新八往来

季節が移ろい、日々に変わり行く様は、どの一瞬も美しいが、私は、風景の中に一際の力強さを湛えて見せる晩秋の紅葉が好きだ。

宗教的基盤の薄い国民性が晒されている現状

2005-06-26 16:14:10 | 新八雑言
信仰と云う、聖域的な日常行為も、結局は教育によって培われるものである。その教育が、西欧その他のキリスト教国や、中東のイスラム教国、のように首尾一貫したものでなくて、冠婚葬祭に都合よく利用される程度のものであれば、有名仏閣、神社、教会を持ちながら、精神的な信仰心を吸収できない、御守程度のものに堕してしまう。翻って、首尾一貫した宗教教育の土壌に育つことを考えると、これはもっと得体の知れない肌寒さに襲われる。先進的な、西欧列国が中東的な宗教観でキリスト教教育をしているとすれば、現在の先進的立場は無いだろう。民族の精神的支柱ともなるべき、宗教、倫理教育の難しさを痛感するのである。今なにやら外的圧力によって、日本人の精神的支柱が云々されているが、当の日本人には、内政干渉などという大げさな国際問題以前に、今ひとつピンと来ないものがあるのではないか。そもそも神社などというものは、正月に一度お参りに行く程度の所であって、漠然とした認識として、近年の戦没者を祭っているというよりも、神話時代の神々が祭られている場所という意味合いが強いのではなかろうか。神社によって担う目的が異なるようだが、我々俗人はそんなことはお構い無しで、他人の頭越しに僅かばかりの賽銭を放り込み、賽銭の額の割には多大な願い事をつぶやいて、願いを聞きとめてもらうべき、心優しい神々を祭っている所なのである。神社=靖国神社という認識をしていない国民が、総理の神社参拝をめぐって周辺国の非難をうけること自体が不思議である。

時代が変わる

2005-06-24 17:20:38 | 新八のOB酔言
今朝は、久し振りに現役時代の友人と情報交換ができた。離れて久しいような気がするが、去年の今頃は、私はまだ現役だったのである。勤務先は、今や揺れに揺れている「㈱コクド」、在籍は「札幌プリンスホテル」であった。昨年の西武鉄道株の虚偽申告でカリスマオーナーを失って失墜したかつての業界大手である。そう言う意味では、私は良いタイミングで定年を迎えたと言われるのであるが、人生はそう甘くない。さて、もう一働きと、満を持して行動を開始した途端に膵臓癌という生涯の疫病神を預けられてしまったのである。
古巣の定例の株主総会は6月29日である。
私は一課長として定年を全うしただけの「生涯一実務担当者」にすぎないが、定年直後に会社の存亡に関わる事件を目の当たりにしたため、その後に起きた人に関わる動きの中では、意外に身近な人々が渦中に翻弄されていく様子を生々しく見てきた。滅私奉公の鏡のような私より5歳若い株式担当者が自殺を遂げた。彼の兄が私と同じ、経理担当者であったから互いに挨拶を交わす程度の中でしかなかったが、20年以上も見慣れた顔だった・・・。会長が去り、社長が辞職し、会長側近が表向き去った後に、現社長が就任した。この人が、こんなタイミングで社長に就任するなどとは思いのほかであった。昭和47年の旧札幌プリンスホテル開業時から、32年間の現役期間中、私はほとんど、この人の周辺でうろうろしていた。北広島市でのホテル開業準備中には、この人が準備室長で私が準備室経理担当であった。どこに居ても、何時でも罵声が飛んできそうなそう言う身近な人であった。会長と同世代の側近グループより4~5歳若く、永年北海道に身を置いていて、中央に目立ちはしなかったが、彼もまた側近中の側近だったのである。テレビの特集番組の中で会長に代わってマイクの前に立たされた彼の顔が、記者の口から出た「あなたは、会長の使いっ走りだけの人か!!」という無礼な言葉に、苦渋でゆがんだのを忘れることが出来ない。「世間がどう言おうと、当社はこれまで会長あってのコクドです。部下が会長をかばうのは当然でしょう!」。会社のこれまでのありようを否定しつつ番組を見ていた私も、流石にこの記者の質問には、こんなふうに堂々と叩き返して欲しかったが、社長は震える唇を噛み締めるのが精一杯の様子であった。
29日の株主総会時には、専務、常務と言った役員、平取締役の数人が辞職する運びとなる。その人たちもまた、私にとっては、懐かしい人々である。経理担当の常務は、私より1歳年下の人である。彼が若くして役員に就任した時には、同じサラリーマンとしての生涯の差を痛感したものである。若い頃には、彼が来道の機会をとらえてよくススキノに出没したものだ。内部接待の仕上げは風俗の店の前での「どうぞ、ごゆっくり」という言葉で終了させられた。通例であれば、役員であるから60歳定年はない。将来は、社長かと思っていたが、人生、そうもいかぬものなのだ・・・。
これまでは、実績評価の裏付けがあった動きだが、今年は、57歳以上の管理職は一律○○担当部長という職名を付けられて役職定年の憂き目に会うようである。事業所の牽引車は50代半ばまでの世代に委ねられると言うことか。団塊の世代は一気に閑職の場へ追いやられるのか・・・。これも侘しい話題だ。
おかげで、事業所の幹部もまた身近な人々になってしまった。富良野地区の総支配人は、30年来の友人である。北海道地区の経理責任者は、親しい後輩だ・・・20年ほど前に一回り年齢下の彼と出合った時、当事の若者が保守回帰を始めていることに気付かされて、世代のギャップを意識したことを明瞭に覚えている。私が今、現役であれば、彼の部下になっているところであった。サラリーマンとしては致し方のない処遇ではあるが、そういうほろ苦い経験をせずに定年を迎える事ができたことに、正直安堵している。
さて29日の総会を挟んで、古巣の世界はどう展開していくのであろうか。定年を全うし、余命も定かではない立場ではあるが、つい昨年まで現役として仕事をしていた現場の話題は、心に妙に活き活きとした力を与えてくれるのである。

次の機会は・・・?

2005-06-23 16:42:58 | 病の記
余命半年という期限内のうちは、妙な達成意識があったが、達成してしまうと、あとどの程度の時間をどのように生きられるのか曖昧な感覚に晒され、死の苦痛への恐怖心が意識を持ち上げ始める。
2月に、十二指腸からの大量出血があって、あの時は医師から近親者に連絡するようにとの指示が家内にあった。カテーテルによる止血処置が施されている間、終始意識があって、医師の呼びかけにも応えていた。自分の血圧低下のカウントダウンが看護師の緊張した声で耳に入って来た時、自分は今、危険な状態にあるのだと自覚できた。止血処置の経過中の苦痛感が鈍かった所為で、処置が成功裡に終わって覚醒した時、ひょっとすると自分は、安楽な死の機会を逃してしまったのではなかろうかという一抹の後悔の念のようなものに襲われたのだった。きわどい状況を脱して、平均余命を達成した今、次の死の機会はどのような状況の下で訪れるのだろうか。

夏至が行く

2005-06-22 14:33:26 | 病の記
夏至の朝、4度目の退院を迎えた。このたびは6月8日から2週間の入院となった。考えてみれば2週間と言う時間の流れは、取り返しの付かない貴重なものに思える。入院前に、我家の荒れ庭に間もなく咲くであろう大輪の牡丹の花を心待ちにしていた。夏至の昼時に見た光景は、わずか2週間前のそれとは違う、ギラギラとした日射しの中に汚れた布巾を絞ったような大輪の残骸があるだけであった。わずか2週間で或る種の生命の展開にこれほどの落差が生じるのである。
昨年の冬至前に半年の余命を宣告され、夏至に至った。マニアル的な生存期間は、クリアーすることができたのである。途中、落命の危機的症状もあったが、自分でもこの生存期間は全うできるだろうという予感はあった。それは、季節が厳しさの頂点を脱して、地中に生命の胎動を感じさせる命の季節に向う時期であったからである。
今、北国はようやく夏のおもむきである。しばらくは、爛漫の季節が活き活きとした展開を見せてくれるが、夏至を過ぎた季節の流れは、冬至からのそれとは確実に逆の流れとなって、暮色を早めつつ灰色の季節へと向うのである。昨年の晩秋に妙な予感をしていたが、あの時見たいと思った、真紅のななかまどの実が純白の雪を冠った風景を再び見る事ができるであろうか。