帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

新・帯とけの「伊勢物語」(百十一)下ひものとけむを人はそれとしらなん

2016-08-06 19:04:53 | 古典

               



                             帯とけの「伊勢物語」



  在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を、原点に帰って、平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で読み直しています。江戸時代の国学と近代以来の国文学は、貫之・公任らの歌論など無視して、新たに構築した独自の方法で解釈してきたので、聞こえる意味は大きく違います。国文学的解釈に顕れるのは、歌や物語の「清げな姿」のみである。


 伊勢物語
(百十一)下ひもの解けむを人はそれと知らなん

 

 昔、おとこ(昔、男…武樫おとこ)、やむごとなき女のもとに(格別な女の許で…止む事無き女のもとで)、なくなりにけるを(或る人が・亡くなったのを…武樫では・無くなったおを)、とぶらうやうにて(弔うように…訪い尋ねるように)言ってやった。

 いにしへはありもやしけん今ぞ知る まだ見ぬ人を恋ふるものとは

  (いにしえにはあったかどうか、今知った、未だ見ていない人を・顔も未だ見ていない貴女を、恋しく思うものとは……いにしえにはあっただろうかなあ、今・井間、知った、未だ見ていないと・止む事無く、ひと、おを、乞うものとは)

 返し

 下紐のしるしとするもとけなくに 語るがごとはこひずぞあるべき

 (下紐が徴しあらわすのに、ひとりでに・解けていないので、語るほどに、君は私を・恋していないのでしょう……下緒の・下おが、汁しるとするも、融けないので、語るようには、君の子、秀でていないようね)

 又、返し、

  恋しとはさらにもいはじ下紐の とけむを人はそれと知らなん

 (恋しいとは、更には言わない、下紐が、そのうち・解けるのを、人はそれと知ってほしい……乞いしいとは、更に言わない、下おが、いまにもとろけるだろう、女は、それと・おとこは尽き果てたと、知ってほしい)

 

紀貫之のいう「言の心」を心得て、枕草子に「聞き耳異なるもの」というほどの言葉の戯れを知りましょう。

 「やむごとなき…尊い…格別な…見捨てられない…止むこと無き」「なくなりにけるを…無くなったのを…亡くなりにけるお…尽きたおとこ」「まだ見ぬ人…まだお目にかかっていない女人…まだ見ていない人…まだ見尽きていない女」「見…覯…媾…まぐあい」「こふ…恋う…乞う」。

 「したひも…女の衣の下紐…男の下ひも」「ひも…紐…緒…おとこ」「とけなくに…解けないので…融けるないので…個体が溶解しないので」「こ…子…おとこ」「ひ…秀いでる…優秀」「ず…打消しの意を表す」。

 「とけむを…解けるだろうことを…ほどけるだろうことを…固体だった物が溶融するお」「を…対象を示す…お…おとこ」「しらなん…知ってほしい…感知して欲しい…(溶解していないけれど尽きていると)わかってくれ」「なん…なむ…相手に希望する意を表す。ここでは、懇願である」。

 

歌の「清げな姿」、男の歌、誰かの弔いにかこつけた恋文。女の返し、その程度の恋心ではわたしの下紐は解けない。男の返し、黙っていよう、貴女の下紐が解けるだろう。そのとき我が恋いの所為と承知して欲しい。

歌の「心におかしきところ」、魂の抜け殻となって逝ってしまったおとこに未だ見ていないと猶も乞う女。汁は感じるが未だとろけていない。秀逸なものではないのねという女。この止む事無き女の有様に、さらに乞いしいと言わないでくれ、武樫おとこが溶融するだろう、女はそれを知って欲しいお願いだ。

 

平安時代の人々は、上のような上下に重なった歌の意味を享受していたに違いない。女は誰なのか、事実なのか、虚構なのかは、曖昧なままに、男女の歌の作者の心情だけは心に伝わるように、歌は作られ、語られてある。

 

この男女は和合ならなかった。その原因は、おとこのさが()のはかなさを、性の格の違う女が、知らないで、煩悩のままにむさぼることにある。この辺りが、歌の「深い心」だろうか。

 

2016・8月、旧稿を全面改定しました)