新八往来

季節が移ろい、日々に変わり行く様は、どの一瞬も美しいが、私は、風景の中に一際の力強さを湛えて見せる晩秋の紅葉が好きだ。

冬囲い

2014-11-16 17:21:23 | 備え無き定年
義父が手植えの庭木に
手入れの行き届かなさを詫び
細枝の一本も
折らすまいと願いつつ
腰を休めて雲を見上げる

天候の異常な年だったが、冬の遅いのは珍しくない
近年である。
それにしても晩秋まで気温の高い日が続いたから、
山は鮮やかな紅葉を見せずに枯れ色になってしまって、
もの足りなさの残る秋だった。

冬囲いの作業を始めなくては、と思い出してから
どうにか終わらせるまでに一月以上も経ってしまった。
火山灰地という土質の悪さに加えて私の無知、無関心が原因で
手入れが行き届いていないから、花木はなんとか枯死を
免れてはいるものの、10数年前に植えた時から
あまり成長していない。
多くのつつじ類、いちいの木やエゾ松のほとんどは
亡くなった義父が、釧路の自宅庭から車で訪れる度に
一本、二本と移植してくれたものだった。
花木には疎く、無関心な私だが、毎年の冬囲いだけは
自分の手でやってきた。

寡黙で大袈裟な言動の無い義父であったが、娘である妻と
外孫の私の娘に向ける愛情の深さは厚いものがあった。
同時にその愛情は、娘婿に対する思いやりとしても
私の胸にも温かく届いた。
未熟な夫婦の絆を人並みに、より深いものへと導いてくれたのは
義父だったという感謝の念が常に私の心にある。

冬囲いは、雪の重さで庭木の枝が折れないように
細竹に縄を絡めて補強する。
枝を一纏めにして縄で巻き上げただけのものを見かけるが、
私には、それができない。
年に一度の冬囲いの時期だけという訳ではないが、義父の形見を
粗雑に扱えないと思うのである。

今年は、この慣れた作業に、いささかの疲れを感じていた…。