黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

変な夢 ネコ国で起きていること

2012年02月23日 11時25分54秒 | ファンタジー

 数日前、変な夢を見た。とのが真剣な顔で、私に向かって難しい話をするのだ。とのの話をよくよく聞くうちに、なんだか薄気味悪くなってきた。そんな無粋な話を書きたいわけではないが、そのうち忘れてしまいそうなので、要旨だけ書くことにする。内容は、ネコ国の歌と旗に関するネコ国最高裁の判決への文句というお固いものだ。
 とのの話を聞いて、気が付いたことがある。最近、あるマスメディアが、この判決を批判したネコの最高学府を「偏向」していると報道した。偏向の二字には、相反する意見を問答無用と切り捨てる響きがある。いまどきネコ憲法に異を唱える憲法改正論者さえそんな扱いを受けないのに、なぜこの種の法律論議に過敏な反応が起きるのか。ネコ年十一年、このことに関する法律が成立した時に表明された「ネコに対し、強制があってはならない」という政府見解は、もはやまったく効力を失った。この事態について、当時の政治家からひと言あってもいいのではないか。
 とのの語った本題に入る。何度も同じような係争が繰り返されているのだが、つい最近も、最高裁において判決があった。それは、退屈するとどこでも眠ってしまうネコの特性を無視した、教師ネコへの職務命令についてのものだ。その職務命令とは、ネコ国の教師ネコは儀式で国の歌を斉唱するとき、起立してじっと目を開けていなければならない、というもの。裁判所は、この命令も、それに従わないネコへの処分も、憲法で保障された思想・良心の自由に抵触しないという判決を行ったのだそうだ。ネコの自由権を侵さないとした根拠は次のとおり。
「職務命令が、特定の思想を強制したり、これに反する思想を禁止したり、特定の思想の有無を告白することをネコに強要するものではない」
 この意味は、ネコの内心の思想の自由は認めるが、公務員たる教師には、思想に基づく表現の自由は認められないということ。なにを思おうとかまわないが、命令には抵抗するな、というのは、力によるネコの心の支配、つまり肉球で踏み絵を踏ませる全体主義的な体制をよしとする法解釈ではないか。
 なぜ一介の法令が憲法に優先するのかわからない。それに、公務員とは、国民や住民に奉仕する立場であり、憲法に違反する法令や、誤った職務命令を発する上司に従う義務はまったくないのだ。
 ずっと昔のヒト国では、封建制とか国体とかを守るための思想統制が平気で行われていたというが、この判決が、とんでもない時代錯誤の人権蹂躙の考え方だと、なぜ気づかないのか。このような心と体にまったく異なる選択をさせることが、ネコに、どれほどの精神的・肉体的苦痛を負わせるか、裁判官たちは感じ取れないのか。そんな方々に、ネコの裁きを任せるわけにはいかないと、とのは大いに憤慨した。
 ほんとうに、このネコ国では、いつになったら、子どもたちといっしょに、和気藹々と国の歌を歌ったり拍手したりできるようになるのだろうと、とのは大人びた口を利いて去っていった。(とのの校訂了)

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人生二巡目の悲惨なスタート

2012年02月16日 09時55分20秒 | ファンタジー

 十干十二支のことを昔々勉強したことがあるが、その起源や用法など、すっかり忘れてしまった。今年が壬辰(みずのえたつ、じんしん)の年ということも知らなかった。ただ、殷の時代にできあがった年代法で、以来三千年以上にわたり、断絶することなく、使い続けられてきたという記憶だけが残っている。しかし、今回はその年代法の仕組みなどを、あれこれこね回すような面倒なことは省略し、まったく別の話をしたい。
 還暦を迎えて61年目の人生に入ってすぐ、関係者からお祝いの席に招待された。名前の通った料理屋にセッティングしたのは私の妻で、総勢7名のこぢんまりした宴会だ。口にこそしなかったが、一週間前くらいから、なんとなくソワソワした気持ちになっていた。
 ところが、当日の未明のこと、突然胸の悪さに目が覚めた。あわてて階段を下り、水を飲み飲みトイレにかけ込んだ。酒を飲み過ぎたときは案外楽に吐くことができるのだが、このときは気持ちが悪くてたまらないのに、喉の奥からゲーゲーという嫌な声と、口からよだれ、目から涙が出るばかりで、なかなか胃から内容物が出てこない。昨日の晩酌のとき、フリーズドライの大豆を食べ過ぎたのだろうかと後悔したが、時すでに遅し。
「坂の上の雲」の秋山真之氏の死因が虫垂炎をこじらせた腹膜炎だったというが、あれは炒り豆の食べ過ぎではなかったかと、ふと頭の隅に浮かんだ。そこまで懸念する必要はまったくないのだが、人の頭の構造というのは、つい最悪の事態を思い描くものなのか。それともネガティブな精神の私特有のものなのか。
 喉の奥に指を突っ込んで、わずかばかり吐くと少し落ち着いたので、ベッドに戻った。しかし、すぐに吐き気はやって来た。またトイレに逆戻りだ。2時間そんなことをしているうちに、4回目にしてとうとう大量の吐瀉物を出し終えた。こんなにたくさんの豆を食べたのかと唖然とするやら、ほっとするやら、今度こそ寝直しできるぞと勇んでベッドに入ろうとしたら、今度は下痢が始まった。
 一通り用を済ましてから、眠ったような、そうでもないような時間がしばらく続き、目を開けると2時間くらい経っていた。頭を上げようとしたら、なんだか枕に後頭部がひっついたように上がらない。この数ヶ月、経験したことがない頭の重さなのだ。それに全身が寒くてたまらない。寝汗もかいている。そこまで確認した私は、自分が今晩の催しの主賓であることをありありと認識し、肝心なときにまた取り返しのつかない過ちを犯してしまったことに愕然とした。
 私の記憶にある失敗の数々は、今回のような、なんでこんな間の悪いことになってしまうんだ、といったものばかりだ。私にとって、それ以外の数限りない過ちなど、気にするほどではないのだろう。やっとのことで暦を一巡して新しい人生に踏み出したばかりなのに、やっぱり一巡目の人生と同じように、輪廻の輪の上をヨチヨチと歩き回っているような気分だ。
 私はベッドの中で、しっくりこない自分の人生を抱きかかえながら、とにかく夜までにいくらかでも体調が回復するのを期待して、ベッドにしがみついていた。しかし、妻が様子を見に来た昼過ぎになっても、吐くほどではないが胃のむかつきは収まらない。熱は37度3分だが、食べ物はなにも受け付けず、体調はきわめて悪い。もし猛威を振るっているインフルエンザだったら、会場へ行ってはいけないだろう。私は飛び起きて、休日の当番医を調べ急ぎインフルエンザの検査を受けることにした。待合室で1時間半待って、結果は陰性。ただし、ウィルス性の下痢嘔吐だとしたら人にうつす恐れがあるからと注意を受けたが、これならなんとかなるとほっと胸をなで下ろした。
 その夜は気のおけないメンバーばかりの集まりだ。私は普段から、懇談の場を盛り上げる役回りをしたことがない。場の雰囲気を気にするような、繊細な神経の持ち合わせがないとよく言われる。その私がいつもより多少、もの静かだとしても、彼らは、私の調子がいいのか悪いのか判断がつかないはずだ。
 和やかな雰囲気で懇談が進み後半に入ったころ、私は食欲の復調の兆しなく、最初の数品を食べただけで箸を置いていた。そのとき、彼らの中の一人が、私の状態に気が付いて、こんなことってあるんだろうかと、驚きの声を上げた。その声を聞きつけた面々は注意深い視線を私の手元に注ぎ、次の瞬間、皆の顔色が青ざめた。それ以降、せっかくの懇談の場に咲いた花は、あらかた摘み取られ、座は白けてしまった。この話は、私のどん欲な食欲について知っている者にしか理解できないと思う。
 それにしても、この歳でも二十歳代の基礎代謝があるから、どれだけ食べても太るわけがないと無茶食いする性癖をどうしたものか。人生二巡目にもなったら、まず、そういう本能的な悪弊からすっぱり足を洗うべきだろう。他にも、年相応に身につけるべき礼儀作法がたくさんある。たとえば、場を白けさせない、ここ一番のとき人に不安感を与えない、妻はじめ迷惑かけている方々や世話になっている方々に、ちゃんとした言葉と態度で感謝の念を伝える、などといった大人の振る舞いだ。一巡目で犯した過ちのつじつまを、二巡目で合わせられるかという難題もある。こんな課題ばかり上げていくと、ほんとうにきりがなくなってしまうから、この辺で止めておくが、悠々自適というような境遇はいったいどこにあるのか、言葉を作った人によくよく確かめてみたい。(H24.2.16了)

 
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還暦を迎えたので

2012年02月08日 13時49分27秒 | ファンタジー
 少し前に、自己肯定派と自己否定派のどちらが生きやすいか、というスレッドがネットに立てられた。以下、私のきわめて主観的な見解を述べる。
 自己肯定派の人々は、自信と生きるエネルギーに満ちている。自分のことを大切な存在、有益な存在と感じ、満足感や優越感といった気持ちに自然に浸ることができる。
 それに比べ、否定派は、自信がなく、何に対してもいまいち気力が伴わない。自分という存在の意味がつかめなくなる傾向がある。そういう性癖の人たちが社会に出たとき、一般論的には、どういう生き方になるのか。
 肯定派は、良好な人間関係を築き、社会的な評価を受け、結果的によい環境に恵まれる確率が高い。いっぽう否定派は、人間関係に苦しみ、社会的評価が低く、家庭的な安らぎにも恵まれない傾向がある。こういう対比をすると、答えは歴然だ。圧倒的に肯定派の方が楽しく軽快に生きられる。
 次に、そういう境遇にある者が、自己の人生とどう向き合うのか。個人的な選択肢がたくさんあると思うが、そのうち、ひとつだけを論じる。
 境遇に甘んじるか、立ち向かうかによって、その人の人生は大きく変わる。
 幸運な肯定派も、人生なんて、なにをしても楽しく調子よくやっていけるものさ、となめてかかったら、思わぬ落とし穴にはまる危険性がある。かわいそうな否定派でも、苦難に対し真摯に立ち向かい、それを乗り越えていくことによって、強い精神力と厚い信頼、社会的な名声などを獲得できる場合もある。となれば、肯定派と否定派との人生には大逆転があり得るということだ。実際に、羽振りが良かった経済人や、口八丁手八丁の政治家が、自分の仕掛けた罠にはまって転落した例はかなりの数に上る。逆に、例を引くまでもないが、カネも学歴もこれといった才能もない者がめざましい功績を挙げた例は枚挙にいとまがない。
 人格の傾向性なんて千差万別で、どういう傾向性が望ましいという判断基準がどこかにあるわけではない。問題なのは、肯定派と否定派がいることではなく、極端な傾向性を発現する者がいることだ。自分自身を誇大妄想的に肯定し、あるいは否定することによって、世間との軋轢を起こし、周囲から見捨てられ、自暴自棄になる。そして悲嘆のあまり、他者を傷つけたり自らを害したり、といった衝撃的な行為に走る。なかでも、虚栄心の強い目立ちたがり屋には気を付けなければならない。自らの心を見つめられない者には、他者への攻撃を止めることがなかなかできないらしい。
 では、なんでこういう人格の傾向性が形成されるのだろうか。専門家の間では、幼児期の環境がもっとも大きな影響を及ぼすとされているが、ではその環境とはどんなものかと突き詰めると、どうも虐待と過保護に原因がありそうなのだ。子どもへの過剰な刺激が幼い精神を傷つける。それが、しつけであろうが愛情表現であろうが、良かれと思って行ったことであろうが、道理から逸れたやり方はだめに決まっている。
 それはそうとして、自分の傾向性を修正するのはなかなか難しいことだ。しかし、希望を捨ててはいけない。私の考えとしては、良くも悪くも育て上げてくれた親に対し、いまさら抗議しても自分が変わるわけではなし、とあきらめるのは間違いだと思う。正々堂々と正直に思いの丈をぶつけることは、自らの心の傷を癒す、かなり大きな効果がある。私のブログはそのためにあるといってもいい。
 理想論だと言われるかもしれないが、自分自身を形成した原因物質はすべて、自分の中に備わっているというレベルまで内省が進んでいくと、周囲に対するそれまでの不満や怨み、自分の心のわだかまりといったモヤモヤが、ゆっくりと潮が引くように砂にしみ込んで消滅するのではないかと、物事を前向きにとらえることにしている。(H24.2.8)
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眠れぬ夜の動物たち

2012年02月08日 11時15分56秒 | ファンタジー
 昨晩もまた、夜中の十二時を過ぎたころ、家猫はなを抱いて二階の寝室に上がり、窓の外をいっしょに覗いた。昨日の暖気で溶けた雪山の表面が、再び凍り始めていた。そんな夜の雪景色は、雪の白さが雪自体に吸収されて、いつもの柔らかさを失っている。空には星ひとつなく、辺りは重い闇に封じこめられ、たまに点いている窓の明かりは滲んで見えた。突然、はなが口を震わせて唸った。烏や素早く動く獲物を見つけたときの緊急信号だ。彼女は、窓ガラスに顔をどんとぶつけたかと思うと、私の腕の中から飛び出し、階段を一気に駆け下りた。私はやっと、窓の下の四つ辻に建つ街灯の明かりの中に、中型犬くらいの尻尾の長い動物が立ち止まっているのを発見した。はなは、その動物を襲いに行こうとしているのだ。
 朝方の雪道に、犬の足跡に似た、小さな丸い動物の足跡をたまに見ることがあった。同伴する靴跡がないので、住宅街深く分け入ったキタキツネのものだろうと前から予想していた。日中幾度か、その飛び跳ねる姿を遠くから目撃したことはあったが、こんな至近距離では初めてだ。
 その夜のキツネは、尻尾をユサユサさせて後ろを振り返ったまま立ち止まっていた。夜の冷たい風に吹かれて、茶色の濃淡がある豊かな毛並みをなびかせながら。すると、道路脇の雪山の向こうから、もう一匹キツネが急ぎ足で駆けてきた。体の大きさが一回り小さかった。母子のキツネだ。母ギツネは子ギツネの姿を確認すると明かりの輪の外へ走り去った。
 彼らは、真冬の時期、住宅街の家々の床下に、たくさんのネズミが隠れているのを知ってやって来る。でも簡単に捕獲できるのだろうか。猫のような敏捷さと、犬のような鋭い臭覚を持ちあわせたキツネに対し、私はついよけいな心配をしてしまう。それより、興奮して鳴き止まない階下のはなを、なだめて寝かしつけなければ、どんどん睡眠時間が短くなる。(H24.2.8)
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伝統的な思い込み

2012年02月03日 14時21分54秒 | ファンタジー

 昨年の三月以前のメモに、子どもが洪水に飲み込まれる姿と黒装束の男たちが自らの意志で川に入る姿が書き留められていた。「残酷な子どもたちのお話のはじまり」の一場面だ。あの大災厄の後、心にのしかかる鈍く重い痛みにあらがい切れず、物語の後半の大部分を削除し、今のブログの筋書きに置き換えた。洪水なんて毎年のように世界各地で起きているのだし、入水事件だって日本では連綿と昔から続いているのだから、素人が思いついた単なるフィクションにそれらの内容が含まれていたからといって、この世の中にどんな悪影響を及ぼすのか。しかし、私には、なにも気にしなくてもいいと割り切ることができなかった。
 この気持ちというのは、災害に苦しむ人々を救うために、なにか行動を起こそうなんて前向きなものではまったくない。日常生活になにひとつ変化のない安全な場所にいる者が、自分自身のやる気のナサを棚に上げて、自分だってその現場を正視できないくらい苦しんでいると弁解しているだけなのだ。被害に遭った人々を差しおいても、自分の心のよりどころを探そうとする人間の特性をひと言で表すと、自己防衛反応というような言葉になるのだろうか。日本人には、この後ろ向きの心をみんなと共有しているという伝統的な思い込みがあるからこそ、彼らはどんな災厄からも目を反らさないで、粛々と傍観できるのだと、私なりに解釈している。
 しかし、ときと場合によるが、傍観的な態度を、必ずしも悪い意味ばかりにとらえなくていいと思う。なかには傍観しなければ、生きながらえない場合もあるだろう。たとえば戦乱の時代には、あえて一部の親族を戦闘の前線から離脱させ、彼らに後事を託すことはよくあったことだ。そんなとき、かえって傍観する側に大きな忍耐を強いたことは想像にかたくないが、ここではこれ以上言及しない。
 震災以降、日本人の沈着冷静に集団行動する意識というのは、どうして養われたのか、また、日本人の道徳心・宗教心とはどんなものなのか、という点を含め、主に海外から大いに注目されている。事を荒立てないで集団行動できるのは、一般論では、日本的なムラ社会に暮らしてきた人々の意識には、集団の意志に反する行動をとると、生存の危機に関わりかねないことを察知する本能がすり込まれているからなのだろう。
 宗教社会学的な観点からもう少し煮詰めると、彼らはもともと、万物に精霊を見る力を備え、帰属する集団の神々とともに生活していた。言いかえると、彼らの生活は、多くの神々へ感謝の祈りを捧げる宗教儀礼によって支えられていた。ところが、文明の流入に伴い、幸せなアニミズムの眠りからむりやり起こされる事態となり、宗教儀礼は、神々のいない伝統行事へ変貌を遂げていった。つまり、いわゆる宗教心という意識に取って代わり、いにしえから伝わる古式豊かな作法自体が、絶大な集団統制の理念になった。
 その後の日本人にとって、伝統行事に埋没した宗教心が何度か浮上する機会があった。仏教やキリスト教はもちろん、多種多様な土俗的、迷信的な信仰なども受容した。そのなかで、一神教の統制に慣れていない彼らにとって、アニミズムや多神教の名残がある仏教的な観念にいちばん馴染みやすかったことだろう。その仏教の本義、仏の概念が、厳密な意味で日本人に受入れられたかというと、それは相当疑わしいが。
 とにかく日本人は、外国人に比べ、帰属する集団の伝統に引き寄せられる感覚を、あたかも崇高な宗教的情熱だと思い込んでしまう傾向が強い。そう思うのは、アニミズムにあこがれを抱く本能的なものなのだが、同じアニミズム好きでも、大草原で一人、星空を眺めている方が心落ち着く私のような者もいる。(H24.2.3了)
 
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