<人生相談。人生・60歳からの『秋のとき』は、「見守る心。」で>
読売新聞の『人生相談』の事例について、「学識経験者。」の『回答』を参考にして、「世の中の仕組み」(生きる知恵)を重ねて見ると、「どうなるのかなあ?」ということを聞いてみましょう。
今回の、読売新聞の人生相談は、「50代の娘、夫の定年を機に『離婚』。」という、70代男性の相談に対して、弁護士のDさんが、回答を担当しています。
【 相談内容 】
〔 娘の夫は、20年ほど前に、弟の死亡事故で、多額の保険金が入ったことを、内緒にしていて、飲食などに使っていたことが分かり、「夫に裏切られた。」との不信感から、夫の定年を機に「離婚を考えている。」とのことであります。
結婚して、30年も経つのに、性格の不一致とかいう娘が、我がままに思え、子どもたちの将来を考えても心配であります。
婿は、今まで、真面目に働いてきて、定年で捨てられてしまうということは、昨年妻を亡くし、何もできないでいる自分と重ねても不憫に思えるのです。
立ち入ることは、控えるべきだとも思うのですが、どうしたらよいでしょうか? 〕
【 D先生の回答 】
娘の離婚話に、力になってやりたいという、思い、親心は、よく分かります。
けれども、夫婦のことは、第3者には分からない問題があるかも知れず、それは、やめた方が良いと思います。
親が、設定した話し合いをしたとしても、くすぶっていた問題まで出てきてしまい、眠っている子を起こすことにもなりかねません。
娘さんが、希望しない限り、そっと見守っているほうが、良いと思います。
そのことを心配なさるより、ご自分のこと、環境を維持することに、専念してください。〕 というものでありました。
なるほど、家庭の問題で、いちばん多いのは、『離婚訴訟』だそうであります。
弁護士のD先生も、多くの「離婚問題。」において、間に入ってみたが、「かえって、こじれてしまった。」という、ご自分の体験が含まれて、こうした回答になったものだろう、と納得できました。
さて、経験豊富な学識経験者の先生が、「そっと、見守る…。」(打つ手なし)というのも、分かるような気がします。
(「何が?」。 う~ん。 だって、「夫婦喧嘩は、犬も食わない。」というじゃありませんか…?)
かって、「夫婦喧嘩には、立ち入っては、いけないよ。 あれは、ふざけてるだけなのだから。 口を出すと、ろくなことはないよ…。」
と言われたことが、あるのだそうですよ。
さて、それでは又、「人生の『真理』。」(世の中の仕組み、生きるための知恵)さんに、聞いてみましょう…。
【 人生には、年代別の『生き方』が、あります。
30歳までの青年期(春・訓練期)は、「『素直』・正直に。」、30~60歳の壮年期(夏・実力発揮期)には、「『誠実』に、惜しみなく(世に奉仕する―役立つ)。」、そして、60歳を過ぎた高齢期(秋・実り期)は、「見守る心で。」ということで、あります。
60歳を過ぎての『秋のとき』において、「見守る心。」というのは、「愛の心で、待つ、『心のゆとり』。」のことで、あります。
ここで、「見守る。」というのは、「見捨てる、見放す。」ということではありません。
「子供は、思うようには、ならない。」もの、「愛は、一生かけて、育むもの。」では、ありますが、「子供は、15歳を過ぎれば、自分の人生(運命・世に役立つ生きる力で)を歩む。」というのが、『真理』(世の仕組み)であります。
「人は、我が身中心。」が、これまた『真理』(原理)であるから、それに、「振り回されない、自分。」になることが、大切です。
自分が、妻を亡くし、喪失感で、心が落ち込んでおり、「自分のことと感じすぎ。」、冷静でなくなっている、つまり「我が身中心の心。」に振り回されている、可能性があります。
このままでは、「娘を、責める心。」にも、なりかねません。
「見守る心。」とは、「心を広く、達観する。」ということですが、これは、「若いときには、できない。」心であります。
『達観』とは、「悟り、じっと待つ。」という、「積み残しを、残さない。」心ということでありましょう。
父親も70歳代であり、娘さんも50歳代で、やがて、人生を達観して、「見守る。」年代になるということであります。
とりわけ、70歳を過ぎた、父親は、「口出しをして、周りを動かす年代。」ではない、のであります。
「我が身中心。」の心に、振り回されないということ、なのでありましょう。
(ふ~ん。 難しいなあ…。)