新八往来

季節が移ろい、日々に変わり行く様は、どの一瞬も美しいが、私は、風景の中に一際の力強さを湛えて見せる晩秋の紅葉が好きだ。

季節を観る

2016-03-21 13:47:48 | 備え無き定年
厳寒の光が
暖かい輝きを含み始めた頃から
じっと溜めていた北国の春は
満を持して訪れる
爛漫の季節に再び出会えて良かった

スローライフを生きるということは、ベットに横たわり、
窓越しに散る花びらを一枚一枚眺めていることではない。
つまり、生かされるがままに生きているという
消極的な生きざまではないということを、しみじみ考えさせられる。

様々な形で耳目に展開する現象の一つ一つを、しっかりと見聞きする
体験を繰り返すことが、スローライフなのである。
しっかりとした五感と気力、体力、行動力が必要なのである。

病に負けて無気力状態に陥っている時に、そのことを自覚し
実践することは、杖にすがって立ち上がろうとするほどの気力が必要である。

我家の荒れ庭では、訪れの遅かった春が近年になく爛漫と匂い立っている。
チューリップ、つつじ、ライラック、洋芍薬などが所狭しと咲き狂っているのである。
この異様に活気付いている荒れ庭を眺めつつ、短文の一つでもと思うのだが、
今ひとつテーマが絞れない。

数日前に発熱して以降、通院して点滴を受けている。
午前中は病院のベットでうつらうつらしているのであるが、
こんな状況では帰宅後も五体が萎えていて、春爛漫を楽しむ気分になれないのである、

とりあえず、この状況から脱しなければならない。