新八往来

季節が移ろい、日々に変わり行く様は、どの一瞬も美しいが、私は、風景の中に一際の力強さを湛えて見せる晩秋の紅葉が好きだ。

時代が変わる

2005-06-24 17:20:38 | 新八のOB酔言
今朝は、久し振りに現役時代の友人と情報交換ができた。離れて久しいような気がするが、去年の今頃は、私はまだ現役だったのである。勤務先は、今や揺れに揺れている「㈱コクド」、在籍は「札幌プリンスホテル」であった。昨年の西武鉄道株の虚偽申告でカリスマオーナーを失って失墜したかつての業界大手である。そう言う意味では、私は良いタイミングで定年を迎えたと言われるのであるが、人生はそう甘くない。さて、もう一働きと、満を持して行動を開始した途端に膵臓癌という生涯の疫病神を預けられてしまったのである。
古巣の定例の株主総会は6月29日である。
私は一課長として定年を全うしただけの「生涯一実務担当者」にすぎないが、定年直後に会社の存亡に関わる事件を目の当たりにしたため、その後に起きた人に関わる動きの中では、意外に身近な人々が渦中に翻弄されていく様子を生々しく見てきた。滅私奉公の鏡のような私より5歳若い株式担当者が自殺を遂げた。彼の兄が私と同じ、経理担当者であったから互いに挨拶を交わす程度の中でしかなかったが、20年以上も見慣れた顔だった・・・。会長が去り、社長が辞職し、会長側近が表向き去った後に、現社長が就任した。この人が、こんなタイミングで社長に就任するなどとは思いのほかであった。昭和47年の旧札幌プリンスホテル開業時から、32年間の現役期間中、私はほとんど、この人の周辺でうろうろしていた。北広島市でのホテル開業準備中には、この人が準備室長で私が準備室経理担当であった。どこに居ても、何時でも罵声が飛んできそうなそう言う身近な人であった。会長と同世代の側近グループより4~5歳若く、永年北海道に身を置いていて、中央に目立ちはしなかったが、彼もまた側近中の側近だったのである。テレビの特集番組の中で会長に代わってマイクの前に立たされた彼の顔が、記者の口から出た「あなたは、会長の使いっ走りだけの人か!!」という無礼な言葉に、苦渋でゆがんだのを忘れることが出来ない。「世間がどう言おうと、当社はこれまで会長あってのコクドです。部下が会長をかばうのは当然でしょう!」。会社のこれまでのありようを否定しつつ番組を見ていた私も、流石にこの記者の質問には、こんなふうに堂々と叩き返して欲しかったが、社長は震える唇を噛み締めるのが精一杯の様子であった。
29日の株主総会時には、専務、常務と言った役員、平取締役の数人が辞職する運びとなる。その人たちもまた、私にとっては、懐かしい人々である。経理担当の常務は、私より1歳年下の人である。彼が若くして役員に就任した時には、同じサラリーマンとしての生涯の差を痛感したものである。若い頃には、彼が来道の機会をとらえてよくススキノに出没したものだ。内部接待の仕上げは風俗の店の前での「どうぞ、ごゆっくり」という言葉で終了させられた。通例であれば、役員であるから60歳定年はない。将来は、社長かと思っていたが、人生、そうもいかぬものなのだ・・・。
これまでは、実績評価の裏付けがあった動きだが、今年は、57歳以上の管理職は一律○○担当部長という職名を付けられて役職定年の憂き目に会うようである。事業所の牽引車は50代半ばまでの世代に委ねられると言うことか。団塊の世代は一気に閑職の場へ追いやられるのか・・・。これも侘しい話題だ。
おかげで、事業所の幹部もまた身近な人々になってしまった。富良野地区の総支配人は、30年来の友人である。北海道地区の経理責任者は、親しい後輩だ・・・20年ほど前に一回り年齢下の彼と出合った時、当事の若者が保守回帰を始めていることに気付かされて、世代のギャップを意識したことを明瞭に覚えている。私が今、現役であれば、彼の部下になっているところであった。サラリーマンとしては致し方のない処遇ではあるが、そういうほろ苦い経験をせずに定年を迎える事ができたことに、正直安堵している。
さて29日の総会を挟んで、古巣の世界はどう展開していくのであろうか。定年を全うし、余命も定かではない立場ではあるが、つい昨年まで現役として仕事をしていた現場の話題は、心に妙に活き活きとした力を与えてくれるのである。

君よ憤怒の河を渡れ

2004-11-24 08:35:26 | 新八のOB酔言
馬鹿な!何故!…絶句…。かつての部下から携帯メールで古巣の本社にいたある男の死を知らされた時、私は自分を落ち着かせるのに時間を要した。51歳、渦中の男の自殺を知った。

古巣がやがて破綻をきたすであろうという予感は諸々あったが、その第一は人材登用であった。
11月22日の新社長就任時のコメントがいくつか新聞紙上に載っていた。曰く「堤さんの意に沿わないことも断行する」、曰く「これまでは、すべての判断はオーナーによっていたが、これからは我々が判断していく」等々。いわば、古巣の組織においてはオーナーの判断がすべてで、社長以下は一兵卒にすぎなかった。上意下達のみが驚くほどの速さで浸透していた。先代が後継者の息子のために徹底した人材環境作りの結果である。
一兵卒軍の中にもっともらしい序列秩序が構築されている。本社は別として、事業所に学卒者は少ない。ドロップアウトして迷い込んだ私のような者が若干いるだけである。現場の戦力は18歳から叩き上げられた人材で占められている。事業所の支配人はそういう人たちからの登用者なのだ。支配人になって初めてオーナーの「お目見え」になれるのだが、彼らの最大のステータスは、そこにある。「お目見え」に昇格する前提の登用試験があるわけだが、そのハードルは「ロイヤリティー」なのである。ハードルを超えた人間は、事業所管理職と区別されて「本社籍」として事業所主要部署の責任者とされ、支配人レースに挑むことになる。

私が経理へ転属した29歳の時から経理としての上司は数代に渡って同年齢の「登用組」であった。30歳そこそこの「登用組」は現場のエリートであったが、同世代の彼らのトップに対する忠誠心は、私にはどうしても理解しがたい異常な感覚であった。私が30代前半の頃の同年齢の上司はこう言った。「自分は、会社から犯罪を犯せと指示があれば迷わず実行する」…。開いた口が塞がらなかった。実務担当者としては有能だったし、嫌な奴ではなかったが、私は彼を軽蔑しつづけてきた。それほどの忠誠心を持ちながら、その後の選択肢を誤った彼は、私と大同小異の立場で半年早く定年を迎えた。毎年、何名かの「登用組」が誕生するが、私には若い人材の中から誰が将来登用されて行くか、簡単に予測できる。それほどに単純明快で金太郎飴のような滅私奉公型の人材を登用し続けてきたのである。

彼もそんな「登用組」の一人だった。しかも、本社へ抜擢された人材である。だが本社採用の学卒者ではない彼は課長であった。彼らは現場輩出のエリートではあるけれど、役員への道は無い。
そして彼は、渦中の株式担当課長だったから、取引先各社への無謀な株式売却の動きの中では忙しく立ち働いていたに違いないのである。詳細は明らかに伝え聞かないが、数日前から行方不明だったと言う。未遂で発見されたが、回復せずに死亡したということである。彼の上司である役員たちは慌てふためいて善後策を講じたであろう。殊に、こうした時の肉親への対応に細心の配慮をしたであろう。
彼の人生の最後の選択肢が、どう言う経緯と決意によるものかは、おぼろげに判る気もするが、私には愚かな選択にしか思えない。私なら、自分を追い詰めたものに牙を剥くだろう。組織を危機に瀕しさせる結果になっても自分を守る手段を講じるだろう。馬鹿な役員の走狗となっても逆臣の刃を懐に忍ばせていただろう。
私が本社へ出張した時や、彼が事業所を訪れた時に、さりげない挨拶を交わすだけの仲だった彼の死は、すでにOBとなった私の心に黒く重い衝撃を与えている。












素人の視点

2004-11-16 22:32:48 | 新八のOB酔言
古巣の社長交代が11月22日付けで実施される。現社長は前北海道支店長。次期社長は現北海道総支配人。次期社長の札幌在籍33年は、私の現役期間と同じであり、その意味では彼とは同期なのである。私は、しがない一実務担当者で定年をきっちり全うしたが、彼は33年の間に北海道地区における帝王に成り上がってしまった。ミニ・オーナー化してしまったのだ。判断の一手集中で部下を信頼せず、権限を委譲せず、したがって後継者を育てず…である。
彼が今年の年頭にあたり我々に向かって「原点に戻る」決意を表明した時に披露したエピソードだが…。
本社の宣伝マンだった彼は、札幌オリンピックに向けて建設中のホテルへの異動辞令が出た時、ホテル現場は経験がないので辞退したい意思表示をしたそうであるが、その時、オーナーからきついお叱りを受けたというのである。曰く「ホテルは素人のお客様にご利用いただく施設だ。だからこそ、お前のような素人が素人の視点で判断して取り組むのが最善なのだ。」この言葉が、彼のホテル現場への出発点になった。そして、あれから33年後の今年、旧館の跡地にタワーを開業するにあたり「素人の視点」という原点に立ち返ると言うのである。
33年前のオーナーの言葉と、今年の年頭の次期社長の決意が本当の意味で彼らの意識の中に生き続けていたなら、古巣の今の苦境はなかっただろうと思われる。素人を侮り、部下を侮り、社会を侮り、法を侮ってきたつけは重い。次期社長が昨年の年頭に述べたのは、「諸君が今、会社に対して何ができるか、真剣に考えて欲しい」と言う言葉だった。おそらく今、彼は自らその言葉を反芻していることだろう。今日、鉄道の株が上場廃止となった。

意識改革可能???

2004-11-14 22:29:47 | 新八のOB酔言
私の古巣には、札幌市内にボウリング場が一ヶ所ある。ご多聞にもれずボウリング場も、その経営状況は厳しいのだが、グループ事業所の中にあってはホテル、ゴルフ場、スキー場の陰に隠れて収支の顛末はあまり目立たない。したがって、昭和47年の開業以来、かのオーナーがボウリング場に立ち寄ったという記憶はないのである。まれに社長が視察に寄るくらいのものであった。

2年ほど前だったろうか、愛好家のカミさんにボウリング場から召集がかかったことがある。あとで聞けば、その日は社長が立ち寄る予定なのだが生憎平日の昼間ということで、お客が少ないから来て欲しいと言うことであった。なんのことはない、大道香具師の「さくら」なのである。身内に「さくら」を仕立ててどうなる!!支配人の愚かさにあきれさせられたものである。古巣が未曾有の失態で大揺れに揺れ始めた、つい最近も同じようなことがあった。
リストラが緊急課題の状況に至って、小規模事業所の営業方針にも注目しだしたと見えて、北海道総支配人(常務)がボウリング場へ出張って打ち合わせということになった。その日も、平日の昼間とあって、カミさんに召集がかかった。再び「さくら」の動員だった。
オーナー自ら「支配人など馬鹿でいい」と公言し、枝葉末節的な決定権まで集中させていた結果、事業所は、その場しのぎだけが上手な「馬鹿な支配人」だらけになってしまったのである。
ボウリング場で「さくら」を客と偽って見せられた社長と常務が、引責辞任と社長昇格の当事者になるのだが、自らは勿論、事業所支配人の意識まで改革できるのか、甚だ疑問である。新社長もまた事業所支配人上がりなのである。

社長交代

2004-11-13 10:10:16 | 新八のOB酔言
OBになって丁度2ヶ月になろうとしている。33年間の古巣への想いは悲喜交々としたものだが、やはり愛着がある。終生、自分の感覚とはズレのある企業体質であったから現役時代のロイヤリティーも薄かった。会社が犯罪を要求しても遂行する、と言っていた同世代がいたが、そいつの感覚を軽蔑した。現役の晩年には、そいつはそれらしく、自分は自分らしいポジションで仕事をしていたから、自分の現役生活の貫き方に満足している。

古巣の母体が揺れ動いている。総会屋への利益供与、株式の虚偽記載、インサイダー取引、脱税…
カリスマオーナーの退陣。社長の引責辞任。経営改革を旗印に新社長が常務から昇格することになった。

あれよあれよという間の激変である。オーナーの退陣以降は、すべて私が退職してからの僅か2ヶ月のできごとなのだ。2ヶ月前、家内をともなって常務取締役北海道総支配人のところへ定年退職の挨拶に行った。私の彼に対する言葉は、「お世話になりました」ではなく「常務、身体にだけは気をつけて、無理はしないで下さいよ」だった。30数年、付かず離れずでその存在を意識せざるを得なかった彼が、柄にもなく目を潤ませているように見えた。私より5歳年長の彼は、目をそらせて家内と談笑していた。北海道を牛耳って長すぎた常務は、権限委譲をせず、ミニオーナー化していて我々は公然と「老害」と言って憚らなかった。

その彼が、あろうことか敗戦処理の改革に向けて社長に抜擢されたのである。
マスコミに知れたオーナー側近ではないが、実は永年の側近であり、私は毎日、夜となく昼となくオーナーの電話指示に奔走している姿を、近くで見つづけていた。オーナーが院政を敷くには打って付けの人材なのだ。それだけに、オーナーのリモコンによる「改革」が果たして可能なのかどうなのか、今後の動きに興味がつのるところだ。
個人的には、彼が激務に倒れないことを祈るばかりなのだが…。