帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑(二百八十五と二百八十六)

2012-08-31 00:38:29 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿だけではなく、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生の心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首
(二百八十五と二百八十六)


 月夜には来ぬ人待またるかき曇り 雨も降らなむわびつつもねむ
                                 
(二百八十五)

 (月夜には来ない人を待ってしまう、空かき曇り雨でも降ってほしい、わびしく思いながらも寝るでしょう……月の美しい夜には、来ないええ男を待ってしまう、かき具盛りお雨でも降っておくれ、思い叶わず空しく思いながらも寝るわ)。


 言の戯れと言の心

 「月…月人壮士(万葉集の歌語)…壮年の男…ささらえをとこ(万葉集以前の月の別名)…ええおとこ…若く愛しいおとこ」「かきくもり…一気に曇り…掻き具盛り」「雨…涙雨…おとこ雨」「なむ…願望の意を表す」「わぶ…思いが叶わず落胆する…さみしく思う…むなしく思う」「つつ…反復・継続を表す…筒…中空」「む…意志を表す」。

 

 古今和歌集 恋歌五。題しらず、よみ人しらず。女の歌として聞く。


 歌の清げな姿は、月の夜には来ぬ男を待ってしまう、雨でも降ってくれ月消えれば、わびしく寝るという女。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、月夜には、来ない若い愛しいおとこを待ってしまう、かき具盛りお雨降っておくれ、むなしく寝るというところ。

 


 おそく出づる月にもあるかなあしひきの 山のあなたも惜しむべらなり
                                 
(二百八十六)

(遅く出る月だことよ、あしひきの山の向こうでも、此方へ送り出すのを惜しむのでしょう……遅くいだす、つき人おとこだことよ、あゝ、あの山ばの彼方の宮こ、わたしは愛しむでしょうよ)。


 言の戯れと言の心

 「おそく…遅れて…早くなく…後発ちに」「いづる…(月が山の端から)でる…ものがでる…お雨がふる」「月…壮士…おとこ」「かな…詠嘆の意を表す」「やまのあなた…山の向こう…山の彼方…山ばの彼方…京…宮こ…感の極み…浮き天の身も心も漂うところ」「をしむ…惜しむ…捨てがたく思う…愛しむ…深く愛する」「べらなり…推量を表す」。

 


 今の人々は「月…壮士…男…おとこ…突き…尽き」などと戯れることを知らされていない。従って、月の歌など、清げな姿しか見えていない。心におかしきところがないのに、その程度のものかと思っていて、解釈の不在も自覚していない。ゆゆしい問題であるけれども、今は措いといて、万葉集の月の歌を聞きましょう。

 

 万葉集 巻第六 大伴坂上郎女月歌。

 山のはのささらえ壮子天の原 門渡る光見良久し好しも

  右一首歌或云、月別名曰佐散良衣壮士也、縁此辞作此歌。

 (山の端のささらえ壮士、天の原と渡る光、見らくし好しも……山ばの端の若く愛しいおとこ、女の腹、門わたる照り輝き、見るに良し久しきの好きことよ)。


 「山…山ば…絶頂」「ささらえをとこ…月…若く愛しい男」「天…あま…女」「原…腹…身」「と…門…女」「わたる…渡る…およぶ…いらっしゃる…しつづける」「光…月光…男の威光・栄光…おとこの照り輝く魅力…光源氏の光はこれらの意味をすべて踏まえてある」「見…覯…媾…まぐあい」「も…感動・詠嘆の意を表す」。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず

  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。




帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑(二百八十三と二百八十四)

2012-08-30 00:09:31 | 古典

   


          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿だけではなく、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生の心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首
(二百八十三と二百八十四)


 あま雲のよそにも人のなりゆくか さすがにめには見ゆるものから
                                 
(二百八十三)

 (天雲のように、遠くよそよそしくなってゆくか、それでも、女の目には君のことすべて、見えているのよ……お雨降らす心雲が他所でも、女が成りゆくか、でもねえ、女のめには、なおも見得るものなのよ)。


 言の戯れと言の心

 「あまくも…天雲…遠い…雨雲…おとこ雨降らす心雲」「なりゆく…成り行く…成り逝く」「か…疑問の意を表す」「め…目…女…おんな」「みゆる…見える…見通せる(なぜか、どこの女との浮気か、誰を恨んでいるのか、などすべて)…見得る…見ること可能」「見…覯…媾…まぐあい」「ものから…ものなのよ…ものなのに…物柄…物の性質…おとことは比較にならない持続性、本来的後発性などの性質」。

 

 古今和歌集 恋歌五。詞書によると、住んでいた男が、(或る人を…女を)恨むることありて、しばらくの間、昼は来て、夕方は帰ってばかりしたので、詠んで遣った。女の歌。

 

 歌の清げな姿は、わけあって、夜の床、ご無沙汰となる男へ、妻の呟き。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、浮気のせいで、夜の床なおざりになりゆくおとこへの、妻の憤懣。

 

 伊勢物語(第十九)では、次のように語られてある。

 昔をとこ(昔男…武樫おとこ)、宮仕えしていた方で、ごたち(御達…上級女官…後発ち)であった女と知り合ったが、間もなく別れた。仕え所は同じだったので、女の目には見えるのに、男は在るものとも思っていない。女が詠んだ。

 

間もなく別れた原因は、女がごたち(後発)であったためである。どこの女でも、なおもまたと見得るもの柄なのよ、との女の歌に対して、我がいる山の風はやみなり(わが射る山ばの心風早い為であるな……わが今居る女の山ばの心風速いためであるぞ)と男は返歌している。



 いづくにか世をばいとはむ心こそ 野にも山にもまどふべらなれ
                                 
(二百八十四)

(何処で、この世を厭い捨てようか、心こそ、野でも山でも何処にあっても、惑うようである……どこで、男と女の夜を、嫌い断とうか、好き心こそ、ひら野でも山ばでも、惑うようである)。


 言の戯れと言の心

 「世…この世…憂き世…浮き夜…男女の夜」「いとふ…厭う…世を捨て出家する…嫌う」「心こそ…(身もであるが)心が」「野にも山にも…何処でも…山ばでないところでも山ばでも」「まどふ…と惑う…心乱れてわからなくなる」「べらなり…ようである…らしいのである…推量の意を表す」。

 

 古今和歌集 雑歌下。題しらず、法師の歌。


 歌の清げな姿は、どこで世を捨てるか、世にあるかぎり、心の惑いは尽きないだろう。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、夜をすてないかぎり、好き心は惑い続けるようであるというところ。

 


 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず

  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。




帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑 (二百八十一と二百八十二)

2012-08-29 00:04:02 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿だけではなく、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生の心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首
(二百八十一と二百八十二)


 人はいさ我はなき名の惜しければ むかしも今も知らずとをいはむ
                                 
(二百八十一)

 (あの人はどうだか、我は無実の噂が残念なので、昔も今も、あの人のことは、知らないとだなあ、言うだろう……女はさあどうだか、我は亡きものが惜しいので、武樫の時も、そうでない今も、領有していると、おを言うだろう)


 言の戯れと言の心

 「人…噂の相手のひと…相手の女」「なきな…無き名…無実の噂…無き汝…涸れ果てたもの…逝ったおとこ」「な…名…評判…汝…親しきもののこと」「をし…惜し…残念だ…愛着を感じる」「むかし…昔…武樫…強く堅い」「しらず…知らない…(そんな人)聞いたことも見たこともない…しらす…領有しておる…統治しておる」「しる…知る…領る」「を…感嘆、詠嘆の意を表す…お…おとこ」「む…意志を表す」。


 古今和歌集 恋歌三。題しらず。男の歌。


 歌の清げな姿は、立った噂は無実、あの人のことは知らないと言おう、との男の決心。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、ひとは無樫ね、無用よと言うかもしれないが、痩せても涸れても我が領有物なのだという男の詠嘆。

 


 我が身から浮名の川と流れつゝ 人のためさへ悲しかるらむ
                                 
(二百八十二)

 (わが身のせいで、浮名が川と流れ続けている、あの人の為にさえ、せつなく心が痛む、どうしてでしょう……わが身のせいで、浮かれた汝が、かはと共に流れ、つつ、君の為にさえ、悲しいのはどうしてかしら)。


 言の戯れと言の心

「浮名…浮かれた噂…浮かれた汝…浮かれたおとこ」「な…汝…親しきもののこと」「川とながれ…川となって流れ…噂の流布する比喩…女と共に流れ…おんなと一緒に流れ」「川…女」「つつ…反復を表す…継続を表す…筒…中空…中身の空しいもの」「かなし…悲しい…せつなく愛しい…せつなく心が痛む」。

 

 古今和歌集 雑歌下。題しらず、よみ人しらず。第二、三句、「うきよのなかとなづけつゝ」。女の歌として聞く。


 歌の清げな姿は、浮名が流れて、わたしが君のためにさえ、どうして心を痛めるの、一心同体だからよ。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、浮かれたものが女と共に流れ、空しい筒となっては、女の為だけでなく君の為にさえ悲しいというところ。



 和歌の趣旨は、言の戯れに包まれてある。明らかするには、古今集仮名序の結びの言葉「歌の様式を知り、言の心を心得よ、そうする人は、古の歌を仰ぎ見て、今の歌が恋しくなるだろう」に従って「歌のさま」と「言の心」を学ぶしかない。

 


 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず

 新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。




帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑(二百七十九と二百八十)

2012-08-28 00:04:56 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首
(二百七十九と二百八十)


 潮みてば入りぬる磯の草なれや みるめ少なくこふらくおほし
                                 
(二百七十九)

 (潮が満ちれば、入ってくる磯の浮草なのかこの恋は、見ること少なく、恋うことが多い……士お満ちれば、入って来る井その、草なのか粗末なおとこ、見るめ少なく、わたしは乞うことが多い)


 言の戯れと言の心

 「しほ…潮…しお…士お…子お…おとこ」「いそ…磯…女…井そ…女」「草…浮草…浮かれたもの…粗末なもの…くさ…種…原因となるもの」「みるめ…海藻の名…海松布…名は戯れる。見るめ、逢うめ、合う女、合うめ」「見…覯…覯…まぐあい」「こふらく…恋うこと…こ()ぶ等…昆布など…乞うこと」「らく…名詞化する接尾語」。


 古今集の歌ではない。万葉集巻第七 比喩歌 寄藻。第四句「見良久少」。女の歌として聞く。


 歌の清げな姿は、潮満ち来た磯の景色。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、見()ることの良しや久しいことが少ないおとこへの、女の憤懣、詠嘆。


 このような女の生々しい心が磯の景色や海草で包まれてある。歌はこのように心根をものに包んで表現するもの。そこが詠むにしても聞くにしても難しいところ。


 ほととぎすの歌を詠めなかった清少納言が、「包むことさぶらはずは、千の歌なりとも、是よりなむ、出でもうでこまし」と宮に申し上げた(枕草子第九五)。わたしは、包むことが苦手なだけとの正直な言い訳。いつでも、千くらいの言いたいことは胸の内にはあるということ。

 


 思ふどちまどゐせる夜の唐錦 たゝまくをしきものにぞありける
                                  
(二百八十)

 (思いの同じ者、円座に集いする夜の花やいだ模様、唐錦、裁つときは惜しいものだなあ……相思相愛、まといつく夜の色模様、時が経つのも、絶えるのも惜しいものだなあ)


 言の戯れと言の心

 「おもふどち…思いの同じ友だち…相思相愛の二人」「まどゐせる…円居せる…輪になって座っている…まとひせる…まとい付いている…からみ合っている」「唐錦…色彩豊かな模様の織物…濃厚な色模様」「たつ…裁つ…裁断する…中断する…時が経つ…絶つ…絶える」「をし…惜しい…残念だ…愛着が残る…執着を感じる」「ける…けり…気付きや詠嘆の意を表す」。


 古今和歌集 雑歌下。題しらず、よみ人しらず。


 歌の清げな姿は、友だち同士の夜の談笑の様子。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、恋人どうしの夜のまといあいの、久しくあれという心情。

この歌も、清よげに包まれてあって、趣旨は玄なるところにある。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず

 
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。 




帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑(二百七十七と二百七十八)

2012-08-27 01:08:33 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首
(二百七十七と二百七十八)


 それをだに思ふこととて我が宿を 見きとな言ひそ人の聞かくに
                                  
(二百七十七)

 (別れを思うからといって、我が宿を見たとも言わないでね、人々が聞いているので……見捨ようなどと思うといって、わがや門を、見たとは言うな、他の男が聞くから)


 言の戯れと言の心

 「それ…代名詞…明示したくない事の代名詞…離別されること…見捨てられること…絶えてしまわれること」「だに…強調する意を表す」「やど…宿…家…女…やと…や門…女」「見…目で見ること…覯…媾…まぐあい」「な言ひそ…(家を見たと)言うな…家さえ知らないと言え…(や門を見たと)言うな」「人…他の人々…他の男」。


 古今和歌集 恋歌五。題しらず、よみ人しらず。女の歌として聞く。


 歌の清げな姿は、別れを思う男へ、恋の終わった女の決別の言葉。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、見捨てるおとこへ、や門の悔しさの滲む決別の言葉。


 

 こゝにして我世は経なむすがはらや 伏見の里の荒れまくも惜し
                                  
(二百七十八)

 (此処にきめて、我が余生は過ごしましょう、菅原の伏見の里の荒れゆくのも惜しいし……個々にして、我が夜は過ごしましょう、すが腹や、伏し身の、さ門が荒れそうで惜しい)


 言の戯れと言の心

 「ここ…此処…個々…個人個人」「世…夜」「すがはら…菅原…菅の生えた野原…すが腹…女の腹」「す…洲…巣…女」「原…腹…身」「や…語調を整えるために添える語…疑問や反語の意を表わす…別の意で用いていることを示唆している」「伏見…地名…貴族たちの別荘地…名は戯れる、伏し見、伏し身、伏したままのおとこ」「の…内容を表す…性質、情態を示す」「さと…里…さ門…女」「の…主語を示す」「あれまく…荒れるだろう…(そんなものに見捨てられさ門は)荒廃するでしょう」「も…もう一つ加える意を表す…意味を強める…詠嘆を表す」「をし…惜しい…愛着する…残念だ」。


 古今和歌集 雑歌下。題しらず、よみ人しらず。女の歌として聞く。

 
 歌の清げな姿は、男の訪れが絶えた女の居住地についての決心。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、独り身となった女、伏し身への、さ門の執着、誹謗、詠嘆。


 この歌は、見事に清よげに包まれてあって、本意は玄之又玄なるところにある。

 


 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず

  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。