新八往来

季節が移ろい、日々に変わり行く様は、どの一瞬も美しいが、私は、風景の中に一際の力強さを湛えて見せる晩秋の紅葉が好きだ。

「造反有理」から「愛国無罪」までの40年 1

2005-04-14 20:28:45 | 新八の色眼鏡
私が田舎大学に在籍し、今振り返れば太平楽なキャンパスライフを過ごしていた時期は、中国は台頭し始めた進歩派に対して、毛沢東が主導権の奪取を企てて少年少女を「紅衛兵」として操り、過酷な弾圧を進めていた時期に重なる。少年少女が手に手に振りかざしていた「毛語録」は、当時の私のポケットにも入っていたが、詳細に目を通した記憶はない。とりあえず流行の一端として持ち歩いていた。それにしても、彼等の親、祖父母ほどの年代差の要人、文化人の頭に三角巾を被せ、後ろ手に縛り上げて、市中引き回しをする報道写真を目にする度に、ポケットの「毛語録」とはかけ離れた次元で、得体の知れない政権と国民性に不快感を禁ずることができなかったものである。
毛語録の標語は「造反有理」という四文字熟語であった。毛沢東の政敵に向ける闘争はすべて理に適ったものである、というお墨付きである。少年少女や下層労働者の未熟な判断で実行される、いかなる過激な行為もこの四文字で肯定されていたのである。当時の日本国内の左派勢力の多くも隣国の「革命」を肯定する流れはあったが、日本で行なわれていた政権に対する組合、学生の闘争と政権の主導権争いに利用されていた中国民衆の理性なき闘争とは質的に異なるものであったと思える。
「理」とされる行動に対しては何事も許されるという無謀な見識と、その影にあって世論を操る政権、跳ね上がる若者・・・最近の中国における反日運動で叫ばれる「愛国無罪」の四文字熟語に40年前の「造反有理」と変わらぬ一党独裁の政権体質であることを再認識させられる思いである。「愛国無罪」で炊きつけた火が、現政権に対する「造反有理」に展開しない程度のほどほどにコントロールされた運動であるとは思うが・・・。

1 コメント

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Unknown (onion)
2005-04-15 00:06:10
●愛国無罪=→造反有理→「下層労働者?」←言 論統制=メディア・コントロール←自ら便乗・ 構成・肯定してきた特権社会崩壊への防御=あ らゆる国家は特権的少数者による大衆の支配に 転化する。〔バクーニン〕



※翻って……差異性・個人・自由・尊厳からヒューマニズムの復権〔古いなー!!〕

◎無制限の利潤追求←=富・社会的地位への価値観・特権意識⇒苛烈な競争社会の強化=二極化=勝ち組⇔負け組=不良債権=ニート等のイメージ形成=絆や連帯の相互扶助的共同体の破壊

●負け組・不良債権=競争社会で強者たり得ない〔為り得ない〕者⇒自らマイノリティとして⇒人間として・・・迂遠なる願望