何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

幸せはまた巡る 神降地

2016-07-26 00:01:25 | 
今年が「山の日」制定記念の年だからというわけではないが、この夏は二度山に登る予定で、しかも、そのうちの一つは最初で最後の機会かもしれないと思える山なので、縁起の良い山の本を読みたいと思っていた。
「生還者」(下村敦史) (『 』は引用部分)

本書はミステリーなので、その内容を詳細に書くことは控えたいが、大筋だけは記しておきたい。
4年前に登山をやめたはずの兄が、ヒマラヤ山脈東部・世界第3位の標高を誇るカンチェンジュンガで発生した大規模な雪崩雪崩に巻き込まれ、命を落とした。兄を含む日本人登山者7名が巻き込まれる惨事となったが、同じく山をやる弟・増田直志は兄の遺品のザイルが切断されていたことに気付き、遭難死を疑いはじめる。弟・直志が、兄は殺されたのではないかと独自に調査を始めた頃、奇跡的に生還を果たした男が現れ、兄たちの登山隊は猛吹雪のなか自分を見捨てたと告発するのだが、その後さらに奇跡的に救助された(兄の)登山隊の男は、先の男とは真逆の証言をしたためマスコミは騒然とする。
どちらの生還者が真実を語っているのか、嘘をついているのか、兄の死の謎を追う弟が見つけた答えとは!・・・・・というのが大筋だと思う。

表紙の雪に覆われた山が美しいことと、題名に惹かれて図書館で借りた「生還者」は、遭難死あり陰謀ありという内容で、当初の目的である「縁起の良い本」に当たるかは甚だ疑問だし、ミステリーの種明かしはできないので、ここでは、これから山に登るからこそ注意せねばならない点を書いておく。

主人公・直志は、世界第三位の高峰で起った遭難をめぐり、兄は殺されたのではないかという疑いと、その兄たちの登山隊が山男にあるまじき行為をしたと言い募る男の謎を探っているうちに、兄が4年前に遭遇した白馬岳での遭難事故にぶち当たる。
それは、経験者のみで構成された白馬冬季ツアーが猛吹雪のため身動きが取れなくなり、救助要請をするため男性陣が下山している間に、残された女性陣が全員死亡するというものだった。
この時、救助要請が遅れたことが命取りとなるのだが、その理由は、自分達の経験を過信したということもあったが、それ以上に遭難に対する世論の厳しさを恐れたからであった。
『救助隊に頼ってみろ。ニュースになって、世間から批判されるぞ。無駄な税金を遣われた道楽者扱いされる』『自業自得だ、自業自得だ、なんて叩かれる』と議論しているうちに時間が経ち、状況がますます悪化してしまうのだが、これは今時では珍しい話かもしれない。

山岳救助に関する本によると、あまりにも安易に救助要請をする人が後を絶たないという。
「民間ヘリでなく県警ヘリで救助しろ、そのために税金を払ってるのだから」と救助要請に条件をつける遭難者もいれば、そもそも遭難とはいえない程度で、例えば疲れや普通程度の筋肉疲労などでも救助要請する人もいるそうだ。そうして救助されたところで礼の一つも言うで無し、逆に捜索関係者が小言の一つでも言おうものならブログなどで悪口を言いふらすといった者までいるという。

本書にも、そのような山岳救助の難しさは記されている。
『ヘリコプターは飛行時間ごとに整備するきまりになっているらしい。25時間ごとに一日、百時間ごとに一週間、六百時間目には二か月ーという具合だった。「指を痛めたから」「民間のヘリに頼んだらお金を撮られるから」などという安易な救助要請が続くと、整備期間が増え、肝心なときに出動できなくなってしまう。』

涸沢あたりを歩いていると、えんじ色のチェックに黄色が映える揃いのシャツで活動して下さる長野県警山岳救助隊の力強い姿に安心感を覚えるが、映画「岳」の訓練場面を思い出すまでもなく、彼らの任務は過酷だ。
『県警は機動隊や地元の警察官で構成され、通常の勤務をこなす傍ら、一年の半分を山で過している。長野県が一部の他県のような''警備隊''ではなく''救助隊''という名称を訓令で定めているのは、遭難者の救助が仕事の大部分を占めるからだろう。何が何でも救いたいという強い意志を感じる。
三千メートル級の山がひしめいている長野県は、登山者が多い分、山岳遭難事故の発生件数も全国最多だ。県警の統計によると、一年で二百人以上の遭難者、四十人近い死者が出ている。その状況にわずか三十人前後の隊員で対応していると聞く。』

せっかく山岳警備隊に救われたとしても、その瞬間から始まる苦しみもあるという。
安易に救助要請したうえ救助関係者に文句を言うような人には縁のない話だろうが、救助要請を躊躇うような遭難者や、奇跡的な生還を果たした人を苦しめるものに、サバイバーズギルドがあるそうだ。
’’生存者の罪悪感’’と呼ばれる症状で、災害や大事故で近親者を亡くして自分だけ生還すると、他者から見て何一つ非がなくても、罪悪感に苦しめられるというもので、阪神大震災やJR福知山線脱線事故、東日本大震災などの生存者に多く見られ、注目されるようになった症状だという。

兄が4年前の白馬遭難を機に山から遠ざかっていた理由が、サバイバーズギルドであるにもかかわらず、まさに同じ理由で世界第3位の標高を誇るカンチェンジュンガに向かう。そして、そこで事故に巻き込まれる、もしくは事故を受け入れるのだが、ここはミステリーとしての肝なので、これ以上書くのは控える。
だが、本書の推理小説としての謎はともかく、なぜ人はこんな思いまでして山に登ろうとするのか、という謎は永遠に残るのかもしれない。
マロリーは「そこに山があるから」と言ったそうだが、本書にはヘミングウェイ「陽はまた昇る」の一節を引用して答える場面がある。
『''人生がどんどん過ぎ去っていくってのに、その人生を本当に生きていないんだと思うと、僕は耐えられないんだ''』

本当に生きていると実感するために山に登る、というほどの激しい登山をする人も、それゆえのサバイバーズギルドに苦しむ人も一般的ではなく、その点からの共感は難しいかもしれないが、災害列島日本に住む私達は、いつ生き残ってしまったことに苦しむことになるかもしれない。そんな時、「生還者」の言葉は支えとなるかもしれない。
『ーあなたはもう幸せになってもいいと思う、生き延びたのはあなたのせいじゃない。』

優しさゆえに苦しむ人に伝えたい、あなたはもう幸せになってもいいと思う
 
頑張る人々に神が降りるよう祈っている



ところで、冒頭に「山の日」制定記念について書いたが、その第一回を祝した記念式典が上高地で行われる。
これまで何度も、皇太子御一家にあの美しい山岳風景を御覧になって頂きたいと書いてきたが、なんと御三方がそろって「第一回山の日制定記念式典」にご出席されることが決定したようだ。
あのwウェストンが世界に紹介した日本アルプスを、神降りる地「上高地」から心ゆくまで堪能して頂きたいと願っている。
「土用の河童の日」 「道は続くよ、どこまでも」 「神降地アルカディアに祈る」 「ゴンズク出して山を仰ぎ見よ」


追記
「生還者」を、「縁起の良い本」に当たるかは甚だ疑問だと書いたが、さまざまな屈折を抱える主人公・直志が兄の遭難の謎を解く過程で、それまでの人生のわだかまりも解いていき、最後には幸せになるので、本書は縁起の良い本だと認定しておく、山登りの日が近いだけに・・・・・。

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