帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔百四〕まさひろは

2011-06-30 00:15:07 | 古典

   



                               帯とけの枕草子〔百四〕まさひろは 



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔百四〕まさひろは

 
方弘(蔵人)は、よく人に笑われる者だよ。親などはどのように聞いているのでしょう。方弘の供に付いている者の中で、ずいぶん久しく仕えているのを呼びよせて、「何で、このような者に使われているのよ、どんな気なの」などと笑う。
 
 方弘の里は・物事をよくするところで、下重の色、上の衣なども、人よりも良くて、きっちりと着ているのを、人は・「これを他の人に着せてやりたいなあ」などと言い、現に
、また言葉づかいがあやしい。里に宿直用の衣類を取りに遣らせるときに、「男二人まかれ(男二人で行ってこい)」と方弘が言うのを、供の者「独りして取りにまかりなん(独りで取りに行ってまいりましょう)」と言うと、「あやしのをのこや。ひとりしてふたりが物をば、いかでかもたるべきぞ。ひとますかめにふたますはいるや(おかしな男やなあ。一人で二人の物を、どうして持てるだろうか。一升瓶に二升は入るのか……おかしな男やなあ、一人で二人のおのこをばどうして持てるだろうか、ひと間す彼めに、二ます入るのか)」と言うのを、どういうことか知る人はないけれど、いみじうわらふ(ひどく笑う)。


 人からの使いが来て「ご返事をすぐに」と言うと、方弘「ああ、にくらしい男やなあ、何でそんなにあわてるのや、かまどに豆でもくべたのか。書こうにも書かれへんがな。此殿上のすみ筆は、なにのぬすみかくしたるぞ。いひ、さけならばこそ、人もほしがらめ(この殿上の墨や筆は、何者が盗んで隠したのか、飯、酒なら人も欲しがるだろうけれど……此殿上の、す身、夫手は、何者が盗み隠したのか。いひ酒なら、人は欲しがるだろうが)」と言うのを、又わらふ(また笑う)。


 女院(主上の御母上が病に)お悩みということで、御使いとして参上して帰ったときに、「院の殿上には、誰々が参上していましたか」と人が問うと、だれ彼と、四、五人ばかり名を言うので、「又だれか(それに誰れか)」と問うと、方弘「さて、ぬる人どもぞありつる(そうやなあ、寝てる人らがな、居た)」と言うのも笑うのも、又あやしき事にこそはあらめ(またおかしなことでしょう)。


 他に人がいない間に、方弘が私のもとに寄って来て、「我がきみにだけお話したい、まっさきにと、或る人がおっしゃったことですぞ」と言うので、「なにごとよ」と几帳のもとにさし寄ると、「むくろごめにより給へ(耳だけでなく体ごとごとお寄りください)」と言ったのに、「五体ごめ(頭、両手、両足の五体くるめて寄り給へ)」と言ったと言いふらしたので、又わらはる(また笑われる)。


 除目(官職任免)の中日の夜、方弘は注し油するために、燈台の敷物を踏んで立っていたとき、新しい敷物だったため、したうづ(くつした)にぴったりとよくくっ付いたのだった。歩き出して帰ると、そのまま燈台は倒れた。くつしたに敷物が付いて行くとき、まことに大地しんどうしたりしか(ほんとうに大地震動したのである)。


 蔵人頭が席にお着にならないかぎりは、殿上の食事台には人は着かない。それなのに方弘は豆一盛り、やおら取って、小障子の後ろで食べたので、女たちは・ひきあらわしてわらふ事かぎりなし(顕わにして、笑うこと限りなしである)。



 言の戯れを知り、言の心を心得ましょう

「かめ…瓶…彼め…女」「め…女」「ます…枡…間す…女」「すみ…墨…す身…女」「す…洲…女」「筆…ふで…夫手…夫出…おとこ」「いひさけ…飯、酒…いい酒…良い酒」「ぬる人…寝る人…(一伝本)いぬる人…帰って往った人」「ひきあらはして…ひき顕して…ひき表わして」「ひき…接頭語…次の動詞を強める」。

 


 「むくろ(胴体)ごめに寄り給へ」と、方弘は言った。これも変な言い方だけれど、よりおかしい、「五体ごめに寄り給へ」と言ったと、言いふらした。女たちは「胴は、どうするの?」などと言って笑うでしょう。


 「まことに大地震動したりしか」と、大げさな書き方で方弘の失態を表した。つまみ食いを、ひきあらはして、限りなく笑った人たちも方弘の笑いの性格を看破しているでしょう。「ひき顕せば」笑いとなる。そのままでは、ただの失言、失敗、失態。方弘も失敗を人に嘲笑されると、自ら「ひき顕わして」、それを大笑いに転化する。

伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず   (2015・9月、改定しました)

 
 原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による

 


帯とけの枕草子〔百三〕はるかなるもの

2011-06-28 00:02:46 | 古典

 



                      帯とけの枕草子〔百三〕はるかなるもの



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔百三〕はるかなるもの

 はるかなるもの、はんぴのをひねる。みちの国へいく人、あふさかこゆるほど。生まれたるちごの、おとなになるほど。

(はるかに遠い情況。半臂の緒を撚る。陸奥の国へ行く人が逢坂越える程。生まれた乳児が大人にな程……はるかなもの、半火のおを女がひねくっている。未知の世界へ逝くという女が合う坂越える程。うもれた乳御がおとなになる程)。



 言の戯れを知り、紀貫之のいう言の心を心得ましょう

 「はるか…遠い…隔たりが大きい…程度の差が甚だしい」「物…もの…漠然と対象を示す」「はんぴ…半臂(男の内着)…半火…情熱の炎が半ばさめた情態」「衣…心身を覆うもの…心身の換喩」「を…緒…おとこ」「ひねる…撚りをかける…強くする…ひねくる」「みちのくに…陸奥の国…路の奥…未知のくに…感極まる世界」「あふさか…京と近江の間の関所…京と合う見の難所…感の極みが両性合致すべき山ば」「うまれ…生まれ…埋まれ」「ちご…稚児…乳児…乳御」「御…女の敬称」。

 


 「うそぶき」。「聞き耳」をもって唱えていると、自ずと笑えてくるでしょう。それが、嘯きの「心におかしきところ」。


 「はるかなる」と、心のうちに口ずさんでいるのは別の事。長保元年(999)、左大臣道長のむすめ彰子(十二歳)が入内し女御となった。とり巻く女房は同じ年頃の良き家の姫君たち、その後宮がおとなの女たちの集まりと成るまでの程遠いこと。

 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず   (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による

 


帯とけの枕草子〔百二〕二月つごもり比に

2011-06-27 00:38:26 | 古典

 



                      帯とけの枕草子〔百二〕二月つごもり比に



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔百二〕つごもり比に

 
二月末ごろに、風がひどく吹いて、空はたいそう暗いうえに、雪が少し降りだした時、黒戸に殿司(女官)が来て「こうして参っています」というので、近くに寄ったところ、「これ、公任の宰相殿の…」というのを見れば、懐紙に、

すこしはるある心ちこそすれ

とあるのは、なるほど今日の景色にたいそうよく合っている。これの本(上の句)はどのようにして付けるべきか、と思い悩んだ。「たれたれか(いらっしゃるのは・誰々か)」と問うと、「それそれ(誰某)」と言う。皆たいそう気おくれするほどの方々の中に、宰相(藤原公任)へのお応えを、どうしていいかげんに言い出せようかと、ただそればかりが苦しくて、御前(宮)にご覧に入れようとするが、主上がこられておやすみになっておられる。殿司は「とくとく(はやくはやく)」という。なるほど遅ければ、まったくとりえがないもので、それではと(上の句を付けた)、

空寒み花にまがへてちる雪に

(空寒くて花のように散る雪に 少し春ある心地はする……女、春を迎えてなくて、花のように散る白ゆきに、すこし張るものある心地がします)。

と、ふるぶる震えながら書いて渡して、どう思われるだろうかと、侘し(心細い)。この事の評を聞ければなあと思うが、謗られたら聞きたくないと思っていると、「俊賢の宰相など、猶内侍にそうしてなさん(やはり内侍にと奏上してそうしてやろう…なお内肢に挿して成してやろう)とですねえ、定められました」とだけ、左兵衛督で中将であられた方が語られた。

 


 言の戯れを知り、紀貫之のいう「歌の様」を知り「言の心」を心得ましょう

 「空…天…女」「さむ…寒…心に春を迎えていない…身に春を感じていない」「花…梅…おとこ花」「雪…白…おとこの色」「春…季節の春…心の春…青春…春情…張る」「なほないじにそうしてなさん…猶内侍に奏して成さむ…直、内肢に挿して、おとなの女に成してやろう」「内侍…尚侍・典侍(女官長・次官)…うぶな女には勤まらない役柄…内肢」「そうして…奏して…挿して…挿入して」「なさん…為してやろう…成してやろう」。

 


 藤原公任は、『和漢朗詠集』の編者、歌論『新撰髄脳』『和歌九品』の著者。「歌の様」を捉えて、優れた歌の定義を次のように述べた。「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしき所あるを優れたりといふべし」。ここに和歌の表現様式が示されてある。

 

この歌、早春の候の挨拶のように聞こえるのは、清げな姿。ぶるぶる震える文字で初な女を装って、心におかしきところを添えてある。深い心は無い。

源俊賢の評定の言葉は、此の「心におかしきところ」を受けた、より強烈なおかしさがある。これらは、言の戯れの中に顕われていて、字義の通り聞いていては、聞こえない。



 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず   (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による



 


帯とけの枕草子〔百一〕殿上より梅の花

2011-06-26 00:03:10 | 古典

 



                                         帯とけの枕草子〔百一〕
殿上より梅の花



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔百一〕
殿上より梅の花

 殿上(殿上人の詰所)より、梅の花ちりたる枝を(梅の花が散った枝を)「これはいかゞ(これはどうか…これはどう思うか)」と言ってきたので、ただ、「はやくおちにけり(早く散り落ちたことよ…早く堕ち逝ってしまったなあ)」と応えたところ、その詩を朗詠して殿上人が黒戸(清涼殿の黒戸の御所)に、大勢居たという。主上がお聞きになられて、「よろしき歌などよみて出だしたらんよりは、かかる事はまさりたりかし。よくいらへたる(悪くは無い程度の歌など詠んで差し出すよりは、このような言は優っているぞ。良く応えている)」と仰せられた。

 


 聞き耳異なるものは、女の言葉と知りましょう

 「梅…木の花…おとこ花」「木…男」「えだ…枝…身の枝…おとこ」「落…花が散り落ちる…おとこ花散り逝く」「けり…たのだ…だったそうだ…過去、過去の伝聞を表す…たことよ…だったのねえ…詠嘆の意を込めてあったことにいま気づいた意を表す」「よろしき…まずまずだなあ程度…悪くは無い程度」「よく…良く…好く…上手に…誰が聞いても認められる良さを表す」。

 


 男どもが朗詠した詩句は、藤原公任撰「和漢朗詠集」柳 にある。

大庚嶺之梅早落、誰問粉粧。

(梅の名所大庚嶺の梅花は早く散り落ちた、誰が訪う粉化粧を……大いなる山ばの峰のお花は早くも散り落ちた、誰か問う白い粉飾を)。


 男の言葉も聞き耳異なるものと知りましょう。

 「問…訪問…詰問」「粉粧…白粉での化粧…白々しくなったもの…和歌では、ゆきとど降りなまし消えずはありとも花と見ましや(伊勢物語)のように詠まれる」。

 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず   (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による






 


帯とけの枕草子〔百〕淑景舎、春宮にまいり給ふ

2011-06-25 00:17:24 | 古典

 



                                   帯とけの枕草子〔百〕淑景舎、春宮にまいり給ふ



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔百〕淑景舎、春宮にまいり給ふ

 淑景舎(宮の妹君)、東宮に参り給う頃のことなど、なにもかも、愛でたくないということなどない。正月十日に、女御として・参られて、東宮と・御文などは繁く交わされていても、まだご対面はなかったのを、二月の十何日かに、宮の御方に淑景舎が、一先ず・お渡りになるとお知らせがあって、常よりも部屋のしつらえを心こめて磨き繕い、女房らも皆、用意している。夜中にお渡りになられたので、いくらも経たないうちに夜が明けた。


 登花殿の東の廂の二間に設えしてある。今宵、東宮にお渡りになられて、次の日はここにおられることになるので、淑景舎の女房たちは御宿泊所の向かいの渡殿に控えているのでしょう。殿(道隆)と母上が暁に一つの御車でいらっしゃった。明けて朝、たいそう早く御格子を開けて差し上げて、宮は御曹司(設えた部屋)の南に、四尺の屏風を、西東に御座敷いて、北向きに立てて、御畳、御敷物だけ置いて、御火桶が置かれてある。御屏風の南、御几帳の前に、われわれ・女房がたいそう多くひかえている。宮は・まだそこにて、御髪の御櫛をして差し上げているときに、「淑景舎は見奉ったか」と問われるので、「いまだ、拝見いたしていません。車寄せの日に(昨年の積善寺での経供養の日に)、ただ後ろ姿だけをですね、ほんのすこし」と申し上げれば、「その柱と屏風とのもとに寄って、わが後ろより密かに見なさい。とってもかわいらしいきみよ」と仰せになられたので、うれしく、見たい気持ちが増さって、いつしかと思う。


 宮には紅梅の固紋、浮紋の御衣らを、紅の光沢ある御衣の三重の上に、ただひき重ねてお着せしてさしあげる。「紅梅には濃い衣がすばらしいことよ。着られないのは残念ね。紅梅は着なくてもいいのだ、でも萌黄などは気に入らないので、紅に合わないかな」などとおっしゃるけれど、ただとっても愛でたくお見えになられる。お着せする御衣の色毎に、そのまま御容姿のすばらしさと合っておられる。やはり、あの良きお人(妹君)もこのうようでいらっしゃるのだろうと、ゆかしき(拝見したいことよ)。

 
 さて、膝で移ってゆかれ屏風の前にお入りになられたので、屏風の後ろに添い付いて覗くのを、「あしかめり、うしろめたきわざかな(悪るそう、後ろが気がかりな行為だこと…悪るそう、うしろめたい稼業だこと)」と聞こえよがしに言う女房もおかしい。障子がたいそう広く開いていたのでよく見える。母上(高内侍・高階貴子)は、白い御衣と紅の糊張りしたのを二つばかり、女房の裳のよう、引きかけて、奥に寄って東向きにいらっしゃるので、ただ御衣が見える。淑景舎は、北に少し寄って南向きにおられる。紅梅(の内衣)、数多く濃のも薄いのもあって、表衣に濃い綾の御衣、少し赤い小袿、蘇枋の織物、萌黄の若やかな固紋の御衣をお召しになられて、扇をつとさしかくし給へる(扇をじっと懐に差し隠しておられる…逢う気をじっと胸にさし隠しておられる)。いみじうげにめでたくうつくしと見え給(たいそう、ほんとうに愛でたくかわいいとお見えになられる)。

 
 殿(道隆)は、薄色の御直衣、萌黄の織物の指貫、紅の御衣ら、御紐しめて、廂の柱に背後を当ててこちら向きでおられる。愛でたいこのご様子を、ほほ笑みながら、いつもの戯れ言をおっしゃっている。淑景舎がとっても愛らしく絵に描いたようであられるのに、宮はたいそう安らかに、いま少し大人びておられる気配が紅の御衣とあいまって輝いておられる、やはり、たぐいなきお人ではないかとお見えになられる。

 御手水さしあげる。かの御方(淑景舎)のは、宣耀殿・貞観殿を通って、童女二人、下仕え四人で持って参るようである。唐廂のこちらの廊には、女房六人ばかり控えている。狭いということで、他は送りのみしてみな帰ったのだった。童女らの桜の汗衫、萌黄・紅梅とってもすばらしい、汗衫を長く引いて、御手水を取りついでさしあげている、いとなまめきをかし(とっても初々しい色香があってかわいい)。織物の唐衣などこぼし出だして相伊の馬の頭の娘の少将、北野宰相の娘の宰相の君らがお近くにいる、美しいと見ているときに、こちらの宮の御手水は、当番の采女が青裾濃の裳、唐衣、裙帯、領布などして、顔たいそう白く化粧して、下仕えが取りついでさしあげるところ、こちらは公の行事のよう、からめきてをかし(唐風で趣がある)。

 
 御膳のときになって、御髪上げして差し上げて、女蔵人ら、御賄い人の髪上してさしあげている間は、隔てていた御屏風も押し開けたので、かいま見ていた人(私)、隠れ蓑を取られる心地して、心細かったので、御簾と几帳との中にて、柱の外より拝見させていただく。わが衣の・裾、裳などは御簾の外にみな押し出されたので、殿(道隆)が端の方からご覧になられて、「あれ、誰かな、かの御簾の間より見えるのは」と咎められたので、宮「少納言が、もの見たがって控えているのでしょう」と申されたので、「あなはづかし、かれはふるきとくひを、いとにくさげなるむすめどももたりとも見侍れ(ああ恥ずかしい、彼女は古い馴染みだからなあ、たいそうにくらしげな娘どもを持ってるとだ、見てございますな)」などとおっしゃる御気色、いとしたりがほなり(得意満面である)。

 
 あちら(淑景舎)にも御膳をさしあげる。「うらやましい、方々にはみな差し上げたようだ。はやく召し上がって、翁と嫗に御下ろしでも賜え」などと、一日中、ただ、さるがうごと(おどけた言)ばかりおっしゃっている間に、大納言(伊周)、三位の中将(隆家)、松君(伊周の長男)参られる。殿(道隆)がいつのまにか松君を抱き取られて、膝の上に立たせておられる。いとうつくし(とってもかわいい)。


 狭い縁に男君たちの堂々とした御装束の下重ねがひき散らされてある。大納言殿は重々しく清げに、中将殿はたいそう上品で美しく、いずれも愛でたいさまを拝見していると、殿(父上)はもちろんのことで、母上の御宿世こそ愛でたいことよ。御座布団をと母上は申していらっしゃるけれど、伊周「陣の座につきます(会議がございます)」と、いそいでお立ちになられた。


 しばらくして、式部の丞の何某、主上の御使いとして参られたので、御配膳所の北に寄った間に敷物さし出し座っていただく。宮はご返事をすぐにおだしになられた。まだその敷物も取り入れないときに、東宮の御使として周頼の少将(道隆の六男)が参られた。御文取り入れて、渡殿は細い縁なので、こちらの縁に敷物をさしだした。御文取り入れて、殿、母上、宮に御回覧する。「御返事、早く」とおっしるけれど、淑景舎はすぐにはお聞き入れになられないのを、殿「だれかさんが見てごさいますので、お書きになれないようです、そうでないおりは、これより間もなくご返事申し上げられるのだ」と申されたので、淑景舎は御おもて少し赤らめてほほ笑んでおられる。いとめでたし(とっても愛らしい)。「まことに、早くね」などと母上も申されたので、淑景舎は奥に向いて書いておられる。母上近くお寄りになられて、ともにお書きになられるので、いとゞつゝましげなり(いっそうきまりわるそうである)。宮の方より萌黄の織物の小袿と袴を、御使の周頼におだしになられたので、三位の中将が授けられる。首筋がくるしそうで重くて手で持って席を立った。

 
 松君が可愛らしくものをおっしやるのを、誰もが、いとおしがってお聞きになる。殿「宮の御子たちということで、さしだしても、悪くはございませんな」などとおっしゃるのを、たしかに、なぜかそういう事が今迄と、心もとなき(気がかり)。

 
 午後二時ごろに、筵道をお敷きするというまもなく、(主上、御衣を)そよぐようにお入りなられれば、宮もこちらへお入りになられた。すぐに御帳台にお入りになられたので、女房も南面にみな衣そよがせて去ったようだ。廊には殿上人がたいそう多くいる。殿が御前に宮の司を召して、「果物、肴などをめし上がれるよう手配せよ、人々酔わせよ」などと仰せになられる。まこと皆酔って、女房ともの言い交わすほどに、かたみにをかしと思ひためり(お互い興味深く思っているようだ)。

 
 日の入るころにお起きになられて、山の井の大納言(宮の異母兄)を召し入れて、御袿を整えさせられ、お帰りになられる。桜の御直衣に紅の御衣の夕日に映えているさまなども、おそれおおいので書くのはやめることにした。山の井の大納言は、お身内に入り難いが(異母で祖父の養子)、たいそう立派な人でいらっしゃるのだ。すばらしいご容姿とその雰囲気は、この大納言(伊周)にも勝っておられるものを、いろいろと世の人は言い貶めてうわさするのが、お気の毒なことよ。殿、大納言、山の井も、三位の中将、内蔵の頭などが、主上のお見送りに控えていらっしゃる。


 主上のもとに・宮が上られるべき御使として馬の典侍が参った。「今宵は、まいれない」などと渋られる。殿がお聞きになられて、「いとあしきこと、はやのぼらせ給へ(とってもわるいこと、さっそくお上りください)」と申されておられるときに、春宮の御使、頻りに参る間、とってもさわがしい。淑景舎を御迎えに、女房、春宮の侍従などという人も参って、はやくと、そそのかし申される。

「先ずそれでは、かの君(淑景舎)をお送りなさいまして」と宮がおっしゃっると、殿「といっても、どうしょう」とおっしゃっているので、「(われも、かの君の)見送りをいたしましょう」などとおっしゃるときも、いとめでたくをかし(とっても愛でたくすばらしい)。「それでは、遠い方を先にすべきか」ということで、淑景舎が渡られる。殿らがお返りになられてから宮はお上りになられる。道中も、殿の御猿楽言に、いみじうわらひて(ひどく笑って)、打ち橋(板を渡しただけの橋)より、もう少しで落ちてしまいそう。

 


 長徳元年二月の慶事の記録。関白道隆の晩年の事。この四月には職を辞した後、病の為に亡くなった。

 
 「かれはふるきとくいを…彼女は古い馴染みなのだ」というのは、最初の出会いは小白河という所〔三十二〕での八講の法会の時で十年近く昔のこと、宮仕え以前、女車への男たちの戯れの言い掛けに、見事に応対して笑わせてやったことがあって、そのとき以来の馴染み。

道隆の「さるがうごと」も座を取り持ち笑いを誘う話芸。『大鏡』では道隆を酒乱という。ほとんど酔っ払いの言葉のようにも聞こえる。殿の酔ったご様子も、一風変った母上の御ことも、ものに包んで表現しているが、とり繕ったりしていない。


 

 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず   (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による