帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子(拾遺十九)蒔絵は

2012-02-29 00:26:08 | 古典

  



                                帯とけの枕草子(拾遺十九)蒔絵は



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで、この時代の人々と全く異なる言語感で読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」だけである。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子(拾遺十九)まきゑは


 文の清げな姿

 蒔絵は、唐草。


 原文

 まきゑは、からくさ。


 心におかしきところ

 真木枝は、からく、そのよう。


 言の戯れと言の心

 「まきゑ…蒔絵…真木枝…真のおとこ」「木…男」「枝…おとこ」「からくさ…唐草…唐草模様…辛くさ…辛うじてそのよう…真の身の枝は辛うじて八寸五分」「からく…辛く…かろうじて」「さ…然り…その通り…そのよう…前章の彼が身の丈八寸五分」。



 まき(蒔)が「真木」と戯れて、真の男というような「言の心」を孕んでいるということは、理屈(論理)ではない。
そうと心得るだけのこと。真木の歌を聞きましょう。


 万葉集  巻第七 譬喩歌 寄木

 真木柱 作るそま人 いささめに 借庵の為と造りけめやも

 (真木柱作る杣人は、かりそめに、仮小屋の柱の為にと造ったでしょうか、いやそうではない……男の子をつくる女は、ほんのちょとした借り小屋の柱になる為につくったのかしら・宮殿の真木柱に成る為なのに……真木柱尽る素間人、ほんのちょっぴり、仮の小やの為に、神は・おとこ真木柱を造られたのかしら、ではないでしょうに・強く堅く長くこそ好し)。


 「真木…男」「つくる…作る…尽くる」「そま人…杣人…きこり…粗間人…女…素間人」「いささめに…かりそめに…ちょっと」「借…かり…仮」「庵…小屋…女」「やも…詠嘆を含む反語の意を表す」。


 歌は、言の戯れを知り言の心を心得て聞けば、「清げな姿」「深い心」「心におかしきところ」のあることがわかる。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)

 
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。


帯とけの枕草子(拾遺十八)鏡は

2012-02-28 00:08:34 | 古典

  



                     帯とけの枕草子(拾遺十八)鏡は



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで、この時代の人々と全く異なる言語感で読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」だけである。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子(拾遺十八)かゞみは


 文の清げな姿

  鏡は八寸五分。


 原文

 かゞみは八寸五ふん。


 心におかしきところ

 彼が身は八寸五分。


 言の戯れと言の心

 「かゞみ…鏡…彼が身…彼の身のもの」「八寸五分…約二十六㌢…鏡の直径…屈む身ではなく増す彼が身の丈か」。



 「かゞみ」を鏡と決めつける根拠は何もない。「屈み」「屈む身」「彼が身」「彼が見」などと戯れるので、次のような歌が成り立っている。

 古今和歌集 巻第十七 雑歌上 

 鏡山いざたちよりて見てゆかむ 年へぬる身はおいやしぬると

                  この歌は或る人の曰く大伴黒主が也。

(近江の鏡山を、さあ立ち寄って見てゆこう、年経た身は老いたかどうかなと……彼が身の山ば、いざ立ち撚りいれて見てゆこう、疾し経た身は、感極まり死ねるかなと)。


 言の戯れと言の心

 「鏡…屈み…彼が身…おとこ」「山…ものの山ば」「よりて…寄りて…撚りて…撚りいれて…気張って」「見…覯…覯…まぐあい」「年…とし…疾し…早すぎ」「おい…老い…極まり…感の極み」。


 「歌言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕わる」と藤原俊成はいう。
この顕れた「心におかしきところ」を感じ取れば、古今和歌集序にある黒主批判もよくわかるでしょう。「大伴の黒主は、その(歌の)さま卑し。言はば、たきぎ(薪…多気木)負える山人の、花の陰に休めるが如し」とある。


 上のような歌に育まれてきたおとなの女たちのための諧謔とすると、「かがみは八寸五分」は、心におかしいでしょう。

 「見れば、さぞ、おいや死ぬらむ」と誰かが言えば、笑いとなって、笑い奉仕は成功でしょう


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)

 
 原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。


帯とけの枕草子(拾遺十七)櫛の箱は

2012-02-27 00:06:41 | 古典

  



                                 帯とけの枕草子(拾遺十七)櫛の箱は



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで、この時代の人々と全く異なる言語感で読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子(拾遺十七)くしのはこは


 文の清げな姿

 櫛の箱は、蛮絵(鳥獣や草花の丸い絵柄)がとっても良い。


 原文

 くしのはこは、ばんゑいとよし。


 心におかしきところ

 具しの端こは、晩枝、とっても好い。


 言の戯れと言の心

 「くし…櫛…ぐし…具し…具士…愚子…おとこ」「ぐ…具…身に伴うもの…愚…おろかもの」「はこ…箱…端こ…身の端のもの」「ばんゑ…蛮絵…盤絵…円形にまとめられた絵…晩ゑ…晩成の枝…早生ではない身の枝」。



 この文には、おとなの女たちに「をかし」と思わせる「心におかしきところ」がある。深い心はないけれども、清げな姿を兼ねそなえている。
 
 
今では、「くし」には「櫛」以外の意味など無いかのように、「櫛の箱は、蛮(盤)絵いとよし」と一義に読まれて、合理的な読みなので、疑問をもつ人などいないでしょう。 ただ、なぜ「ばんゑ」が「よし」なのか、また、調度品についての嗜好を書き記す動機も、誰の為に書いているのかも見えない。その読みは文の清げな姿にすぎないからである。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)

 
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。


帯とけの枕草子(拾遺十六)貝は

2012-02-25 00:12:54 | 古典

  



                             帯とけの枕草子(拾遺十六)貝は



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで、この時代の人々と全く異なる言語感で読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子(拾遺十六)かひは


 文の清げな姿

 貝は、殻貝。蛤、とっても小さな梅の花貝。


 原文

 かひは、うつせかひ、はまぐり、いみじうちゐさきむめのはなかひ。


 心におかしきところ

 貝は・交いは、空ろな交い。端まくり、ひどく小さなおとこ花かい。


 言の戯れと言の心

 「かひ…貝…おんな…交…まじわり」「はまぐり…蛤…貝の名…おんな…端まくり」「端…衣の端…身の端」「まくり…捲り…めくりあげ」「むめのはなかひ…梅の花貝…梅の花弁に似た貝…月貝とも」「梅の花…男花…おとこ花」「かひ…交…まじわり…交合…かい…強い疑問を表す」「か…疑いを表す…問いを表す」「ひ…い…接尾語…上の語を強調する」。



 笑い奉仕の一節。これを聞いて笑えた人は、この時代のおとなの女たちと同じ聞き方ができている。披露した甲斐があったと言えるでしょう。

 

 「貝」が女であることは、そのつもりになって古歌などを読み直せばわかるが、貫之は、歌の様を知り、言の心を心得る人は、いにしえを仰ぎ見て、古今集の歌を恋しがるであろう」と仮名序で述べたので、「土佐日記」では、次のような方法で、「貝」の「言の心」を明かしている。


 「土佐日記」一月十三日、女たちは湯浴みでもしょうと辺りの浜に降りてゆく。月は明るい。

 「船にては、紅濃く良き衣着ず。それは海の神に怖ぢてと言ひて、何の葦(脚)陰にことづけて、ほやのつまのい(貽貝)すし、すしあわびをぞ、心にもあらぬ、(衣を)脛に上げて(海神に)見せける」とある。

昔から「貝」や「す」が女であったことがわかるでしょうか。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)

 
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。


帯とけの枕草子(拾遺十五)墨は

2012-02-24 01:01:43 | 古典

  



                               帯とけの枕草子(拾遺十五)墨は



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで、この時代の人々と全く異なった言語感で読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子(拾遺十五)すみは


 文の清げな姿

 墨は、丸(円柱形)である。


 原文

 すみは、まろなる。


 心におかしきところ

 す身は、間漏成る。


 言の戯れと言の心

 「す…洲…女…おんな」「まろなる…(練り墨は)円柱形である…ふっくら成る…緩やかに成る…ま漏成る…ま露成る」「ま…間…おんな」「ろ…露…雨露…おとこ雨に濡れて…漏…自らの煩悩に濡れて」「なる…なり…である…成る…情態が変化する…感の極みに成る」。



 おとこは、疾く(早く)成り果てる。


 
伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)


 原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。