帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (六十五と六十六)

2012-04-24 00:04:15 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 言の戯れを知らず、貫之の云う「言の心」を心得ないで、解き明かされてきたのは和歌の清げな姿の
み。公任の云う「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(六十五と六十六)

 
 さくら色に衣は深く染めて着む 花の散りなむのちのなごりに 
                                    (六十五)

 (桜色に、衣は深く染めて着よう、花の散るであろう後の、惜しむ心のために……さくら色に、身も心も、深く染めて、切ろうよ、お花の散る後の余韻を惜しむ心のために)。


 言の戯れと言の心

 「さくら…桜…木の花…男花…おとこ花…咲くら」「ら…情態を表す」「色…色彩…色情」「ころも…衣…心身を包むもの…心身」「きむ…着む…着よう…着ようよ…切む…切ろう…終わろうよ」「む…しょう…意志を表す…しませんか…勧誘を表す」「花…木の花…男花…おとこ花」「に…のために…動作の目的を示す」。



 雨ふれば笠とり山のもみぢ葉は ゆきかふ人のそでさへぞてる  
                                    (六十六)

 (雨降れば、笠取山のもみじ葉は、行き交う人の袖さえ、輝き照らしている……お雨ふれば、嵩取り山ばの飽きの身の端は、ゆき交うひとの端さえぞ出る)。


 言の戯れと言の心

 「雨…男雨…おとこ雨」「かさとり山…笠取山…山の名…名は戯れる…嵩取り山ば…しぼんだ山ば」「もみぢ葉…黄葉紅葉…秋色の葉…飽き色の端」「人…人々…女」「そで…衣の袖…身の端」「さへ…もう一つ加える意を表す」「てる…照る…でる…出る」。



 歌は春の日常の思いや秋の景色の清げな姿をしている。奥深い暗いところに歌の趣旨があり見えない。その玄なるものを観じることができるのは、「歌の様」を知り「言の心」を心得た人だと、紀貫之は云う。

 
 君がおとななら、その「玄之又玄」なるところは、ここまで紐解けば、もはや観じられるでしょう。これは本来、普通の言葉を並べたてて、解き明かすべき事柄ではない。



 伝授 清原のおうな

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋(六十三と六十四)

2012-04-23 00:05:01 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集


 言の戯れを知らず、貫之の云う「言の心」を心得ないで、解き明かされてきたのは和歌の清げな姿の
み。公任の云う「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(六十三と六十四)

 ふるさととなりにし奈良の都にも 色はかはらず花は咲きけり  

                                                   (六十三)

(遷都して古里となった奈良の都にも、色は変わらず、花々は咲いているなあ……古さとと成った寧楽の宮こにも、色は変わらず、お花は咲いたことよ)。


 言の戯れと言の心

 「ふるさと…故郷…古里…古妻」「さと…里…女…さ門」「と…変化の結果を表す…とともに…と一緒に…共同でする相手を表す」「なら…奈良…寧楽(万葉集の表記)…心安らかに楽しむ」「みやこ…都…京…絶頂…宮こ…感の極み」「色…色彩…色情」「花…木の花…おとこ花…草花…女の花…女の華」。



 ひさかたの月の桂も秋はなほ もみぢすればや照りまさるらむ 
                                    (六十四)

(久方の月の桂も、秋はやはり、紅葉するからかそれで、月は照り増さるのだろう……久堅の月人壮士の桂木も、飽きはなお、揉みちするからか、それで、艶増さるのだろう)。


 「ひさかた…久方…久堅(万葉集の表記)」「月…月人壮士(万葉集の表記)…男」「かつら…桂…月に生えているという伝説の木」「木…男…おとこ」「あき…秋…飽き…飽き満ち足り」「なほ…猶…やはり…一層…汝お…おとこ」「もみぢ…黄葉紅葉…揉み乳…揉み路…揉み千」「もみ…揉み…こすり合わせ」「路…女」「てり…照り…月光の輝き…紅葉の艶…ひとの色艶」「らむ…原因理由を推量する意を表す」。

 


 歌はそれぞれ「清げな姿」をしていて、言の戯れに性愛に関わる心におかしきところが顕れている。その艶なるところを、大人は楽しんでいい。


 紀貫之は古今集仮名序で、
今の世中(古今集編纂前の世の中)について、次のように述べた。
 「色につき、人の心花になりにけるより、あだなる歌、はかなき言のみ出で来れば、色好みの家に埋もれ木の、人知れぬこととなりて、まめなる所には、花薄、穂にいだすべきことにもあらずなりにたり」。
文芸には流れがあって、このとき、世の歌は色好みの為の色好みのみの歌に堕していた。それを、清げな姿も深い心もある歌として享受するために、詞書を付け作歌事情を示して、巻名など編集にも技巧をこらして、色好みな部分を抑え込んだふしが見える。

 
古今和歌集編纂からほぼ三十年を経て、古今集とは反対に、「新撰和歌集」では、歌の艶流が鄙野に枯渇することを恐れたようで、艶なる余情が相乗効果で更に増すように工夫して編集されてある。古今集ではあった諸々の制約を取り払ったのでしょう。
 


 伝授 清原のおうな                                                    

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋(六十一と六十二)

2012-04-21 00:06:56 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 言の戯れを知らず、貫之の云う「言の心」を心得ないで、解き明かされてきたのは和歌の清げな姿の
み。公任の云う「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(六十一と六十二)


 青柳の糸よりかくる春しもぞ みだれて花のほころびにける 
                             
(六十一)

 (青柳の枝垂れ糸、撚りかける春だからこそ、乱れて花が開きはじめたことよ……若ものが、たいそう撚りかける張る下ぞ、乱れて、お花ほころんだなあ)。


 言の戯れと言の心
 「青柳…青い木…青年男子」「木…男」「いと…糸…程度のはなはだしい様…たいそう」「よりかくる…撚りをかける…力を発揮しょうと張りきる」「春…季節の春…情の春…ものの張る」「しもぞ…だからこそ…限定、強意を表す…下ぞ…身の下ぞ」「花…木の花…男花…おとこ花」「ほころび…花の開きはじめ…綻び…破綻…外に表われること」「ける…けり…気付き、詠嘆」。



 いもが紐とくとむすぶと龍田山 いまぞもみぢの色まさりける 
                             
(六十二)

 (わが妻の、紐とくとき結ぶとき、龍田山、今ぞ、紅葉のような色優ることよ……愛しい女の紐とくと、ちぎりを結ぶ門、絶った山ば、いまぞ飽きの色増さることよ)。


 「むすぶ…紐を結ぶ…ちぎりを結ぶ」「と…するときに…とともに…門…女」「たつた…龍田…紅葉の名所…所の名…名は戯れる、立多、絶った」「山…感情の山ば」「もみぢ…黄葉紅葉…秋の色…飽きの色…飽き満ち足りた色情…厭きの気色」「の…のような…比喩を表す…が…主語を示す」「色…色彩…色艶…色香…色情」。

 


 春の柳や花の様子を詠んだ「清げな姿」をしている。言の戯れに顕れた「心におかしきところ」は、心にも身にも春を迎えたわかもののありさま。対するは、
秋の龍田山にたとえて我が妻の色香を詠んで「清げな姿」をしている。言の戯れに顕れた「心におかしきところ」は、飽き満ち足りたか絶えたか山ばの色情のありさま。


 両歌、ほぼ同じ土俵に並べ、「各々相闘之」と漢文の序でいうのは、相乗効果によっていま一入の歌の色艶が増すからでしょう。



 伝授 清原のおうな

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (五十九と六十)

2012-04-20 00:01:35 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 言の戯れを知らず、貫之の云う「言の心」を心得ないで、解き明かされてきたのは和歌の清げな姿の
み。公任の云う「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(五十九と六十)


 あさみどり糸よりかけて白露を 玉にもぬける春のやなぎか 
                                    (五十九)

 (浅みどりの糸、撚りをかけて、白露を白玉のようにも貫き通した春の柳だなあ……情浅い若もの、とっても頑張って、白つゆを、魂だとばかりぬいた青春の枝垂れぎよ)


 言の戯れと言の心

 「あさ…浅い…薄情な」「みどり…緑…若い…見とり」「見…覯…まぐあい」「いと…糸…とっても…たいそうに」「よりかけて…撚りをかけて…強くして…頑張って」「しらつゆ…白露…白つゆ…おとこ白つゆ」「玉…珠…真珠…宝玉…魂」「ぬける…貫ける…抜ける…出した…脱ける…脱力した」「春…春情…青春…張る」「柳…枝垂れ木…男木…おとこ」「か…感動、詠嘆の意を表す」。



 さを鹿の朝たつ小野の秋萩に 玉とみるまでおける白露  
                                     (六十)

 (さ牡鹿の朝立つ小野の秋萩に、玉と見えるほどおりた白露よ……さおし下の浅絶つひら野の飽き端木に、魂と見るほど、贈り置いた白つゆよ)。


 言の戯れと言の心

 「さをしか…さ牡鹿…さお肢下…おとこ」「さ…接頭語」「あさ…朝…浅…低い…薄い」「たつ…立つ…断つ…絶つ」「おの…小野…ひら野…山ばではない」「あきはぎ…秋萩…飽き端木…厭きのおとこ」「玉…珠…真珠…宝玉…魂」「見…目で見ること…見て思えること…覯」「まで…ほども…程度を表す」「おける…露霜がおりた…送り置いた…贈り置いた」「白露…白つゆ…おとこ白つゆ…体言止めは感嘆・詠嘆の心情を含む」。



 両歌は、「深い心」はともかくとして、若柳と白露、秋萩と白露の景色を詠んでそれぞれ   
「清げな姿」をしている。春歌は、張るものの魂をぬきはなち枝垂れ木となったおとこの喪失感。対する、秋歌は、飽き満ち足りたのか贈り置いた後のおとこの喪失感。これが公任のいう「心におかしきところ」。


 歌の様(表現様式)は、藤原公任の優れた歌の定義から学びましょう。「およそ歌は心深く姿きよげに、心におかしきところあるを優れたりといふべし(新撰髄脳)」という。

 
 中世に埋もれ、近世に見失い、歌から「心におかしきところ」が消えて久しい。それはこのように、言の戯れに顕れる。藤原俊成の『古来風抄』に、歌の言葉は「浮言綺語の戯れにも似たれども深き旨も顕る
」とある。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。

 


帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋(五十七と五十八)

2012-04-19 00:05:01 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 言の戯れを知らず、貫之の云う「言の心」を心得ないで、解き明かされてきたのは和歌の清げな姿の
み。公任の云う「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(五十七と五十八)


 いざけふは春の山辺にまじりなむ 暮れなばなげの花のかげかは 
                                    (五十七)

 (さあ今日は、春の山辺にわけ入ろう、日暮れとなれば、無くなりそうな花の影ではないか……いざ、京は春の山ばの辺りで、交じろう、果てれば、なけなしのお花の陰りだろうか)


 言の戯れと言の心

 「いざ…さあ…人を誘う時に発する言葉…始めようとする時に発する言葉」「けふ…今日…京…絶頂…宮こ…感の極み」「はる…季節の春…春情」「山…山ば」「まじりなむ…まじってしまうだろう…まじってしまおう」「まじり…混じり…同化…交じり」「くれ…暮れ…日の暮…暗くなるとき…ものの果て」「なげ…無げ…こと無げな…何も無さそうな」「花…木の花…男花…おとこ花」「かげ…影…陰…陰り」「かは…だろうか…疑問を表す」。



 かむなびのみむろの山を秋ゆけば 錦たちきる心ちこそすれ  
                                    (五十八)

 (神奈備の御室の山を、秋に行楽すれば、錦を裁ち着る心地がするなあ……おんなの靡くみもろの山ばを、飽きのために逝けば、にしきを絶ち切る心地がするよ)


 「かむなび…神奈備…所の名…名は戯れる、かみ靡、女靡く」「かみ…神…上…女」「みむろ…御室…神の社…みもろ…三諸…複数」「山…山ば…感情の山ば」「秋…季節の秋…飽き…厭き」「ゆけば…行けば…行楽すれば…逝けば」「にしき…錦…色彩豊かな織物…錦木…男木…にし気…にし木…しに気…しにおとこ」「たちきる…裁縫し着る…裁断する…絶ち切る」。

 

 春歌の清げな姿は花見する男たちの様子。心におかしきところは、京の宮この果てでの、男のむなしきありさま。対する、秋歌の清げな姿は紅葉狩りする男の様子。心におかしきところは、あきの山ばの限りでの、むなしき男の心地。


 作者や作歌事情は記さないので、愚意など考慮しなくていい。


 歌の様を知り言の心を心得た大人が、歌の清げな姿と心にをかしきところを、ただ楽しむための歌集。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。