何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

醜い犬&13匹の犬 人間

2016-06-26 10:28:18 | 
何かを誰かを応援する気持ちをこめて書くことにしているので、ここでは基本的に肯定的な文章しか書かないことに決めている。
人間の醜い内面を鋭く抉り出すものや厳しい現実を突きつける本についての感想が、否定的ニュアンスを持つことはあるが、それは逆に、作者の意図するところが描ききれているという意味において、成功なのだと思っている。また、内容や主題に納得がいかなくとも、ストーリー展開や描写の上手さを感じれば、それに感謝しつつ読むことにしているのは、本好きとしては兎に角作家さんの存在を有難く思っているからだ。

ただ最近、表題と表紙に惹かれて最高に期待して読んだために、あまりの内容にショックも大きすぎ、これだけは、どうにも肯定的に書きようがない、と感じていた本がある。
「十三匹の犬」(加藤幸子)
本の帯には『物語の語り手は、一家で飼われてきた歴代十三匹の犬たち。戦前の明るい空気の札幌、戦争中から敗戦後の混乱の中での北京、引揚げ後の米軍の占領に始まる戦後から平成までの東京を舞台に、愛らしい犬だけでなく、臆病な犬、凶暴な犬、殺された犬、様々な犬たちが紡ぎ出す、その犬の一生と家族の歴史。十三章からなる長編小説』とある。

本書は一章ごとに、ある一家が三代(悠子の両親と悠子とその娘)にわたって関わった犬たちの独白と、その犬の生涯を家族が補足説明するという構成をとっている。従って「13匹の犬」は13の章から成り立っているのだが、実はものの数にも入れてもらえなかった犬もいて、それは「短い余話(主人曰)順番の来なかった犬」として五匹目と六匹目の話の間に挿入されている。職場に門の前にうずくまっていた犬を拾って帰ったその夜に、狂犬病に感染している可能性に思い至り、翌日には衛生局を呼んで引き取らせるという事態になったため、飼い犬の数にも入れてもらえないまま生涯を終えた犬の話だ。
悠子の父は愛犬家を自称してはいるものの計画性と注意深さが無いせいか、あるいは悠子の母が生き物に対してあまりに酷薄だからか、この家の犬たちは、少なくとも悠子の両親が世話をしている限り、非常に短命である。
この一家が犬を飼い続けた期間には、食糧事情が厳しい戦争時代もあったし、今のように八種混合ワクチンでジステンバーが予防できることもなければ狂犬病の予防接種もない時代であったのは理解しているが、それでも悠子の両親の態度に問題を感じるのは、熱気で草原に火がつくほどの暑い日に水をやり忘れて二歳のボーダーコリーを死なせてしまったり、親犬は現役の闘犬だと知りながら犬屋の勧めに従い秋田犬の仔犬を買ってきて、噛み癖を強制できなかったからと、たった11か月の仔犬を獣医に処分させたりするからだ。
この家の犬は頻繁に脱走を図るが、そこに犬の本心があるように思えてならず、苦痛を覚えながら読み進めていたのだが、『(離婚して忙しくなった悠子に八つ当たりされている)老境に差し掛かっている女や思春期の女の子たちの心を和らげるためには’’犬’’という生き物はきわめて効果的だ』・・・ここを読んで、続きを読むのを止めてしまった。
犬は確かに家族の心を和ませてはくれるが、老女と子供の心のお守としての効果を狙って飼うものではないと思うのだ。

すっかり気分を害しつつも性懲りもなく犬の表紙に惹かれて読んだ「のら犬、学校をかえる」(遠藤岳哉)には救われた。
題名がすべてを語っており、それ以上でもそれ以下でもない作品だが、小学四年生のあるクラスを中心に学校中が、学校に居ついた犬と関わるなかで命の大切さを身に沁みて学んでいく実体験が、当時の担任によって書かれているので、読後感が爽やかだったのだ。

これで、気をよくしていたのだが、今日風変わりなニュースを見て、「十三匹の犬」を思い出してしまった。
<愛らしさも世界一? 「醜い犬コンテスト」今年も開催 米国>  2016年06月25日 15:09 AFPより一部引用
【6月25日 AFP】米カリフォルニア(California)州ペタルーマ(Petaluma)で24日、恒例の「世界一醜い犬コンテスト(World's Ugliest Dog Competition)」が行われた。
http://www.afpbb.com/articles/-/3091754

これは、文字で書くより実物を見せた方が説得力があるとプロの記者も判断したのだろうか、記事本文はなく、「醜い犬コンテスト」で見事に賞をとった「醜い犬」と「醜い犬を愛おしそうに抱く飼い主」の写真で誌面がうめられている。

愛犬と家族、いろいろな関わり方があるのだと思いながら、「十三匹の犬」を読み返すと、犬に対して両親がとった対応に心が冷え切った悠子は家を出る決意までしたことに気付いたし、悠子が飼った犬も相変わらず脱走癖はあるものの、両親が飼っていた犬たちよりは長生きしていることにも気が付いた。
何より、悠子の子が『お母さんは猫派なんだ。』『ほら猫って犬に比べると、性格がさっぱりしてるじゃん。食べる物と寝る所があれば、生きていけるって感じ。その点、犬は絶えず飼主を意識しているでしょ』 と冷静に犬と猫を比較しながら親の態度を判断しているのも、何はともあれ犬と猫とずっと生活を共にするという環境を続けてきたからだと感じられた。

そして、ついに辿り着いた最終章・十三匹目の犬「シバ」
『私(悠子)とシバの間には、特殊な紐帯が生じた』 とある ―「とある」としか表現できないところに、私の悠子一家への根深い不信感があるが、悠子は語る。
『リードを介して私とシバは互いに結ばれ、毎日、家の近所を練り歩いた。両者がともに分け合う新しい時間が生まれ、毎日そのひとときを楽しんだ。シバは年齢不詳だが、おそらく六十代の自分と同じぐらいだろう、と私は信じている。そしてお互いに「さようなら」を言うまで、この老屋と裏庭で一緒に暮らすに違いない、とも。
「シバ」柴犬。現在の年齢推定十三歳』

13匹目の「シバ」よ 長生きしておくれ

悠子一家の犬との関わり方について厳しいことも書いたが、これは作者自身の体験に基づく作品だろうと考える時、やはり作者は犬が好きなのだと感じるのは、前足の上に顎をのせ、上目づかいに人を見上げる犬の表情や、異なる言語を聞き分け瞬時に意図するところを理解する能力を犬がもっていることを、この作者が知っているからだ。
なにより十三匹の犬それぞれの目線で人間界を描いているところは、やはり読ませるのもがある。

ただ、ワンコが天使になって間もない私が読むには、あまりに酷く辛すぎた。

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