人外花境

暇人の何でも自然観察日記

主に野歩き山歩き.たまに旅歩きの写真ブログ

暖かい所へ行ってきます

2006年02月16日 | 今日の雑感雑記

Kareki

 昨日函館山からの下り道で、下から登ってくるオジサン(とは言ってもほぼ私と同年代) と会った。「この道頂上まで続いていますか?」と聞かれたので「はい、続いています」と答 えて別れたが、時間は午後二時半を回っていた。頂上へ着いたら三時半、また歩いて降 りてきたら午後四時半になってしまう。午後になって急に冷え込んできたし、軽装でラフな 格好をしていた。函館山の道を知らないと言うことは、本州からの観光客かと思い、大丈 夫かと心配したが、考えようによっては網走か稚内から函館の親類を訪ねてきた人かも 知れない。であればベドゥィンが鳥取砂丘を歩いている様なものだから心配無いか、など と下らない事を考えながら下山した。

 今年の冬は、北海道の中でも温暖なここ函館も寒く雪が多かった。雪が多いと言って も、積雪は30cm~40cm程度で新潟や長野に比べれば可愛い物。気温もマイナス10°ま でには至らなかった。でも例年に比べれば寒かったので、しばらく暖かい所に行ってきま す。ブログ10日ほど休みます。


歩いて函館山へ

2006年02月15日 | 写真

Imgp2793

 今日の函館地方は、晴れて気温+6°まで上昇。冬期間函館山は車両交通止めのた め、歩いて頂上目指す。いつもは車でビュンと通りすぎる道を、テクテクダラダラ歩いて登 る。途中特に絵になる風景は無し。頂上のビルの壁にこんな物を発見した。当時山頂ま で道は有ったんだろうか?


横津岳第二湿原

2006年02月11日 | 今日の雑感雑記

Yokotu2

 横津岳第二湿原は、平坦な尾根上に発達した小さな高層湿原です。標高約1000mで北 緯41°56′、東経140°46′に有ります。現在は中心部に小さな池が有るのみですが、 かっては枯れ草の範囲が全て池塘でした。池塘の深さは約3.0mで、今から12,000年ほど 前に出来ました。その後土砂や枯れ草などが周囲から堆積し、現在の姿になりました。

 12,000年前と言えば、最終氷河期が終わり温暖期へ向かう時期で、亜寒帯気候でした。 平坦な尾根上は、シベリアの様なツンドラ地帯の様相を呈していたと考えられます。現在 横津岳尾根上の高層湿原は三カ所ですが、笹や灌木が進出していない湿原跡が数カ所 認められます。かっては彼方此方に池塘が分布していたのでしょう。


大千軒岳金山番所跡その2

2006年02月08日 | 今日の雑感雑記

Bannsyo2

 初期の十字架の写真が残っていました。今となっては、何処が金山跡なのか定かでは ありません。千軒岳の金採取は、河床の砂礫の中に混じっている砂金を「流し堀り」によ って採掘していた様です。一部の文献には、金鉱脈からも採掘したと書かれていますが、 詳しい事は解りません。

 千軒岳の地質は、ジュラ紀の付加体である緑色岩・粘板岩・チャートなどの基盤岩に、 花崗閃緑岩が貫入したものです。日本の金鉱床は、火山フロントに沿った浅熱水鉱床が 大部分です。代表的な物に、鹿児島県の菱刈鉱山が有ります。推定埋蔵量200tと言われ ています。千軒岳は火山フロントから外れており、熱水変質の兆候も有りません。砂金の 元となる金鉱脈の存在自体が不明とも言われています。

 金鉱床には、大きく分けて島弧型金鉱床と大陸型金鉱床が有ります。日本の場合は、 もちろん島弧型金鉱床ですが、北上山地の大谷と言う所に一カ所だけ大陸型金鉱床が 有ります。北上山地から北海道松前半島にかけては、同じ付加体の地質構造ですから、 千軒岳金鉱床も大陸型金鉱床なのかも知れません。


ニセコ早春

2006年02月07日 | 今日の雑感雑記

Niseko

 近年この界隈には、リタイヤーとオーストラリア人が増えています。日本人のリタイヤー はこの風景を求めて、オーストラリア人は雪を求めて来ているようです。雪を求めるなら、 1m降ろうが2m積もろうがそれも良しでしょうが、雪の無い地域からの移住者は大変です よ。ニセコ移住者の体験談は、ブログなどでも紹介されていますが、ここで再度忠告。

分譲別荘地以外に家を建てた場合①上下水道が無い②ガスはプロパン③町道から外れ ると除雪しない④冬期間毎日家の周りの除雪⑤吹雪が続けば4日~5日家から出られな い⑥買い物は車で雪道運転⑦11月下旬から4月まで雪の中⑧暖房費がべらぼうに掛か る⑨とにかく寒い⑩スキーや冬山登山に興味の無い方、何して冬過ごすの。

 地吹雪によるホワイトアウトを経験したこと有りますか?スノーポールはおろか、自分の 車のボンネットも見えなくなります。そんな中10kmも車を運転して、タマネギ一個買いに行 きますか?命がけですよ。万が一停電したらどうします?水は出ないトイレは使えない、 その間に水道管凍結して破裂、薪ストーブで雪を融かしローソクの明かりで夜を過ごす、 サバイバルを楽しめます。

 なんてオドシ文句ばかり並べましたが、一冬過ごせば慣れるでしょう。何よりも春になっ てこの風景を目にしたとき、苦労がふっとびます。冬は地獄でも、春から秋にかけては天 国です。移住者よ来たれ!


サラサドウダン

2006年02月05日 | 写真

Sarasadoudan

 今年の冬は、毎日毎日寒い日が続いています。新潟県津南町では、積雪が4mを越え たとか。一方沖縄県の那覇の最高気温は24°とか。同じ日本とは思えない。半年後に は、また巡ってくるであろう初夏の写真を載せました。恵山を背景にしたサラサドウダンの 花です。サラサドウダンは漢字で「更紗灯台」と書くそうです。恵山にはツツジ科の花が多 く見られます。私の知る限りでは、ホツツジ・イソツツジ・ヤマツツジ・ミネズオウ・シラタマノ キ・コケモモなどが有りました。可憐な花を咲かせる季節が待ち遠しいです。


大千軒岳金山番所跡

2006年02月03日 | 今日の雑感雑記

Bannsyoato

 大千軒岳の知内川流域での砂金採取は、将軍源頼家が元久二年(1205年)甲斐の国 の荒木大学に命じて、約十三年間採掘したのが始まりとされている。しかしこの話はどう も眉唾らしい。正史としては、慶長九年(1604年)徳川家康から松前藩への通達の中に記 載が有る。これは蝦夷地金山についての物であり、大千軒岳金山を指しているとは限ら ない。松前藩が正式に採掘を始めたのは、元和三年(1617年)である。元和六年には、金 堀人夫が八万人に達したという。彼らの住居が千軒建ち並んでいたことが、千軒岳の名 前の由来である。しかし本当かな?八万人分の衣食住をまかなうだけの物資を輸送する だけでも大変な事業だが。

 寛永十四年(1637年)島原の乱を契機に、寛永十六年幕府はキリシタン禁止・鎖国令を 発布した。同年八月松前藩は、幕府の通達により106人のキリシタンを処刑した。大千軒 岳番所では50人が処刑されたとある。

 金山番所跡の十字架は、昭和三十八年に建てられたものです。当初の十字架は、中心 に丸い輪が付いていたが、1970年頃?の大雪崩により破損したため写真のものに建て 替えられた。


改革の影と人間の闇

2006年02月02日 | 今日の雑感雑記

Kage

 昨今のニュース報道は暗い話ばかり、いや不可解な話と言った方が良いかも知れませ ん。BSE問題、ライブドア事件、耐震強度偽装そして官製談合などなど。今なぜこの時期 にとの問いに、小泉・竹中改革の影の部分が露呈したがため、との見解も有ります。しか しこれは結果を引き出した誘因であり、原因では無いと思います。小泉・竹中改革の影の 部分、すなわち新自由主義がもたらす社会の歪みについて議論することは、それはそれ で重要なことと思います。現在起きている諸問題は、もともと日本社会いや人類社会に内 在していた闇の部分が拡大し、改革の影からはみ出てしまったのではないでしょうか。

 問題の根本原因に立ち至って考えてみれば、BSE問題は草食動物である牛に共食い をさせた事にそもそもの原因が有ります。進化の流れに棹差した人類の傲慢への、自然 からのシッペ返しです。ライブドア事件・耐震強度偽装事件は、自己のまたは自己の属す る集団の利益のためには手段を選ばない、これは人類の有する本能の一部であるが、 あからさまに発揮すれば社会システムが崩壊するため、道徳・倫理などと言うオブラート に刳るんで見なかったことにしていただけです。官製談合も前者と共通する所が有るが、 目的が金ではなく自己の属する組織と権力の維持に有るところが異なる。官僚組織の行 動様式は、古代から変わるところがありません、これも官僚の本能です。

 人間社会の歴史は、何度も何度も同じ事を繰り返しています。でも少しずつ教訓化する 事も忘れていません。歴史を紐解いてみれば、過去より現在の方が住みよい社会である ことは確かです。本能(恐竜の脳と言う言い方も有ります)を抑制することによって、互い に住みやすい社会を作って行くことに異議は無いはずです。でも中には抜け駆けしようと 考える者が必ず出てきます。ライブドア事件のことを「渋滞している高速道路の路側帯を 猛スピードで駆け抜ける車」と表現した小説家が居ました。さすが小説家、言い得て妙で すな。