帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの土佐日記(同じ港にあり) 正月七日

2013-01-23 00:07:07 | 古典

    



                         帯とけの土佐日記



 土佐日記(同じ港にあり)七日

 
七日になった。同じ港にいる。今日は、あをむま(宮中での白馬の節会)を思うが、甲斐がない。ただ波の白いのが見える。このようなときに、ひとのいへ(女の家…女の井へ)の、いけ(池…逝け)という名のある所より、鯉はなくて鮒よりはじめて、川のも海のも他の食物も、長櫃で担い連ねて持って来た。わかなぞけふ(若菜が今日の七日…若い女が今の情況)を知らせている。歌あり、その歌、

 あさぢふのゝべにしあればみづもなき いけにつみつるわかなゝりけり

 (浅く茅の生える野辺でありますれば、水もない池で摘みました若菜でございます……浅い情夫のひら野辺ですから、潤いのない逝けでつんだ若い女ですよ)。

 いとをかしかし(とっても興趣があるよ…とっても可笑しいことよ)。この、いけ(池…逝け)というのは所の名という。よき女が男に付いて都より下ってきて住んでいたと聞く。


 言の戯れと言の心

 「わかな…若菜…若い女」「菜…草…女」「けふ…今日…現状」「浅茅…短い茅…情の浅い男」「茅…すすき(薄)とともに草なのに男」「のべ…野辺…やまばのない情況」「いけ…池…野辺より落ち窪んだところ…逝け…やまばより急に落ち逝ったところ」「つみつる…摘み採った…つんでしまった」「つむ…摘む…採る…娶る…まぐあう」。


 この長櫃の食物は、皆、人、童までに与えたので、飽き満ち足りて、ふなこ(船員)どもは、腹鼓を打って、海をもおどろかせて波立てるだろうよ。

こうしている間にことが多くある。今日、折詰め弁当を持たせてやって来た人、その名は何といったか、いま思い出せない。この人、歌を詠もうと思う心があって来たのだった。あれこれと言って、「なみのたつなること(波が立っているようですな…汝身が立つようで)」と、うるへいひて(憂いて言って…潤わし言って)、詠んだ歌、

 ゆくさきにたつしらなみのこゑよりも おくれてなかんわれやまさらむ

 (行く先に立つ白波の音よりも、後に残され泣くわが声のほうが勝りましょうか……逝く先に立つ白並みの小枝よりも、遅れて泣くわれは優っているだろうか)。

 と詠んだ。いとおほごゑなるべし(たいそうな大声でしょう…とっても大きい小枝なのでしょう)。持って来た物より、歌は如何なものか。この歌をだれ彼となく感心しているようだけれども、一人も返し歌をしない。するべき人もまじっているが、この歌だけをありがたがって、ものばかり食って、夜が更けた。

この歌主、「まだ退出しません」と席を立った。あるひとのこのわらはなる(或る人の子の童というもの…或る男のおとこ)が、ひそかに言う、「ぼく、この歌の返しをします」という。おどろいて、「とってもおもしろいわ、よみてむやは(詠むつもりなの…詠めるのかしら)、詠むなら早く言いなさいよ」「退出するのではありませんと言った人を待って詠みます」と言って、歌主を捜し求めたけれど、そのまま帰ったのだった。「そもそも、どのように詠んだの」といぶかしくて問う。このわらわ、さすがに恥ずかしがって言わない。強いて問うと、言った歌、

ゆくひともとまるもそでのなみだかは みぎはのみこそぬれまさりけれ

(帰り行く人も留まるも袖の涙川、水際のみ濡れて、水が増したことよ……逝く人も留まるも、そでの涙かは、身際の身、濡れ増さったことよ)。

と詠んだ。こうは言えるものか、うつくしければにやあらむ(かわいいからかしら…立派だからかしら)、いとおもはずなり(全く思いがけないことである…決してそうは思わないのである)。

「わらわ言では何になろう。媼か翁、署名すべきだろう。悪くとも何であっても、彼の男から便りがあれば、これを遣ろう」といって、おかれぬめり(置いておかれたようである…主人はおとこの立場で詠んだ歌を手もとに置かれた様子)。

 
言の戯れと言の心

 「ゆく…行く…逝く」「さき…先…先端」「しらなみ…白波…男波…おとこ白波…白けた並み」「こゑ…声…音…小枝…身の枝…おとこ」「まさる…声の大きさ勝る…心地増さる」「あるひとのこのわらはなる…或る人の子でまだ童子である…或る男の子の君でおとこなるもの」「そで…袖…端…身の端」「かは…川…反語・疑問の意を表わす…目の涙ではないおとこの涙」「みぎは…水際…身際」「まさる…水嵩増さる…心地増さる」「うつくし…かわいい…小さくてかわいらしい…すばらしい…ご立派」。


 
前国守は、色好みのあだな歌のお好きな男として登場している。上品ではない歌に、語り手が批評と皮肉を加える


 伝授 清原のおうな
 
聞書 かき人知らず(2015・11月、改定しました)

 
原文は青谿書屋本を底本とする新日本古典文学体系土佐日記による。