ブログ随筆「ちょっと、散歩へ」

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「数 独」

2024年03月25日 17時10分14秒 | 日記
最近凝り出したのが「数独」。81(9×9)のマスに1から9までの数字を同列に重なることなく埋めて行くパズル。購読している『毎日』夕刊の1面下に、毎日、載っているので、それを切り取り反故紙に印刷した拡大マス目の紙に、あらかじめ最初からヒントとして出ている虫食い数字を書き込んで、「さて、どうしたものか…」と睨めっこする。Youtubeなどを観れば、アンチョコはゴマンと出ているが、何でも自己流の私は、ひたすら空マスに1から9の数字を書き込む。

そして、ヒントの数字と重なる数字を消しゴムで消す、と云う甚だ原始的な方法でやっているから、時間があっと云う間に過ぎる。当然、無料アプリなども存在するが、〈アナログ人間〉は、なかなかその方には手を出さない。ふと、エブリマン氏の作家・山口瞳を思い出した。彼は壽屋(現サントリー)のPR雑誌「洋酒天国」の編集をしていた頃、囲み記事の編集割り付けに苦労したらしい。少し専門的になるが、ある原稿を何段かの囲みにするのに困った。

実際の誌面で、どのくらいのスペースを取るかをすぐには計算できず、いちいち原稿を別紙に囲み状に書いて確認していたという。本当は1行の字数を決め、見出し等の大きさも行数換算し、段数で割ればいいのに…。とは云うものの私もその手の編集はあまり得意な方ではなかった。何しろ、それも〈我流〉だったから。その頃、颯爽と入社して来たのが、S君で確かまだ二十歳前(はたちまえ)ではなかったか? 当時、花形のエディタースクール出だった。

以来、何と50年になんなんとする歳月、ほぼ席を同じうにしたのだから驚きである。彼が飲み屋で感動的に「ハタチ宣言」をしたのを今も忘れない。微かにバブルの余慶を受けたような気もするが、当然、オコボレの類であった。その頃の心境を「志ここに有らずと嘯くも日々は提灯記事に筆染む」と云えば烏滸がましいが、結局は相応の仕事だったのかも知れない。忘れられない人達にも何人か会えたし、今もその頃の余燼に浸り、様々な夢に現れることがある。

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