新八往来

季節が移ろい、日々に変わり行く様は、どの一瞬も美しいが、私は、風景の中に一際の力強さを湛えて見せる晩秋の紅葉が好きだ。

監視列島

2004-11-29 21:03:11 | 新八雑言
自分が携帯電話を持ち始めたのはいつだったろうか。10年ほど前になるだろう。周囲がぼつぼつ持ち始めたが、この機器はやがて四六時中所有者を拘束しだすだろうという予感がして自分だけは持つまいと思っていた。しかし押し寄せる波はそんな無力な抵抗感を蹴散らして、気が付いたら携帯していたのである。
我々の苛立ちをよそに、まだ犯人の捕まらない奈良の女児殺害事件だが、被害者は位置確認機能のついた携帯電話を与えられていたいたそうである。最近の携帯電話は多機能になり過ぎて電話とメールが送れれば良いだけの所有者にはかえって煩わしい。位置確認機能などこの事件が無ければまだ知らなかったが、そういう機能があると知った途端に嫌な気がした。その悪い予感どおり、この機能は営業マンの行動を探知するためにも大いに利用されているというのだ。セールスマンの生産性を高めるのが狙いだそうだ。
また、最近のテレビ報道の中にこんなのがあった。かのNECが、社内にカメラを設置して社員のデスクワークをモニターでチェックするというものだ。拘束時間の中での無駄な動きをパーセンテージ化して個人個人の業務効率を高める狙いであると言う。
バッカヤロー、冗談じゃねーぞ。死角からのぞきカメラを叩き落してしまえっ!!
それでなきゃ、社員はみんな集団自殺しちゃうぞ!こういうくだらないマニアルを作った奴をひっ捕まえて、そいつの四六時中をモニターしろ!トイレも浴室も寝室もモニター公開してやれ!ここまで来ると、これはもう人権侵害ではないのか。長い不況の中で経営側の一方的なリストラに理解を示しながら耐え続けているサラリーマンの忍耐の限界を超えようとする暴挙だ。

定率減税

2004-11-28 23:29:09 | 備え無き定年
現役時代の私は永年の経理屋なので、総務の担当実務には不案内であった。第2ステージの診療所では事務課長というタイトルを与えられた(と言っても名刺肩書きはそうなっているのだが、部下はいない)。したがって守備範囲は拡がったのである。昨年末までの私は、年末調整に関して内容は解らないが、毎年幾ばくかの税金の還付があるもの、という認識くらいしか持っていなかった。
今年は、その年末調整を自分の業務として実施することになったのだ。先週末に所管の税務署の説明会があったが、そこで初めて年末調整がどういう実務なのか知ることになった。半可な速成知識を得た中で、給与所得者を取り巻く諸税は右肩上がりの負担増の流れだという現実を認識させられたのである。スタートを切ったばかりの新米事務課長は日々税制改正の影響を被っている。先ず10月から厚生年金保険料の料率がわずかだが上がった。そして、年調講習会では優遇税制のいわば改悪を知らされた。配偶者特別控除の範囲縮小、老年者の優遇廃止、定率減税の見直しなどである。年調とは関係ないが消費税の上げは必至の状況である。もう一つ年調とは関係ないが、ゴミ、廃棄物の有料化は当たり前の状況になりつつあるが、これも地方自治体の財政難に由来するわけだから増税のようなものだ。庶民の台所は貧しくなる一方なのだ。

しかしである。私の無知を曝け出すようだが定率減税なるものを知らなかった。私が知らなかったと言うことは、私以外にもそんな税制の恩恵を受けていたことを知らない人たちが多いのではなかろうか。恩恵を受けていることは知らないが、我が家の財政が緊迫している認識は強いのである。年末調整後の税額の20%が控除されるという制度であるが、恩恵を受けているという認識の低い制度など、廃止されるからといって騒ぐことはないのではないか。恩恵を与えても経済効果は上がらず、廃止となれば不安の種になる…税制はもっと先を見据えて制定してほしいものである。

君よ憤怒の河を渡れ

2004-11-24 08:35:26 | 新八のOB酔言
馬鹿な!何故!…絶句…。かつての部下から携帯メールで古巣の本社にいたある男の死を知らされた時、私は自分を落ち着かせるのに時間を要した。51歳、渦中の男の自殺を知った。

古巣がやがて破綻をきたすであろうという予感は諸々あったが、その第一は人材登用であった。
11月22日の新社長就任時のコメントがいくつか新聞紙上に載っていた。曰く「堤さんの意に沿わないことも断行する」、曰く「これまでは、すべての判断はオーナーによっていたが、これからは我々が判断していく」等々。いわば、古巣の組織においてはオーナーの判断がすべてで、社長以下は一兵卒にすぎなかった。上意下達のみが驚くほどの速さで浸透していた。先代が後継者の息子のために徹底した人材環境作りの結果である。
一兵卒軍の中にもっともらしい序列秩序が構築されている。本社は別として、事業所に学卒者は少ない。ドロップアウトして迷い込んだ私のような者が若干いるだけである。現場の戦力は18歳から叩き上げられた人材で占められている。事業所の支配人はそういう人たちからの登用者なのだ。支配人になって初めてオーナーの「お目見え」になれるのだが、彼らの最大のステータスは、そこにある。「お目見え」に昇格する前提の登用試験があるわけだが、そのハードルは「ロイヤリティー」なのである。ハードルを超えた人間は、事業所管理職と区別されて「本社籍」として事業所主要部署の責任者とされ、支配人レースに挑むことになる。

私が経理へ転属した29歳の時から経理としての上司は数代に渡って同年齢の「登用組」であった。30歳そこそこの「登用組」は現場のエリートであったが、同世代の彼らのトップに対する忠誠心は、私にはどうしても理解しがたい異常な感覚であった。私が30代前半の頃の同年齢の上司はこう言った。「自分は、会社から犯罪を犯せと指示があれば迷わず実行する」…。開いた口が塞がらなかった。実務担当者としては有能だったし、嫌な奴ではなかったが、私は彼を軽蔑しつづけてきた。それほどの忠誠心を持ちながら、その後の選択肢を誤った彼は、私と大同小異の立場で半年早く定年を迎えた。毎年、何名かの「登用組」が誕生するが、私には若い人材の中から誰が将来登用されて行くか、簡単に予測できる。それほどに単純明快で金太郎飴のような滅私奉公型の人材を登用し続けてきたのである。

彼もそんな「登用組」の一人だった。しかも、本社へ抜擢された人材である。だが本社採用の学卒者ではない彼は課長であった。彼らは現場輩出のエリートではあるけれど、役員への道は無い。
そして彼は、渦中の株式担当課長だったから、取引先各社への無謀な株式売却の動きの中では忙しく立ち働いていたに違いないのである。詳細は明らかに伝え聞かないが、数日前から行方不明だったと言う。未遂で発見されたが、回復せずに死亡したということである。彼の上司である役員たちは慌てふためいて善後策を講じたであろう。殊に、こうした時の肉親への対応に細心の配慮をしたであろう。
彼の人生の最後の選択肢が、どう言う経緯と決意によるものかは、おぼろげに判る気もするが、私には愚かな選択にしか思えない。私なら、自分を追い詰めたものに牙を剥くだろう。組織を危機に瀕しさせる結果になっても自分を守る手段を講じるだろう。馬鹿な役員の走狗となっても逆臣の刃を懐に忍ばせていただろう。
私が本社へ出張した時や、彼が事業所を訪れた時に、さりげない挨拶を交わすだけの仲だった彼の死は、すでにOBとなった私の心に黒く重い衝撃を与えている。












初冬の風景

2004-11-22 08:31:04 | 新八の花鳥風月
11月も下旬となったこの時期、朝の空が清々しく晴れ上がっていると、眼に映る周辺の山並みが、はっとするほど間近に迫って見える。空気が澄んでいて見通しが良いからだろうか。通勤の車の中からそんな風景を眺める時、ふと季節の豊かな変貌に心が洗われて幸せな気分になったりする。人がことさら四季の移ろいに敏感になるのは何故だろうと思う。たぶん人が四季の移ろいに自らの人生を重ねて見ているからではないだろうか。若い時には、眼に触れなかったものが中高年になって気になりだす。歳とともに枯れて逝くものの中に美しさや真実を見ようとするのは手前勝手な思い入れかも知れないが…。哲学や宗教に裏打ちされた確固たる死生観を持たない高齢化社会の一員のうら寂しい現実なのだろう。圧倒的な存在感で澄んだ風景の中から迫ってくる山並みを見ていると、時の無常を貫いて存在する包括者を知覚させられる。

空白の一週間

2004-11-20 21:15:26 | 備え無き定年
こうして幸運にもインターバルを置かずに第二ステージへ上れた今、あの空白の一週間の自分が不思議に思える。
9月15日付けの定年であった。当初、上司に要求したのは8月1日から46日間の有給休暇である。毎年、40日の休暇を捨て続けていたし、年間104日の公休さえ70%も消化していなかったから、45日の休暇は堂々と要求した。しかし、後任も決まらない業務体制の中では無理押しもできず、結局31日間の休暇で納得せざるを得なかった。8月16日から休暇に入った。
それまでの数ヶ月の間に私は、定年後ストレートに再就職を果たそうという意思を固めていた。結果的に叶わなくとも、そういう意思で頑張ろうと考えていた。休暇に入る10日ほど前から動き出していたのである。娘がお世話になった時、親切に対応してくれた区役所出先の二人のハローワーク職員にも、今度は父親をよろしく、と挨拶をしてきた。履歴書、写真は20セットほど用意していた。
月収希望は、15~20万円である。ハローワークサイトで検索してみると、例えば60歳、男性、月収30万円では該当なしなのである。しかし、15~20万円で出てくるのは、年齢不問とあっても、直接問い合わせて見ると若い女性を求めているのがほとんどだった。
そんな状況で、厳しさを実感していたのだが、たまたま8月10日に2件のヒットがあった。偶然にも、両方とも個人診療所であり、1件はサイト検索で、もう1件はハローワークからの連絡によるものだった。年齢条件はギリギリだったが迷わず応募した。一応の準備を整えて8月16日からの休暇に入ったのである。
60歳の求職は60回失敗すると言われていたから、始まった休暇がいつまでになるのか見当が付かなかった。長い休みになるかもしれない。それもやむを得ないと思いつつ、3日ほど経ったあたりから肉体的にも精神的にも気だるさを感じ始めていた。現役のシフトの中でも、肉親の法事などで4~5日の休みは取ったことはあるが、現役時代は休んでいても頭の中で休み明けの段取りを考えていたりして、気持ちが仕事から離れていなかった。しかし、今度は違っていた。これまでの仕事の心配をしなくて良いのである。心身がそれまでに経験したことのない倦怠感にどっぷりと浸かっていて、澱んだような疲労に襲われていた。
8月19日に泌尿器科診療所から面接をする旨の連絡があり、翌20日に面接、21日に採用連絡を受け、23日から出勤とトントン拍子の就職であった。定年は翌月の15日付であったから20日間ほどの無給出勤になったのである。もう1件の求人は産婦人科診療所であったが、面接の話があった時には泌尿器科が決まっていたので、丁重にお断りした。
23日の朝、出勤の段になって気が付いた。そういえば、この一週間の言い表し難い倦怠感は解消していたのである。今の自分から仕事に向かう緊張感を奪い去るとどういう事になるのか判った気がした。


素人の視点

2004-11-16 22:32:48 | 新八のOB酔言
古巣の社長交代が11月22日付けで実施される。現社長は前北海道支店長。次期社長は現北海道総支配人。次期社長の札幌在籍33年は、私の現役期間と同じであり、その意味では彼とは同期なのである。私は、しがない一実務担当者で定年をきっちり全うしたが、彼は33年の間に北海道地区における帝王に成り上がってしまった。ミニ・オーナー化してしまったのだ。判断の一手集中で部下を信頼せず、権限を委譲せず、したがって後継者を育てず…である。
彼が今年の年頭にあたり我々に向かって「原点に戻る」決意を表明した時に披露したエピソードだが…。
本社の宣伝マンだった彼は、札幌オリンピックに向けて建設中のホテルへの異動辞令が出た時、ホテル現場は経験がないので辞退したい意思表示をしたそうであるが、その時、オーナーからきついお叱りを受けたというのである。曰く「ホテルは素人のお客様にご利用いただく施設だ。だからこそ、お前のような素人が素人の視点で判断して取り組むのが最善なのだ。」この言葉が、彼のホテル現場への出発点になった。そして、あれから33年後の今年、旧館の跡地にタワーを開業するにあたり「素人の視点」という原点に立ち返ると言うのである。
33年前のオーナーの言葉と、今年の年頭の次期社長の決意が本当の意味で彼らの意識の中に生き続けていたなら、古巣の今の苦境はなかっただろうと思われる。素人を侮り、部下を侮り、社会を侮り、法を侮ってきたつけは重い。次期社長が昨年の年頭に述べたのは、「諸君が今、会社に対して何ができるか、真剣に考えて欲しい」と言う言葉だった。おそらく今、彼は自らその言葉を反芻していることだろう。今日、鉄道の株が上場廃止となった。

女子プロボウラー

2004-11-15 20:55:07 | 新八の色眼鏡
女子プロゴルファーの華やかさはゴルフ人口の伸び悩み、ゴルフ場経営の苦境をよそにメディアを賑わしている。女王不動裕理、19歳の1億円プレーヤー宮里藍、肥後かおり等々。賞金ランキングベスト10は4000万円以上の獲得者なのだ。彼女たちは常人ではないオーラに包まれて、将にキラ星のごときスターなのである。
女子プロボウラーとは雲泥の差が付いてしまった。早いもので須田開代子の七回忌も昨年のことである。女子プロボウラーの第一人者だった須田のガン死も、壮絶というより何か哀れさが残る。須田と並ぶ中山律子がいまだにアイドル的存在で君臨しているが、ゴルファーと決定的に違うのが一試合の優勝賞金の額である。女子プロボウラーが優勝して手にする賞金は、税抜きで僅か100万円そこそこなのだ。月一で優勝したとしても、年間1200万円。不動裕理の10分の1なのだ。しかし、現在のボウリングの女王時本美津子でも月一の優勝は果たせないだろう。彼女たちにとって年間獲得賞金1000万円のハードルは高い。
女子プロがもてはやされるのは、そのアイドル的要素にある。勿論、ボウラーにも美貌の若手はいるが、実は子持ちだったりする選手が多い。中堅の実力者達にも男の影がつきまとう。彼女たちは甲斐性のない男を支えながら、生活を賭けて撃つ生の女なのである。私はいつも、そういう彼女たちの生の臭いを感じながら試合を見ている。
私は、中嶋政江という30半ばのプロのファンである。古巣のボウリング場が開催する女子プロの大会で、最初の優勝者が彼女だった。その時も大泣きに泣いていたが、それから5年後の今年の大会で再び彼女が優勝してくれた。10フレの1投で優勝が確定した時、既に顔をクシャクシャにしていて、最後の1投を撃つのにまごついていた。この5年間に彼女は2勝しかしていなかったという。未婚の彼女であるが、男性関係でもつまずいてスランプだったようだ。一試合で優勝するまでに、予選から2日間、彼女たちは集中を切らさないで投げ続ける。中嶋は最後の1投で喜びのあまり、その集中が切れた。彼女の溢れる涙を、私は美しいと思った。

カミさんのボウリング道

2004-11-15 08:27:41 | 奥の臍(ほぞ)道
ボウリング場の喧騒の中で、カミさんがターキーを決めている。
今日の企画は、新潟県中越地震の被災地への義援大会ということだ。40レーンの会場が埋め尽くされてピンの弾ける音を聞くのは結構耳に心地よい。私は、運動神経の鈍さでは余人を寄せ付けない男なので、もっぱら観戦のみ。この日も試合の途中から見物していた。
前日、私たち夫婦は揃って歯医者の厄介になった。私は、残り少ない自前の歯を2本抜かれることとなり、とりあえず周辺の歯の手入れだけで終わった。カミさんは、奥歯に親知らずが癒着(?)しているとかで、随分と時間をかけて2本とも抜かれてしまった。
翌朝のカミさんの丸い顔は、その丸さが歪になって右の下あごあたりが異様な膨らみ方をしていた。私は、ボウリング大会への出場を中止するように言ったが、カミさんは夕べのうちに歯科医に参加の許可をもらっていて、頑固に出場に踏み切ったのである。強情者のカミさんがちょっと心配で、私は会場に足を運んだ。
あまり近付かずに離れて観察していたが、カミさんの腕は一頃と比べるとかなり上がったようだ。
ターキーくらいは、これまでも何度か見ているが格段に良くなっているのは、スペアを確実に取るテクニックを身につけつつあることだ。ガーターの後で動揺も見せずにスペアを取った時、彼女の確実な上達を見せられた。たかがボウリングと侮るべからず、なのである。


意識改革可能???

2004-11-14 22:29:47 | 新八のOB酔言
私の古巣には、札幌市内にボウリング場が一ヶ所ある。ご多聞にもれずボウリング場も、その経営状況は厳しいのだが、グループ事業所の中にあってはホテル、ゴルフ場、スキー場の陰に隠れて収支の顛末はあまり目立たない。したがって、昭和47年の開業以来、かのオーナーがボウリング場に立ち寄ったという記憶はないのである。まれに社長が視察に寄るくらいのものであった。

2年ほど前だったろうか、愛好家のカミさんにボウリング場から召集がかかったことがある。あとで聞けば、その日は社長が立ち寄る予定なのだが生憎平日の昼間ということで、お客が少ないから来て欲しいと言うことであった。なんのことはない、大道香具師の「さくら」なのである。身内に「さくら」を仕立ててどうなる!!支配人の愚かさにあきれさせられたものである。古巣が未曾有の失態で大揺れに揺れ始めた、つい最近も同じようなことがあった。
リストラが緊急課題の状況に至って、小規模事業所の営業方針にも注目しだしたと見えて、北海道総支配人(常務)がボウリング場へ出張って打ち合わせということになった。その日も、平日の昼間とあって、カミさんに召集がかかった。再び「さくら」の動員だった。
オーナー自ら「支配人など馬鹿でいい」と公言し、枝葉末節的な決定権まで集中させていた結果、事業所は、その場しのぎだけが上手な「馬鹿な支配人」だらけになってしまったのである。
ボウリング場で「さくら」を客と偽って見せられた社長と常務が、引責辞任と社長昇格の当事者になるのだが、自らは勿論、事業所支配人の意識まで改革できるのか、甚だ疑問である。新社長もまた事業所支配人上がりなのである。

セピア色の風景

2004-11-13 22:52:39 | 新八の花鳥風月
庭の冬囲いを始めてから3週間目になる。終日やっているわけではないのだが、休日の半日くらいは費やして、この体たらくなのだ。近所の庭も、ほとんどが今日辺りで終了している様子である。あと、玄関脇の紫陽花と庭の側面一列だけのえぼたの生垣を残すだけで、本日は中断した。先週はまだ鮮やかな深紅色の葉を付けていた、どうだんつつじの葉はもうすっかり細い枝だけになっていた。
作業の途中で家内と隣の北広島市へ湧き水を汲みに行ったのだが、郊外の風景もすっかりセピア色に薄墨を刷毛で履いたような色調に変わり、先週辺りにはまだ見つけることのできた、鮮やかな色は消えて、常緑の針葉樹の緑もくすんでいた。帰り道で遠望した夕張方面の山並みは、すっかり白く冠雪している。
北国の長く寒い季節はすでに始まっているのだが、そういう景色もしみじみと美しい。