だけが肝心なのなら、ソ連も沖縄返還に合わせて自軍の基地を残したまま北方領土の返還をわが国に持ちかけるべきではなかったか。
もちろんそんなことは有り得ない。
「北方領土問題は「南方領土問題」とセットになって」などいないのである。
竹島はまた違う問題である。
さいわい、この問題は今以上こじれることはない。
「こういう厭な感じ」がいつまでもエンドレスで続くだけである。
あるいはもっと重大な衝突が起きるかもしれないが、軍事的衝突にまでは決してゆかない。
それは私が保証する。
というのは、もし竹島で日韓両軍が交戦状態に入ったら、当然日本政府はアメリカに対して、日米安保条約に基づいて出動を要請するからである。
安保条第五条にはこう書いてある。
「両国の日本における、(日米)いずれか一方に対する攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであるという位置づけを確認し、憲法や手続きに従い共通の危険に対処するように行動することを宣言している。」
領土内への他国の軍隊の侵入は誰がどう言いつくろっても日本の「平和及び安全を危うくする」事態である。
こういうときに発動しないなら、いったい安保条約はどういうときに発動するのか。
他国の軍隊が自国領に侵入したときに、米軍が動かなければ、日本国民の過半は「日米安全保障条約は空文だった」という認識に至るだろう。
それはもう誰にも止められない。
そのような空文のために戦後数十年間膨大な予算を投じ、軍事的属国としての屈辱に耐えてきたということを思い出した日本人は激怒して、日米安保条約の即時廃棄を選択するだろう。
竹島への韓国軍上陸の瞬間に、アメリカは東アジアにおける最も「使い勝手のよい」属国をひとつ、永遠に失うことになる。
この「竹島で日韓両軍が交戦状態に入った」とはどういう事態を想定しているのであろうか。
自衛隊が竹島奪回を目指してこれに侵攻し、なおかつわが政府が日米安保条約に基づいて米軍に出動を要請するというのだろうか。
だとすれば、米軍は動かない。
内田の日米安保条約第5条の引用は正しくない。
正しい条文は以下のとおりである(東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室のサイトから)。
第五条
各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宜言{宜はママ}する。
前記の武力攻撃及びその結果として執つたすべての措置は、国際連合憲章第五十一条の規定に従つて直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事国が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執つたときは、終止しなければならない。
「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃」となっている。
竹島はわが国の領土ではあるが施政下にはない。
そしてそもそも攻撃したのが日本側なら、なおのこと米軍が動く理由にはならない。
しかし、
それに米韓相互防衛条約というものがあることを忘れてはいけない。
これは「戦時」における作戦統制権は米軍にあると定めている。
だから韓国軍の竹島上陸という「作戦」は在韓米軍司令部の指揮下に実施された軍事作戦なのである。
ここを読むと、韓国軍が竹島に上陸してきたら「竹島で日韓両軍が交戦状態に入った」ことになり、わが国が米軍に出動を要請することになると内田は考えているようにも読める。
これもおかしな話で、軍が上陸しようがしまいが竹島を韓国が実効支配していることに何ら変わりはない。
さらに言えば軍が上陸したというだけでは「武力攻撃」には当たらない。
わが国の反韓感情はさらに高まるだろうが、そんなことでわが国が自衛隊を竹島に派遣し交戦状態に陥ることなど有り得ないし、それで米軍が出動しないからといって「日本人は激怒して、日米安保条約の即時廃棄を選択する」ことなども有り得ない。
「それは私が保証する。」
つまり、「韓国軍の竹島上陸」はすでに日米安保条約をアメリカが一方的に破棄した場合にしか実現しないのである。
その場合、日本政府にはもはやアメリカと韓国に対して同時に宣戦を布告するというオプションしか残されていない(その前に憲法改正が必要だが)。
しかし、軍事的に孤立無援となった日本が米韓軍と同時に戦うというこのシナリオをまじめに検討している人は自衛隊内部にさえいないと思う(なにしろ北海道以外のすべての日本国内の米軍基地で戦闘が始まるのである)。
妄想の広がりっぷりにもはやついていけない。
このことからわかるように、外交についての経験則のひとつは「ステイクホルダーの数が多ければ多いほど、問題解決も破局もいずれも実現する確率が減る」ということである。
日本はあらゆる外交関係において「アメリカというステイクホルダー」を絡めている。
だから、日本がフリーハンドであれば達成できたはずの問題はさっぱり解決しないが、その代わり破局的事態の到来は防がれてもいるのである。
「日本がフリーハンドであれば」とは、日米安保もなければ在日米軍もない状態を指すのだろう。
では仮にそうなったとして、それで北方領土問題や竹島、尖閣諸島の問題が解決するのだろうか。
在日米軍がいようがいまいが、北方領土をロシアが返すかどうかは別問題だろう。竹島はなおさら無関係だ。
それとも内田は、アルゼンチンが英領フォークランドに侵攻したように、わが国の武力行使による解決を目指すべきだというのだろうか。
しかし、わが国は内田の支持する憲法第9条によって、「国際紛争を解決する手段」としての「武力の行使」を放棄させられている。
どうにもならない。
尖閣諸島に至っては、仮に中華人民共和国が侵攻してきたとしたら、わが国は自衛権を発動し、応戦することになるだろう。
しかし、わが自衛隊だけではその撃退が困難であれば、日米安保がない場合、国際連合憲章第7章に基づく国連軍の派遣を要請するとしても、当の中華人民共和国が国連安保理の常任理事国なのである。
したがって、国連軍の派遣は期待できず、尖閣諸島が中華人民共和国に実効支配されてしまうという事態も有り得る。
「日本がフリーハンドであ」ったとしても、北方領土や竹島や尖閣諸島の問題が解決できるとは到底言えない。
内田は、中途半端に聞きかじったいくつかの知識を根拠に、領土問題全般について寝言をほざいているだけだと感じる。
不思議なことだが、こういった珍論でもそれを求める読者や編集者がおり、それ故に商品として流通するのだろう。
しかし、商品価値はあっても、それらは事実誤認を多々含む戯れ言にすぎず、現実の問題解決にに何ら資するものではない。要するに、単なるヨタ話にすぎない。
そういったことは、読者の頭の片隅に置いていただきたいものだ。
(以下2012.8.27 00:39付記)
内田は、米韓相互防衛条約は「「戦時」における作戦統制権は米軍にあると定めている」としているが、念のため、東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室のサイトで同条約の内容を確認したところ、そのような文言は見当たらない。
コトバンクの「戦時作戦統制権移管の米韓合意」という項目には、
1950年からの朝鮮戦争、それへの米軍主体の国連軍派遣という背景から、韓国は自軍の作戦指揮権を50年にマッカーサー国連軍司令官に委譲した。作戦統制権に改称されたあと、78年の米韓連合軍司令部発足によって、この権限は米韓連合軍司令官(在韓米軍司令官が兼務)が継承した。
とある。
米韓相互防衛条約は関係ないのではないか。
内田はさらに、
だから韓国軍の竹島上陸という「作戦」は在韓米軍司令部の指揮下に実施された軍事作戦なのである。
と述べているが、竹島上陸がわが国からの攻撃に対する応戦でなく、単なる示威行動なら、それは「平時」であるから、韓国の判断で行えることであり、在韓米軍は関係ない。
これまたヨタ話。
なお、このコトバンクの解説には、
2007年2月の米韓国防相会談で、米軍が持っている朝鮮半島の戦時作戦統制権を12年4月に韓国軍に移すことで合意した。〔中略〕移管されれば、米韓連合軍司令部は解体され、北朝鮮の想定行動によって各種策定されている共同作戦計画も見直さなければならない。韓国内では、北朝鮮の核問題などが解決しないなかで韓国軍独自の対応能力・装備への不安もあり、野党や元国防関係者を中心に移管合意への強い批判が出た。08年2月に大統領に就任するハンナラ党の李明博(イ・ミョンバク)氏側にも移管時期の再検討・繰り延べをすべきだとの意見があり、12年移管が合意通りに進むかどうかは不透明だ。
ともあるが、その後この移管は李明博政権の下で2015年末に繰り延べすることになったそうだ。
そして今年7月、パネッタ米国防長官はこの予定どおり2015年に戦時作戦統制権を韓国側に移管し、米韓連合司令部は解体すると表明している。
この予定どおりに進めば、内田のヨタのネタ元が一つ減ることになる。