何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

扉を開ける雅な文化

2015-06-09 19:00:00 | 
「右の手だけが知る愛」で書いた「奇跡の人」(原田マハ)を勧めてくれた本仲間に「良かった」と言うと、今度は「異邦人」(原田マハ)を勧められた。
本を読む際に作者の経歴を踏まえて読むという私の癖を差し引いても、やはり原田氏は、この手の話が上手いと思う。
森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館に勤務した後、フリーのキュレーターとして活動している原田氏が書いた「楽園のカンヴァス」は古巣のニューヨーク近代美術館を中心に世界を股にかけた壮大な作品だったが、「異邦人」はいかにも日本的な美術界を京の雅で包んで万華鏡におさめたような作品であった。

とはいえ、この話の背景の根幹には、原発事故の影響を恐れて妊婦である主人公が京都で暮らし始めるという設定と東日本大震災が経済に与えた影響があることを思うと、そのあたりの記載について中途半端という印象もないではない。が、震災後も変わらず行われた葵祭について、『(葵祭りは)平安の昔から脈々と続いてきた祭りなのだ、安易に自粛しないところに潔さがある。』という件があり、自分的にはそれで納得がいったのだ。
京の都では、長い長い時間軸の縦糸は途切れることなく続いており、その時々の事象である横糸は「入り人」でしかないのかもしれない。

この本のタイトル「いりびと」。
京都では地元の人を「地の人」、他所から来た人を「入り人」と言うそうだが、「異邦人」と書いて「入り人」と読ませるタイトルが人間だけを指しているのではないと感じたのだ。
長い長い時間のなかでは、歴史的出来事さえも「いりびと」。
そんなことを思いながら読んだので、登場人物のあれこれよりも京の町と風景にばかり目がいってしまった。

例えば、簾
「常ならぬ世を生くる」で「五月半ばには簾をかける」と書いたが、「異邦人」を読んでいると、『毎年祇園さんの前には(簾を)だしますねん』というくだりがあり、「うん?」となった。
これが鰻の寝床ともいわれる京町家なら簾で違和感はないが、京大にほど近い吉田に立派な木戸を構えている邸宅という設定で、主人は代々公家に書を教えてきた家系で現在も皇室行事の書を手掛けている女性書家とくれば、簾やのうて簾戸をお使いとちがいますやろか。

例えば、別荘群
主人公が南禅寺界隈の別荘を訪問する場面があるが、ここを読んで「静かな静かな杜」の糺の森を思わざるをえなかった。
作中、『もとは南禅寺の敷地であった場所に、十数邸の別荘が居並んでいる。明治になってから、(廃仏毀釈のため)経済的に逼迫した南禅寺がその所有地の一部を売り出し、当時の名家、財閥が競って別荘を建築した。』とある。
廃仏毀釈により明治政府が召し上げた広大な土地は当初工場が建設される予定であったが、取り止めとなり民間に払い下げられたところ名家財閥が別荘を建築したという事情と、式年遷宮の予算捻出のために糺の森に集合住宅を建てねばならない下鴨神社とでは事情は異なるが、銀閣から哲学の道を経て南禅寺界隈から平安神宮までを歩いた静かな時間を思い出し、もう少しどうにかならなかったのかという思いが再燃してしまった。

例えば、京都という町
この話は二人の視点から書かれている。一人は大企業の娘であり、その企業が所有する私設美術館の副館長でもある菜穂であり、もう一人は菜穂の夫であり老舗画廊の跡取り息子の一輝である。
一輝の目に映る京都。
『ぞっとするほど魅力的』だけれど『同時に、近寄りがたいほど気高い。まるで、運命の女(ファム・ファタル)のように、魔物のように、美しい。底なし湖のように、奥が知れぬ。冷たく、そら恐ろしい。
他所者は、到底この街には受け入れられないだろう。菜穂は、それに気づいていない。この街では、自分が永遠に異邦人(入り人)であることを。』
『余所者がまともに切り込んだとて、歯が立つはずがない。それが京都という街ではないか。余所者を排除して独自の伝統と因習を守り抜いてきたからこそ、千二百年もの歴史を生き延びてきたのではないか。自分たち一介の「通行人」は、決して深入りすることができない幽遠なる都。その扉は固く閉ざされて、開くことなどないのだ。』
対して、皇室行事の書を手掛ける女性書家の家で逗留する菜穂は、書家の伝手を通じて次々と幽遠なる都の固い扉を開けていく。
宮内庁の依頼で作品を手掛けている日本画の大家に会い製作途中の作品を見る機会を得たり、京都に多くある
よほどの縁故がなければ足を踏み入れることが出来ない場所の訪問を許されたりと、普通なら絶対に開かないドアが、誰がドアをたたくか次第では、やすやすと開いてしまうという京都の流儀を目の当たりにし、更には京都に血の縁を深く感じることもあり、夫と別れて一人京都で子を産み京都で生きていこうと決心する。
そこまで菜穂を引きつけてやまない京都。

成人の日の三十三間堂の通し矢、葵祭の斎王代、祇園祭のお稚児さんなど有名どころは言うまでもないが、京都にはパッと出の成り上がり者には入っていけない世界がある。銭で頬を叩いて無理やり抉じ開けることも出来ない訳ではないだろうが、一番恥ずかしい「無粋者」のレッテルを貼られるのがオチである。と書けば何と嫌らしい所だと思われるかもしれないが、一度受け入れられれば、落ちぶれた情けない’時’をも受け入れてくれる包容力も持ち合わせていると思うのだ。
その奥深さと包容力がなくて、破れ障子を外から覘かれる土塀の内におわす天子様を有り難く有り難く戴いてこれただろうか。

やはり私は京都が好きだ。
糺の森の工事が始まる前、哲学の道の桜が紅葉に染まる頃に、京都を久しぶりに旅してみたくなる、そんな気持ちにさせてくれる「異邦人」であった。


ところで、「異邦人」に書も日本画も窓口が宮内庁であるという場面があったが、皇族方には京都の雅な文化を守っていかれる方はおられないのだろうか?
書や日本画など伝統芸能には流派があり、皇族方が直接関わられるのは公平の観点から相応しくないという判断が働いていると、何かで読んだ記憶があるが、例えば書道を習う子供が激減していることからも分かるように、伝統文化の裾野は急速に萎んでいっている感じがする。
マスコミが良しとする皇室像は根本的に何かとち狂っているが、敬宮様が幼少より五・七・五でお歌を作られ、百人一首にも馴染み、宮内庁文化祭には書を寄せられているので、そこに一筋の希望を見出している。
年に一度は学びのために京都御所を訪問される皇太子様と、皇太子様から歴史を学ばれる敬宮様、お二方を信じて御家庭を守られる雅子妃殿下。

今日、六月九日は皇太子ご夫妻のご成婚記念日。
皇太子御一家を信じ、皇太子御一家の幾久しい弥栄を心より祈っている。
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