黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

宮仕えとは

2017年07月27日 21時11分31秒 | ファンタジー

 つい先日、現職時代の仲間が送別会を開いてくれた。何人もの方々から、「大変でしたね」と慰労の言葉をいただいた。つまり、私が現職時代の40年間に手を染めたあれこれは、事例を具体的にできないような複雑怪奇で危ないものだったり、ほんとうは隠ぺいしたまま二度と思い出さないのが身のためのような苦い味のものばかりだ。
 ところが、会場の隅からぬっと出てきて、「あんな画期的なことができたのは後にも先にも〇〇さんだけですよ」と明るい大きな声で話しかける者がいた。
「ずぶの素人だからよかったんですかね」
 その会社では、まったく経験のないポストに職員を送り込む人事、いわゆる交流人事が度々行われる。うるさい人間を要職からしばらく遠ざけて、頭を整理させる効果はかなり絶大だ。
「いっしょにいた〇〇さんも、ほんとに個性的な人でしたよね」と大きな声の持ち主は一方的にしゃべる。
 宴席で話題に上る方々、それを酒の肴にする方々、いずれも負けず劣らず特徴ある御仁たちなので、こういう言葉に耳を留めて、わざわざ目くじら立てたり、自分のことかと打ちのめされたりする必要はない。
「彼がいたのはほんとに大きかったよ」
 昨年退職したはずの当時の同僚は、今どこにいるやらわからなかった。もう会うことはないにしても、ここで彼への賛辞を惜しんではいけない。
 確かに、目に見える成果を出せたのはきわめてまれで幸運なことだし、そのときから15年も経つというのに、まるで昨日のことのように再現してくれる人がいるのは何より名誉なことなのだ。たいがいの場合、個人的成果の大半は、自分以外の誰の耳目にも触れず、個々の薄暗い記憶の中で朽ち果てていくしかないのだから。
 それにしても、40年間の宮仕えから解放されて1ヶ月、せいせいしてもよかろうなもの。だが、せいせいを通り越し、なんだか宝くじのはずれ券を一把ひとからげにしたような妙にスカスカした年月に感じるのはどうしてなのだろう。その束の中に当たりくじが紛れている方が大事件になるのではあるが。(2017.7.27)
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