帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの土佐日記(門出) 師走の廿一日~廿二日

2013-01-15 00:03:47 | 古典

    



                         帯とけの土佐日記

 


 
土佐日記は土佐の国守が任期を終え、国府の館を門出して、京の我が家に帰り着くまでの物語である。帰京する一行の船旅の様子は、前国守の妻の立場で、日記の形式で描かれてある。登場人物が交す歌も、作者の紀貫之がそれぞれの人物の立場になって詠んだと歌として聞く。
 貫之は古今和歌集の仮名序の結びで、次のように述べた。
 歌のさまを知り、ことの心を得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、いにしへを仰ぎて、今を恋ひざらめかも
 (和歌の表現様式を理解し、言の心を・歌言葉の戯れの意味を含むこの文脈で通用していた意味を、心得える人は、大空の月を仰ぎ見るように、いにしえを仰ぎ見て、この時代の和歌を恋しくなるだろう)。
 
土佐日記は、門出、船旅という特異な情況の中で、実際に歌がどのように詠まれるかを知り、歌言葉の「言の心」を心得えられるように書かれてある。土佐日記は和歌啓蒙の書でもある。


 土佐日記(門出)師走の二十一日・二十二日


 男もするという日記というものを、女もしてみようとしてする。ある年の師走の二十一日のいぬのとき(午後八時ごろ)に門出する。その事情を少しものに書きつける。

或る人、地方の国での四、五年が果てて、例のことなど全てし終えて、解由状(引継ぎ完了の文書)など受け取って、住むたち舘・官舎)より出て船に乗るべき所へ移る。あの人この人、知る人も知らぬ人も見送りをする。ここ数年、くらべつる(比べつる…近しくしていた)人々は、別れ難く思って、一日中引っ切り無しに、色々とあって、騒いでいるうちに夜が更けた。

 

廿二日に、和泉の国まで平穏にと願を立てる。藤原のときざね、船路なのに、むまのはなむけ(餞別の宴…馬の鼻向け)をする。かみなかしも(上中下…人は皆)、酔い飽きて、たいそう妖しく、潮海のほとりで、あざれあへり(戯れあった…漁りあった)。

 言葉は字義ではない他の意味にも戯れる。この時代の文脈で通用していたそれらの意味を、貫之は「言の心」と言った。それは心得るしかない。

 
「とさの日記…土佐の日記…女の日記」「とさ…土佐(国の名)…名は戯れる。門さ、女」「と…門…おんな」「さ…接尾語」「馬のはなむけ…馬の鼻を旅立つ方に向けること…餞別…餞別の宴」「くらべつる…比べていた…近しくしていた…親しくしていた」「かみなかしも…身分や位の上中下の者…皆」「あされあへり…戯れあった…漁り合った…求め合った」「あざる…戯れる…腐る…酔い潰れる…あさる…漁る…求める」。
 

 
 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・11月、改定しました)

 
原文は青谿書屋本を底本とする新日本古典文学体系土佐日記による。