ジョセフ・ナイ・ハーバード大教授は、「日本のナショナリズムの高まりは衰弱の兆候」という題名のコラムを最近発表し、現在の日本の世論が右傾化している事態を不安視している。
右傾化とは何か。右翼的な方向への傾き、つまり体制翼賛的、保守的、民族主義的、国粋的になりつつあるということ。ちなみに左傾化とは、革新的、体制批判的、階級闘争的な傾向をいう。簡潔に言うと、右は現状の利益配分を守る派、左は現状の利益配分を変えようとする派。このような相容れない左右両派の思想は、人とは本来、自分の利益や立場を必ず守ろうとするもの、という固定観念に根ざしている。だから、自分の得になることを嫌う人にとっては、まったく空しい議論だ。
では、左右の文字の本来の意味とは。右手に神に捧げる祝告の器を持ち、左手に音によってその場を清める呪具の工を携えて、神の声を聞く祭儀が繰り広げられる様子を表したものだろう。時代が下って、天上ばかり見ていると、民の声が聞こえなくなるという戒めの意味に変化した、とはどんな文献にも書かれていない。
ところで、ナイ氏のコラム全文を読んだのではないが、たぶん外交関係の悪化に伴い、内向きになる日本人の傾向性に言及しているのだろう。
私たちは日常的に、様々な特性ある人々に囲まれ、苛まれ、かわいがられ、足蹴にされもする。この社会では、理不尽な圧力を加えてくる、もののわからない頑固な人がいるからといって、その人と同じ性格になって対抗しようとは、普通思わない。利口な人は、相手の誤りがどのようなものか、自分はその相手と違い、きわめて常識的なことを主張しているのだと、話の通じる人々に理解してもらおうとするだろう。
国の周囲にも、人間社会と同様、個性的な飛び跳ねたように見える国があっても驚くには当たらない。ただ、自国もその仲間入りして、自分の側の尺度を押しつけて問題をこじらせるのでは、相手とレベルが同じだと言っているようなものであり、一流(?)国としてあまりにも思想が稚拙すぎる。
ナイ氏は、「この国が真の大国であり続けようとするなら」と、一応、日本に敬意を払ってくれているが、本当にそうなるには、ちゃんとした大人の思想を持たなくてはならない。国の内側で政争ばかりやっていて、国際社会で積極的な役割を果たすことをすぐ忘れてしまう内弁慶では通用しないのだ。日本人は歴史と時代によって試されている。聞く耳を持たない性格が災いして、外国と時代と国民から見放されるのは愚の骨頂だ。今の時代、年寄りと常識の分からない者が出る幕ではない。(12.11.30了)