黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

出しっぱなしの記憶

2012年05月25日 09時56分44秒 | ファンタジー

 ヒトが獲得した情報は、レム睡眠時になると、一時保管装置の海馬から大脳皮質のメモリーディスクにすり込まれ、記憶として永久保存されるという。レム睡眠とは、体は眠っているが、脳は働いている状態。眼球がひっきりなしに動いているそうだ。つまり眠らなければ記憶装置が正常に起動しないのだ。
 年を取るにつれて、夜中に目が覚めたり、朝方早い時間から眠れなくなったりして 熟睡時間が短くなったような気がするとよく耳にする。私も、ときたま、寝てから一時間くらいして、突然目が覚めることがある。眠りについた直後に訪れるノンレム睡眠が、若いころに比べ短くなったのだろうか。その分、レム睡眠が長くなったとすれば、記憶として蓄積される量はかえって増えてもいいはずだ。
 しかし、そうはならない。情報処理を司る脳内の神経細胞は、母親の胎内にいるころもっとも多く、誕生後すぐから減少する。この年になったら、神経細胞の減少だけでなく、大脳皮質そのものの萎縮にも歯止めはかからない。
 それにしても不思議だ。母親の胎内に閉じこめられた胎児が、なぜ大量の神経細胞を必要とするのか。この危険極まりない世の中に生まれ落ちてすぐ細胞が減少・萎縮し始めるのはどうしてなのか。この精密機械のような生体には、ある法則に基づいた遺伝子情報が仕込まれている。きっとそれなりの理由があってそんなふうに設計されたのだ。たとえば、脳の情報処理は早いほうがいいに決まっているが、生身のヒトにとって、反応が過敏にすぎると、この世の中の矛盾や狂気に耐えられなくなり、自己を破壊するようなことが起きかねない。
 整理整頓が不得意な私の場合、もうこれ以上外界からの刺激を得るよりも、古びた記憶装置に収容しきれず、出しっぱなしのあやふやな記憶を地道に整理することが、自分に残された仕事なのだと割り切ろう。(2012.5.25)
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イケネコはな 改稿

2012年05月23日 09時56分38秒 | ファンタジー

 我が家の愛猫はなは、なかなかイケネコだ。イケメンは人類の男に対する言葉なので、メスのネコをイケネコと呼ぶのは適切でないかもしれないが、そもそも造語は作った者勝ちなのだから、こんな表現をさせていただく。
 はなは、眠たいとき、腹減ったと鳴くとき、なでなでしてとすり寄ってくるとき、ボール遊びしようと目を輝かせるとき、普通のネコ顔をしている。ところが、あるときだけ、ネコとしてはなんとも奇妙な表情を見せる。
 思い起こすと、はなは一歳になる前から、私たち夫婦が居間で話しているとき、短い両脚を踏ん張ってすっくと立ち、居間の低いテーブルに両肘をついて、夫婦の話に耳を傾けることがあった。そして、話が途切れると、しっかりしたキラキラ視線を向けて、「話を聞こうニャン?」と語りかけてきた。
 ところが、いつのころからか、テーブル越しの彼女は、世間の酸いも甘いも知り尽くしたというか、目尻が垂れ瞳孔が小さい、ネコらしからぬ目をするようになった。頬がこけて、いかにもかわいげのない表情に見える。イケネコ豹変して、老衰間近のお婆の顔にも似ている。人の顔なら名誉毀損になりそうな批評だが、ネコにつきご勘弁。
 そういうとき、はなは、しゃべりはしないが、なにか意味ありげなオーラを送ってくる。ネコは、顔の表情を作る筋肉が犬などより未発達なので、表情が冷たく見えるというが、この場面の彼女は、私よりよほど愛嬌のある表情をしている。ということは私の顔面筋肉の方が未発達ということか。それはともかく、はなは、夫婦の話がいかにも気がかりだという様子なのだ。夜が更けるほどに、酔いが回り、その代わりろれつが回らなくなった人類を観察しながら、はなは、不細工だが豊かな表情で「ばか言ってんやニャーよ」とか「いい加減、寝た方がいいニャン」などと忠告してくれているようだ。
(了)
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ジュリコの名はジェリコー 改稿

2012年05月22日 10時45分07秒 | ファンタジー

 ジュリコの本当の名は、ジェリコーという。ジュリコは、アメリカンコッカースパニエルの純血種の雌で、昭和五十一年ころの稚内では見ることがない珍しい犬種だった。ペットショップで一目惚れした私の妻と彼女の妹は、高価な値札がついた子犬の許に丸二日通った末、耳の長い黒白まだらのインパクトの強い犬から離れられなくなった。
 命名の由来は、十八世紀末から十九世紀にかけて活躍し、後の印象派などにも影響を及ぼしたフランス人画家テオドール・ジェリコーに行きつく。なお、語尾をジェリコと切ると、約九千年前の難攻不落の都市の名になる。せっかく格調高い名をいただいたのだが、娘たちは、当時ジュリーという人気男性歌手の名前に感応して、いつしかジュリコと呼ぶようになった。
 小さな彼女はあまりにも弱々しかったので、始めは家の中に置かれた。その後、飼い主が排泄のしつけに失敗したことや、人が寝静まった夜中、ゲージの中で鳴き続けたことから、数ヶ月して、何代か前から使われてきた玄関先の犬小屋に住むことになった。ジュリコは子犬のころ、あまり人見知りしなかったというが、あるとき人間たちのいざこざを目の当たりにして、家族以外の人間に対し敵意を抱くようになった。
 私がジュリコに会ったのは、会社の同僚たちといっしょに稚内の南にあるサロベツ原野へドライブするため、妻を迎えに行ったときだった。家に近づいた私に対し、ジュリコは敵意をむき出しにして猛烈に吠え、飛びかかろうとまでした。危険を感じた私は、玄関から遠く離れて立ちすくんだ。
 私は、将来設計が立てられないまま二十五才まで関西の大学にいた。昭和五十二年、とある北海道の会社の試験に合格して、勤務地の稚内にやってきた。そして職場の同年輩の仲間たちと遊びほうけていた。妻もその仲間の一人で、彼女の実家にときどき通ううちに、次第にジュリコから一目置かれるようになり、いつしか吠えられなくなった。半年ほど経つと、尻尾を振って歓迎してくれるようになった。序列はともかく家族の一員として認められてからは、私が鎖を持つと飛び上がって喜んだ。散歩しながら公園に行くと、人間と同じように、ブランコに乗りたがり、滑り台やジャングルジムによじ登って遊んだ。
 私たちが昭和五十四年に結婚し、一人住まいになった妻の母親は、その年の秋ころ娘の一人と同居した。実家の土地と建物は隣家の人に買ってもらった。ところが、稚内在住の子供たちは皆アパート暮らしで、ジュリコを引き取る条件の整った家族はいなかった。
 その当時、実家の近所に懇意にしていた家族がいた。母親と息子夫婦、二人のまだ小さな孫娘という家族構成で、動物好きのやさしい人たちだった。彼らは実家の窮状を知り、ジュリコを飼ってくれることになった。犬小屋とともにジュリコをその家に連れて行くと、ジュリコは引き取られることを理解しているかのように、彼らにすぐ慣れ親しんだ。私たちの住居はそこから十キロメートルほど離れていたが、できる限りジュリコに会いに行くようにした。そのときのジュリコは、私たちの体に何度も飛びついて止めようとしなかった。
 その年の大晦日が間近に迫った日のこと、突然その家から、ジュリコが死んだと電話があった。ジュリコは犬小屋の中で凍死していた。まだ、三歳の若さだった。外の犬小屋で冬を越すのは四度目で、寒さが死因だとは思えなかった。苦しがって転げ回ったのか胴に鎖が巻き付いていた。死因は不明だった。その家の人たちによると、ジュリコの様子は前日まで食欲があり特に変わったところがなく、夜中、声や物音などにも気がつかなかったという。引き取って三ヶ月ほどしか経たないジュリコの亡骸の傍らで、彼らは言葉少なに悄然と立っていた。しかし、動転した私と妻は、ジュリコを家に連れ帰るのに精いっぱいで、彼らの気持ちを推し量ることや世話になったお礼すら言う余裕がなかった。
 妻はジュリコの凍った体を抱いて、何時間も泣いた。後日、死の一、二週間前にその家の人が撮ったジュリコの写真を見ると、顔には寂しそうな表情が浮かんでいた。体調が悪かったのか。忙しさにかまけて、死ぬ前の数日間、会いに行ってなかった。ジュリコの三年間の生涯は幸せなものではなかったかもしれない。実家にやって来た時期は、父親の死後、残った借金のことで親戚を巻き込んだ騒動になっていた。それからの二年間、三人の娘たちが次々と結婚し実家を出た。一人残った母親までもが引っ越して、自分が忘れられてしまいそうで随分心細かったことだろう。
 現在、妻と二人の妹たちは、動物とともに暮らす生活を選んで二十数年になる。彼女たちは、今でも心の底にジュリコへの自責の念を沈めながら、彼女にかけられなかった分、他の動物たちに愛情を捧げようとしていると思えてならない。

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ネコ国からの夢通信

2012年05月18日 14時59分24秒 | ファンタジー

 今度はタトゥーだと。
 毛の少ないヒトが変身するには、二つの方法がある。ひとつは、皮や布などで体を覆うこと。もうひとつは、直接肌にペインティングすること。皮布は保温になるから一石二鳥だけど、暑い地方や水の中では、ペインティングの方が合理的なのだ。つまり、身につける物として、服とタトゥーとの間に、なにひとつ違いはない。
 それはともかく、現実に仕事場へ行くのに、とても奇抜な衣装を身につけることはない。たとえば水着やお遊びの服は着ないはずだ。タトゥーをヒト目に付くところに入れて、仕事場や厳粛な場所に行き、いつでもどこでも衆目にさらすのなら、それは非常識であり厳重注意しなければならない。
 それに、ヒトは、誰もが職場や屋外で、わざわざ服を脱いだり着替えしたりしないのだから、服の下に隠し持っているだけなら、他の者に不快感を与えるわけがない。ネコ国の国旗国歌法の訴訟で、最高裁判事ネコが、「国旗国歌の面前で、どんな異なる思想を思おうが勝手だ。ただし、表現したら処罰されるのは当然。」と極限の暴言を吐いたことは有名だが、こんなとんでもないネコでさえ、隠しているなら不問にすると言っているのだ。
 一般的に、自分の趣味はそれを理解してくれる者同士で楽しむか、あるいは一人内緒で楽しむもの。その範囲を超えなければ、タトゥーが他の趣味・嗜好とどんな違いがあるだろうか。
 ネコ国には服なんて面倒なものはなく、みんな色柄とりどりの、それこそタトゥーみたいな毛皮で過ごしている。問題はタトゥーにあるのではなく、そんなことでいちいちヒトやネコを差別しようとする品性にこそあるとしか思えない。なんでこんなことをわざわざ論評せにゃならんのだと、とのはまた憤慨していた。(2012.5.18)
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掃除当番

2012年05月18日 10時30分45秒 | ファンタジー

 今でも学校では、生徒たちが教室の掃除をしているんだろうか。私のころは、小学校から掃除当番があり、学校生活を通算すると相当の回数になったはずなのだが、どんな掃除をしたかほとんど憶えていない。黒板のチョーク消しをパタパタ叩いているうちに掃除が終わっていたり、箒を持ってたたき合いした思い出ばかりで、つまり、まともに掃除していないような気がする。まじめなクラスメートの皆さんにはたいへん申し訳ない気持ちだ。今になってお詫びしてもなんの足しにもならないと思うが。
 小学校低学年のころのあいまいな記憶のお話。
 掃除が終わった後の人の気配のない教室内に、まだ強い西日が、白っぽく汚れたガラス窓を通して射し込んでいる。その小さくて視野狭窄したような映像の中に、当番がいっしょだと思われる幼い女の子が見え隠れしているのだが、その記憶に顔を近づけてはっきり見ようとすればするほど、その子の顔はぼんやりとして、輪郭も表情も見分けられなくなる。それどころか、見続けるうちに、彼女の背後の窓から射してくる半世紀も前の逆光に目が眩んでしまい、彼女の記憶は黒い闇にどんどん溶け込んでいくのだ。
 そのとき女の子の声が聞こえた。指切り拳万(げんまん)嘘ついたら針千本飲ーます。この言葉をそのとき彼女はほんとうに言ったんだろうか。だとしたら、私は彼女となにを約束したんだろうか。果たしてその約束を守ったんだろうか。思うに、怠け者の私は、今度の当番のときはちゃんとお掃除しようね、という約束をさせられたんだろう。
 数年前、両親のいなくなった実家の押入を片づけたとき、大量の未整理の写真が出てきて、その中に私と弟それぞれの小学校から高校までのクラスの集合写真が一枚も欠けないで残っていた。私は、その写真に写る自分を捜す前に、指切りした女の子を見つけようとしていた。しかし、どうしても彼女の面影にたどり着くことはできなかった。別のクラスの子だったんだろうか。その当番以降の彼女の思い出は、まったくどこにも、欠片すら見当たらない。(2012.5.18)
 
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「毎日が窓際日」 年金

2012年05月16日 10時34分58秒 | ファンタジー
 この書き物のタイトルを打込んだとたん、城山三郎氏の「毎日が日曜日」が脳裏に浮かんだ。彼の「日曜日」がなかったなら、「窓際日」という造語が出現したかどうか自信はない。造語の新奇性に比べ、これから書こうとしている内容はきっと地味なものになるだろう。という予感がする。しょぼくれた窓際六十男のなんとも形容しがたい粘り腰なんて、大して面白味のないテーマなのだが、この不遜な態度について、ある人が化け物のようだと言ったと伝え聞くと、多少ファイトがわくというものだ。
 ところで、昨日、生涯で初めて年金という貴重な金子(きんす)をいただいた。まさか、このわがままな私が年金の受給資格を得られるまで、営々と仕事を続けることができたとは。なんと言ったらいいか、とにかく感激で胸いっぱいだが、その念よりも、まさかという驚きの方が勝っている。物事には継続性が大事というのはほんとうだった。私より、幾重にも輪をかけて変わっているキースリチャード(ローリングストーンズ)さえも、そのように言っていた。余談になるが、年金をもらってみて、年金支給を税だけで賄っては、モラルハザードを起こすだろうとつくづく思う。年金財源を負担していただいている、私より若い世代の皆様に心から感謝申し上げる。(次の日へ)

 
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人生二巡目のスタート 改稿

2012年05月15日 09時07分35秒 | ファンタジー

 六十一年目の人生に入る少し前、還暦祝いの招待状を妻から受け取った。名前の通った料理屋で、旧知の七名がこぢんまりした宴会をしてくれるという。口にこそしなかったが、一週間前くらいからなんだかソワソワしていた。ところが当日未明、突然胸の悪さに目が覚め、あわててトイレにかけ込んだ。喉の奥からゲーゲーと嫌な声、口からよだれ、目から涙が出るばかりで、胃の内容物はなかなか出てこない。昨晩の寝酒で、フリーズドライの大豆を食べ過ぎたんだろうかと後悔したが、時すでに遅し。「坂の上の雲」の秋山真之氏の死因が虫垂炎をこじらせた腹膜炎だったというが、あれは炒り豆の食べ過ぎではなかったかと、ふと頭の隅に浮かんだ。頭の構造というのは、つい最悪の事態を思い描くものなのか。それともネガティブな私の精神特有のものなのか。約二時間後やっと吐瀉物が収まり、寝直しできるぞとベッドに入ろうとしたら、今度は下痢だ。一通り用を済まして、少々うつらうつらしてから起きようとしたら、後頭部が枕にひっついて上がらない。全身寒くてたまらない。寝汗もかいている。そう確認した私は、自分が今晩の催しの主賓であることを改めて思い出し、肝心なときにとんでもない過ちをまた、と呆然自失。記憶にある私の失敗の数々は、なんでこんなに間が悪いんだ、といったものばかり。暦を一巡して新しい人生に踏み出したのに、昔ながらの輪廻の輪の上をよちよち歩き回っている気分だ。熱は三十七度三分しかないが、もしも猛威を振るうインフルエンザなら、会場へは行けない。と思った私は飛び起きて、急ぎ検査を受けることにした。結果は陰性。ただし、ウィルス性の下痢嘔吐なら人にうつす恐れがあると注意を受けたが、これならなんとかなると胸を撫で下ろした。
 その夜は気のおけないメンバーの集まりだ。普段から、場の雰囲気を盛り上げようなんて繊細な神経の働かない私が、いつもよりもの静かだとしても、彼らは、私の調子がどうだか判断できないはず。和やかな懇談の後半に入っても、私は食欲の復調の兆しなく、最初の数品を口にしただけで箸を置いていた。そのとき、私の手元を見た一人が、どうしたの?と驚きの声を上げた。次の瞬間、皆の顔が青ざめ、懇談の場に咲いた花はあらかた摘み取られた。この話は、二十歳代の基礎代謝を誇って無茶食いする、私の性癖を知っている者にしか理解できない。やはり人生二巡目にもなったら、そういう本能的な悪弊からすっぱり足を洗うべきだろう。他にも、場を白けさせない、ここ一番のとき不安感を与えない、妻はじめ親しい方々にもちゃんとした言葉と態度で感謝の念を伝える、などといった年相応の礼儀作法を身につけよう。いろいろ課題を上げるときりがないのでこの辺で止めるが、悠々自適の境遇などどこにあるのか、言葉を作った人によくよく確かめてみたい。(2012.5.15)
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猫たちの絨毯

2012年05月10日 11時36分54秒 | ファンタジー

 冬の季節になると、外猫たちが心配で、彼らの様子にいつも視線を巡らせる。猫たちはあれだけの雪山のどこに安眠できる住処を持っているのだろうか、ヒトなら一晩すら生きながらえない厳しい条件下、真冬をなん度も乗り越え、猫生をまっとうする彼らの力強い生命力には、崇高ささえ感じる。とくに、大雪の中でも、母猫に甘えながら、雪まみれになってはね回る子猫を見るとうれしくてたまらない。
 この数年、駅裏の家の前庭には、金茶色の猫の姿がばったり見当たらなくなり、全身濃いグレーの中に、ちょっとだけ明るい茶の混じった猫ばかりになった。数が少なかった金茶色は突然変異だったのか。黒っぽい彼らは、すぐ傍らを通っても、金茶猫と違って、こちらに見向きすることもない。当然、頑なに無口だ。
 その家の前庭には、この土地特有の大きな灯油タンクがどんと据えられている。その真下に、この春も雪溶けが進むにつれて、埋もれて見えなかった絨毯がお目見えした。その絨毯は、けっこう大きめの、成猫で七、八匹くらい座れそうなものだ。猫が多く集まる年だと、絨毯の上は毎朝、乗客猫でいっぱいになるのだが、今年はまだ二匹しか見ていない。少ないときはほんとうに寂しい気持ちがする。それに子猫がいない。ということは、去年の後半から今年にかけて、猫の出産がなかったのか。あるいは生まれたものの、いつもより寒かったこの冬を乗り切れなかったのだろうか。きっと後者の見方が正しいのだと思う。今年は成猫でさえ少ないのだから。
 その絨毯は家の中に敷かれていたのだろう、よく目にする洋風のもので、真ん中辺は無地、縁の方に幾何学的な模様があって、真っ白な雪に洗われたようにきれいなクリーム色なのだ。今朝、絨毯の真ん中に、外猫に比べ一回り大きい、白黒のぶちの家猫が一匹、紐につながれて座り込んでいた。二匹の痩せた外猫は絨毯から降りて、家猫の前と後ろを見張るような格好で、薄汚れた去年の雑草の上にじっと蹲っていた。
 外に出された家猫の首から伸びる紐は、決まって灯油タンクの鉄の脚に括りつけられていた。きっと、この絨毯は家猫を汚さないために敷かれているのだ。外猫はそのことを知ってか知らずか、家猫がそこに座るとき、絨毯の上にはいない。彼らが金茶色の猫のようにおしゃべりだったら、いろいろ不満を述べたかもしれないと思った。(2012.5.10)
 
 
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好戦パフォーマー

2012年05月08日 10時59分32秒 | ファンタジー

 当然ながら、ヒトや他の動物たちは喧嘩するときはする。私の場合、喧嘩とはいつでも誰とでもするのではなく、なにかをきっかけに、発作的に、あるいは止むに止まれずやってしまうのだと思っている。しかし、なかには喧嘩の種を探し回っているような好戦的な者もいる。ヒトや動物っていうのは、性善、性悪のどっちなのか、何千年もの間、議論しているのに答えが出ない。
 このことについて、今回やっと、動物たちは、基本的に争いを好まないことがわかった。ヒトではない。ご覧になった方々もいらっしゃると思うが、最近投稿されたふたつの動画によって完璧に証明された。そのひとつ、一頭の犬が、激しく闘う二匹の猫に吠えかかり喧嘩を止めさせるもの、もうひとつは、二羽の鶏がウサギ同士の取っ組み合いを力ずくで諫めるというものだ。私としては、動物といっしょに暮らして、ある程度想定していたとはいえ、これら動物たちの実写映像は衝撃的だ。
 ふたつの動画ではいずれも、喧嘩するのは同じ種類の動物同士、止めに入るのは別の種類の動物。喧嘩は、似た者同士に多いのだろうか。また、仲裁する動物と喧嘩する動物との垣根はごく低いということ、つまり異種間の意志疎通が日常的に行われているような感じがする。そして肝心なことは、動物たちは、他者を思いやる精神性、社会性を有しているということなのだ。それらが本能にもともと具備された能力なのか、生まれてから学習によって修得されたのかはともかくとして。
 ヒトは、こんなストレートに、他者の争いを止めるようなまねはできなくなってしまった。そうなったのはきっと、他の動物の歩む道からとめどなく外れていくヒトの精神に原因があるのではないだろうか。そのことを如実に表す例のひとつに、ヒトの憎悪をかき立てたり、あたかも火があるかのように煙を立てたりといった、やらなくてもいい争いをわざわざ招き寄せようとする好戦パフォーマーの異常発生が挙げられる。(2012.5.8)
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ハクセキレイ その後

2012年05月02日 09時25分48秒 | ファンタジー

 
 つい四日ほど前のこと、一羽のハクセキレイが、くちばしになにかくわえて、我が家の玄関の庇の奥に入り込む姿を、偶然見つけた。そのすぐ後に、別の個体が飛んできた。腹回りが少し太いので雌なのだろう。すぐ、好奇心旺盛な、はなが「なんなの?私にも見せて」と鳴きながら窓際にやってきた。すると猫の登場にびっくりしたのか、ハクセキレイの雄は、せっかくの巣の材料を口から取り落としてしまった。それでも二羽は首を振りながら、庇から逃げようとしない。二羽同士でなにか談合しているようにも感じられる。獲物を発見したはなは、唇を振動させて威嚇行為を始めた。
 ところで、二年半前、このブログを始めたのは、家の前庭でハクセキレイの死骸を見つけたことがきっかけだった。そこに詳述しているが、その時点からなん年もさかのぼり、黒猫とのが十五歳で死んだ翌春の平成十五年、二羽のハクセキレイが、それまで見向きもしなかった玄関の庇の奥に巣を作ったのだ。彼らの営巣は、この家に、とのがいなくなったことをちゃんと確認した上での行動だったと思う。その証拠に、次の年、ノルウェージャンのはなが来てからは、一度も巣作りをしていない。 
 なので、このとき暁彦は、鳥たちが猫に気づいていないはずはないと思いながらも、念のため、玄関の庇の上にある小さなベランダに、猛獣はなを放した。はながどんなに知恵を絞っても、そのベランダから庇の奥に潜っていくことはできないのだが、もしも鳥たちが、巣を作って産卵した後で猫の存在に気づき、その衝撃で子育てを放棄でもしたら、それこそ後味が悪い。
 二羽は、頭上のベランダに猫の気配を感じて、すぐさま庇から飛び上がり、近くの電線に移動した。しかし、鳥たちは威嚇するでもなく、電線上を左右に行ったり来たりしている。はなは、調子に乗って、春の暖かい陽が降り注ぐ汚れたベランダで、腹を出してごろごろ寝転がっている。やはり彼らは知っていたのか。
 そのとき、キーという鋭い威嚇の声が、柔らかな空気を引き裂いた。はなはびっくり仰天して、部屋の中へまっしぐらに逃げ帰った。はなは、きかん気な性格なのに、臆病なのだ。その日も次の日も庇を覗きに鳥が何羽か飛んできた。口には、なにもくわえていない。なんとはなしに、あきらめきれないような、残念そうな様子に見える。きっと彼らは若い鳥で、巣立って初めての繁殖行動なのだろう。ひょっとすると、縄張りを求めて、生まれた土地から、遠く離れた見知らぬ地に渡ってきたのかもしれない。暁彦は、鳥たちに向かって、はなは、なにもできないから大丈夫だよと言いながら、九年前にこの庇の奥から飛び立ったハクセキレイのことを懐かしんでいた。(2012.5.2)
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