帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

新・帯とけの「伊勢物語」(百十六)久しくなりぬきみにあひ見で

2016-08-11 19:09:20 | 古典

               



                             帯とけの「伊勢物語」



  在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を、原点に帰って、平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で読み直しています。江戸時代の国学と近代以来の国文学は、貫之・公任らの歌論など無視して、新たに構築した独自の方法で解釈してきたので、聞こえる意味は大きく違います。国文学的解釈に顕れるのは、歌や物語の「清げな姿」のみである。


 伊勢物語
(百十六)久しくなりぬきみにあひ見で


 むかし、おとこ(昔、男…武樫おとこ)、すずろに(何となしに…すす路に)、みちのくにまでまどひいにけり(陸奥の国まで惑いつつ行った…未知の・路の、奥まで纏わりつつ入った)。京におもふ人(京に居る思いを懸ける女人…絶頂の京にてもの思う女)に、いひやる(手紙に書いて送り届ける…直接、言って遣る)

 浪間より見ゆる小島のはまひさし 久しくなりぬきみにあひ見で

  (波間より見える小島の浜ひさし、久しくなった、貴女に逢えなくなって……汝身間より、見ている、こ路間の端間ひさし、久しくなった、貴身に合い見ることできずに)

「なにごともみな、よくなりにけり(何事もみな好くなったことよ…何事もみな、どうでもよくなってしまったよ)」だなんて、いひやりける(便りに書いて送ったのだった…言って遣ったのだった)。

 

 

紀貫之のいう「言の心」を心得て、枕草子に「聞き耳異なるもの」というほどの言葉の戯れを知りましょう。

 「みちのくに…陸奥の国…路の奥のくに…未知のくに」「路…言の心は女…おんな」「くに…国…土地…ふるさと…言の心は女」「京…都…宮こ…山ばの頂上」「はまひさし…久しく波に侵食されて浜がひさしのようになった所か…万葉集の本歌は濱久木」「浜…言の心は女…端間…おんな」「あひ見で…会見しないで…合いみないで…和合できずに」「見…覯…媾…まぐあい」「なにごともみなよくなりにけり…愛憎も怨念もみなどうでもよくなった…藤氏一門による専制政治もみなどうでもよくなった…和合できず久しくつづけているともうどうでもよくなった」。

 

歌の「清げな姿」は、浪に久しく浸食され廂のようになった小島が見える・それにつけても、久しくなったなあ、あなたとお逢いできずに。

 歌の「心におかしきところ」は、こ肢間が・小路間が、久しい。久しくなった、貴身に和合成らずに。おとこの諦めに似た心音が聞こえる。

 

 ついでながら、万葉集 巻十一 寄物陳思の「濱久木」と詠んだ歌を聞きましょう。

 浪間従所見小嶋之濱久木、久成奴君尓不相四手

  (浪間より見ゆる小島の浜久木、久しく成りぬ君に逢わずして……汝身間より見ゆる来じ間のはま久木、久しくなったわ、君に合えずに)

 
 「はまひさ木…濱久木…木の名、名は戯れる。端間久木」「木…言の心は男…おとこ」。


 これは、男の消息を思いつつ待つ女の歌のようである。この女歌を本歌として、「いせの物語」の作者(業平)は、男の歌に換骨奪胎したのだろう。おとこの、ものの果ての心情を言葉にして、「井背のもの語り…おんなとおとこのもの語り」に相応しい歌となっている。

 

さて、大方の国文学的解釈は、歌の初句から「はまひさし」や「はまひさぎ」までを、「久し」を導き出す「序詞」であるといい、訳さない。すると歌は、「久しくなったことよ貴女にお逢いできずに」という事になるので、訳者は色々と憶見を加えて、この歌の解釈とする。この歌のほんとうの心は伝わらない。

 

歌とは何か、原点に帰れば、古今集仮名序の冒頭に「心に思ふことを、見る物、聞くものに付けて、言いだせるなり」と書いてある。主題は心である。

以下は既に述べてきた内容の再掲である。和歌の国文学的解釈は、平安時代の歌論と言語観を全く無視した間違った解釈方法である。この奇妙な解釈方法と解釈に警鐘を鳴らしているのである。

 

○紀貫之は、歌は人の心を種として言の葉となった。心に思うことを、見るもの聞くものにつけて言い出すのであるという。

○藤原公任は、優れた歌には、深き心、清げな姿、心におかしきところがあるという。三つの意味が一つの言葉で表わされてある。

○清少納言は言語観を「枕草子」に記している、「おなじことなれども、きゝみゝことなるもの、法師のことば、おとこのこと葉、女のことば。げすの言葉にはかならず文字あまりたり」と。現代語に訳せば「同じ言葉であっても、聞き耳により、(意味の)異なるもの、(それが)われわれ言語圏内の衆の言葉である。げす・外衆(言語圏外の衆)の言葉は必ず無駄な文字のほうが余っている」となる。

○藤原俊成は「歌の言葉は浮言綺語の戯れに似ているけれども、そこに、歌の深い趣旨が顕われる」という。

 

清少納言や紫式部ら平安時代の人々は、歌が三度ゆっくり読み上げられると、その深き心、清げな姿、心におかしきところを聞き取ったのである。表現方法と歌言葉の「言の心」と戯れぶりを心得ていたからである。

近代人の新たに構築した「和歌の解釈方法」は、上の平安時代の人々の歌論と言語観を全て無視して、歌をほぼ字義通りに聞いて、歌言葉の戯れを、「序詞」「掛詞」「縁語」と捉えて、この様な修辞法により表現されてあると解く。これでは、この時代の歌や歌物語の解釈を、正当な方向から遠のけるだけである。この奇妙な解釈が蔓延って久しくなりすぎた。

我々は古代から平安時代を通じて、人の生の心をも見事に表現し合い、聞き合う和歌という文藝を持った。歌論は確立し、言語の持つ厄介な性質を克服して、むしろ逆手にとって、生の心を表現して相手の心に伝える方法である。この日本の誇るべき和歌という文藝の真髄を解き明かし続ける。


 (2016・8月、旧稿を全面改定しました)