帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

新・帯とけの「伊勢物語」(百二十三)出でていなばいとど深草野とやなりなむ

2016-08-18 19:16:54 | 古典

               



                              帯とけの「伊勢物語」



 「伊勢物語」は在原業平(825880)原作の歌物語である。
平安時代の歌論と言語観に従って歌の奥義を明らかにしながら読み、「清げな姿」だけではなく、歌の深い主旨や妖艶な趣旨が歌言葉の戯れに顕れるさまを示してきた。歌に顕れる色好みで妖艶なエロス(性愛・生の本能)が、一千数百年経っても残っているので、今の人々の心に直に伝わるはずである。「清げな姿」しか見えていなかった国文学的解釈による「伊勢物語」は氷山の一角であった。

もとより和歌はエロチシズムの有る文芸である。全ての和歌の底辺にはエロスが満ちている。ただ、業平の歌のそれ(性愛・生の本能)は、怨念が加わって最も淫らな和歌である。伊勢の海の底へ沈めてしまいたくなる代物である。とはいえ、この世から消してしまえるような単純で軽薄なものではない。これらのことは、紫式部の「伊勢物語」読後感と一致する。今の人々にも、この読後感をわかってほしい。


 伊勢物語
(百二十三)出でていなばいとど深草野とやなりなむ


 むかし、おとこありけり(昔、男がいた…武樫おとこがあったのだった)。深草に住んでいた女を、やうやうあきがたにや思けん(しだいに飽きかけてきたと思ったのだろうか)、このような歌を詠んだのだった。

年を経て住みこし里をいでていなば  いとど深草野とやなりなん

(数年にわたって、通い・住んで来た里を、我が出て行ったならば、ここは・ますます草深い野となるだろうか……疾しを経て、澄んできた、さ門を我が・出でて逝けば、いとど・井門戸、深い女の野となるのだろうか)

女、返し、

野とならば鶉となりて鳴きをらん  狩にだにやは君はこざらむ

(野となったならば鶉となって鳴いて居るでしょう、仮にでも・狩りにでも、君は来ないかしら……山ばが・ひら野とならば、憂面となって泣いて、居るでしょう・折るでしょうよ、仮によ・猟しによ、貴身は来ないかしら来るでしょう)と詠んだので、めでてゆかむ(愛でて、行こう…め出てゆこう)と思う心は、なくなりにけり(無くなったのだった…失せてしまったよ)

 

 

 紀貫之のいうように「言の心」を心得る人になりましょう、歌が恋しくなるという。

 清少納言がいう「聞き耳異なるもの、それが、われわれの言葉である」と知りましょう。言葉の多様な戯れの意味を決めるのは受けての耳である。

 藤原俊成のいうように「歌の言葉は・浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕われる」。顕れるのは、藤原公任のいう「心におかしきところ」である。

 「深草…地名…名は戯れる…情の深い女」「草…言の心は女」。

 「年…敏…疾し…早い…おとこの性」「すみ…住み…済み…澄み…高ぶる情が平常となる」「さと…里…言の心は女…さ門…おんな」「さ…美称」「と…戸・門…言の心は女」「野…山ばではないところ…心地が平静になったところ」「うずら…鶉…鳥の言の心は女…憂面…満たされずつらい面もち」「なきをらん…鳴いて居るでしょう…泣き居るでしょう…泣き折らむ」「折らむ…折るつもり…折ってやる」「む…意志を表す…出でて逝く物はへし折ってやる」「かり…狩…猟…刈…めとり…まぐあい」。

「めでて…愛でて…め出て」「め…女…おんな」「ゆかむ…行こう…逝こう」「けり…気付き・詠嘆の意を表す…女の深情けにあらためて気付き男は詠嘆したのである」。

 

二首の歌は、業平と深草の女との「相聞歌」である。お互いの心の内底まで言い合い、聞き合う会話である。和歌でしかできない会話である。

 

 「野」の「戯れ」を知り「言の心」を心得たなら、早速、「枕草子」の野の名を羅列したを文を読んでみましょう。伊勢物語の歌と、同じ文脈にあるはずである。

清少納言「枕草子」第百六十二

野は、嵯峨野さらなり、印南野、交野、駒野、飛火野、しめし野、春日野、そうけ野こそすずろにをかしけれ、などてさつけけむ。宮木野、粟津野、小野、紫野。

 (……山ば過ぎたところは、性野、さらに言うまでも無い。否見野。片野。小間野。飛びゆく思火野。湿し野。微か野。総毛野こそ、何となく、おかしいことよ。どうしてそんな名つけたのかしら。御笠が要るほどつゆが多いという・宮き野。合わず野。小野。心澄んだ色の野)。


 聞き耳を異にして、「野」は、性愛の果ての山ばでは無くなった所と聞くと、「歌言葉」を羅列しただけでは無く、この散文にも、何となく「心におかしきところ」があることがわかる。


 
2016・8月、旧稿を全面改定しました)