前日(2/11)の蚕霊神社に続いて12日はつくばの蚕影神社へと向かった。
茨城では万葉の頃から養蚕が盛んだったらしく、神栖の蚕霊神社、つくばの蚕影神社、日立の蚕養神社で常陸の三蚕神社というらしい。
いずれも近隣に豊浦という地名を持ち、金色姫の伝説が伝わるという。
そんな中でもこの蚕影神社は、同名の神社を各地に持つが皆この神社の御分霊であり、この神社こそが「日本一社」であり、日本養蚕の始めであり全国の蚕業家尊崇の名社なのだという。
「筑波嶺の新桑繭の衣はあれど 君がみけしにあやにきほしも」(万葉集・巻14・3350)
絹(鬼怒)川、蚕飼(小貝)川とか常陸紬、結城紬があるのは、それほどまでに養蚕が盛んな地であったということなのだろう。
養蚕から富国強兵への開祖神としての流れは、一般財団法人総合科学研究機構の機関誌CROSS T&T45号の茨城民俗学会の近江理事の記事が参考になる。
だがしかし、日本一社として全国の養蚕家の信仰を集めた神社が今は人影もまばらで敷地が崩落してしまっているのは哀しい。
さて、三蚕神社の2つに詣でたからには残りの蚕養神社にも行かなきゃならんのかなぁ。
蚕養神社は、明治34年に於岐都説神社から改称したらしいから、金色姫シリーズとしては興味がそがれるのだが。
小貝が浜のところの神社だよねぇ。ケンポクゲージツ祭で、うつろ舟ミュージアムがあった近辺。
うつろ舟も小貝が浜じゃなくて波崎の方の舎利が浜らしいし悩みどころ。