帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋(二十九と三十)

2012-04-03 00:05:07 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 紀貫之の云う「歌の様」を知らず「言の心」を心得ないで、近世以来、解き明かされてきたのは歌の清げな姿の
み。歌の「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解け、生々しい人の心が「浮言綺語の戯れのような歌言葉のうちに顕れ」、貫之の云う通り「絶艶の草」と実感できるでしょう。

 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(二十九と三十)


 きみがため春の野にいでて若菜つむ わが衣てに雪はふりつつ 
                             
(二十九)

(貴女のために、春の野に出て若菜摘む我が衣の袖に雪は降り続く……あなたのせいで、春の野にでて若菜摘む我がみのそでに、しらゆきはふりつづく)。


 言の戯れと言の心

 「きみ…君…貴女…男女相互に用いる呼びかけ」「ため…の為…目あてに…原因で…せいで」「春…春情…張る」「野…山ばではない…平常のとき」「わかな…若菜…我が汝」「菜…女」「汝…親しいもの…愛しいひと」「つむ…摘む…採る…引く…めとる」「ころもで…衣の袖…心身の端」「衣…心身を包むもの…身の換喩」「雪…白ゆき…おとこ白ゆき…おとこの情念」「つつ…反復または継続を表す」。



 わがために来る秋にしもあらなくに 虫のねきけばまづぞかなしき 
                              
(三十)

(わたしの為に来る秋ではないのに、虫の音聞けば、何はともあれ哀しい……わたしのせいで、来る飽きでもないのに、飽きむしのねを聞けば、まつはせつない)。


 「ために…の為に…目あてに…原因で…せいで」「あき…秋…飽き」「あらなくに…ないのに…ないのになあ」「むし…虫…武肢…身の虫…おとこ」「ね…音…声…本音…弱音」「まづ…先ず…真っ先に…なにはともあれ…まつ…松…女…待つ…女」「かなしき…悲しい…哀しい…あわれ…せつない…いとしい」。



 早春の日常行事で雪降る風情は、歌の清げな姿。わかな摘むおとこのありさまは、歌の心におかしきところ。対するは、秋虫の音のものがなしい風情は、歌の清げな姿。身のむしの飽きの気配を感じる女の心情は、歌の心におかしきところ。


 この歌集では、作家名や作歌の事情を考慮しない。心におかしきところのみ、各々相い闘うように並べられてある。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。