<水野さんだよ~(1)。『近代』の終焉>
東インド会社以来、「海の国。」である、英米両国が築いた、近代資本主義のもとで、利潤を極大化するためには、『交易』条件の改善は、『与件』だったので、企業は、市場の『拡大』に『専念』すれば、良かったのであります。
その結果として、国が、豊かになりました。 1973年の第1次石油危機によって、先進国の交易条件が、著しく悪化した上に、75年のベトナム戦争における、米国の事実上の敗北によって、市場の拡大が『止ま』ったので、75年以降、先進国で、利益率の趨勢的な低下が始まりました。
利潤率の趨勢的低下という限界を打ち破るものとして、期待されたのが、新自由主義でありました。
すなわち、これまでの「実物投資空間。」が、広がらなくなると、欧米の金融資本は、新たな空間を創出することで、利潤極大化を目指しました。
IT(情報技術)と金融自由化が、結合してつくられた、新しい空間が、「電子・金融空間。」なのであります。
カール・シュミットがいう、16~17世紀に起きた、「陸から海へ。」の『空間革命』は、1970年代半ばにつくられた、「電子・金融空間。」が、2008年に破裂したことで、最終局面を迎えました。
これにより、残るは「海の時代。」に放置されてきた、『陸』、とくに、海から最も遠い、ユーラシア大陸の中央部であるという点で、「海の時代。」は終わったことになります。
1970年代半ば以降、従来の「実物投資空間。」を拡張しようとする努力が、日米両国で行われました。 日本のコンビニは、73年に誕生し、75年6月には、24時間営業店が、開設されています。
それ以前は、朝7時から夜11時までの営業が、普通だったから、16時間から24時間営業へと、『空間』を、一気に1.5倍に格大することを、狙ったのであります。
ところが、2008年になると、地方自治体が、環境問題などから、24時間営業の自粛を求めるようになって、時間的空間の拡大も、縮小を迫られているのであります。
残されている空間は、陸の「旧い空間。」のみだとすると、新しい空間を、『見つ』けることが、『近代』だったのだから、「近代は、終わった。」のであります。
いまや、残されている空間は、「海の時代。」に旧共産圏に属し、成長から、取り残された地域、そして、アフリカであります
シュミットによれば、「地理上の発見以前の、秩序の全ては、…(中略)本質的には、陸的[terran]であった。」のだが、大航海時代に入って「始めて、大地が、ヨーロッパの諸民族のグローバルな意識によって把握され、測定されるようになった。
それでもって、大地の最初のノモスが、成立した。
この大地の最初のノモスは、自由なる海洋のラウム秩序と、確定せる陸地のラウム秩序との一定の関係に基づき、そして、400年間の間、ヨーロッパ中心的な国際法、即ち「ヨーロッパ公法を担ったのである。」としています。
そして、重要なのは、英国のみが、「16世紀において、陸的な存在から、海的な存在への歩みを、敢行した。」という点であります。
英国の海洋支配は、1805年のトラファルガーの海戦で、ナポレオン率いる、フランス・スペイン連合艦隊に勝利したことで、「英国は、完全にラテン半島を包囲する体制になった。 …(中略)
それ以来、大陸の海岸線が、事実上、英国の国境線。」となり、ついには、「インド洋が、事実上、一種の“閉鎖海”(クローズド・シー)担っていった。」のであります。
先に紹介した、ウォルター・ウェッブの『近代』の定義は、「海の時代。」の概念を理解するのに最適であります。
ウェッブの定義を敷衍すると、16~19世紀までは、「大西洋の時代。」であり、1901年に、ウッドロウ・ウィルソンは、「アメリカの理想。」と題する講演で、20世紀が、「太平洋の時代。」であると宣言しました。
この時点で、7つの海が、完全に一体化して、「海の時代。」が完成したのであります。
英国が、米国を開拓するにも、米国が、アジアを開拓するにも、海を航行しない限り、利潤を、母国に持ちけることができないので、『海』で『陸』を取り込むことが、不可欠となったのであります。
1990年代になると、ITを駆使することによる、「知識資本主義。」への移行が、持て囃されたが、結局のところ、実物投資の利潤率の代理変数である長期金利は、90年代半ば以降のIT革命が、進行する過程において、ますます『低下』していきました。
IT革新は、金融テクノロギ―を発展させ、欧米の金融資本が、「電子・金融空間。」において、キャピタル・ゲインを獲得することには、貢献したが、従来の「実物投資空間。」において、実物投資の利潤率を上昇・反転することはなく、1人当たり賃金の下落に歯止めをかけることもできなかったのであります。