今朝は、久し振りに現役時代の友人と情報交換ができた。離れて久しいような気がするが、去年の今頃は、私はまだ現役だったのである。勤務先は、今や揺れに揺れている「㈱コクド」、在籍は「札幌プリンスホテル」であった。昨年の西武鉄道株の虚偽申告でカリスマオーナーを失って失墜したかつての業界大手である。そう言う意味では、私は良いタイミングで定年を迎えたと言われるのであるが、人生はそう甘くない。さて、もう一働きと、満を持して行動を開始した途端に膵臓癌という生涯の疫病神を預けられてしまったのである。
古巣の定例の株主総会は6月29日である。
私は一課長として定年を全うしただけの「生涯一実務担当者」にすぎないが、定年直後に会社の存亡に関わる事件を目の当たりにしたため、その後に起きた人に関わる動きの中では、意外に身近な人々が渦中に翻弄されていく様子を生々しく見てきた。滅私奉公の鏡のような私より5歳若い株式担当者が自殺を遂げた。彼の兄が私と同じ、経理担当者であったから互いに挨拶を交わす程度の中でしかなかったが、20年以上も見慣れた顔だった・・・。会長が去り、社長が辞職し、会長側近が表向き去った後に、現社長が就任した。この人が、こんなタイミングで社長に就任するなどとは思いのほかであった。昭和47年の旧札幌プリンスホテル開業時から、32年間の現役期間中、私はほとんど、この人の周辺でうろうろしていた。北広島市でのホテル開業準備中には、この人が準備室長で私が準備室経理担当であった。どこに居ても、何時でも罵声が飛んできそうなそう言う身近な人であった。会長と同世代の側近グループより4~5歳若く、永年北海道に身を置いていて、中央に目立ちはしなかったが、彼もまた側近中の側近だったのである。テレビの特集番組の中で会長に代わってマイクの前に立たされた彼の顔が、記者の口から出た「あなたは、会長の使いっ走りだけの人か!!」という無礼な言葉に、苦渋でゆがんだのを忘れることが出来ない。「世間がどう言おうと、当社はこれまで会長あってのコクドです。部下が会長をかばうのは当然でしょう!」。会社のこれまでのありようを否定しつつ番組を見ていた私も、流石にこの記者の質問には、こんなふうに堂々と叩き返して欲しかったが、社長は震える唇を噛み締めるのが精一杯の様子であった。
29日の株主総会時には、専務、常務と言った役員、平取締役の数人が辞職する運びとなる。その人たちもまた、私にとっては、懐かしい人々である。経理担当の常務は、私より1歳年下の人である。彼が若くして役員に就任した時には、同じサラリーマンとしての生涯の差を痛感したものである。若い頃には、彼が来道の機会をとらえてよくススキノに出没したものだ。内部接待の仕上げは風俗の店の前での「どうぞ、ごゆっくり」という言葉で終了させられた。通例であれば、役員であるから60歳定年はない。将来は、社長かと思っていたが、人生、そうもいかぬものなのだ・・・。
これまでは、実績評価の裏付けがあった動きだが、今年は、57歳以上の管理職は一律○○担当部長という職名を付けられて役職定年の憂き目に会うようである。事業所の牽引車は50代半ばまでの世代に委ねられると言うことか。団塊の世代は一気に閑職の場へ追いやられるのか・・・。これも侘しい話題だ。
おかげで、事業所の幹部もまた身近な人々になってしまった。富良野地区の総支配人は、30年来の友人である。北海道地区の経理責任者は、親しい後輩だ・・・20年ほど前に一回り年齢下の彼と出合った時、当事の若者が保守回帰を始めていることに気付かされて、世代のギャップを意識したことを明瞭に覚えている。私が今、現役であれば、彼の部下になっているところであった。サラリーマンとしては致し方のない処遇ではあるが、そういうほろ苦い経験をせずに定年を迎える事ができたことに、正直安堵している。
さて29日の総会を挟んで、古巣の世界はどう展開していくのであろうか。定年を全うし、余命も定かではない立場ではあるが、つい昨年まで現役として仕事をしていた現場の話題は、心に妙に活き活きとした力を与えてくれるのである。
古巣の定例の株主総会は6月29日である。
私は一課長として定年を全うしただけの「生涯一実務担当者」にすぎないが、定年直後に会社の存亡に関わる事件を目の当たりにしたため、その後に起きた人に関わる動きの中では、意外に身近な人々が渦中に翻弄されていく様子を生々しく見てきた。滅私奉公の鏡のような私より5歳若い株式担当者が自殺を遂げた。彼の兄が私と同じ、経理担当者であったから互いに挨拶を交わす程度の中でしかなかったが、20年以上も見慣れた顔だった・・・。会長が去り、社長が辞職し、会長側近が表向き去った後に、現社長が就任した。この人が、こんなタイミングで社長に就任するなどとは思いのほかであった。昭和47年の旧札幌プリンスホテル開業時から、32年間の現役期間中、私はほとんど、この人の周辺でうろうろしていた。北広島市でのホテル開業準備中には、この人が準備室長で私が準備室経理担当であった。どこに居ても、何時でも罵声が飛んできそうなそう言う身近な人であった。会長と同世代の側近グループより4~5歳若く、永年北海道に身を置いていて、中央に目立ちはしなかったが、彼もまた側近中の側近だったのである。テレビの特集番組の中で会長に代わってマイクの前に立たされた彼の顔が、記者の口から出た「あなたは、会長の使いっ走りだけの人か!!」という無礼な言葉に、苦渋でゆがんだのを忘れることが出来ない。「世間がどう言おうと、当社はこれまで会長あってのコクドです。部下が会長をかばうのは当然でしょう!」。会社のこれまでのありようを否定しつつ番組を見ていた私も、流石にこの記者の質問には、こんなふうに堂々と叩き返して欲しかったが、社長は震える唇を噛み締めるのが精一杯の様子であった。
29日の株主総会時には、専務、常務と言った役員、平取締役の数人が辞職する運びとなる。その人たちもまた、私にとっては、懐かしい人々である。経理担当の常務は、私より1歳年下の人である。彼が若くして役員に就任した時には、同じサラリーマンとしての生涯の差を痛感したものである。若い頃には、彼が来道の機会をとらえてよくススキノに出没したものだ。内部接待の仕上げは風俗の店の前での「どうぞ、ごゆっくり」という言葉で終了させられた。通例であれば、役員であるから60歳定年はない。将来は、社長かと思っていたが、人生、そうもいかぬものなのだ・・・。
これまでは、実績評価の裏付けがあった動きだが、今年は、57歳以上の管理職は一律○○担当部長という職名を付けられて役職定年の憂き目に会うようである。事業所の牽引車は50代半ばまでの世代に委ねられると言うことか。団塊の世代は一気に閑職の場へ追いやられるのか・・・。これも侘しい話題だ。
おかげで、事業所の幹部もまた身近な人々になってしまった。富良野地区の総支配人は、30年来の友人である。北海道地区の経理責任者は、親しい後輩だ・・・20年ほど前に一回り年齢下の彼と出合った時、当事の若者が保守回帰を始めていることに気付かされて、世代のギャップを意識したことを明瞭に覚えている。私が今、現役であれば、彼の部下になっているところであった。サラリーマンとしては致し方のない処遇ではあるが、そういうほろ苦い経験をせずに定年を迎える事ができたことに、正直安堵している。
さて29日の総会を挟んで、古巣の世界はどう展開していくのであろうか。定年を全うし、余命も定かではない立場ではあるが、つい昨年まで現役として仕事をしていた現場の話題は、心に妙に活き活きとした力を与えてくれるのである。