日々の想いを

例え辛い日があろうとも 目の前のことをひたすらに坦々と。

リハビリって

2018-01-21 15:33:04 | Weblog
 
総合事業を学ぶ

今回の地域高齢者サロンは、4月から介護保険が変わり実施されるとのことで地域包括支援センターから、ケアマネージャーと看護師のお二人の来ていただき説明をしていただいた。「介......
 

1月の高齢者サロンには地域包括支援センターのお世話で、思いも掛けず

亡父がかつて15年ほど前にお世話になった理学療法士さんが講演に来て下さった。

あの頃はまだ立ち上げたばかりで、お一人で訪問リハビリをして下さっていた。

ところが今では理学療法、作業療法、言語聴覚療法 など10名にも増えておられるとか。

ユーモアを交えスライドも使った分かり易い説明に、終わってみれば

参加者はにこにこ顔で「きょうのお話は分かりやすくて良かった!」と私に話しかけてくれた。

講演中に時々「その様な時にはこちらに相談をして下さいね」と何度も言って下さった言葉が

いつリハビリが必要になるかも知れない高齢者にとって大きな安心と心強さを感じたのだと思う。

【身体の変化を感じる時】

 ・筋肉が細くなった       ・疲れやすくなった      ・骨がもろくなった

 ・関節が痛い、動きが硬くなった   ・目が見えにくくなった

 ・耳が聴こえにくくなった      ・バランスを崩しやすくなった

   このような自覚症状が増えていくと・・・日常生活での活動性が低下し、さらなる筋力低下や関節の動きの制限をまねいてしまう
   ⇨ そんな時はリハビリテーションの出番です。

【身体づくりのポイント】

 1、規則正しい生活をする     2、食生活に気を配る         3、軽い運動の習慣を取り入れる

 4、身体の不調に早めに気づく   5、好きなことをみつける! 行う!  6、情報交換を積極的に行う

【運動をする前に ― 脳の活性化】

 1、毎日の思い出しトレーニング(きょうは何月、何日、何曜日?)(昨日の食べた夕食は?)など

 2、思い出しゲーム        3、両手を使ったジャンケン

 4、簡単な計算          5、クロスワードパズル     (⇐ 実践して下さった)

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訴えていることへの見落とし

2018-01-11 23:57:31 | Weblog

大阪府寝屋川市での出来事は他人事とは思えない。

2001年17歳の時に統合失調症と診断されて亡くなった愛梨さんは33歳だった。

統合失調症になったというだけでも本人にとって人生への絶望の一歩であっただろうに

親からの隔離された状況は、いくら親の立場が理解できると言っても、むご過ぎる。

それも、小中学校の頃の同級生が、教師に学校に来なくなったことの疑問を投げかけたり、みんなで手紙まで出したと言う。

しかし、教師は「そっとしてあげて」というばかりで、同級生の心配には答えてはくれなかったと言う。

あげくの果てに、このような事が明るみに出た時の市教委の教育指導課長の回答は

「子どもの出席状況や成績を記録する文書の保存期間は5年のため

当時の状況はわからない。検証は難しい」で済んでいる。

最近、私自身も気掛かりなことが有り市役所に行く用事があったので担当に尋ねたことがあったが

「個人情報だ」とか「なぜそんな事を聞くのか」と言わんばかりなので

「例えば児童相談所まで話が行ってもそのままで手遅れになることが多いので」のようなことを言ったら

初めて「再婚しました」の一言だけが返って来たことがあった。

以前にも会議の中で、「一般市民ができることは担当者に伝えることだけで、それ以上の事はする必要はないのでは」

というのが大方の考えであったことに憤慨したことが有った。

何ごともなければそれでいいのであって、行動を起こしても救えなかった元級友たちや関係者は

「もっと行動に出れば良かった」と悔やんでいるというが、亡くなってしまってはどうにもならない。

どうすれば、専門家はそのような進言を自分の事と受け止めて

最悪の事態にならないよう動いてくれるのだろうか。

 

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少子高齢化の責任は・・・ ②

2018-01-09 11:00:16 | Weblog

亡小渕恵三首相の娘である小渕優子さん(44)は亡くなった父親の後を継いで政治家となった。

そして少子化対策の担当大臣となったが平成でその少子化をくい止められなかった事を次のように語っている。

少子化は「女こども」の問題とみなされ国を揺るがす出来事だと考えられなかったからでは。

だが今同世代の背を十分に押せなかったという悔いが残り

産めよ増やせよというわけには行かないけれど。この世代の結婚、出産と経済の停滞が重なってしまったのです。

少子化が国を揺るがす出来事と考えられはていなかった!? とは私でさえ相当の認識のずれを感じてしまう。

大阪大学の大学院で哲学を学んだライターの栗田隆子さん(44)は今世紀の初め就職氷河期ただ中だった。

以来、非正規雇用ばかり10以上渡り歩いたという。

不安定雇用と貧困に苦しむ同世代には選択肢そのものがなく「働く女性の全国センター」の活動に関わっており

見えにくい非正規労働の女性たちはただ、放置された。社会には冷たくしているという意識すらない

自分一人じゃないんだ。自分と同様生まなかった人が多かったんだな  

人工曲線を見ると栗田さんはいつも思うそうだ。

日本は女性の男女平等参画にしても、幼児の保育所などへの待機児童問題にしても

少しも前進していないし、若い人にとって不利な雇用条件ばかりが目に付く。

政府関係者は自分の身さえ保護されていれば末端の問題など「しんから考えてなんぞいない!」としか伝わってこない。

 

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少子高齢化の責任は・・・ ①

2018-01-08 16:09:45 | Weblog

日々少子化問題に続いて、増えるばかりの高齢者の今後を憂い

その上、幼い子や働き盛りで今後社会に貢献してくれたであろう若者や青少年が

事故や犯罪に遭って命を失くす事に怒りと絶望感で心を痛めていた。

そんな時、朝日新聞で

年の瀬に明治大学の3、4年生たちがゼミで討論をした。指導する同大教授の加藤久和(59)は、人口減少問題の専門家だ。いま20歳前後の若者は「第3次ベビーブーマー」になり損ねた世代である。団塊世代、40代半ばの団塊ジュニアに続く第3の山は人口曲線に生まれなかった。学生の一人がこう発言した。「上の世代は具体的にどんな手を打ったんでしょうか。怒りと言うより、もう諦めしか感じない」

から始まる記事を目にし何ともやりきれない思いに襲われた。

そして私自身が50年以上前学生の頃、教授の一人が当時の年齢による人口形態が

時が進むにつれ高齢者が多くなり逆になって行くと言われていたのがどんなことなのか、

15年位前からズシンと我が身を通じて思い知らされて来た。

私自身も一生懸命生きて来ても思いがけないことが我が身に起き、少子化の解決には悔しいがなっていない。

そして、私のような思いをしている方達が珍しいことではないから、それが日本全体の悲劇になっているのだろう。

そこの記事では加藤教授が

「すべての人が当事者だと言うのに、外野席にいるような危機感しか持っていない人が多い」と言われている。

約30年前、日本は女性が一生に産む子の数、合計特殊出生率が、戦後最低の1966年を下回り、それは

「1・57ショック」と言われた89年から、この時代は始まったと書かれてある。

しかし、もう50年以上も前から少子化と高齢者急増を予測していた専門家は沢山いらしたのではと私は想像している。

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増える日本の「孤独死」

2018-01-05 23:46:48 | Weblog

 日本では過去30年間で一人暮らしの人が2倍以上に増えて全人口の14.5%に達した。この増加をもたらしたのは主に50代の男性と80代以上の女性だ。

こんな記事を目にした。

二人いた息子の一人に先立たれ、もう一人は埼玉の方に行き独身だ。

私達夫婦のどちらかが欠けたら、もろにその恐怖は現実となる要素が強い。

この辺は施設が多い方ではあるが、若いから人が少ない。

50歳の日本人男性の4人のうち1人が未婚だ。2030年までにこの割合は3人のうち1人に増えると予想されている

そうとも書かれている。

この地も、高齢者率は4割以上になっている。

ここ最近 8050問題と言われるように、若い人が居ても引きこもりで

親の年金財産などで暮らし親が他界すると同時に生活ができなくなるらしい。

老いた親の身も案じられるが、孤独になる子の未来も考えると

私自身も孤独死を防ぐ方法を考えて行かなければならない。

 

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息子の久々のお正月帰省

2018-01-03 00:00:00 | Weblog
 
2017年 お正月

今年のお正月は12月30日から1月2日まで埼玉県で息子と私たち夫婦3人で過ごすことが出来た。相変わらずの家の散らかりようで、それを3人で懸命に片付け、特別困難なこの街の......
 

2018年は何ごともなく珍しい雨と共に明けた。

息子を交えての我が家でのお正月は何年振りだっただろう。

20年前に埼玉県に就職した当時はお正月には帰省していた。

しかし、3年位経つとお正月の帰省は困難とか言って来なくなっていた。

その内、着たくても会社の経営は他者に代わってしまい

勤務状況が就職当初とはすっかり変わり

必ず休めていた土曜休日は少なくなり、勤務時間も労働者が少数なため

帰宅途中に電話をくれる時はもう11時になろうとする時ばかりだった。

ゴミの分別が厳しいのと時間がないことから室内は荒れ放題になってしまっていた。

姑が6年前に亡くなってからは、年に1度観光も入れながら

夫と大掃除に行き、ここ2年ほどは息子の家でお正月を迎えていた。

でも、70歳を過ぎた私達にとって明日も安心できない年齢になり

遠出はいつまで出来るか思案にくれながらの埼玉行きだった。

そしてたどり着いたのが「シルバー人材センター」から協力をお願いすることだった。

9月にシルバーの女性とお話をしながら初対面の緊張も取れ、その方にお願いすることにした。

息子もなかなか休みは取れず、12月中頃に再度来て頂いたという。

最初は渋っていた息子も働き者の女性のお蔭で家の中がきれいになることに安心したのだろう。

その結果が今回のお正月帰省だった。

お風呂や窓枠等のリフォームも見てもらい、お風呂は2度入って行けた。

シルバー人材センターから派遣された女性に感謝の気持ちで一杯になっている。

息子はまたお願いしたいようであった。

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