チャンネル桜・瓦版:世論(多数意見)の真逆(少数意見)がほとんど正しい・西村浩一ブログ

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 人生相談。人生・60歳からの『秋のとき』は、「見守る心。」で:難民・紛争・金融危機の『憂鬱な欧州』、最大の敗者はメルケルのドイツ

2016-10-14 14:27:36 |  悩み・迷う心

   <人生相談。人生・60歳からの『秋のとき』は、「見守る心。」で> 

  読売新聞の『人生相談』の事例について、「学識経験者。」の『回答』を参考にして、「世の中の仕組み」(生きる知恵)を重ねて見ると、「どうなるのかなあ?」ということを聞いてみましょう。

 今回の、読売新聞の人生相談は、「50代の娘、夫の定年を機に『離婚』。」という、70代男性の相談に対して、弁護士のDさんが、回答を担当しています。

 【 相談内容 】

 〔 娘の夫は、20年ほど前に、弟の死亡事故で、多額の保険金が入ったことを、内緒にしていて、飲食などに使っていたことが分かり、「夫に裏切られた。」との不信感から、夫の定年を機に「離婚を考えている。」とのことであります。

 結婚して、30年も経つのに、性格の不一致とかいう娘が、我がままに思え、子どもたちの将来を考えても心配であります。

 婿は、今まで、真面目に働いてきて、定年で捨てられてしまうということは、昨年妻を亡くし、何もできないでいる自分と重ねても不憫に思えるのです。 

 立ち入ることは、控えるべきだとも思うのですが、どうしたらよいでしょうか? 〕

 【 D先生の回答 】

 娘の離婚話に、力になってやりたいという、思い、親心は、よく分かります。

 けれども、夫婦のことは、第3者には分からない問題があるかも知れず、それは、やめた方が良いと思います。

 親が、設定した話し合いをしたとしても、くすぶっていた問題まで出てきてしまい、眠っている子を起こすことにもなりかねません。

 娘さんが、希望しない限り、そっと見守っているほうが、良いと思います。 

 そのことを心配なさるより、ご自分のこと、環境を維持することに、専念してください。〕 というものでありました。

 なるほど、家庭の問題で、いちばん多いのは、『離婚訴訟』だそうであります。

 弁護士のD先生も、多くの「離婚問題。」において、間に入ってみたが、「かえって、こじれてしまった。」という、ご自分の体験が含まれて、こうした回答になったものだろう、と納得できました。

 さて、経験豊富な学識経験者の先生が、「そっと、見守る…。」(打つ手なし)というのも、分かるような気がします。

 (「何が?」。 う~ん。 だって、「夫婦喧嘩は、犬も食わない。」というじゃありませんか…?)

 かって、「夫婦喧嘩には、立ち入っては、いけないよ。 あれは、ふざけてるだけなのだから。 口を出すと、ろくなことはないよ…。」

と言われたことが、あるのだそうですよ。

 さて、それでは又、「人生の『真理』。」(世の中の仕組み、生きるための知恵)さんに、聞いてみましょう…。

 【 人生には、年代別の『生き方』が、あります。

 30歳までの青年期(春・訓練期)は、「『素直』・正直に。」、30~60歳の壮年期(夏・実力発揮期)には、「『誠実』に、惜しみなく(世に奉仕する―役立つ)。」、そして、60歳を過ぎた高齢期(秋・実り期)は、「見守る心で。」ということで、あります。

 60歳を過ぎての『秋のとき』において、「見守る心。」というのは、「愛の心で、待つ、『心のゆとり』。」のことで、あります。

 ここで、「見守る。」というのは、「見捨てる、見放す。」ということではありません。

 「子供は、思うようには、ならない。」もの、「愛は、一生かけて、育むもの。」では、ありますが、「子供は、15歳を過ぎれば、自分の人生(運命・世に役立つ生きる力で)を歩む。」というのが、『真理』(世の仕組み)であります。 

 「人は、我が身中心。」が、これまた『真理』(原理)であるから、それに、「振り回されない、自分。」になることが、大切です。

 自分が、妻を亡くし、喪失感で、心が落ち込んでおり、「自分のことと感じすぎ。」、冷静でなくなっている、つまり「我が身中心の心。」に振り回されている、可能性があります。

 このままでは、「娘を、責める心。」にも、なりかねません。

 「見守る心。」とは、「心を広く、達観する。」ということですが、これは、「若いときには、できない。」心であります。

 『達観』とは、「悟り、じっと待つ。」という、「積み残しを、残さない。」心ということでありましょう。

 父親も70歳代であり、娘さんも50歳代で、やがて、人生を達観して、「見守る。」年代になるということであります。

 とりわけ、70歳を過ぎた、父親は、「口出しをして、周りを動かす年代。」ではない、のであります。

 「我が身中心。」の心に、振り回されないということ、なのでありましょう。

 (ふ~ん。 難しいなあ…。)

 


 『大丈夫、良かった、有難い』:チャンネル桜・瓦版、中国と北朝鮮の隠された危機・6回目の核実験こそ『本番』

2016-10-10 00:32:19 |  悩み・迷う心

  <私は、何が起こっても、「大丈夫、良かった、有難い。」をキーワードとして、言うことにしています> 

 CMソングに“ソ、ソ、ソクラテスか、プラトンか、みんな「悩んで。」、大きくなった~!”というのがありましたよ…!

 そういえば、「心悩むは、人の常…。」と言われるように、人生においては、必ずのように、『悩み』・苦しみが生じるものでありましょう。

 そうした悩みを抱えたとき、心の中ではどのような現象が起きているのでしょうか…?

 それは、自分の気持ち、気分、「心の流れ。」が止まっているのでありますよ。

 そのような時には、まず現実を「受け止められる。」ような、大きな心(何事にも感謝する)で生きられるよう努めるというのです…。 

 実際に、現状として、何かが起こっているのですから、とやかく言ったとしても愚痴にしかなりませんし、ぼやいていても、何も解決にはなりません。

 ですから、とりあえず現状を(そうなっているのかと)大きく受け止める「ゆとり。」のある心(=感謝という)を持てるといいというのです。

 (それが出来れば、苦労はないのですが)まあしかし、『悩み』というのは、「現状を、受け止めきれない。」という「心の状態。」をいうわけなのですよ…。

 さらに、悩みがあると、起きてもいないことまでいろいろ考えてしまう(取り越し苦労)のが、人の心でもあります。

 すると、絡んだ糸が、余計ほどけにくくなってしまいます…。

 「ああでもない、こうでもない…。」という前に、今を受け止め、「ああ、そうなのか? まあいいか。」というような大らかな心(アバウト、感謝?)で生きられるように、まずは「心を預ける。」という方法論を取ることでありましょう。

  だって、世の中というものは、「上を見たらきりがないし、下を見たら『贅沢』は言えない…。」ということでありますよ…!