新八往来

季節が移ろい、日々に変わり行く様は、どの一瞬も美しいが、私は、風景の中に一際の力強さを湛えて見せる晩秋の紅葉が好きだ。

無為の日々

2005-04-22 10:30:09 | 病の記
3月末の退院から、瞬く間に3週間が過ぎた。余命半年を宣告された身としては、3週間は貴重な生存期間であったのだが・・・

例年になく雪の多かった冬の殆どを季節の実感もなく、病院のベットで過ごしてきたが、退院後4月に入っても庭や空地には汚れた雪がうず高く積もっていていて、芽生える前の北国の春は、まだ命の息吹も瑞々しさも感ずることのできないうっとおしい気分で私を迎えた。おまけに、私の生来の神経質な気質のためか、重い「つわり」の症状に似て喉を通すことのできる食事のアイテムが少なく、おじや・煮込みうどん・煮込みソーメン・バナナを主食としなければならない食生活の頼りなさに負けて気分は滅入りがちである。

つい昨年までの現役時代に描いていた定年後の時間は、その頃の倍くらいのテンポで緩やかに経過し、それまで見向くゆとりのなかった季節の移ろいを優しく味わうことを可能にしてくれるだろうと期待していた。しかし、この3週間の経過で私の甘い期待は、甚だしい勘違いであったことを思い知らされることになったのである。現役時代に描いていた期待を実現させるための必須条件は、健康でなければならないということなのである。入院時よりはるかに自由になったとはいえ、自宅のベットで寝たり起きたりしながら、3食後ごとの薬の服用と10時就寝、6時起床の繰り返しは入院時のテンポのままである。4月に入ってからの天候の悪さもあって、戸外を散歩できたのは2度ほどしかない。例年になくけだるい疲れに違和感を抱きながらもまだ病を知らずに庭の植木に施した昨秋の雪囲いは、見舞いに来た母や家内、娘の手を借りて取り除くことができた。あとは毎週月曜日に抗がん剤の治療を受けに通院しただけの3週間であった。このままでは、限られた命を浪費するために生きているようなものだ・・・少々焦っている。

この数ヶ月間、「積極的に生きようとする者は癌を克服し、短い余命も延命できる」という意味の励ましをあちらこちらから受けてきた。もっとも、余命を宣告された癌患者に対しては「前向きに生きて!病気に打ち勝って!」という励まし以外には適切な言葉は見つからないだろう。さて、何をなすべきか。
今は、入院時の生活リズムを意識的に少しづつ、そして具体的に変えていくことだろうと考えている。食事のアイテムの少なさは焦らない。パジャマを着てベットに横たわる時間を減らしていくことが最善策だろう。外気10度以上の雨天以外の日は戸外に出て、散歩、軽作業などの時間を確保する。現役時の事業所を訪ねて、かつての仲間と話す機会をつくる。ブログを通して時期折々の事象について、自分なりの雑感を展開してみる。とりあえず、そんなところから次の展開が見えてくるのかもしれない。

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
言葉が無い (onion)
2005-04-22 18:22:01
 言うべき言葉が無い。書き様が無いよ………でも、これだけ書けるようになったという事は、結構すごいんじゃないかなぁーと、思う。「……は、止めろーっ!」って、こちらが言いわずに居れない程、「舌鋒」鋭くなっているじゃないの。

 この、変えようとしてる姿勢に・こんなにも沢山やろうとしている姿勢とその展開に期待するよ。横たわる時間を減らすなんて、大丈夫なのかなー???あんまり欲張るなよーっ……と思う。食事の項目も、もちろん言う通りだろうけど、四つも「有る=在る」じゃない。「時間が無い」と怒るかもしれないけど、生活を変えることも、少しずつだよ。焦らないで。既に、3月から随分新しい展開になっている事を・新しい展開に「してきている事」を忘れないで欲しいよ。