帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの土佐日記 (新任の守の舘)師走廿五日・廿六日

2013-01-17 00:17:53 | 古典

    



                                        帯とけの土佐日記



 土佐日記(新任の守の館)師走二十五日・二十六日

 
廿五日。新任の)守の舘より呼びに文を持って来たという。よばれて行って、一日中、一晩中あれこれと遊ぶようでいて、あけにけり(夜が明けたのだった…お遊び果てたことよ)。


 廿六日。なおも、守の舘にて、饗宴し騒いで、供の者たちにも贈物を与えた。漢詩、声あげて言った。やまとうた(和歌)、あるじ(主人…新任の国守)も、まらうど(客人…前の国守)も、他の人も言いあったのだった。漢詩はこれに書けない。やまと歌、主人の守が詠んだ。

みやこいでゝきみにあはむとこしものを こしかひもなくわかれぬるかな

(都を出て君に逢おうと来たものを、来たかいもなく別れてしまうのですね……宮こを出てしまって。君に合おうと女が来たものを、宮こへ来たかいもなく離れてしまうのですねえ・薄情な)。

ということだったので、帰る前の守が詠んだ、

しろたへのなみぢをとほくゆきかひて われにゝべきはたれならなくに

(白妙の波路を遠く行きかよって、我に似ているに違いないのは誰なのでしょうね……白絶えの波路を気のりせずゆき交って、薄情な・我に似ているに違いないのは、誰ですかな)。

他の人々のもあったけれど、さかしきも(賢いのは…上手なのも)ないようである。とまあこのようなことを言って、前の守、今のも、もろともにおりて(諸共に庭に下りて…共に下品となって)、手取り合って、酔い言に心地よさそうなことを言って、いでいりにけり(客人退出し主人館に入った…両人出て絶え入ったことよ)。


 言の戯れと心得るべき言の心

「あけにけり…(夜が)明けた…(詩歌管弦などのお遊びが)果てた」。「みやこ…都…京…山の頂上…絶頂…宮こ」「いでて…出でて…出てそして…出てしまって」「て…接続詞…完了した意を表す」「あはむ…逢おう…合おう…和合しよう」「こし…来し…宮こへ来た…越し…やまば越した」。「白妙…白絶え」「白…色の果て…しらじらしい」「波…心に立つ波」「路…通い路…女」「とほく…遠く…気とおく…気乗りせず」「我に似べきは誰ならなくに…(薄情な)我に似ているに違いないのは誰ですかね…(浅く短い男の性情は)我も君も同じでしょう」。「さかし…賢し…優れている」「おりて…庭に下りて…下品、下劣となって」「いでいりにけり…出た片や入った…出て絶え入った…出て果てた」。

 


 字義の通りに聞く歌の「清げな姿」では心が通じあわない、聞く者にも心が伝わらない。
歌の色好みな「心におかしきところ」で、うち解けて楽しんでいる。それがわかれば歌がおもしろくなる。歌物語もおもしろくなる。


 伝授 清原のおうな
 
聞書 かき人知らず(2015・11月、改定しました)

 
原文は青谿書屋本を底本とする新日本古典文学体系土佐日記による。