新八往来

季節が移ろい、日々に変わり行く様は、どの一瞬も美しいが、私は、風景の中に一際の力強さを湛えて見せる晩秋の紅葉が好きだ。

トロツキスト

2005-04-10 17:40:39 | 新八雑言
時々、ふーっと時代錯誤的な言葉が頭をよぎることがある。

私は元来読書家ではないから、蔵書も無い。にもかかわらず、学生時代に読んだことがあるのに手元に残っていない本が幾冊かあって、それらの本を何時どのように処分してしまったのだろうと思うことがあるのだ。資本論をはじめとするマルクス、エンゲルス、レーニン等の和訳本の多くがそれである。それらのほとんどが文庫本であったから、共産主義とかイデオロギーといったものが時代にそぐわない状況の到来と共に、かつての輝きは色あせ、記憶の端に残ることもなく、古新聞とともにトイレットペーパーに変じてしまったに違いない。
そんな中で完全に読破しないうちに、つまらない資金源を得るため古本屋に売ってしまって、いまだに後悔している本がある。アイザック・ドイッチャー著の「トロツキー伝」である。3部作で、私が手に入れた時も高価な著書であったが、今では3万円を超えていて、年金暮らしの身には再び手にするのは難しいかも知れない。

学生時代を過ごした田舎のキャンバスも当時の趨勢の中で、マルキストの学生グループは代々木系と反代々木系に分かれて対立していて、その構図は首都圏の学生運動の縮図の時代であった。
思想的に確固たる信念を持った学生ではなかったのだが、多数派の代々木系の集会で議決のたびに全員が一斉に「異議なし!!」と挙手する光景は、どうしても納得できない違和感があった。私がなんとなく反代々木系のグループに近付いたのは、ただそれだけの理由であった。
彼らは、代々木系のグループからは「トロツキスト」として指弾されていた。その「裏切り者」に等しい呼称のされかたが当時の私にとっては、極めてステイタスティックなものであって、トロツキーというレーニンとともにソヴィエトの創設者であった歴史的指導者が、後継のスターリンに追放されメキシコの果てで暗殺されるまで自説で闘い続けた生きざまに幼稚な憧憬を抱いていたのである。
しかし、私は、トロツキーの多くの著書や演説の内容を一編たりとも読んだことはなく、ただその生きざまに惹かれて、伝記を求めたのであった。にもかかわらず、3部作を読破せずに古本屋に持ち込んだことを、いまだに後悔している。

大勢に同化せず、自説で生き抜くことが男の美学であるという思い込みのある私にとってトロツキーは、私の思い込みの中にある男の1人なのである。

2 コメント

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なつかしい (don)
2005-04-14 12:47:27
なつかしいキャンパス情景。30数年前を思い出します。

立て看の簡略文字にヘルメット、小脇に抱える朝日ジャーナル。校門にはいくつかのセクトのビラ配り・・・・。今思うと懐かしい青春の一ページです。
Unknown (Unknown)
2005-04-15 00:36:19
懐かしい青春の一ページで終わりですか?実は、本当は、それを引きずりながら三十数年生きてきているのでは?……そんな気がしないでもありません。「力尽くして倒れる事は辞さないが、力尽くさずして・・・事を拒否する」「泣いてくれるなおっかさん・・・」と、いう感じです。どだい団塊は食糧事情から添加物からも、生まれてきた子供の体質からもそんなに長生きはしないように思えてなりません。定年で携帯電話を放逐した時、ひょっとして、何かが始められる・恥じでやれるようにも思うのです。不良老人としてです。トロツキーが中南米にその足跡を残したようにです。少なくともその古典的マルクス主義を再読する事は可能です。其の視点からリスク社会・利潤至上主義官僚社会を見直す事も不良老人の役目なような気がします。「力尽くさずしてあの世にはいきたくありませんよね・・・・。」