帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第十 雑下(五百七十九)空也法師 

2015-12-28 22:16:49 | 古典

           



                           帯とけの拾遺抄



  藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って聞き直している。

公任は和歌の表現様式を捉えた。「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「深い心」「清げな姿」「心におかしきところ」の三つの意味が有る。

俊成は、歌言葉の浮言綺語に似た戯れの意味に歌の旨(主旨及び趣旨)が顕れると言う。



 藤原公任撰「拾遺抄」巻第十 雑下
 八十三首

いちのかどにかきつけ侍りける             空也法師

五百七十九 ひとたびもなもあみだぶといふひとの  はちすのうへにのぼらぬはなし

市の門に書き付けたという (空也法師・空也上人・公任の祖父藤原実頼らとほぼ同世代の人)

(一度でも、南無阿弥陀仏という人が、浄土の・蓮台の上にのぼらぬことはない……一度でも念仏をとなえた人が、極楽のおんなの上にのぼらないおとこはない・極楽に上りつめないおんなはない)

 

言の戯れと言の心

「ひとの…人が…誰もが…男が…女が」「はちす…蓮台…極楽浄土…玉のうてな…言の心は女」「す…洲…巣…言の心はおんな」「のぼる…上る…(蓮台に)上る…極楽浄土に往生する…(端すの上に)上る…(山ばの頂上に)上る」。

 

「す」が、おんなという意味を孕んでいたことなどは、論理的に実証できない事柄である。むかし、この文脈において「す」は、おんなという意味で用いられていたというしかない。清少納言枕草子(五月ばかり)に、次のような場面がある。月のない暗い時に、「女房たちは居るか」と男どもの声がして、「みすをもたげて、そよろとさしいるる、くれ竹なりけり」と記されてある。「竹」がおとこであり、「みす…御簾…身す…おんな」と戯れている文脈にある枕草子の読者たちは、ここで、すでに笑い顔になって「をかし」と思いながら次を読んだだろう。清少納言は「おい、この君か(感極まった、おとこか)」と応じたのである。

 

歌の清げな姿は、市に集う善男善女にも伝わるように、阿弥陀仏の慈悲は、念仏衆生摂取不捨であることを教えさとした。

心におかしきところは、一度これを唱えれば、男は玉のうてなの・よき女の、上にのぼらない者は無い、女は快楽の極みに上らない者は無いぞ。



 『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。


 

以上で、藤原公任撰「拾遺抄」五百七十九首の聞き直しを終えた。


 

「帯とけの拾遺抄」あとがき


 国学と国文学的な和歌の解釈は、「清げな姿」を解いているのである。
意味の伝わり難い部分については、此処までは「序詞」で訳さずとも良し、これは「掛詞」である。これとこれは「縁語」であるなどと、指摘すれば、歌を全て把握したように思いたくなるのはどうしてだろうか。現代の古語辞典や学者の解釈はすべて、一義的な「清げな姿」の解釈で占められている。明治の正岡子規が「古今集の歌はくだらない」と言っても、国文学者は江戸から明治の国学及び国文学の解釈が間違っている所為だとは、だれも思わないのである。

平安時代の和歌の文脈は鎌倉時代から秘伝となって埋もれはじめ、江戸時代には、秘伝や伝授そのものが埋もれ木が朽ちる如く消えてしまった。和歌の文脈は断絶したのである。その結果、貫之のいう「ことの心」を「事の心」と誤解し、公任の「歌論」の、歌に三つの意味があるなどとは夢にも思えず無視した。また、清少納言の言う「同じ言葉でも聞き耳異なるもの(それが、われわれの言葉である)」を曲解し、性別や職域が違うと言葉のイントネーションが異なる、などと訳す。

清少納言は「同じ一つの言葉でも、人により受け取る意味が異なるものである」と、驚くべき言語観を述べていたのである。言語は、人の理性で御し難い性状であることは、西洋においては、二十世紀になって、哲学者たちが気付きはじめたようである。清少納言の言語観は哲学的では無いけれども、それを超えて、多様に意味の戯れる言葉を逆手にとって、「心におかしい」意味の孕んだ言葉を発し、当時の人々を笑わせた。そのおかしさの内容は、和歌の「心におかしきところ」と本質は同じである。枕草子は和歌の言葉の文脈内に有る。和歌の「心におかしきところ」が解ければ、枕草子のほんとうの面白さを享受することができるだろう。
 
万葉集のほか、全ての勅撰和歌集及び歌物語、日記、枕草子、源氏物語は、わが国の貴重な文化遺産であるが、その下半身が埋もれて見えなくなっている事に、誰も気づかない。壊れないように、独り手作業で、発掘している気分であるが続ける。


帯とけの拾遺抄 巻第十 雑下(五百七十七)よみ人しらず (五百七十八)ちうれ

2015-12-26 22:53:49 | 古典

           



                           帯とけの拾遺抄



  藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って聞き直している。

公任は和歌の表現様式を捉えた。「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「深い心」「清げな姿」「心におかしきところ」の三つの意味が有る。

俊成は、歌言葉の浮言綺語に似た戯れの意味に歌の旨(主旨及び趣旨)が顕れると言う。



 藤原公任撰「拾遺抄」巻第十 雑下
 八十三首


                                    よみ人しらず

五百七十七  やまでらのいりあひのかねのこゑごとに けふもくれぬときくぞかなしき

(題知らず)          (よみ人知らず・男の歌として聞く)

(山寺の入相の鐘の音がする毎に、今日も暮れてしまうと聞くのこそ、哀しい・ものだなあ……山ばのてらいの、入り合いの、鐘の・煩悩の、声ごとに、京も・有頂天も、果ててしまうと聞くぞ、哀しくも・愛しいなあ)

 

言の戯れと言の心

「やまでら…山寺…(戯れて)山ばのてら(い)…山ばを誇らか告げる」「てらふ…衒う…みせびらかす…誇らかに表わす」「いりあひ…入相…日没…日暮れ…入り合い…和合に入る」「かねのこゑ…鐘の音…諸行無常の響き…鐘の声…煩悩の声…和合の京に達した時の女の声」「けふ…今日…無常なる今日という日…京…山ばの絶頂…和合の極み…俗世最高の喜び・有頂天」「くれぬ…暮れてしまう…果ててしまう…尽きてしまう」「ぬ…完了の意を表す」「かなしき…哀しい(時・もの)…愛しい(時・もの・ひと)…かわいい(時・もの・女)…体言が省略されてあるが体言止め。鐘の音のように余韻がある」

 

歌の清げな姿は、諸行無常の鐘の音とともに、今日も暮れてしまう情景。

心におかしきところは、山ばの京を告げる女の煩悩の声とともに、京も果ててしまう情況。


 この歌は
、拾遺集巻第二十「哀傷」にある。

 


          おこなひしはべりけるひとのくるしくおぼえはべりければえおき

はべらざりける、後夜にをかしげなるのつきおどろかすと

てよみはべりける、                 ちうれ

五百七十八 としをへてはらふちりだにあるものを いまいくよとてたゆむなるらむ

仏道・修行していた人が、苦しくおもえたので、起きることができなかった夜も更けた頃に、かわいらしいが、つつき起こすということで、詠んだ   (ちうれ・不詳・小坊主の名か)

(年を経て掃う散りだってあるものを、今、幾夜経ったということで、お疲れになっているのだろうか……疾しを・一瞬の時を、経て払い清める心の塵だってあることはあるが、井間に逝くよとばかり、どうして・気抜けしているのだろうか)

 

言の戯れと言の心

「としをへて…長年を経て…疾しを経て…一瞬のときを経て…夢中に掃い出して」「ちり…塵…心の塵…おとこの散り花…男の身の塵芥」「いまいくよ…今幾夜…井間逝くよ」「たゆむ…疲れる…心が緩む…ものがたるむ」「らむ…推量する意を表す…原因理由を推量する意を表す」


 歌の清げな姿は、修行中に眠ってしまう法師を起こす決め台詞。

心におかしきところは、夢の中で・井間逝くよとて、払い出して、身も心もゆるんでいるのか。


 この歌は、拾遺集にはない。載せ難い歌のようである。


 
 『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。


帯とけの拾遺抄 巻第十 雑下(五百七十五)つらゆき (五百七十六)沙弥満誓

2015-12-25 23:36:43 | 古典

           



                           帯とけの拾遺抄



 藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って聞き直している。

公任は和歌の表現様式を捉えた。「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「深い心」「清げな姿」「心におかしきところ」の三つの意味が有る。

俊成は、歌言葉の浮言綺語に似た戯れの意味に歌の旨(主旨及び趣旨)が顕れると言う。



藤原公任撰「拾遺抄」巻第十 雑下
 八十三首


          よのなかのこころぼそくおぼえはべりければみなもとのきよただのあそん

のもとによみてつかはしける                つらゆき

五百七十五  てにむすぶ水にうかべるつきかげの あるかなきかのよにこそありけれ

世の中が心細く思えたので、源きよただ(拾遺集は公忠)の朝臣の許に詠んで遣わした (つらゆき・紀貫之・古今和歌集撰者・仮名序作者)

(手に掬う水に浮かんでいる月影のように、有るか無いかわからないような、わが世であることよ……手に、結ぶ・にぎる、女に思い浮かぶ、つき人おとこの陰が、有るか無いかわからないような、わが夜だなあ)

 

言の戯れと言の心

「てにむすぶ…手に掬う…手に結ぶ…手ににぎる」「水…水の言の心は女」「うかべる…浮かべる…(水に)浮かんでいる…(脳裏に)浮かべる)」「つきかげ…月影…水に映る月…月人壮士の照りかがやき」「の…のような…比喩を表す…が…主語を示す」「あるかなきかの…有るか無きかの…無いに等しい」「よ…世…男女の仲…夜」「けれ…けり…(最近はこうであった)なあ…回想の意を表す…詠嘆の意を表す」


 歌の清げな姿は、貫之晩年の心身ともに衰えの詠嘆。

心におかしきところは、わが・つき人おとこの、照ることのないさまを、手中の水面に、ゆらゆらと映るさまに寄せて表わした。

 

拾遺集は左注に「この歌詠み侍りて、ほどなく亡くなりにけるとなん、家の集に書きて侍る」とある。これが紀貫之の辞世の歌となったようである。

 

 

このうたをよみはべりてのころ、いくほどなくてみまかりたりとなん

家集にかきつけける                  沙弥満誓

五百七十六  よのなかをなににたとへんあさぼらけ こぎゆくふねのあとのしらなみ

この歌を詠んだ頃から、間もなく、亡くなられたと、家集に書き付けて有るという(沙弥満誓・721年出家・大伴旅人や山上憶良らと同時代の人)

(俗なる世の中を何に喩えようか、朝ぼらけ、漕ぎ行く舟の跡の白波よ……女と男の俗なる夜の仲を何に喩えようか、朝ぼらけ・浅ぼらけ、こき逝く夫根の、あとの白な身よ)

 

言の戯れと言の心

「よのなか…世の中…俗世間…俗なる男女の夜の仲」「あさぼらけ…朝ぼらけ…夜明け時…白らけゆくころ…やうやう白くなりゆく(清少納言はこのように言う)ころ」「こぎゆく…漕ぎ行く…こき逝く…放出して果てる」「ふね…舟…船…夫根…おとこ」「あと…跡…後」「しらなみ…白波…体言止めで余情がある…白々しい心波よ…白な身よ」「白…おとこのものの色…白々しい」。

 

歌の清げな姿は、無常なこの世を、船の航跡の白波に喩えた。

心におかしきところは、女と男の夜の仲を、浅ぼらけ、逝く夫根の跡の、白らじらしい汝身に喩えた。


 この両歌は、拾遺集巻第二十「哀傷」にある。

 

万葉集 巻第三「雑歌」に「沙弥満誓歌一首」として本歌がある。

世間乎 何物尓将譬 旦開  榜去師船之 跡無如

(世間を、何ものに譬えようか、朝開き、こぎ去る船の跡無きが如し……俗なる世に在る間を、何ものに喩えようか、朝、水門・開きて、漕ぎ去る、おふ根の跡無き如し・むなしいね)

 


『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。


帯とけの拾遺抄 巻第十 雑下(五百七十三)大内記慶滋保胤 (五百七十四)道信朝臣

2015-12-24 22:18:30 | 古典

          



                         帯とけの拾遺抄



 藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って聞き直している。

公任は和歌の表現様式を捉えた。「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「深い心」「清げな姿」「心におかしきところ」の三つの意味が有る。

俊成は、歌言葉の浮言綺語に似た戯れの意味に歌の旨(主旨及び趣旨)が顕れると言う。



 藤原公任撰「拾遺抄」巻第十 雑下
 八十三首

 

法師になりはべらんとていで侍りけるをりに家にかきつけてはべりける

 大内記慶滋保胤

五百七十三  うきよをばそむかばけふもそむきなん あすもありとはおもふべきみか

法師になると言って出た折りに家に書き付けた、 (大内記慶滋保胤・賀茂保胤、中務省三等官にて出家)

(憂き世をば背けば、今日という日も背くのだろう、明日という日も在ると思うべき身か、ありはしないだろう……浮き夜に背を向ければ、京も・絶頂も、そっぽを向くだろう、明日も健在と思うべき、おとこの身か)

 

言の戯れと言の心

「うきよ…憂き世…苦しく辛い世…苦しい夜…辛い浮き夜」「そむかば…背けば…そっぽを向けば…(おとこが男の思いに)従わなければ」「けふ…今日…きょう…京…山ばの頂上…ものの極み…感の極み…絶頂」「あり…在り…健在である…有り」「か…疑いの意を表す…反語の意を表す」。

歌の清げな姿は、思い立った今日、出家する。明日も健在と思うべき身か。

心におかしきところは、この夜の有頂天にも、そっぽを向く、わがおとこに明日はあるか、ないだろう。

 

 

あさがほのはなを人のもとにつかはすとて       道信朝臣

五百七十四  あさがほをなにはかなしとおもひけん ひとをもはなはさこそみるらめ

朝顔の花を人の許に遣るということで (道信朝臣・藤原道信・伯父兼家の養子・994年の秋、二十三歳で歿)

(朝顔の花を、どうして、はかなくて可哀想だと思っただろうか、人をも、朝顔の花は、はかなくて可哀想な者だと、思って見ているだろう……浅かおを、どうして、愛しいと思っただろうか・思わないよね、女をも、お端は、さこそ・愛しくて可哀想だと、見ているつもりなのだが)


 言の戯れと言の心

「あさがほ…朝顔…花の名…名は戯れる。咲けばたちまち萎むもの、はかない命、寝起き顔、浅彼お、情の浅いおとこ」「を…対象を示す…強調して示す…お…おとこ」「なには…何は…疑問を表す…反語を表す」「かなし…愛しい…かわいい…哀し…可哀想…いたましい」「ひと…人…女」「はな…花…先端…おとこ花」「さこそ…然こそ…愛しいと…哀しいと・いたましいと・可哀想だと」「みるらめ…見るだろう…思うだろう…見ているつもりなのだが」「見…覯…媾…まぐあい」「らめ…らむ…推量を表す…婉曲に述べる意を表す」


 歌の清げな姿は、はかない朝顔の花に寄せて、おとこの臨終と、かなしき思いを女に告げた。

心におかしきところは、ちかごろ和合ならぬ、原因は我が浅かおにあり、可哀想だと思って見ているよ。

 

この両歌は、拾遺集巻第二十「哀傷」にある。



 『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。


帯とけの拾遺抄 巻第十 雑下(五百七十一)為頼朝臣 (五百七十二)右大将道綱母

2015-12-23 23:06:00 | 古典

           



                           帯とけの拾遺抄



 藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って聞き直している。

公任は和歌の表現様式を捉えた。「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れている。公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「深い心」「清げな姿」「心におかしきところ」の三つの意味が有る。

俊成は、歌の言葉の浮言綺語に似た戯れの意味を心得れば、歌の旨(主旨及び趣旨)が顕れると言う。



 藤原公任撰「拾遺抄」巻第十 雑下
 八十三首


          むかし見はべりしひとびとおほくなくなりはべることをおもひつらねて

 為頼朝臣

五百七十一  よのなかにあらましかばとおもふ人 なきがおほくもなりにけるかな

昔、会った人々が、多く亡くなったことを、次々思い連ねて、(為頼朝臣・藤原為頼・紫式部の父為時の兄)

(世の中に在ったらいいのにと思う人、亡くなることが、多くなったことよ・我は世に蔓延っている……男女の仲で有ったらいいのにと思う女、亡き人が多くなったなあ・次々亡くなって)


 言の戯れと言の心

「むかしみはべりし人…昔見知った人…以前から知り合いの同年輩の人…武樫の頃見た女…若き頃情けを交わした女」「見…覯…媾…まぐあい」。

「よのなか…世の中…男女の仲…夜の中」「あらましかばと…在れば良いと…健在ならいいなあと」「おもふ人…思う人…思う女」「なきがおほく…亡きが多く…(良き人が次々と)亡くなる事が多く」「けるかな…気付き・詠嘆の意を表す」。


 歌の清げな姿は、疫病であろうか、同年輩の人々が多く亡くなる悲哀。

心におかしきところは、昔、武樫のころ見た良き女に先だたれ、とり残される、今は這い伏すおとこ。


 

藤原ためまさの朝臣普門寺にて経くやうしはべりける、又の日これか

れもろともにかへりはべりけるついでに、小野に立ちよりはべりける

にはなのおもしろくはべりければ、ひとびとうたよみはべりけるに、

右大将道綱母

五百七十二   たきぎこることはきのふにつきにしを いざをののえはここにくたさむ

藤原為雅(道綱母の義兄)の朝臣、普門寺にて経供養した次の日、誰彼となく一緒に帰るついでに、小野に立ち寄りたときに、花が鮮やかに美しかったので、人々歌を詠んだときに、(右大将道綱母・藤原兼家の妻・『蜻蛉日記』著者)

(薪きることは・経供養は、昨日で果てましたよ、さあ、小野の・斧の、柄は此処で、朽ちさせよう・時を忘れて楽しもう……多気木を伐採することは、昨日で果てましたね、いざ、男の身の枝は、この小野で朽ちさせましょう)


 言の戯れと言の心

「たきぎ…薪…多気木…多情な男木…木の言の心は男」「こる…樵る…伐採する…きる…断ち切る」「つきにし…尽きてしまった…(多気な煩悩は昨日普門寺で)尽き果ててしまった」「を…対象を示す…感嘆詞…お…おとこ」「をののえくたさむ…斧の柄を朽ちさせよう…時を忘れて遊ぼう…男の枝を朽ち果てさそう…(多気なものを伐採しただけでは心もとない)煩悩朽ち果てさそう」


 歌の清げな姿は、経供養は昨日で済んだ、いざ今日は、時間を忘れて遊びましょう。

心におかしきところは、多気木男を昨日伐採したから、さあ今日は、おとこを朽ちさせましょう。


 この両歌は、拾遺集巻第二十「哀傷」にある。



 『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。